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第1345話

Author: 夜月 アヤメ
そういえば、今日の午後も修はバラを一本くれたばかり。どちらも「道端で買った」と言っていた。

夜風が吹いてきて、少し肌寒くなる。若子は思わず身を縮めた。

その瞬間、修はすぐに上着を脱ぎ、優しく彼女の肩にかけてくれる。

「修、大丈夫だよ。寒くないし、自分で着て」

若子は修の体を気づかう。

「俺は平気だから」

修は外套をかけたまま、手をそっと若子の肩に置き、なかなか離さなかった。二人の距離が近くなって、ちょっとだけ気まずい空気が流れる。

ちょうどそのとき、若子のスマホが鳴った。

その着信音が、ぎこちない雰囲気を打ち消してくれる。

若子は軽く修の手から離れ、電話を取る。

「もしもし」

電話の向こうから、千景の声が聞こえる。

「若子、俺だ」

「冴島さん、どうしたの?」

「いや、特に用はない。ただ、もう寝たのかなと思って」

「まだ寝てないよ。今、外にいる」

「そうなんだ。一人?」

「ううん、修と一緒」

若子は隠すつもりもなく、素直に答えた。

「そっか」

千景はそれ以上聞かず、「じゃあ邪魔しないよ。ただちょっと声が聞きたかっただけ。他に用はないから、またね」

あっさりと電話を切ろうとする千景。

けれど、若子はなぜか胸がざわついて、「ちょっと待って」

「どうかした?」

一瞬ためらいながら、若子は口を開く。

「ううん、なんでもない。冴島さん、遅いし早く休んでね」

「......ああ、分かった」

二人はそのまま電話を切った。

「冴島から?」

修が問いかける。

若子はうなずいた。「修、明日、冴島さんを家に招待してもいい?」

さっき電話でそれを伝えたかったのに、ここは修の家だから自分ひとりで決めてはいけないと、迷ってしまった。

修は、若子が千景にそれを言おうとしていたのを感じ取っていた。

「直接言えばいいのに。なんで俺に聞く?」

「だって、ここは修の家だし、勝手に人を招くのはちょっと......」

「それは違う。ここはお前の家でもある。若子、俺の人生にはお前が半分いる。お前は暁の母親だろ?」

修は、若子に自分のそばで自由にいてほしいと願っている。

でも本当は、若子の心がどんどん遠ざかっている気がして、どこかで焦っていた。

とくにさっき千景から電話がかかってきたときの、若子の表情―あの一瞬に、今も胸が締めつけられる。
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