Share

第13話

Author: 舟嶋
智美は不穏な予感に襲われ、お腹が痛いふりをして直樹の肩にすがりついた。

「直樹、お腹がすごく痛いの。早く部屋に戻ろうよ!」

ところが、直樹は彼女の腕を振りほどいた。

「直樹、忘れないで。私、あなたの子どもを妊娠しているの。今、本当にお腹が痛いから、戻ろう」

すると、雪乃が冷ややかに鼻を鳴らし、一歩前に出た。

「パン!」という鋭い音とともに、智美の頬に強烈な一撃が炸裂した。

「この下賤女、いつまで誰に媚びへつらってるつもりだ?子どもを宿してるからって何だっていうの?青子の子どもは子どもじゃないのか?」

「なに……!?」

直樹はまるで雷に打たれたように、激しく顔を上げて雪乃を見据えた。

自分と青子は、ずっと子どもに恵まれなかった。雪乃の言うことは、いったいどういう意味だ?

智美は悲鳴をあげ、涙が一気に溢れ出た。直樹の胸に飛び込もうとしたが、なんと直樹は一歩前に踏み出し、雪乃の前に立ちはだかり、智美の存在を完全に無視した。

智美は空を切り、危うく床に倒れそうになった。

彼女は一瞬呆然とし、信じられないという目で直樹を見つめた。

直樹の関心は、雪乃の言葉だけに集中していた。青子の子どものことを、執拗に問い詰めている。

しかし、雪乃は突然口を閉ざし、それ以上は何も言わなかった。

「深村直樹、あんたが言ったでしょ。あんたと青子のことは私が口を挟むことじゃないって。今さら何を私と議論してるの?邪魔しないで」

そう言い放つと、雪乃は直樹の手を払いのけ、立ち去った。

直樹は目を細め、雪乃の去った方向をじっと睨みつけた。

智美が彼の腕を抱きしめるまで、ずっと放心状態だった。

「さあ、部屋に戻ろう」

部屋へ戻る道中、直樹は落ち込んでいた。智美はそれを見て、歯がゆいほど悔しかった。

立花青子という女は、直樹のそばにいないのに、それでも彼の心をこんなにも占めている。

どうやら彼は、まだ青子に未練があるらしい。

その夜、直樹は甲板で潮風に吹かれていた。豪華客船の最上級スイートルームに戻ると、智美が彼のベッドに横たわっていた。

彼女はわざとセクシーで魅惑的なシルクのナイトガウンを着て、ほのかなピンクのメイクを施していた。

「直樹、眠れないの。赤ちゃんに、おとぎ話を聞かせていただけない?」

直樹は一瞬止まり、彼女を見た。

確かに美しい。智美には
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第30話

    「火事だ!火事だ!早く消火しろ!」茶畑は大混乱に陥っていた。智美は狂人のようにガソリンを撒き散らし、火をつけ回る。たちまち、空は煙に覆われ、火の粉が飛び散った。祝賀会に来ていた賓客たちは逃げ惑い、散り散りになった。青子は先頭に立って火の中へ飛び込んだ。茶樹を救わねばと、必死で水をかけて火を消そうとする。茶畑は山腹にあり、消防隊がすぐに入れないため、人力で消火するしかなかった。その時突然、誰かにぐいと腕を掴まれた。直樹が心配そうな顔で言った。「青子!もうやめろ!早く逃げるんだ!」「ダメなの!この茶樹は作業員たちが心血を注いだもの!私の手でダメにさせられない!」「放して!消火しなきゃ!」火の手がみるみる広がるのを見て、直樹は屈み込み、必死に水を撒く青子を担ぎ上げた。「青子……お前の命は、茶葉よりずっと重い。すまない……お前を危険に晒すわけにはいかない」彼は青子を担いだまま、外へ向かって全力で駆け出した。茶畑の出口に辿り着こうとしたその時。突然、ガソリンが彼らの目の前にばしゃりと撒かれた。「止まれ!!!」智美がライターを握りしめ、二人を睨みつけている。直樹の表情が強張る。「林智美……本気で狂ったのか?どけ!」しかし智美は口元を歪め、身の毛もよだつ不気味な笑い声をあげた。「その汚い女を下ろせ。さもなきゃ……二人まとめて焼き殺してやる」「待て!軽率な真似はするな!」直樹が青子を下ろすと、智美はようやく満足げな表情を浮かべた。彼女は片手にガソリン缶、片手にライターを持ち、直樹を見据えた。「彼女を愛してるって言うくせに、私と寝たじゃないか。深村直樹、あなたが彼女を愛してるなんて信じない。今、選べ!」「一つ、立花青子をここに残し、お前だけが出ていくか」「二つ、このガソリンをお前自身の体に浴びせろ。そしたら立花青子を逃がしてやる」青子の瞳が大きく見開かれた。恐怖で智美を見つめる。「林智美……これがどれだけ重い罪かわかってるの?私たちを出して。まだやり直せる余地はあるわ」しかし彼女は聞き入れず、直樹をじっと睨み、彼の選択を待った。自分が手に入れられぬものは、誰にも渡さない。直樹に騙され、みすぼらしい姿に落ちぶれた自分が、彼を安穏とさせておくはずがない。智美は手を伸

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第29話

    智美は狂っていた。彼女はガソリンを抱えて茶畑に乱入し、至る所に火を放った。たちまち、彼女の背後は火の海となった。その怨念に満ちた目が青子を捉えた時、そこには尽きることのない憎悪がほとばしっていた。「立花青子……お前と心中してやる……!」「お前の全てをぶち壊してやる!なぜあの人の愛を独り占めできる!なぜ深村の奥様でいられるんだ!私だけが……なぜダメなんだよ!!」智美は悪鬼のように歪んだ顔つきで、ガソリンを茶樹の上へ、見学に来ていた賓客たちの身体へと撒き散らした。……ついさきほど、智美はようやく直樹と対面し、感激のあまり涙を流していた。彼に抱きつき、鼻水と涙を彼の服に擦りつけながら、「直樹……私を置いていかないで?お願い?」と懇願した。しかし直樹の目にあったのは、嫌悪と反感だけだった。彼は智美を押しのけ、冷たく距離を置いた。「林智美……言ったはずだ。二度と俺の前に現れるな、青子の邪魔もするなと」智美は納得できなかった。ようやく手にした豪門への片足を、こんな結末で終わらせるわけにはいかない。彼女はやけになって服を脱ぎ始め、直樹の身体にすり寄った。「頭おかしいのか!?」直樹は彼女を強く地面に押し倒し、目には恐怖さえ浮かんでいた。ところが智美は狂ったように、彼に向かって叫び、罵声を浴びせた。「深村直樹!この薄情なクズ野郎!あなたは言ったじゃない!私を愛してるって!欲しいものは何でもくれるって!それに立花青子と離婚して、私を深村の奥様にしてくれるって!どうして……どうして私にそんなことするの!この子はあなたの血を引いた子供なのに!」すると、直樹の声は低く沈み、瞳の奥に陰鬱な光が宿った。彼は智美の襟首をつかみ、耳元に引き寄せると、悪魔の囁きのような声で言った。「林智美……俺はお前を、最初から最後まで愛したことなど一度もない。青子に子供がいなかったからこそ、お前と寝ただけだ。だからたとえこの子が俺の子だとしても、青子が深村の奥様でなくなるなら、そんな子供は要らん」「そして離婚だ?あの時青子に書かせたのは、偽の離婚協議書だ。ただお前を喜ばせ、無事に子供を産ませるための方便に過ぎん」「深村の奥様になりたい?一生、夢を見続けろ。たとえ青子がいなくなっても、お前の番が回ってくることなど、永遠にあり得ん。

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第28話

    祝賀会は夕刻に予定されていた。それに先立ち、青子は複数のメディアと取引先を連れ、自社が栽培する茶樹の見学ツアーを案内していた。これらの茶樹は、丹念に育てられた最高級品種だ。水質も土壌も、茶を育むのに最適な環境が整えられている。ほんのわずかな酸度アルカリ度の偏りでも、出来上がる茶葉の品質は落ちてしまう。だからこそ青子は細心の注意を払っていた。見学が始まる直前、直樹が彼女にひとこと声をかけた。今や彼は、青子にしつこく絡む考えを完全に捨てていた。おそらく、絡み続けることがただ彼女の煩わしさを増すだけだと悟ったのだろう。直樹は常に遠くから、静かに彼女を見守っていた。彼女の成功、彼女の名声。心の底から、彼は彼女のことを喜んでいた。彼女は再び、あの高貴でありながらも驕らず、凛とした立花青子を取り戻したのだ。人々の目に輝いて映る、お嬢様に戻ったのだ。「成功を収めて、おめでとう」青子は微笑んだ。心のわだかまりはとっくに解けていた。彼女は直樹の差し出した手を握り返した。「ありがとう!」うつむいたその時、彼女は直樹の薬指に目を留めた。二人の結婚指輪が、そこにはめられていた。『愛に冠を』と名付けられた、宝石をあしらったあの指輪だ。彼女の視線を察すると、直樹は無意識に手を引っ込めた。青子に、今さら自分の気持ちを誤解されたくなかった。もはや、彼女の彼に対する感情は完全に崩れ去っていた。彼にできることは、ただ数えきれないほどの思い出の中で日々を過ごし、それによって心の奥底にある後悔を、少しずつ減らしていくことだけだった。青子は何も言わず、彼と簡単に別れを告げると、茶樹の茂みの中へと歩いていった。彼女はカメラの前で、自信に満ちた堂々とした態度で自社の製品と会社を紹介した。全てが良い方向へと進んでいるように見えた。その時突然、一声の悲鳴が、全ての人の視線を集めた。少し離れた場所で、よろめくような人影がこちらへと全速力で駆け寄ってくる。近づいてみると、女は巨大なバケツを抱えていることがわかった。バケツからは、むせ返るような強烈な臭いが漂ってきた。「何の匂いだ?」「こ、これは……ガソリンじゃないか?」「あっ!見て、その手には……!」

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第27話

    わずか半年で、青子の茶畑は新たに一箇所増えた。彼女は祝賀会を開き、業界の友人や取引先を多く招待した。直樹は言うまでもなく、招かれざる客だった。しかし青子が予想だにしなかったのは、智美まで現れたことだった。彼女は警備員に門の外で止められていた。どこから来た借金取りかと思われるほど、みすぼらしい身なりで、顔は埃まみれだった。妊娠後期の人工流産のため、彼女の体は極端に弱り、むくみ、憔悴しきっていた。彼女は青子の名前を呼んで面会を要求した。青子が現れた時、彼女の見る影もない姿に思わず息をのんだ。「何しに来たの?」智美は絶望的な表情で青子の手を掴み、震えが止まらず、涙を雨のように流した。「謝りに来たの……青子さん……私、間違ってたってわかったの……直樹に、私の逃げ道だけは残しておくよう言ってくれない?今じゃどこの会社に行っても断られて……誰も雇ってくれないんだ」青子は彼女の手を振りほどき、一片の同情も見せなかった。「それはあなたと深村直樹の問題でしょう?私に言われても」「でも……彼は私のせいで、青子さんが彼を許さないんだと思い込んでるの!だから私を追い詰めてる……お願い、助けて……!」そのみすぼらしい姿を見て、青子はかつて自分が地下室に閉じ込められ、閉所恐怖症による窒息感や精神的プレッシャーに耐えていた日々を思い出した。あの時、彼女だって誰かに助けてほしかった。しかし智美は助けるどころか、家政婦をそそのかして彼女を奈落の底へ突き落とす手助けをしたのだ。今になっても、青子はあの日の絶望と苦痛を鮮明に覚えている。今では症状は治まっているが、後頭部には当時の傷跡が残ったままだ。ましてや、智美が仮病を使って彼女に三十回以上の鞭打ちを負わせたことなど。今でも、彼女の背中には恐ろしい傷跡が刻まれ、背中の開いたドレスを着ることは永遠にできなくなってしまった。「林智美……あなたがこんな姿になるのは、全て自業自得よ。私は助けられない」青子は表情を険しくした。しかし智美はしつこく食い下がった。「青子さん……じゃあせめて、直樹に一度だけ会わせて!一度だけでいい!お願い!中に入れてくれなきゃ、ここで頭を打ちつけて死んでやる!」周囲に人が集まり始めるのを見て、青子は彼女が邸宅全体の宴の雰囲気を壊すのを望まなかっ

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第26話

    青子はこのところ、気が滅入るほど煩わしかった。直樹が謝罪の品を絶え間なく送りつけてくる。捨てても捨てきれない。それだけではない。茶畑が取引先を探していると知るや、直樹はこっそり代理人を立てて協業を持ちかけ、とても有利な条件を提示してきたのだ。そして今日は、直樹の祖母までもが訪ねてくる始末。対面した祖母の姿は以前より明らかに憔悴し、かつては杖を使っていたのが、今では車椅子に乗っていた。「青子……深村家はあなたに、本当に申し訳ないことをいたしました」青子はかすかに口元を引きつらせただけで、表情は静かだった。「大したことではありません。申し訳ないも何も……‌良縁が別れの結末を迎えること。それだけのことです」「深村家のおばあさま、お差し支えなければお引き取りくださいませ。私のところは狭く、あなた様のような大物をお迎えできる場所ではございませんから」彼女は無情にも追い返した。祖母の目には後悔の色が浮かび、きらりと涙が光った。……こんなにも素晴らしい孫嫁を、どうして失ってしまったのか。なおも引き留めようとしたが、青子の目に揺るぎない決意が満ちているのを見て、それも断念した。「どうぞ!」こうして祖母も、みじめな姿で深村家へと帰っていった。するとすぐに、この一件は社交界に広まった。深村家の人々は多くの非難を浴び、行事に出席する時は影に隠れるように、隅の方で縮こまっているしかなかった。それから間もなく、青子の茶畑の商売はますます繁盛した。会社も無事上場を果たし、亡き父が築いた人脈と評判を頼りに、彼女は多くの信頼できる取引先や販売会社を獲得した。青子はメディアによって、『零落したお嬢様がゼロから築き上げた成功者』の典型として描かれるようになった。一方その頃、直樹はなおも青子を取り戻すことを諦めていなかった。ある日、青子が百回目とも思える直樹の拒絶を繰り返した後、彼は一時の衝動で、頭を壁に打ちつけた。たちまち、血が噴き出した。「青子……お前が受けた苦しみも、傷も……俺が全部、返す。それで……許してくれないか?」それでもなお、青子は淡々と首を振った。間もなく直樹は救急車で病院へ搬送された。搬送中、彼は青子の手を死に物狂いで離そうとしなかった。病院に着いて、傷の縫合処置をするため、よう

  • 散りゆく華に夢は醒めず   第25話

    青子が早朝に鉄の門を開けると、足元で何かに躓きそうになった。直樹がみすぼらしく隅っこに丸まっていた。夜の冷え込みで、かなり凍えている様子だ。青子は眉をひそめ、彼の足を軽く二度蹴った。ようやく直樹はうつらうつらと目を覚まし、青子の姿を見るなり慌てて立ち上がった。その表情には、照れくさそうな色が浮かんでいた。まるで初恋にでも落ちたばかりの、間抜けな少年のようだった。「青子……待ってたんだ。ずっと」青子は彼を一瞥し、「待たれてたまるものか。うちの敷地の前で邪魔にならないでくれ」と言い放つと、そのまま歩き出した。直樹が後ろから必死に追いかけてくる。青子がピタリと足を止めた途端、彼はその背中にぶつかってしまった。「一体どうしたいのよ?」男は打ちひしがれ、目には深い悲しみが満ちていた。「青子……お前を連れ戻したい。離婚なんてしたくないんだ」彼は後悔していた。自分がしてきた馬鹿げた行為を、そして何より青子に与えた苦しみを。子供さえいれば、きっと全てが良くなると思い込んでいた。だが、彼が智美と関係を持ったその瞬間に、すでに青子の心には深い傷が刻まれていたことに、彼は気づいていなかった。その全てを償いたい。おそらく、自分の妻を取り戻すことが最善の方法だ。たとえ、彼女がどんな罰や償いを求めてきたとしても。「青子……戻ってきてくれないか。おばあさまも、俺たちもみんな、お前に深村家に戻ってほしいと思っている。どんな条件だって受け入れるから」青子は嗤いた。「戻る?戻ってまた家法で罰せられろって?それとも、愛人の女に寝室も夫も奪われろって?それとも……戻って好き放題に侮辱され、誹謗中傷され、深手を負えって?」直樹はその言葉に胸を貫かれる思いがし、一瞬息が詰まった。青子の目尻がほんのり赤くなった。自分が浴びせられた罵声や抑圧を思い返すと、どうしても許す気にはなれなかった。直樹が一歩前に出て、彼女を抱きしめ、ほんの少しの温もりと慰めを与えようとした。ところが、青子にぐいと押しのけられた。彼女の表情は一瞬で冷え切り、声には氷のような温度が宿った。「帰ってちょうだい。もうこれ以上、絡まないで。私たちは、とっくに何の関係もないんだから」……こうして直樹は手の施しようがなく、ひとまず深村家へと戻るしかな

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status