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散りゆく華に夢は醒めず

散りゆく華に夢は醒めず

By:  舟嶋Completed
Language: Japanese
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結婚して五年目。深村直樹(ふかむら なおき)に愛人ができ、その女は妊娠した。 「智美はつわりが辛くて、酸っぱいものが食べたいんだ」 それ以来、立花青子(たちばな あおこ)は朝六時に起き、出来立ての梅のシロップ煮を作るようになった。 「智美(ともみ)は妊娠線が怖いから、新鮮なバラの入浴剤で毎日入浴したいって」 そうして、プライベートローズガーデンのバラは、青子の指先に刻まれた無数の傷と引き換えに摘まれた。 「智美は最近情緒が不安定で、お前のことをやきもち焼いてばかりいる。まずは偽装の離婚協議書にサインしてくれないか?彼女をなだめるためだ」 青子はカバンの中の検診結果を奥へ押し込み、顔色ひとつ変えずに署名した。 だが今回は、偽の書類を本物とすり替えたのだ。

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Chapter 1

第1話

結婚して五年目。深村直樹(ふかむら なおき)に愛人ができ、その女は妊娠した。

「智美はつわりが辛くて、酸っぱいものが食べたいんだ」

それ以来、立花青子(たちばな あおこ)は朝六時に起き、出来立ての梅のシロップ煮を作るようになった。

「智美は妊娠線が怖いから、新鮮なバラの入浴剤で毎日入浴したいって」

そうして、プライベートローズガーデンのバラは、青子の指先に刻まれた無数の傷と引き換えに摘まれた。

「智美は最近情緒が不安定で、お前のことをやきもち焼いてばかりいる。まずは偽装の離婚協議書にサインしてくれないか?彼女をなだめるためだ」

青子はカバンの中の検診結果を奥へ押し込み、顔色ひとつ変えずに署名した。

だが今回は、偽の書類を本物とすり替えたのだ。

……

青子が到着した時、彼女の夫である深村直樹は、愛人・林智美(はやし ともみ)の胎内にいる赤ちゃんに一生懸命話しかけていた。

智美は直樹の膝の上に座り、親しげに彼の首に腕を回している。

直樹の片手が、女の膨らんだお腹にそっと触れた。その口調は限りなく優しかった。

「いい子だ、早く大きくなっておくれ。生まれたら、お父さんと一緒にお母さんを守ろうな、いいか?」

智美は照れくさそうに言った。「まだ生まれてもいないのに、男の子か女の子か、どうして分かるの?」

直樹は笑いながら彼女の鼻を軽くつまみ、目尻を下げて甘やかすように言う。「息子でも娘でも、俺の一番可愛い子に変わりはないさ」

二人の戯れ合う様子を眺めながら、青子の表情は静まり返っていた。心の内も、もはや揺るがない。

彼の心痛、彼の寵愛、彼の気遣いや優しさの全てが智美に注がれている光景を、何度も見すぎた。青子の心は、痛みからすっかり麻痺へと変わっていた。

だから、もうどうでもよかったのだ。

智美が昼寝した後、ソファに座って待つ青子を直樹は一瞥した。

男の淡い琥珀色の瞳は、たちまち冷たさを帯びた。

「智美は最近情緒が不安定で、お前のことをやきもち焼いてばかりいる。まずは偽装の離婚協議書にサインしてくれないか?彼女をなだめるためだ」

青子は顔を上げ、じっと彼を見つめた。やがて、まるですべてを受け入れたかのような、諦観に似た笑みを浮かべて言った。「ええ、いいわよ」

すると、書類が一枚、ぞんざいにテーブルに放り出された。

青子のあまりにも平静な眼差しに、直樹は眉をひそめ、言葉を続けた。「誤解するなよ。これは偽の書類だ。離婚はあくまで見せかけだけだ」

「智美が出産したら、俺の子供はお前の子供でもある」

その言葉に、心が死にかけていても、青子の目には涙が浮かんだ。彼女は歯を食いしばって、それを堪え込んだ。

青子が二十三歳で直樹に嫁いだ。

二人は政略結婚だった。元々、深い愛情があったわけではない。

しかし、ある大火事が青子のすべてを焼き尽くし、彼女の両親を奪い去った。

あの時、青子のそばを離れず、彼女を救い出し、支えてくれたのは直樹だった。

周囲がこぞって見捨てようとしたその時、彼は、肉親を失った苦しみの深淵から彼女を引き上げてくれたのだ。

だが、誰が想像できただろうか。

五年後、その彼自身が立花青子にとって新たな深淵となるとは。

結婚して五年、青子はどうしても子供を授からなかった。数えきれないほどの検査を受け、薬や民間療法も試したが、すべて無駄に終わった。

そうして直樹は浮気を始めた。

わずか二ヶ月で、彼の秘書兼愛人である女は、みるみる妊娠し、彼の寵愛を一身に受けるようになった。

直樹が彼女を溺愛するだけでなく、直樹の祖母や両親さえも、智美の存在を暗に認めていた。

可愛い赤ちゃんが家に迎えることを、彼らは心の底から望んでいた。青子にできなかったことを、智美が成し遂げたのだから。

当初、青子は泣き叫び、結婚写真を叩き割り、結婚指輪を投げ捨て、智美に関わるすべてを消し去ろうとした。

首に刃を当てて、直樹に智美の元を去り家に戻るよう脅したことさえある。

しかし、周囲は皆、彼女に言った。男の浮気など珍しくもない、いや、むしろ彼女の腹が役に立たないことを暗にほのめかし、後ろ盾のないことを匂わせた。

彼らは言うのだった。

直樹がまだ青子を愛している限り、子供一人くらいどうということはない、彼女はあくまで深村夫人であり、その地位を揺るがす者などいない、と。

青子は、見ているのが辛くなるような笑みを浮かべた。

「愛?本当に愛していたなら、どうして他の女に子供を産ませたりするの?私を深村夫人だと思っているなら、どうしてあの偽装の離婚協議書なんてものが出てくるの?」

だからこそ、直樹が智美の咳払いに気を取られた隙に、青子は彼が投げつけた偽の書類をこっそりと本物にすり替えたのだった。

「直樹、後悔しなければいいわ。これからは、もう二度と会わないで」

心の中でそう念じながら、彼女は手際よく名前を書き記した。

そして青子は、智美を抱きながら寝かしつける直樹の姿を深く見つめると、踵を返した。

「待て、行くな……」

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