共有

第554話

作者: 青山米子
言吾にとって、自分が毒母であることは文江も認めていた。だが、夫である宗厳が自分よりましだとは、到底認められない。

彼の方がよほど悪辣で、恥知らずだと思っている。自分があの子を見捨てたことで利益を得ておきながら、自分だけは道徳的な高みに立って妻を非難する。

組織の頂点に立つ男として、宗厳がそのような侮辱を許せるはずもなかった。

苦々しく顔を歪め、再び何かを言い返そうとした、その時。

文江はさらに言葉を続けた。「宗厳さん、烈が戻ってきたのよ。それに、あの子はこれほどまでに有能だわ。もう、あなたがその座にいる必要はないんじゃないかしら。潮時よ」

「前は、早く引退して世界中を旅して、人生を楽しみたいなんて言っていたじゃない?ほら、その時が来たのよ」

息子のこととなると、文江の頭は驚くほどによく回る。まだ烈から何も聞かされていなくても、正気に戻って間もなくても、愛する息子が何を望んでいるのか、彼女には手に取るようにわかった。

息子が口を開く前に、彼が望むものを、自分が代わりに手に入れてやる。

文江の知性と頭脳のすべては、ただひたすらに、烈の利益のためにのみ使われるのだ。

その言葉に、宗厳は怒りを通り越して、思わず乾いた笑いを漏らした。

「……治ったどころか、前より頭がおかしくなったようだな!家で療養などと悠長なことを言っていないで、然るべき精神病院へ行くべきだろう!」

もはや、妻は以前よりも病状が悪化したのだと宗厳は判断した。でなければ、夫である自分に対して、このような口の利き方ができるはずがない。

だが、病状が悪化していようがいまいが関係ない。自分にこのような口を利いた以上、精神病院にでも入れて、頭を冷やさせるべきだ。

そう結論づけると、彼はドアの外に向かって人を呼んだ。文江を精神病院へ強制的に移送させるためだ。

長年連れ添った夫が、たった二言三言で自分を精神病院送りにしようとしている。その様に、文江は冷たい笑みを浮かべた。「宗厳さん、試してみる?あなたが私を精神病院に送り込むのが早いか、それとも、私があなたを刑務所に送り込むのが早いか、賭けてみる?」

かつての文江は、宗厳を恐れていた。最愛の息子を失い、もう一人の息子である言吾は父と心を一つにし、母である自分など眼中になく、助け舟を出すことなどありえなかったからだ。

だが、今は違う。

自分
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

最新チャプター

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第555話

    最初に我に返ったのは、宗厳だった。怒りに我を忘れ、文江に歩み寄ると、その頬を打とうと手を振り上げた。「貴様、本気で……!」しかし、その言葉が最後まで紡がれることも、その平手が文江の顔に届くこともなかった。一歩前に出た烈が、宗厳の腕を掴んでいたのだ。骨が軋むほどの、力で。あまりの痛みに、宗厳は顔を歪めた。反射的に烈の方を振り返る。すると、これまでは従順で孝行な息子を演じてきた男が、その仮面を剥ぎ取り、邪悪で傲慢な本性をむき出しにしていた。冷たい笑みを浮かべ、あざけるように言う。「父さん、歳を取ったら、そう簡単に怒らない方がいいですよ。血圧が上がって、そのまま倒れたら、二度と起き上がれないかもしれない」それは、表向きは父の体を気遣う言葉でありながら、その実、殺意に満ちた脅迫に他ならなかった。その言葉に、宗厳の血圧は一気に跳ね上がり、立っていることさえ困難になるほどの怒りが、全身を駆け巡った。自分の前に立ちはだかり、その身をもって守ってくれる息子の大きな背中を見つめ、文江の瞳は、みるみるうちに感動の涙で潤んだ。この世で……心からの愛情を注いでくれるのは、この子だけだ。産声を上げるその瞬間でさえ、母親である自分にわずかな苦痛も与えまいとした優しい子。この子のためなら、どんなことでもしてやれる。この子のために、すべてを賭けて戦おう。文江は一歩前に出て、宗厳と対峙した。「宗厳さん、あの時のこと……証拠はすべて、私が保管しています。もし、穏やかな晩年を望むのでしたら、今すぐ引退して、会社を烈に譲ることね」ビジネスの手腕や知性において、文江が宗厳に敵うはずもなかった。だが、長年連れ添った夫婦だ。彼のすべてを知る妻ほど、恐ろしい存在はない。彼を破滅させることなど、彼女にとっては赤子の手をひねるより簡単なことだった。「あの時のこと」という言葉に、宗厳の顔色がみるみるうちに土気色に変わっていく。怒りに燃える瞳で文江を睨みつけ、何かを言おうとするが、激しい怒りのために言葉が出てこない。このまま怒りのあまり卒倒でもされては、息子の家督相続に支障が出る。そう考えた文江は、いくらか口調を和らげた。「あなた、そう怒らないで。獅子堂家は遅かれ早かれ烈が継ぐものよ。私はただ、あなたに少しでも早く休んでほしいだけ。あなたのためを思っ

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第554話

    言吾にとって、自分が毒母であることは文江も認めていた。だが、夫である宗厳が自分よりましだとは、到底認められない。彼の方がよほど悪辣で、恥知らずだと思っている。自分があの子を見捨てたことで利益を得ておきながら、自分だけは道徳的な高みに立って妻を非難する。組織の頂点に立つ男として、宗厳がそのような侮辱を許せるはずもなかった。苦々しく顔を歪め、再び何かを言い返そうとした、その時。文江はさらに言葉を続けた。「宗厳さん、烈が戻ってきたのよ。それに、あの子はこれほどまでに有能だわ。もう、あなたがその座にいる必要はないんじゃないかしら。潮時よ」「前は、早く引退して世界中を旅して、人生を楽しみたいなんて言っていたじゃない?ほら、その時が来たのよ」息子のこととなると、文江の頭は驚くほどによく回る。まだ烈から何も聞かされていなくても、正気に戻って間もなくても、愛する息子が何を望んでいるのか、彼女には手に取るようにわかった。息子が口を開く前に、彼が望むものを、自分が代わりに手に入れてやる。文江の知性と頭脳のすべては、ただひたすらに、烈の利益のためにのみ使われるのだ。その言葉に、宗厳は怒りを通り越して、思わず乾いた笑いを漏らした。「……治ったどころか、前より頭がおかしくなったようだな!家で療養などと悠長なことを言っていないで、然るべき精神病院へ行くべきだろう!」もはや、妻は以前よりも病状が悪化したのだと宗厳は判断した。でなければ、夫である自分に対して、このような口の利き方ができるはずがない。だが、病状が悪化していようがいまいが関係ない。自分にこのような口を利いた以上、精神病院にでも入れて、頭を冷やさせるべきだ。そう結論づけると、彼はドアの外に向かって人を呼んだ。文江を精神病院へ強制的に移送させるためだ。長年連れ添った夫が、たった二言三言で自分を精神病院送りにしようとしている。その様に、文江は冷たい笑みを浮かべた。「宗厳さん、試してみる?あなたが私を精神病院に送り込むのが早いか、それとも、私があなたを刑務所に送り込むのが早いか、賭けてみる?」かつての文江は、宗厳を恐れていた。最愛の息子を失い、もう一人の息子である言吾は父と心を一つにし、母である自分など眼中になく、助け舟を出すことなどありえなかったからだ。だが、今は違う。自分

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第553話

    宗厳は、記憶を失い、自分を犯罪組織の一員だと信じ込んだ結果、気づけばその組織のトップにまで上り詰めていたなどという荒唐無稽な話を、まったく信じていなかった。しかし文江は、それを微塵も疑うことなく信じ込んだ。それどころか、何も知らぬまま、そんな非道な行いを強いられていた息子の境遇に深く同情し、胸を痛めた。本来であれば獅子堂家の後継者として、誰からも傅かれる存在であったはずなのに、日の当たらない場所で二年間も過ごしてきた不憫さ。息子が犯罪組織で苦しんでいたというのに、最も大切で、最も愛しているはずの家族が、探しもせず、助けにも行かなかったこと。そればかりか、息子の代わりに……身代わりまで立てていた。ああ、なんてことを……!この、愛しい息子に対して、自分は取り返しのつかないことをしてしまった。文江は再びこらえきれなくなり、泣きながら烈の胸に飛び込み、彼を強く抱きしめて、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返すのだった。息子の胸に縋りつき、涙ながらに謝罪の言葉を繰り返す文江。息子が最も苦しんでいた時に、家族でありながら救いの手を差し伸べなかった自分たちを、彼女は責め続けていた。その様子を、宗厳と紫苑はなんとも言えない表情で見つめていた。もはや、文江にかける言葉が見つからない。世の中に、これほどまで愚かな人間が存在するのだろうか。誰の目にも明らかな嘘を、なぜこうも簡単に見抜けずにいられるのか。そして、同じ腹を痛めて産んだ息子であるというのに、なぜこれほどまでに、天と地ほどの差をつけて扱うことができるのか。文江の嗚咽がようやく収まったのは、それからしばらく経ってからだった。泣き止んだ彼女は、真っ先に夫を振り返った。「烈が戻ったのよ。あの子のものは、すべてあの子に返すべきだわ!」宗厳に、今すぐ言吾からすべての権限を取り上げ、烈に返すよう命じる。その言葉に、今はただ息をするだけの存在と成り果てたもう一人の息子の姿を思い浮かべ、宗厳は思わず嘲りの笑みを漏らした。「そう躍起になる必要もないさ。お前が死んでほしいと願っていた言吾は、もうすぐ死ぬ」「お前の烈と、何かを争う心配などない」ずっと言吾の死を望んでいた文江だったが、いざその死が間近に迫っていると聞かされ、一瞬言葉を失った。もうすぐ……死ぬ?あの、言吾が?あの偽物が、も

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第552話

    だが、どれだけ願っても、どれだけ期待しても、瞬きもせずに見つめ続けても、言吾の表情に変化はなく、その指一本、動くことはなかった。現実は、所詮ドラマではないのだ。獅子堂家……獅子堂家を一日でも早く継ぐためには、母である文江の後ろ盾が不可欠だった。それに、見栄っ張りな烈にとって、母親が正気を失っているなどと世間から笑われることは到底受け入れがたい。その一心で、彼は各方面から一流の精神科医を招聘し、母の治療にあたらせた。文江はもともと、一時的な極度の興奮状態が脳の許容量を超え、心を失ってしまったに過ぎない。精神そのものに、回復不能な疾患があったわけではなかった。治療の甲斐あって、彼女はすぐに回復した。ただ、たとえ正気を取り戻しても、目の前にいる烈を前にすると、どうしても自分の感情を制御することができなかった。彼女は、烈を……この息子を、あまりにも深く愛しすぎていた。彼を失うという事実に耐えられなかったほどに。だからこそ今、彼がこうして目の前で息をしていることが、にわかには信じられなかった。心の底から恐ろしかったのだ。これもまた、自分が見ている夢なのではないかと。今目の前で起きていることすべてが、現実などではなく、夢の中で見ている都合の良い夢なのではないかと。目が覚めてしまえば、すべてが水の泡と消え、愛する息子は、やはりあの海で永遠に失われたままなのだと。烈が「死んだ」と報じられていた間、文江は毎日のように、息子が実は生きているという夢を見ていた。夢の中での喜びが大きければ大きいほど、覚醒した後の苦痛と狂気は凄まじかった。その身を引き裂くような苦痛と狂気は彼女を苛み続け、幾度となく現実と夢の境界を曖昧にした。自分はずっと覚醒しておらず、長い悪夢の中に囚われているのではないか。そんな感覚に常に苛まれていた。ただ、彼女にはもうわからなかった。息子が死んだという悪夢が現実なのか、それとも、息子が生きているという、この狂おしいほどの喜びをもたらす夢こそが、現実なのか。これまで何度も同じような夢を見てきたからこそ、彼女は今、これほどまでに怯えている。目の前のこの光景が、かつてと同じ、束の間の甘い夢である可能性を。そして夢から覚めた先には、またあの死ぬほど辛い痛みが待っているのではないかと。烈は、そんな母の姿を

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第551話

    「しかも、双子なの。私たちが失くしたあの子が、また帰ってきてくれたのかな。そうだったら、いいなって思う。妊娠が分かった時、あなたとの関係を完全に断ち切るために、この子たちを諦めようとも考えた。でも、あの子がどんなに罪なく、苦しんで逝ってしまったかを思い出して……この子たちを守ろうって、決めたの。あの子が、色々と天国で調べた上で、また私の子供になるって決めてくれたんだと信じたい。知っているでしょう?私は両親に愛されなかったから、その分、自分の子供をどれほど深く愛したいと思っているか。私は、この世界で一番、子供を愛する母親になりたいの。あなたも、そうじゃない?世界で一番、子供を愛せる父親に、なりたいでしょう?そうなりたいなら、早く目を覚ましてよ。私たちの未来がどうなるかなんて、私にも分からない。でも、これだけは約束する。あなたはこの子たちの父親よ。あなたが望むなら、どんな形であれ、この子たちと一緒にいることができる。結婚した時、言ってたわよね。いつか、私にそっくりの女の子が欲しいって。想像してみて。そっくりな双子の女の子がいたら、どんなに素敵か。もちろん、あなたみたいに綺麗な男の子でも、とっても素敵」「私の家系には、男女の双子が生まれることがあるの。だから、この子たちが男の子と女の子の双子である可能性も、きっと高いわ」そこまで一気に話すと、一葉はふっと息をついた。「……男の子でも、女の子でも、あるいは両方でも、どっちにしても、なんて素晴らしいことかしら」「こんなに素敵な未来が待っているのに、あなた、一目も見たいとは思わないの?あれほど待ち望んでいた、あなたの可愛い娘に会いたくないの?あの子がまだ小さな赤ちゃんの時からそばにいて、その成長を見守って、一生、幸せに暮らせるように守ってあげたいって、そう思わない?」一葉は言吾に、たくさんの、たくさんのことを語りかけた。彼女が言葉で紡いだ未来は、あまりにも美しく、輝かしいものだった。語っている一葉自身が、思わずその光景に引き込まれ、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてしまうほどに。しかし、彼女がどれほど希望に満ちた言葉を重ねようとも、言吾に繋がれた数々のモニターの数値に変化はなく、ベッドに横たわる彼自身も、ぴくりとも動かなかった。こんな話でも、彼の心は動かないの……?こ

  • 双子を産んで一ヶ月後、クズ元夫は涙に暮れた   第550話

    人生の酸いも甘いも噛み分けた、十分に成熟した男である慎也は、旭とも、そして言吾とも違う。彼の愛は、もはや見返りを求めない、より高次のものへと昇華されていた。彼が求めるのは、青山一葉の幸福。彼女が苦しみ、悲しむ姿ではない。だからこそ、彼はどうすれば彼女を手に入れられるかではなく、どうすれば彼女がより幸福になれるかを考えるのだ。旭もまた、一葉の人となりをよく知る人間だ。言吾が彼女を救うために倒れたこと、もし彼がこのまま目覚めなければ、彼女が一生その罪悪感から逃れられず、言吾を思い出すたびに自責の念に苛まれるであろうことは、痛いほどによく分かった。言いたいことは山ほどあるはずなのに、旭は、何一つ言葉にすることができなかった。やがて、彼は力なくうなだれ、吐き捨てるように言った。「じゃあ、オレたちはこのまま、姉さんがまたあいつと一緒になるのを、ただ指をくわえて見てろって言うのか」「もし、結局姉さんがあいつの元に戻っちまったら、これまでのオレたちの苦しみは、一体何だったんだよ。今の深水がどれだけ変わったとしても、どれだけ過ちを悔いていたとしても、過去にあいつが姉さんをどれだけ傷つけたかは、紛れもない事実なんだ。姉さんが今生きてるのは、ただ幸運だったからだ。もし、そうでなかったら……?今更あいつが後悔したところで、何の意味があるんだよ」物事というものは、えてして比べてみなければその本当の重みは分からない。少し前の旭が、そうだった。敬愛する叔父が、何より愛する「姉」と結ばれる。その事実は、彼にとってまさに天が崩れ落ちるほどの絶望であり、到底受け入れられず、いっそ死んでしまいたいとさえ思ったほどだ。だが、今となっては。一葉が言吾と復縁する可能性に比べれば、叔父と結ばれることなど、もはや悲劇ですらない。むしろ、それは望むべき最善の結末だとさえ思えるのだ。彼にとって、姉と言吾の復縁だけは、何があっても受け入れられるものではなかった。慎也もまた、旭と同じ思いを抱いていた。言吾がどれほど変わろうと、過去に彼が一葉に与えた、あの許しがたい仕打ち。一歩間違えれば、彼女はとっくにこの世にいなかったのだ。そうなれば、今更彼が悔い改めたところで、何の意味があるというのか。だが……「旭くん、お前の気持ちはよく分かる。俺も同じだ。

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status