Share

第553話

Author: 青山米子
宗厳は、記憶を失い、自分を犯罪組織の一員だと信じ込んだ結果、気づけばその組織のトップにまで上り詰めていたなどという荒唐無稽な話を、まったく信じていなかった。

しかし文江は、それを微塵も疑うことなく信じ込んだ。それどころか、何も知らぬまま、そんな非道な行いを強いられていた息子の境遇に深く同情し、胸を痛めた。

本来であれば獅子堂家の後継者として、誰からも傅かれる存在であったはずなのに、日の当たらない場所で二年間も過ごしてきた不憫さ。息子が犯罪組織で苦しんでいたというのに、最も大切で、最も愛しているはずの家族が、探しもせず、助けにも行かなかったこと。

そればかりか、息子の代わりに……身代わりまで立てていた。

ああ、なんてことを……!この、愛しい息子に対して、自分は取り返しのつかないことをしてしまった。

文江は再びこらえきれなくなり、泣きながら烈の胸に飛び込み、彼を強く抱きしめて、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返すのだった。

息子の胸に縋りつき、涙ながらに謝罪の言葉を繰り返す文江。息子が最も苦しんでいた時に、家族でありながら救いの手を差し伸べなかった自分たちを、彼女は責め続けていた。

その様子を、宗厳と紫苑はなんとも言えない表情で見つめていた。

もはや、文江にかける言葉が見つからない。

世の中に、これほどまで愚かな人間が存在するのだろうか。誰の目にも明らかな嘘を、なぜこうも簡単に見抜けずにいられるのか。

そして、同じ腹を痛めて産んだ息子であるというのに、なぜこれほどまでに、天と地ほどの差をつけて扱うことができるのか。

文江の嗚咽がようやく収まったのは、それからしばらく経ってからだった。

泣き止んだ彼女は、真っ先に夫を振り返った。「烈が戻ったのよ。あの子のものは、すべてあの子に返すべきだわ!」

宗厳に、今すぐ言吾からすべての権限を取り上げ、烈に返すよう命じる。

その言葉に、今はただ息をするだけの存在と成り果てたもう一人の息子の姿を思い浮かべ、宗厳は思わず嘲りの笑みを漏らした。「そう躍起になる必要もないさ。お前が死んでほしいと願っていた言吾は、もうすぐ死ぬ」

「お前の烈と、何かを争う心配などない」

ずっと言吾の死を望んでいた文江だったが、いざその死が間近に迫っていると聞かされ、一瞬言葉を失った。

もうすぐ……死ぬ?

あの、言吾が?あの偽物が、も
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第576話

    これまでは、一葉の心に言吾という大きな山がのしかかっていた。慎也は、そんな彼女の心を慮ってか、その優しさを日常生活の細やかな気遣いの中にだけ留め、決してそれ以上の感情を見せることはなかった。だが今は違う。彼女を縛っていた重しが取り払われた今こそ、彼が、本格的に動き出す時なのだろう。叔父の言葉に、柚羽はわざとらしく頬を膨らませた。「『お姫様たち』なんて言わないでよ、もう。私はその『たち』に含まれてないもん。今まで私が何度、叔父様にお買い物付き合ってってお願いしても、全然ダメだったくせに。叔母様が来てるって聞きつけて、すっ飛んで来たんでしょう。ふん、叔父様の本当のお姫様は、叔母様だけでしょ!」柚羽の言葉は、慎也の株を上げ、彼にとって一葉がいかに特別な存在であるかを伝えようとする、健気な気遣いから出たものだった。だが、それは本当のことでもあった。これまで柚羽がどれだけ叔父に買い物を付き合ってほしいと頼んでも、彼は一度だってその時間を作ってくれたことはなかったのだ。とは言え、柚羽が本気で叔父に腹を立てているわけではない。叔父が以前、本当に多忙を極めていたことを彼女は知っている。十日や半月も顔を合わせないことなど、ざらだったのだ。慎也は、かつてあれほど病弱だった柚羽が、今ではこんなにも元気で溌剌としている姿に目を細めた。一葉の存在がもたらしてくれる温もりが、その愛おしい想いを一層深くさせる。彼は手を伸ばし、姪の頭を優しく撫でた。「今まではすまなかったな。これからは、この叔父さんにどう付き合ってほしいか、柚羽ちゃんの言う通りにしよう」「今日は欲しいものを、何でも好きなだけ買うといい!」柚羽はぱっと顔を輝かせる。「それじゃあ、叔父様、お言葉に甘えちゃおっかな!」そう言うと、彼女は一葉の腕に自分の腕を絡めた。「行こ、叔母様!今日は叔父様のカード、限度額まで使っちゃいましょう!」そのあまりに楽しそうな様子に、水を差す気には到底なれなかった。一葉もつられて笑顔になる。「ええ、そうしましょうか。彼のカード、限度額まで使ってしまいましょう!」腕を組み、楽しそうに商品を見て回る柚羽と一葉の後ろ姿を、慎也は言葉にならない感情で見つめていた。ただ、温かい。あまりに尊い。これからの人生、毎日がこうであればいいと、心の底から願った。

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第575話

    愛情の全てを注いで育てた相手が、想い人の命を奪い、その唯一の血筋まで絶った仇だったなどという事実を、今日子が到底受け入れられるはずもなかった。いっそ死んだ方がましだとさえ思うほどの真実。そのあまりの衝撃に、彼女の理性が悲鳴を上げる。理性では、これが偽造などではなく、紛れもない事実だとわかっているはずなのに、それでも彼女は頑なに、すべては一葉のでっち上げだと、自分に言い聞かせるように叫び続けた。耐えきれない苦痛のすべてを、罪のすべてを、再び一葉に押し付けなければ、彼女は正気でいられなかったのだ。もはや、その言葉が一葉の心を傷つけることはなかった。彼女はただ静かに微笑み、母を見つめる。「好きに思えばいいわ。どうせ、あなたがどう思おうと無駄なこと。私にはもう手出しできないし、あなたの大切な優花を救うこともできないんだから」一葉のその不遜な態度と、冷たく突き放すような言葉は、かろうじて平静を保っていた今日子を、再び狂気の淵へと突き落とした。「この、人でなしッ!こんな性根の腐った子だってわかってたら、生まれた時に、この手で絞め殺してやればよかった!」一葉は嘲るように唇の端を上げた。「それは残念だったわね。どうしてあの時、そうしなかったの?今さら殺したくても、もう無理でしょうけど」聞き慣れた罵詈雑言も、もはや一葉の心を揺らすことはなかった。かつては、この一言が鋭い刃物のように彼女の心を抉ったものだ。実の母親にさえこれほど憎まれている自分に、生きている価値などあるのだろうか、と。母がこの命を望むなら、いっそ差し出してしまおう。本気でそう思い詰めていた夜が、幾度となくあった。だが、今の彼女の心を占めるのは、絶望ではない。冷たく、そして静かに燃え盛る怒りの炎だった。なぜ、この命をくれてやらねばならないの?心の中で、一葉は問い返す。命を返すべきは私の方ではない。産んでおきながら、母親としての務めを何一つ果たさなかったあの人が、この私に、自分の娘に対して、一生をかけて償うべきことなのだから。愛してもいない相手との子供が欲しくなかったのなら、初めから産むべきではなかったのだ。「あなた……っ、あなたねぇ……!」あまりの怒りに言葉を失う母を、一葉は冷めた目で見つめた。これ以上、意味のない罵倒に付き合う気はない。彼女は軽く手を振

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第574話

    まるで、頭の真ん中に雷が落ちたかのようだった。今日子の思考は完全に停止し、目の前が真っ白になる。このあまりにも残酷な真実を、どう受け止めればいいのか。何を考えればいいのか。何もかもがわからなくなり、ただ、耐え難いほどの虚無感に、その身を委ねるしかなかった。これまで一葉は、父があの人のためなら命さえ投げ出すほどの想いを抱いているのを見て、母は一体どんな気持ちで父と連れ添ってきたのだろうかと不思議に思っていた。だが、それは考えすぎだったのかもしれない。国雄は今日子を愛しておらず、ただひたすらに胸の中の「想い人」を追い求めていた。そして今日子もまた、国雄を全く愛してはおらず、ただ若い頃に焦がれた、手の届かなかった男性を想い続けていただけだったのだ。二人の結婚は、双方にとって妥協の産物でしかなかった。そんな打算的な関係の二人は、互いを単なる「生活を共にする相手」としか見ておらず、愛情などひとかけらもなかった。そんな二人の間に生まれた子供たちに対しても、深い情が湧くはずもない。ただ、哲也は男の子だった。この跡取りの誕生は、青山家だけでなく、今日子の実家にとっても後継ぎができたことを意味した。だから、二人は哲也をことさら大切にした。そうして大切にされるうち、哲也に対しては次第に本物の愛情が育まれていったのだろう。一方で、女の子である一葉は重要視されなかった。もとより愛情の薄い二人にとって、彼女の存在はますますどうでもいいものになっていく。――そして、優花という存在が現れてからは、特に。そして今日子に対しては、一葉は少しばかり感傷的な思い違いをしていたことに気づかされる。ずっと、こう信じていたのだ。母が最初から優花にそこまで肩入れせず、自分に辛く当たらなかったのは、十月十日お腹を痛めて産んだ実の娘に対し、わずかでも情があったからなのだ、と。後に母の態度が豹変したのは、全て父が仕組んだ誤解のせいなのだ、と。だが、違った。全く違ったのだ。今日子が当初、優花に冷たかったのは、決して一葉への愛情からではなかった。優花の父親・拓海が交通事故で亡くなったのは、優花のためにケーキを買いに行ったことが原因だと信じていたからだ。つまり、今日子、優花が彼を死なせたと考えていたのだ。だからこそ、彼の忘れ形見である優花を引き取りはし

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第573話

    彼女には到底理解できなかった。どうして世の中に、こんな母親が存在するのだろう、と。幼くして母を亡くした柚羽だが、記憶の中の母親は、世界で一番優しく、自分たちを愛してくれる人だった。ずっと、母親のいない自分たちは可哀想だと思っていた。母親のいない子ほど、可哀想な存在はない、と。だが今、一葉の実の母親のこの姿を見て、柚羽は悟った。母親のいない子よりも、母親がいない方がましな子の方が、よっぽど可哀想だ、と。その思いに、柚羽は一葉が不憫でならなくなり、思わず彼女の手を握った。一葉が何の表情も変えず、それどころか、嘲るような光でさえ瞳に宿して母の土下座を見つめていることに気づくと、柚羽の胸はさらに痛んだ。あれほど両親の愛を渇望していた少女が、どれほどの痛みを、どれほどの絶望を経験すれば、こんな風に変わってしまうのだろう。柚羽は一層強くその手を握りしめた。「叔母様。これからは私たちがいます。私たちが、この世界で一番、叔母様を愛する家族になりますから!」一葉は彼女の方を振り返った。握られた手は温かく、かけられた言葉は、それ以上に温かかった。桐生家の人間は、本当に皆、優しい人たちだ。一見、冷徹に見えても、その内には深い温もりと愛情を秘めている。一葉もまた、思わずその手を強く、強く握り返していた。「一葉!お願い……!お願いだから、優花を、あの子だけは見逃して……っ!」今日子はゴン、ゴンと鈍い音を立てて額を地面に打ちつけ続ける。無視しようにも、その音があまりに痛々しく響き、耳を塞ぐことさえできなかった。一葉の思考を追いかけるように、その音が脳内に鳴り響く。もはや、この女のために一秒たりとも時間を無駄にしたくはなかった。さっさと人を呼んで引きずり出させ、自分たちは予定通り買い物に行こう。そう考えかけた、その時だった。ふと、ある考えが一葉の脳裏をよぎる。彼女は、今日子を引き離すよう指示する代わりに、別の命令を下した。以前から用意させていた調査資料を、今日子に見せるように、と。今日子は資料に目を通そうとしなかったが、一葉の部下たちは有無を言わさず、彼女の頭を押さえつけて無理やり読ませた。今日子が全てを読み終えたのを車内から確認すると、一葉は、それまで握っていた柚羽の手をそっと離した。そして、車の窓を開け、窓枠に肘をつくと

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第572話

    真面目な話が終わり、言吾は慎也を見据えた。「ここまで俺に手を貸しておいて、返り咲いた後が怖くないのか。一葉を奪われるとは考えないのか?忘れるな、あいつの腹にいるのは……あんたの子じゃない、俺の子だ」言吾には、今目の前にいるこの桐生慎也という男をどう評すべきか、わからなかった。現在の彼の言動は、言吾がかつて抱いていた人物像とはあまりにもかけ離れている。甥の旭とどこか似たその問いかけに、慎也は穏やかに微笑んで答えた。「俺のものならば、君には決して奪えはしない。……そして、俺のものでないのなら、たとえ君が何もしなくとも、俺の手には入らないさ」慎也にとって、愛とは、ただひたすらに一葉の心と向き合い、その信頼を勝ち得ること。言吾や旭の存在を警戒し、牽制することなどではなかった。r慎也のそのあまりにも理性的な言葉は、以前の旭と同じように、言吾にも「この男は、本気で一葉を愛していないのではないか」という疑念を抱かせた。そう口走りそうになったが、ふと、この男が一葉のためなら命さえ投げ出す覚悟があったことを思い出す。これは、愛していないのではない。自分とは愛の形が違うのだ。彼の愛は、もっと成熟していて、もっと次元が高い。慎也の姿を見つめながら、胸を抉るような痛みが走る。だが、言吾はその痛みにただ耐えるしかなかった。自分の一葉は……もう、自分よりも優れた男を選んだのだ。生まれながらにして傲岸不遜で、常に自分が一番だと信じて疑わなかったこの言吾が、生まれて初めて、心の底から感服した。そして、自分では敵わない人間がいることを認めさせられたのだ。――桐生慎也という男に。一葉を、慎也のような男に託すこと。そこに、もはや悔しさはない。ただ、どうしようもない胸の痛みだけが、残っていた。……言吾が事故に遭ってからというもの、一葉は絶えず自分に言い聞かせていた。とにかく休まなければ。お腹には新しい命が宿っているのだから、心身をすり減らすような真似は許されない。過度な疲労も、感情の激しい起伏も、すべてが禁物なのだと。今度こそ、この子たちを絶対に守り抜く。その一心だった。だが、どれだけ強く念じても、言吾のことが頭から離れることはなかった。彼がこのまま永遠に目覚めないのではないかという不安が、不意に胸をよぎる。そのたびに、一葉の眠りは浅くなった。

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第571話

    言吾が行方不明になった後、あらゆる人脈を駆使して捜索したこと。慎也に救われたと知るや、すぐにでも駆けつけたかったこと。しかし、烈に屋敷に軟禁され、本港市にいる彼に会いに来ることすら叶わなかったこと。ようやく烈が監視の目を緩めた隙を突き、真っ先にこうしてお前に会いに来たのだ、と……宗厳は言葉巧みに、自分がどれほど言吾を息子として重んじ、大切に思っているかを語った。言吾こそが自分の宝であり、必ずや獅子堂家を奪い返し、お前の手に戻してみせる、と。言吾は、宗厳が獅子堂家の実権を取り戻したいと渇望していること自体は信じた。だが、自分が彼の「宝」であるなどという戯言は、一ミリたりとも信じてはいなかった。今の言吾にとって、獅子堂家の人間への期待や信頼など、もはや一片たりとも残ってはいないのだから。だが、彼はその不信感をおくびにも出さず、それどころか、心から信頼しているかのように振る舞った。つまるところ、今の自分と宗厳の利害は完全に一致しているのだ。まずは烈を当主の座から引きずり下ろす。法の裁きを受けさせるのは、それからだ。言吾のその態度にすっかり満足した宗厳は、しばらく親子水入らずの情を演じた後、諭すような口調で切り出した。「言吾、わかっているとは思うが……お前と桐生慎也は、恋敵の関係にあると言ってもいいだろう。だがな、肝心な局面では、使える駒はすべて使うべきだ」「くれぐれも、個人的な感情に流されて大局を見誤ることのないようにな。覚えておけ、烈が獅子堂家を握っている限り、お前の元妻……青山一葉の身も常に危険に晒され続けるのだ」恋敵であるという引け目から、言吾が慎也に協力を仰ぐことをためらうのではないか。宗厳はそれを懸念していた。以前、二人が手を組んだのは、あくまでも一葉を救うため。だが今回は、獅子堂家の内輪揉めに過ぎないのだから。「ご心配なく、父さん。プライドを優先して、大事を疎かにするような真似はしません」言吾のその言葉は、宗厳を取り繕うための、その場しのぎの嘘ではなかった。彼は本心からそう思っていた。宗厳の言う通りだ。烈が存在する限り、一葉の身は危険に晒され続ける。ならば、どんな手段を使おうと、烈は排除しなければならない。「うむ、そうか。それならいい」宗厳は満足そうに何度も頷いた。今回の一件を経て、言吾はより一層思慮深く

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status