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第507話

Author: 十一
広輝の笑みが、ぴたりと止まった。

「……どういう意味だ?」

「荷物をまとめて」「さっさと出て行け」までは理解できる。だが——「二度と来ないで」とは、どういうことだ?

「文字通りの意味よ」すみれは淡々と告げる。「前にも言ったはず。私は仕事関係のある男とは、深入りしない」

「昨夜のことでもう深入りは確定した。なら、唯一の解決策は——仕事を切ること」

広輝はゆっくりと背筋を伸ばし、漆黒の瞳で彼女を射抜くように見据えた。「俺は昨夜、酔ってなかった。お前の反応から見ても……お前も酔ってなかったな?」

「ええ」

あの時、二人とも正気だった。

酒のせいでも、気の迷いでもない。

「はっ……」広輝は鼻で笑い、口の端をゆがめた。「昨夜寝たばかりだってのに、こっちはまだ服も着てねえんだぞ。それで用済みってか?」

すみれの口元がわずかに引きつった。「服を着ないのは自分のせいでしょ?用は確かに済んだけど」

「こっちは済んでないぞ!」広輝の声が一気に大きくなる。「すみれ、お前、自分が今どんな女に見えてるか分かってんのか?」

「?」

「まるで、乙女をベッドに連れ込んで責任も取らない最低野郎だ!」

二秒ほど沈黙した後、すみれはふと首をかしげた。「……あなた、乙女だったの?」

「はあ?!」

「被害者ぶらないで。昨夜はお互い納得の上でしょ。大人なんだから、純情ぶった少年みたいな顔してどうするの?

ここ数年であんたが寝た女……百人いなくても、五十人はいるんじゃない?そのたびに責任取るなんて言ってた?同じことよ。私もあなたに責任なんて取らない。自分ができないことを、人に押し付けないで」

広輝は、これまで自分の言葉が巡り巡って返ってくる――いわゆるブーメランなど信じてはいなかった。だが今、その鋭い刃が見事に眉間へ突き刺さった感覚を覚える。

「ちっ……誰が責任取れなんて言った?!女に困ってるわけじゃねぇ。お前に責任取られなくても、俺は全然平気だ」

「それならよかった」すみれは、ほっと胸をなでおろした。

その安堵しきった表情を目にして、広輝は静かに拳を握りしめる。

しかし声色は穏やかで、表情にも一切の綻びを見せなかった。

「……お前の言う通りだ。大人同士だし、何かあっても引きずる必要はない。ただの気晴らしってやつだ。だが協力を中止ってのはどういうつもりだ?契約を一方
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