「これからは毎月、給料は私が払うわ」芳江は太ももを軽く叩きながら言った。「そやったら、すぐ鍵屋さんに連絡しまんね。遼一様に怒られたら、お嬢様......私のこと、なんとか助言してくれんさいねぇ。私には養わにゃあならん家族がおるんじゃけぇ!」「うん」数時間後、汗だくになって病院へ戻った芳江は、「玄関の鍵は交換しときましたわ。パスコードも指定どおりに設定しといたんじゃ」と報告した。「ご苦労さま」「いえいえ、お金いただいて仕事しとるんじゃけぇ、そりゃあ当然のこっちゃわ」明日香は病院のガウンを脱ぎ捨て、すぐに退院手続きを済ませた。医療費は康生からもらったカードで支払った。康生は毎月決まった額を振り込んでくれていて、普段あまり使わないため、かなり貯まっていた。病室を出たばかりの病院の廊下で、珠子に支えられながらエレベーターからゆっくりと歩いてきたウメとばったり出くわした。ウメは随分と老け込み、白髪も増えていた。彼女は明日香の目を見ると興奮し、明日香に近づいた。「明日香さん!病院に来たのは、私を見舞いに来てくれたの?最近ずっとあなたのことが気になってたのよ?」明日香は冷たくウメを見つめ、「お大事に」とだけ言い、足早に去っていった。かつては完全に信頼していたのに、結局、自分を最も傷つけた人物と一緒にはいられなかった。それに、自分はウメのしたことをまるでなかったかのように許すほど器の大きな人間でもない。「ウメさん!」そのとき、背後から珠子の叫び声が響いた。「明日香、ウメさんが気を失ったわ!お医者さん、早く来て!」明日香はエレベーターに乗り、ドアが閉まる寸前、白衣を纏った男が手でドアを押さえた。「明日香、こんなところで会うなんて偶然だね?どこに行くんだ?」明日香は何も答えず、その男を一瞥もしなかった。こんな男は医者の名を汚すだけで、ドクターコートを着る資格すらない。エレベーターが一階に着く頃には、明日香はすでに病院の玄関を出ていた。南苑の別荘に戻ると、今度は別荘のドアだけでなく、門にも電子ロックが設置されていた。リモコンがなければ外の車は入れない。パスコードを入力すると、「ピッ」という音とともに門が開いた。慣れ親しんだはずの別荘は、動揺と孤独に満ちていた。ここは彼女が長年暮らした家であると
そのスープの一匙を、遼一は無理やり明日香に飲ませた。次の瞬間、明日香は胃がひっくり返るような激しい吐き気に襲われ、ベッドの縁にもたれかかりながらすべてを吐き出した。何も食べていなかった胃は空っぽで、最後には胃酸まで吐き出し、口の中には苦々しい味が広がった。その嫌な味はなかなか消えず、明日香は布団を蹴って起き上がろうとした。遼一は彼女の意図を察し、腰を抱えてトイレへ運んだ。便器にしがみつく明日香は、まるで胃ごと吐き出してしまいそうな感覚に襲われていた。胃酸が食道を焼くように痛む中、遼一はそっと彼女の背中を優しく叩いた。どれほどの時間が経ったのだろう。明日香は荒い息を繰り返し、体はぐったりとして立ち上がれず、目は涙で真っ赤に染まっていた。遼一は肩をつかみ支えようとしたが、彼女がしっかりと立つ間もなく、突然意識を失ってしまった。「明日香!」返事はなかった。遼一は考える間もなく、明日香を抱き上げて階下へ駆け下りた。静水病院。遼一が救急を呼び、明日香は点滴を受けながら、青白い顔で横たわっていた。「ご家族の方ですか?」看護師が尋ねた。「ああ」「患者さんは栄養失調気味です。食べたいものがあれば、少しずつ与えてください。一度にたくさん食べると胃に負担がかかります。数日入院して経過を見ましょう。何かあればすぐに対処できます」「うん」看護師が去ると、哲朗が入ってきて口元を緩めた。「珍しいね、お前がこんな姿を見せるなんて。妹に惚れた気分はどうだい?」特に康生と血縁関係があると知ってからのことだった。タブーと知りつつも、抑えきれない感情。哲朗は本当に楽しみにしていた。明日香がこの真実を知ったら、どんな反応をするのか。今よりさらに狂うのか?「何か用か?」冷たい視線を浴びて、哲朗は平然と近づいた。意識のない明日香を見て、ここしばらく辛い日々を送っていたことがわかった。「ふん、ずいぶん痛めつけられたようだな!一度も血縁検査をしてみなかったのか?もしかしたら違うかもしれないだろ?一方的に決めつけるなよ」その時、ベッドの上で苦しげな声が漏れた。「水......」「俺のことに口出しするな。出て行け!」哲朗は両手を挙げて降参のポーズをとり、相変わらず笑っていた。「長年の友達として忠告したまでさ。ま
なぜか、遼一の口からその答えを聞いてみたくなった。遼一は彼女の髪を乾かしながら、部屋には異様な沈黙が漂っていた。ウェーブのかかった腰まで届く長い髪は量も多く、乾かすのに手間がかかり、手入れも大変だった。毎回ドライヤーをかけるのに一時間以上かかり、たいていの場合、明日香は髪を半乾きのままタオルを敷いて寝てしまっていた。髪を乾かし終えた頃には、ちょうど時計の針は十二時を過ぎていた。残された長い夜を、どう過ごせばいいのか、遼一には分からなかった。散らかり放題の部屋を一瞥し、遼一は明日香をそっと横抱きにして部屋を出た。彼が何をしようと、明日香には抗う力もなく、無駄な抵抗は意味がない。階段を下りていると、ちょうど上がってきた芳江と出くわした。「あらまあ、この二人は何をしていたの!」その光景は見るに堪えなかった。「遼一様、ちょうど上がってきたとこじゃけど、このスープはまだ取っときましょか?明日を過ぎたら味が落ちるさかい」遼一は冷たい目で芳江を見つめた。「食べ物を多めに俺の部屋に持ってこい」「は、はい......かしこまりました」芳江は階段を下りていく二人の背中をぼんやりと見送った。ああ、神様。この二人の仲はただごとじゃおまへんのう!慌てて大量の食べ物を運んで二階に戻り、ドアをノックして中に入ると、遼一がベッドの上で明日香の着替えを手伝っていた。片方の袖を通したばかりで、服をゆっくりと下ろしているところだった。芳江はその光景に持っていたものを落としそうになった。お嬢様の体、丸見えじゃないか?「食べ物を置いて、ついでに上の部屋を片付けておけ」遼一が芳江に命じると、明日香は淡々と口を開いた。「いいの。明日自分で片付けるから。もう遅いし、芳江さんは先に休んでいいよ」「は、はい。お嬢様、ご飯はちゃんと食べてくださいねぇ。体を壊したらあきまへんで」「うん」遼一の部屋はシンプルでモノトーンな内装。机の上には何も置かれておらず、数枚の書類があるだけだった。知らなければ、誰かが住んでいるとは思えない部屋だった。遼一は傍らのスープを手に取り、明日香の口元へ運んだ。「食べて、少し休め。明日、連れ出してやる」「言ったでしょう、私に構わないで。珠子のところに行ってあげて。あなたは珠子の彼氏でしょう?ずっと
何かあると、明日香はただ逃げることしか考えられず、そんな自分が嫌で、何もできない自分自身をも憎んでいた。しかし、誰もどうすればいいのか教えてはくれなかった。明日香はまるで臆病で弱々しい、縮こまった亀のようだった。だから葵だけでなく、遼一の側近たちもみな、明日香を見下していた。彼女が育った環境は、まさにそういうものだった。明日香は変えられない自分を、深く憎んでいた。枕を抱え、うつむいたまま熱い視線を避けようとし、立ち去ろうとしたその時――見えない男の険しい表情の中で、数歩進んだ遼一が彼女の細い腕を掴み、その手から注射針を奪い取り地面に投げ捨て、無理やり浴室まで引きずり込んだ。明日香は虐待された子猫のように必死で彼の触れようとする手を拒み、服はあちこち破れ、胸の大部分が露わになっていた。「触らないで!」彼の顔を引っ掻き、櫛を叩きつけた。浴室のドアはロックされ、明日香は隅に縮こまって震えた。遼一は怒りに任せて手を出すかと思いきや、意外にも冷静だった。彼は彼女の前にかがみ込み、顔を覆う髪をそっと払いのけた。「お前を傷つけたくない。お風呂に入れてやろうか?」初めて、尋ねるような口調で声をかけた。10分後、遼一は湯を張り、適温に調整した浴槽に明日香を入れた。無理やり服を脱がせられ、浴槽に座る彼女はまるで、自由に弄ばれる人形のようだった。遼一は上着を脱ぎ、壁に掛け、黒いシャツの袖をまくり上げ、タオルで彼女の体を優しく拭った。「学校から電話があった。いつ戻るつもりだ?」しかし明日香の目には、何も映っていなかった。「この家から出て行って。もうあなたには会いたくない。あなたがここにいる限り、あなたにされたことを忘れられない。もし今の私にまだ価値があるのなら、死なせたくなければ、二度と私の前に現れないで」遼一を見るたび、明日香は苦しみから抜け出せなかった。「こんな姿になった私を見て、満足なの?あなたの復讐は成功したわ。私を壊したんだから。このまま自生自滅させて、廃人にしてみれば?そうすれば、あなたは手を汚さずに済むでしょう。そうでしょ?」遼一はボディソープを泡立てて彼女の体に塗りつけると、ふと背中にできていた知らぬ間の傷跡を見つけ、手を止めてその傷を避けた。確かに、目的は達成した。だが、明日香の今の姿を目
どうせこの家は、最初から最後まで自分一人きりだったのだから、誰がいてもいなくても、何の問題もない、そう思っていた。明日香が遼一を避けて階段を上ろうとしたその瞬間、遼一は彼女の手を強く掴んだ。「ウメが交通事故で手術を受けて入院した」明日香の瞳には、依然として何の感情の揺らぎもなかった。「そう、じゃあ早く退院すればいいわ。私は見舞いには行かないけど」どれほど深い感情があったとしても、明日香には十数年も薬を盛り続けてきた相手と真正面から向き合うことなど到底できなかった。滑稽なことに、遼一は彼女を唯一の身内だと思っていたのだ。実際のところ、これらのことは明日香にとってずっと前からわかっていた。ただ、その事実と向き合う勇気がなかっただけだった。崩壊は遅かれ早かれ訪れるものだ。この一件だけが最後の一押しになったわけではなかった。明日香も自分を騙そうとしたが、どうしてもできなかった。抜け出したい、何もかも忘れたい。でも、いつ抜け出せるのか、まったく見当がつかなかった。おそらく、明日香の人生はこのまま日々をやり過ごすだけで、何の目的も持たずに生きていくのだろう。明日香は遼一の手からすっと手を引き抜き、一歩一歩階段を上がり、再び自分を閉じ込めた。かつてに比べれば、明日香はずいぶん良くなっていた。少なくとも、以前のようにずっと部屋に閉じこもることはなくなっていた。今の明日香は、ただ魂の抜けた空っぽの抜け殻のような存在だった。真っ暗な部屋に入ると、また部屋の片隅に座る女性の姿が見えたような気がした。彼女の顔は依然として闇に隠れていたが、振り返っても顔は見えず、ただ優しい声だけが耳に届いた。「明日香ちゃん、母さんに話したいことがある?」「父さんがいなくなった。もう二度と戻ってこない。私一人を置いていった」「明日香ちゃんには、まだ母さんがいるよ」「うん」朦朧とした意識の中、明日香はノックの音で目を覚ました。「お嬢様、ご飯を作りました。少しでも食べてください」ドアの前で声がしたが、明日香は睡眠薬を飲んだばかりで頭がぼんやりしており、中の人の言葉は聞き取れず、またうつらうつらと眠りに落ちていった。ドアの鍵が回り、次の瞬間、ドアが開いた。これは以前に新調した鍵だった。部屋の空気は淀み、嫌な匂いが漂っている。相変
絵が机の上に広げられ、その中に記された番号は明日香の名前だった。樹の指先がそっと絵の上をなぞる。「彼女が今回のコンテストの受賞者か?」明日香にまつわるものを見るたび、樹の感情は自然と落ち着きを取り戻した。「主催者側から送られてきたものです。社長のご意見を伺いたいと」しかし実情は異なった。千尋は以前から、明日香がこのコンテストに必ず参加することを知っていた。彼女は絵を描くことを愛し、その腕前はプロの画家にも劣らなかった。「彼女は、このコンテストが藤崎グループの共催であることを知っているのか?」と樹が尋ねた。「さあ......おそらくご存じないでしょう」「まず出てくれ」「はい」千尋が立ち去り、オフィスのドアが閉じられると、樹は絵の細部をじっくりと見つめた。ここ数日、明日香から連絡がなかったのは、この絵を描くためだったのかもしれない。明日香は冷静で、自分が何を望んでいるのかをしっかりと理解していた。どんな状況にあっても、常に理性を失わなかった。時には、樹は彼女が少しくらいわがままを言ってくれればいいのにと思うことがあった。何もしないより、少しでも気にかけられている実感が欲しかったのだ。彼が怒りを覚えるのは、明日香があまりにもあっさりと自分を他人に押し付けてしまったことだった。間もなく樹は主催者側に電話をかけた。五日後の午後。「何か食べるものはあるか?芳江さん、お腹が空いた」明日香の服は何日も替えていないようで、髪は固まり脂ぎっていた。体からは不快な匂いが漂う。芳江は野菜の選別をしていたが、明日香のぼさぼさの姿に目を丸くしたものの、特に言葉にはしなかった。「明日香さん、まだご飯の時間じゃないんじゃけど、卵チャーハン作ってあげましょうかのう?」「作るな。これからは食事の時間まで待て。甘やかす必要はない」遼一はそう告げた。部屋に持ち込んだお菓子はすでに食べ尽くし、髪をかきむしりながら眠そうな目をこすり、明日香は階段を降りてきた。ソファにだらりと座った遼一の膝の上にはノートパソコンが置かれ、会社の仕事に没頭している様子だった。明日香の姿を見た遼一は作業を中断した。だが明日香は彼を無視し、通り過ぎてテレビ台の下を開けた。普段ならお菓子が入っているはずだが、そこには空のビニール袋しかなかった。