私は笑顔を浮かべながら兄の目の前で息を引き取った。その時、兄はあまりの苦しさに血を吐きそうになっていた。 この21年間、兄には一日たりとも、私の死を望まなかった日はなかったと思う。 すべての始まりは、私が5歳の誕生日を迎えた日のことだ。 あの日、私は出張中の両親に「帰ってきて一緒にお誕生日をお祝いしてほしい」とお願いした。 両親は私の願いを叶えようと、無理をして夜通し帰ってこようとしてくれた。 でもその途中、交通事故に遭い、二人とも帰らぬ人となってしまった。 それ以来、兄は私を憎むようになった。「お前のせいだ」と、まるで私が両親を奪ったかのように責め立てた。 兄は、私が作った作品を従妹が横取りするのを見過ごしただけでなく、大家さんを説得して私を追い出すよう仕向けたこともあった。 兄の願いはただひとつ、私が惨めに死ぬことだった。 だけど、皮肉なことにその願いが叶ったその日、兄は泣きじゃくりながらこう叫んだ。 「お願いだ、目を覚ましてくれ。もう一度、『お兄ちゃん』って呼んでくれ」
View More日々がただ淡々と過ぎていく。窓の外では、最後の紅葉がひらりと落ちた。その瞬間、不意に口を開いた。「お兄ちゃん、外に出て日向ぼっこしたいな」湯気の立つスープ碗を手にしていた拓弥の動きが一瞬止まり、次の瞬間、表情にぱっと嬉しさが広がった。抑えきれない喜びが、唇の端をぐっと引き上げた。「いいよ、すぐに外に行こう!」彼は急いで車椅子を用意し、私を紅葉の木の下まで連れて行ってくれた。私は笑いながら、ふと思い出したように言った。「最後に一緒に日向ぼっこしたのって、たしか私が四歳の時だったよね。公園でブランコに乗せてもらったけど、勢い余って飛ばされたっけ?」拓弥の顔にも懐かしさが浮かんだ。「そうだったな。家に帰ったら、あのことでひどく叱られたよ。でもこれからは、もっと外に連れ出してやるよ」私は「いいよ」とも「だめだよ」とも言わず、ただ静かに呟いた。「でもね、お兄ちゃん......この数年、本当に辛かった。太陽を浴びるのさえ怖くなったんだ。私なんかに、そんな資格ないから」拓弥は一瞬固まり、その後、顔が青ざめていった。「そんなはずないだろ......」私は彼の言葉を遮った。「私が父さんと母さんを死なせた罪人だから、そんな資格なんてないの。瑠香が私を陥れようが嘘をつこうが、それは全部私のせいだよね?お兄ちゃんもずっと彼女の味方だった。私には友達も家族もいない。私が生きてても、誰も悲しんでくれない......だから天は、私に病を与えて、罰を与えてるんだと思う。お兄ちゃん、私が間違ってたよ。あんな勝手な願い、しちゃいけなかったんだね。両親が戻ってきて、私の誕生日を祝ってくれるなんて......」優しい風がそよそよと吹き、暖かな夕日が私を包んだ。その温もりが心地よかった。「綺麗だね......」私は呟き、急にひどく眠くなった。目の前の景色がぼんやりしていく。拓弥に微笑みかけながら、最後に言葉を絞り出した。「お兄ちゃん、私......両親に謝りに行くね」目をゆっくり閉じた。私の世界は、ようやく真っ暗になった。「やめてくれ、嫌だ、嫌だ!」拓弥は力なく膝をつき、草の上で泣き崩れた。私の体を抱きしめて、こうすれば眠り続ける私を目覚めさせられるとでも思うように、ただ泣いていた。彼の後悔に満ちた姿を、幽霊となった
アルバムを閉じ、ふと窓の外に目を向けると、柔らかな陽射しがベッドの端まで差し込んでいて、紅く染まり始めた紅葉が揺れていた。この景色、あと何回見られるんだろう。あの日、展示会場を出た直後、道路で倒れた私は病院に運ばれた。そして、医者にこう告げられた。「もう手の施しようがありません。もしやりたいことや心残りがあるなら、早めに整理しておいた方がいいでしょう」その言葉に、私は苦笑いするしかなかった。後悔?そんなの、もうとっくにないよ。母さんが遺した作品も完成させたし、私の名前は表には出なかったけど、それでも形にできた。それに、拓弥には瑠香がいる。私が死んだら、彼はむしろほっとするかもしれない。そんなことを考えていると、突然、聞き慣れた声が部屋に響いた。「弥江!」私は何度か目を瞬かせた。死ぬ間際って、本当に走馬灯みたいな幻覚を見るものなんだ、とぼんやり思った。「弥江!弥江──!」その声がだんだん鮮明になり、拓弥特有の澄んだ匂いが漂ってきたとき、ようやく現実だと気づいた。顔を上げると、真っ赤に充血した彼の苦しそうな瞳と目が合った。一瞬だけ戸惑ったものの、冷たい声で問いかけた。「何しに来たの?」拓弥は私の手をぎゅっと握りしめ、震える声で言った。「ごめん、弥江。全部俺のせいだ。俺が悪かった。君が病気だったなんて知らなかった。本当にごめん......」真剣な謝罪の言葉が、力なく私の心に重くのしかかる。私は彼の手を振り払い、歯を食いしばりながら吐き捨てた。「それで?謝ったら終わりって?感謝しろって?ひざまずけって?それで許せってこと?」穏やかだったはずの心が波立ち、気づけば皮肉まじりの言葉が口をついて出ていた。拓弥の手は宙に浮いたまま、固まっていた。なんだか滑稽に見えた。「弥江、俺が間違ってたんだ。本当にごめん。別の病院に移ろう。最高の医者を探して、絶対に治してみせるから......」「もういいよ」私の声は冷たく響く。「私が死ぬの、君の望みじゃなかったの?」拓弥は言葉を失い、涙が頬を伝って落ちた。アルバムを握りしめた手がぴたりと止まった。記憶の中の拓弥は、泣くような人じゃなかった。両親が亡くなったときですら、感情を無理やり抑えて、目が少し赤くなる程度だった。だけど、今目の前で彼は
俺は苦しそうに顔を覆ったけど、涙は指の隙間からぽたりぽたりと床に落ちていった。また電話が鳴った。俺が急いで取ると、瑠香の詰まった声が耳に飛び込んできた。「お兄ちゃん、弥江さんのアシスタントに、ここにいる資格ないって言われて、荷物も全部玄関に放り出されちゃったの......怖かった......」その言葉に一瞬頭が真っ白になったけど、すぐに慌てて言葉を返した。「そいつに代われ!」瑠香が少し嬉しそうに、「やっぱりお兄ちゃんは頼りになるわ。でも、あんまり彼女に怒らないでね?」ところが、真央が電話を取った瞬間、俺が怒鳴ると思った瑠香の予想は裏切られた。俺は焦りと緊張を押し殺した声で尋ねた。「弥江はどこだ?」その時、「カシャン」と音を立てて、瑠香が持っていたコップが床に落ちたのが聞こえた。真央はちらりとそれを見たけど、すぐに冷たい嘲笑を浮かべて言った。「二階堂さん、弥江さんが言ってましたよ。関係のない人には、居場所を知る資格なんてないって」真央の声には怒りがにじみ出ていた。怯えながらも、彼女は弥江のために怒ることをやめられなかったんだろう。けど俺は彼女に怒り返すこともせず、静かに言った。「今からそっちに行く」電話越しに瑠香が驚いた声で言いかけた。「お兄ちゃん、私、いじめられてるのに......!」だけどその言葉が最後まで届く前に、俺は電話を切った。会社に着いた時には、瑠香の姿はもうなかった。いつものことだ。彼女は怒るとこうして一人でいなくなる。そして俺が謝り続けて、機嫌が直るまで繰り返すのがいつもの流れだった。でも、今はそれに構っている余裕はなかった。「弥江はどこだ?」真央は冷ややかな笑みを浮かべながら言った。「そんなこと聞いてどうするんです?あなた、弥江さんのことなんて気にしてないくせに。それとも、病床まで行って、彼女に問い詰めますか?『なんで俺の大事な人をいじめられるのを黙って見てたんだ』って」俺は喉が詰まったような声で反論した。「違う......そんなつもりじゃ......」「違う?違わないでしょ。みんな知ってるんですよ。瑠香があなたの妹で、あなたにとって一番大事な宝物だってことくらい。じゃあ、弥江さんは?彼女は二階堂家の敵扱いされて、生きる資格もないって。あなたが望んだ通り、
その言葉は、まるで鋭い刃物が心臓に深々と突き刺さったようだった。息が詰まりそうなほど、胸が痛んだ。震える手でスマホを掴み、弥江に電話をかけた。でも、いくら待っても応答はない。一回、二回、三回......無情な機械音だけが虚しく響き渡っている。それが俺の愚かさを嘲笑っているように聞こえた。その時、不意にスマホが鳴り出した。息を呑み、急いで電話を取ると、声が震えるほどの期待を込めて叫んだ。「弥江!お前、今どこに──」「お兄ちゃん、どこにいるの?」遮ったのは瑠香の声だった。その瞬間、喉が掴まれたように言葉が詰まり、胸に灯った微かな希望が一瞬で掻き消された。「お兄ちゃん、今日ね、新しい刺繍を作ったの!見せに行ってもいい?」スマホを握り締めた手に力が入る。湧き上がる苛立ちを必死に飲み込んで、俺は短く言い放った。「今忙しい、また後でな」それだけ言うと、瑠香の反応を気にする余裕もなく、電話を切った。そして弥江が残していった荷物を車に積み込み、勢いよくエンジンをかけた。胸が張り裂けそうな焦燥感に駆られながら、弥江が好きだった場所を片っ端から探し回った。遊園地、本屋、公園──どこにも彼女の姿はなかった。夕焼けが空を染め、辺りが徐々に暗くなる中、俺はやむなく借りている部屋に戻った。荒れ果てた建物が赤い光の中で影を落とし、どこか不吉な雰囲気を漂わせていた。迷うことなく階段を駆け上がり、ドアを開けると、錆びた蝶番が軋む音だけが静寂を破った。中を覗き込んでも、期待していた人影は見当たらない。弥江は暗闇を怖がる。だから、いつ帰ってきてもいいように、まずは部屋の明かりをつけた。弥江、戻ってくるよな......きっと、絶対に戻ってくる......そう信じながら、俺はただ待ち続けた。でも、いくら待っても弥江は帰ってこなかった。その時、愕然と気づいた。弥江がどこにいるのか、全く検討もつかないということに。さっき訪れた場所は、彼女が子供の頃、特に五歳までに好きだった場所ばかりだ。弥江には友達もいなかった。その場に崩れ落ちるように座り込むと、薄暗い電灯の光が目に刺さるようで、思わず涙が滲んだ。弥江に友達がいなかったのは、結局、俺のせいだ。学生時代、瑠香をいじめた罰として、俺は彼女に同じ苦しみを味わわせた。目には目を、歯には
5日間、弥江から一度も連絡がなかった。なんとも言えないモヤモヤした気持ちのまま書類に目を通していたが、気が散るばかりで、ついに七度目の手止め。どうにもならず、魔が差して大家に電話をかけてしまった。「弥江を追い出したか?」電話口の相手は少し沈黙した後、恐る恐る答えた。「申し訳ございません、社長、忘れてました。今すぐ対処します!」その瞬間、頭の中に弥江が血を吐いて倒れている光景がちらついた。俺は思わず言った。「いや、もういい。自分で行く」そうしてすぐに弥江の借家に着いた。初めて見る彼女の住処は、見るからに崩れかけたボロボロの建物だった。壁の塗装は剥がれ落ち、所々に腐敗の跡がある。建物の歴史が一目でわかる代物だった。玄関で鍵を握る手が一瞬止まったが、意を決して鍵を回し、ドアを開けた。「弥江、いい加減に──」最後まで言い切れなかった。目に飛び込んできた光景に言葉を失ったのだ。部屋は散らかっていたが、不思議なくらい空っぽで、生気が感じられなかった。焦りが全身を駆け巡り、足元まで乱れるような勢いで部屋中を探し回ったが、弥江の姿はどこにもなかった。テーブルの上には、使い古されたノートと紙くずの山だけが残されていた。眉をひそめながらノートを手に取った。そこに綴られた整った文字を目にした瞬間、俺の顔は青ざめた。【お兄ちゃんは今日、瑠香を遊園地に連れていった。私も行きたいけど、私は両親を殺した犯人だから、そんな資格はない。それでも、一言でもいいから、お兄ちゃんが私に話しかけてくれたらいいのにって思った】【やっとお兄ちゃんが話しかけてくれた。でも彼は私が瑠香をいじめたのかって訊いた。瑠香をいじめてないよ、お兄ちゃん、どうして信じてくれないの?】【お兄ちゃんに家から追い出された。死ねばいいって言われた。やっぱり私みたいな人間は、愛される資格がないんだよね。孤独に死ぬ運命なんだ】【お兄ちゃんから電話が来たけど、出たくない。もうこれ以上あの人に迷惑を掛けたくないから】ページをめくる手が震えた。喉はカラカラで、口の中に苦味が広がる。頭を鈍器で殴られたような感覚が押し寄せ、何も考えられなくなった。ふと振り返ると、空っぽのクローゼットの中に見覚えのあるクマのぬいぐるみが目に入った。それはとても古びていたが、丁寧に洗われ、
【拓弥の視点】あの日、弥江があの一言を吐いた後、俺は考える間もなく口が勝手に動いていた。「......じゃあ勝手に死ねばいいだろうが」弥江はかすかに笑いながら、よろよろと宴会場を出ていった。その足跡に続く真っ赤な血の跡が、やけに目に刺さった。後になって何度も考えた。あの日、俺がもう少し気を配り、弥江の異変に気付けていたら......あの日、あんな言葉を吐かなければ......あの日、弥江を追いかけていたら......でも、その時の俺はただ冷たくこう言っただけだった。「誰か、ここ片付けとけ。血が見えて気分が悪い」その声を聞いて、瑠香が素早く俺に駆け寄り、自然な仕草で腕に手を回してきた。「お兄ちゃん、怒ってないよね?私......その......弥江さんのしたことはさておき、親戚だからって誘っただけなの。さっきのこと、私がちゃんと止められなかったせいだよ......全部、私が悪いの......」涙混じりの声、潤んだ瞳。普段なら、それだけで俺は簡単に折れていたはずだった。でも、その時だけはどうにもイライラして、ネクタイを乱暴に引っ張りながら、ただ一言、淡々と返しただけだった。「大丈夫だ」それを聞いて、瑠香は少し驚いたように瞬きをした。「本当に怒ってないの?」俺は答えず、手にしたグラスを握りしめながら、ふと会場中央を見た。そこには東村が佐藤家の令嬢を抱きしめている光景が広がっていた。俺は一瞬固まり、瞳孔がぎゅっと縮んだ。怒りが心臓から全身に広がり、神経を鋭く緊張させた。東村って、弥江の彼氏じゃなかったか?じゃあ、なんで弥江が出て行った直後に別の女とイチャついてんだ?考えるより先に、体が動いていた。俺は怒りに任せて東村に突進し、その顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。ガラスの割れる音が聞こえた気がしたが、もう「理性」という糸が切れたオレには、それすらどうでもよかった。俺、もしかして狂ったのか?いや、もうどうでもいい。動きは一切止まらず、両目は真っ赤に染まった。俺は怒り狂う檻の中の獣のように、言葉を一つ一つ噛みしめるように吐き出した。「弥江に手を出していいと誰が許した!?浮気なんかしてやがって!ふざけるなよ!」拳が止まらない。数発も打ち込むと、東村は頭から血だらけになった。周りから
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