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第273話

Author: かおる
雅臣は星の背中を見つめながら口を開いた。

「どれが気に入った?

俺が買ってやる」

星は微笑む。

「じゃあ、遠慮なく」

雅臣の顔に、かすかな驚きがよぎる。

その変化を、星は鋭く見逃さなかった。

「なに?

私が断ると思った?」

「思ってた」

雅臣の声は冷ややかだ。

「おまえはいつも気丈に振る舞っていたからな。

絶対に受け取らないとばかり思っていた」

星は薄く笑う。

「もし本当に気丈なら、財産分与も二百億も要求しなかったわ」

雅臣が言葉を継ごうとしたその時、誠が早足で近づいてきた。

「神谷さん、もう行かないと契約に遅れます」

「わかっている」

雅臣は冷淡に応じる。

去ろうとしたその瞬間、星の姿が目に映った。

「用事があるから、俺は先に行く。

欲しいものがあれば、自由に選んで俺の勘定につけろ」

誠の瞳に驚きの色が宿る。

――神谷さんが夫人に、こんなに優しい態度を?

しかしすぐに理解した。

これは補償だ。

自分が勝手に、ワーナーからの招待を断った、その埋め合わせに違いない。

雅臣が去った後、星は電話をかける。

「彩香、買い物に出てきて。

今日は私がごちそうする。

欲しいもの、遠慮なく選んで」

「えっ、宝くじでも当たった?」

彩香は驚く。

「違うわ。

雅臣が好きなだけ選んでいいって。

全部、彼の勘定にね」

一言で察した彩香は大喜び。

「十分で行く!

待ってて!」

一週間後、山田グループのオフィスにて。

明細書を受け取った勇は、中年の支配人を睨みつけた。

「なんだと!

雅臣が、たった一週間で二十億の消費だと?

早川マネージャー、冗談だろう!」

早川マネージャーは額の汗をぬぐいながら答える。

「......間違いございません。

これはすべて、神谷さんが山田グループ傘下の店舗で使われた金額です。

以前、神谷さんの支出はすべてこちらの勘定に回せ、とおっしゃいましたので......」

彼が来たのは督促のためだ。

数千万なら猶予もきくが、これは二十億。

勇の会社全体でも、一年で稼げるかどうかの額である。

勇は父から起業資金を受け取り、いくつかの子会社と組んでやってきた。

雅臣や航平の助力で順調に伸び、いよいよ来年、父の還暦にあわせて山田グループを継ぐ予定だ。

だが――神谷家のように単純
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