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第559話

Author: 雪吹(ふぶき)ルリ
藍は真夕に思いきり平手打ちを食らわせようとした。

だが、その手は振り下ろされることなく、ある大きな手が伸びてきて彼女の手首をしっかりと掴み、止めたのだった。

藍が顔を上げると、そこには謙の姿があった。

謙は真夕の前に立ち、藍の平手を防いだのだ。

藍の顔色が変わった。まさか謙が真夕を庇うとは思ってもみなかった。

彼女の知る限り、謙と真夕の間には特別な関係はない。今の謙にとっては彩こそが実の娘であり、しかも彩はまだ昏睡状態にある。普通なら謙は真夕をかばう理由がないはずだ。

藍の心はざわついた。「岩崎社長、この子は彩に毒を盛ったのよ。彩は今もまだ目を覚まさないの。私は少し懲らしめようとしただけなんです」

池本家の老婦人もすぐに口を挟んだ。「そうです、岩崎社長。池本真夕は大胆にも彩に毒を盛りました。発見が遅れていたら、彩の命はなかったかもしれません。ここでしっかり罰しておかないと!」

真夕は自分の前に立ち、庇ってくれている謙の背中を見つめた。彼は背が高く、完全に彼女をその体で包み込んでくれた。真夕の目線からは、彼の張りのある肩が見えた。歳月に磨かれたその堂々たる気迫からは、計り知れない安心感が伝わってきた。

真夕の脳裏に、自分の父親である邦夫の姿がふと浮かんだ。父親の肩も、こんなふうに広くてたくましかった。

しかし、もう長い間、彼女には父親がいなかった。

そんな想いにふけっていた時、謙は冷ややかな目を向けながら、藍の手を乱暴に振り払った。藍は数歩後ろによろめいた。

藍と池本家の老婦人は謙の意図を読みかねていた。「岩崎社長、まさか彼女を罰しないおつもりですか?」

謙は彼女たちを見ることなく、真夕の方へ振り返って言った。「彩に毒を盛ったのは君か?」

謙はなんと、直接真夕に尋ねたのだ。

真夕は少し驚いた。彼も他の池本家の人間のように、何も聞かずに自分を断罪するのだと思っていた。だが、そうではなかった。彼は自分の口で、事実を確認しようとしているのだ。

おかしな話だ。池本家の人間こそ、自分の血のつながった家族のはずなのに、謙の方がよほど誠実で、温かかった。

真夕は謙を見つめ、首を横に振った。「私じゃない」

謙は何も言わなかった。

真夕は続けた。「私の医術を疑ってるの?私はケー様だよ。もし私が本当に池本彩に毒を盛ったなら、彼女はもうとっくにこの世に
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