榊の腕を引っ張ってアイツから離れると、小声でまくし立てた。
「てめぇ、俺のことアイツに言ってみろ、ただじゃおかねぇからな!」
恫喝する俺にも榊は動じず、意味ありげに笑う。嫌な予感と、むかつきが同時に襲ってくる。
こいつは俺がサボるたびに、なんやかんやと口を出してきた。担任もとうに見放しているのに、新任の正義感なのかちょっかいをかけてきやがる。
「ん~? 俺のことって何? 実は、学校一の問題児ってやつ?」
この……分かってるくせに、アイツの方をチラチラ見ながらニヤけやがって。俺が女を殴れないって知ってるから余計に質が悪い。あまり騒ぐとアイツに聞こえるし、こいつホントどうしてやろうか。
唸りながら動けない俺に、榊は意外そうな顔をする。
「……あれ、なんかいつもと違うね。そんなにあの子には知られたくないの? 問題児って言ったって、あなたの場合はタイミングが悪いだけでしょう。停学の理由だって、カツアゲしてたのは他の生徒で、あなたは被害に遭った子を庇っただけ。そこをあなたに敵意を持つ担任が見つけたから、これ幸いと停学にしたんだし。新堂さんは、ちゃんとわかってくれると思うわよ?」
懇切丁寧に説明する榊に、俺はイラ立ってくる。
そんなことは分かっているんだ。別に褒められたい訳でも、感謝されたい訳でもない。俺が誰かを助けるたびに事実は歪められ、ありもしない罪を着せられる。
そして話はデカくなり、俺は意味もなく嫌がらせを受ける羽目になるんだ。
もうそれにも慣れた。
仲が良かった奴も離れて行って、今じゃ良からぬ輩の仲間入り。教室でも、いないものとして扱われる。休もうが出席しようが、成績は変わらず最下位だ。
親にも泣かれた。
視線を周囲に向けたまま、私は更に続ける。「眞鍋さんも、先輩の噂が本当だって、自信を持って言える? 現場を見たりしたの?」 それは眞鍋さんだけに対する問いじゃない。勝手気ままに、無責任に噂を広げる人に対しての問いだ。 眞鍋さんの噂には、多分嫉妬や被害妄想が含まれている。1年の頃はどうか知らないけど、少なくとも2年になってからは私にずっとくっついていたんだから。それでも噂がやむことはなかった。 そして、噂は女子だけじゃなく、男子からのものも多い。これって相手にされなかった憂さ晴らしなんじゃないだろうか。そう感じていた。 だから正直に言う。「私思うんだ。もし眞鍋さんの噂が本当だったとしても、それって男子側にも責任があるんじゃないかって。例えアプローチされたとしても、本当に彼女が大事なら、他に目は移らないんじゃないかな。私、浮気する奴って大っ嫌いなんだよね」 剣道で鍛えた声量は、廊下にも十分届いているはずだ。「女子も、自分が振られた腹いせに言ってるとしか思えない人もいるよ。どれが事実かなんて、私には分からない。ただ無責任に他人を陥れようとするのに腹が立ったんだ。眞鍋さんが私を思って言ってくれているのは分かってる。だから、先輩のことも少し思いやってくれると嬉しいな」 そっと眞鍋さんの手を取り、瞳を見つめる。「噂ってさ、結局は関係ない人が流すものなんだよ。私は『王子様』なんて呼ばれてるけど、そんなんじゃない。ただの女子高生だよ。眞鍋さんが慕ってくれるのは嬉しい。だけど、クラスメイトとして接してくれると、もっと嬉しい」 そう言うと、眞鍋さんは瞳を潤ませ、遂には泣き出してしまった。その頭を撫でながら、ふとした疑問を投げかける。「それにしても……私、先輩の噂
先輩にお礼と別れを告げて、教室へと急ぐ。時計を見ればもう13時目前だ。走れば午後の授業に間に合う。 そう思って息せき切って戻ってみれば、教室の前は妙な静けさに包まれていた。通り過ぎる人達も声を潜め、チラチラと室内を覗いている。 その意味はドアを開いて分かった。 いつもは騒がしい昼休み、その隅に俯いた眞鍋さんが座っている。クラスメイト達は遠巻きにして、こそこそと呟き合っていた。 私は自分の行動の迂闊さと、影響力の大きさを思い知る。ただ学内で『王子様』と呼ばれているだけで、自分の発言が誰かを傷つけるなんて思ってもみなかった。 顔を上げ、意を決すると、ゆっくり眞鍋さんの元に足を向ける。周囲からは小さなざわめきが起き、視線が集中するのを感じた。それを無視して眞鍋さんの元に辿り着いても、彼女は俯いたままだ。 教室はしんと静まり返り、廊下から好奇の視線を感じた。 私はじっと眞鍋さんを見下ろし、口を開く。「みんなにも聞いてほしい」 真鍋さんの肩がびくりと跳ねる。 その声は、自分でも驚くほど教室に響いた。 みんなの意識が集中しているのを感じて、大きく深呼吸をする。今までだって、注目を浴びることは多かったけど、この空気感はそれとは全く別のものだ。 興味、嫌悪、ひがみ、哀れみ。 いろんな感情の渦の中で、眞鍋さんは午前中を過ごしたのかと思うといたたまれない。その原因はほかでもない、私だ。 後悔はしていない。先輩を悪く言われて、腹が立ったのは紛れもない事実だもの。それでも、眞鍋さんに対して取っていい行動ではなかったと、今なら分かる。「
榊の腕を引っ張ってアイツから離れると、小声でまくし立てた。「てめぇ、俺のことアイツに言ってみろ、ただじゃおかねぇからな!」 恫喝する俺にも榊は動じず、意味ありげに笑う。嫌な予感と、むかつきが同時に襲ってくる。 こいつは俺がサボるたびに、なんやかんやと口を出してきた。担任もとうに見放しているのに、新任の正義感なのかちょっかいをかけてきやがる。「ん~? 俺のことって何? 実は、学校一の問題児ってやつ?」 この……分かってるくせに、アイツの方をチラチラ見ながらニヤけやがって。俺が女を殴れないって知ってるから余計に質が悪い。あまり騒ぐとアイツに聞こえるし、こいつホントどうしてやろうか。 唸りながら動けない俺に、榊は意外そうな顔をする。「……あれ、なんかいつもと違うね。そんなにあの子には知られたくないの? 問題児って言ったって、あなたの場合はタイミングが悪いだけでしょう。停学の理由だって、カツアゲしてたのは他の生徒で、あなたは被害に遭った子を庇っただけ。そこをあなたに敵意を持つ担任が見つけたから、これ幸いと停学にしたんだし。新堂さんは、ちゃんとわかってくれると思うわよ?」 懇切丁寧に説明する榊に、俺はイラ立ってくる。 そんなことは分かっているんだ。別に褒められたい訳でも、感謝されたい訳でもない。俺が誰かを助けるたびに事実は歪められ、ありもしない罪を着せられる。 そして話はデカくなり、俺は意味もなく嫌がらせを受ける羽目になるんだ。 もうそれにも慣れた。 仲が良かった奴も離れて行って、今じゃ良からぬ輩の仲間入り。教室でも、いないものとして扱われる。休もうが出席しようが、成績は変わらず最下位だ。 親にも泣かれた。
先輩は膝の上で組んだ両手に力を込め、顔を上げる。その表情は、今までとどこか違っていた。「凜ちゃん……!」 そう言いかけた時、扉の開く音が響く。引きずるようなスリッパの音で、生徒ではないと分かった。その音は徐々に近付いてきて、サッとカーテンが開かれる。「ああ、起きたんだね新堂さん。ちょっと野次馬から事情を聴いてきたけど、頑張ったんだね。眞鍋さんの事は、教師の間でも問題視されてて……ん? 瀬戸くん、なんだか大人しいね。いつもの口汚さは……」「わーっ! ちょっと待て! あ、いや待って! 先生、ちょっとこっち!」 先輩は何故か慌てて先生の手を引いて、カーテンの向こうに消えていった。その様子に親しみを感じ、胸がチクリと痛む。(なんだろう……まただ) この感じは、先輩に出会って何度か経験している。でも、それはどれも違う場面で起きていた。 最初は先輩に初めて会った時。どこか他の人と違うものを感じて、心がざわついた。 昨日、昼休みに会った時も、可愛いと言ってくれたことが嬉しかったのを覚えている。 そして今日の早朝。ずぶ濡れの先輩の言葉が忘れられない。『誰もいない学校が好き』 その気持ちは、私にも分かった。今日のように日直で朝早く来た時の静けさは、いろんなしがらみから解放されるようで、すごく落ち着く。多分、先輩の言葉に共感したんだろう。 でも今は。 自分でも説明できないような、暗い気持ちが渦巻いている。眞鍋さんに感じたものとも違う、先生が羨ましいような、妬ましいような、そんな感覚だ。 先輩が握った手は華奢で、女性の柔らかさがあっ
うっすらと意識が浮上すると、消毒薬の匂いが鼻をついた。あの後、何故か気が遠くなって、それからどうなったんだろう。 真っ白いカーテンに仕切られた空間で、保健室にいることは分かった。誰かが運んでくれたのだろうか。(そういえば、最後に先輩の声を聞いたような……) 額に冷たいものを感じて腕を持ち上げると、すぐ横から声が上がった。「凛ちゃん! よかった……気がついた? 気分はどう?」 そちらに視線を移すと、心配そうに私を見下ろす先輩がいた。「先輩……私、どうして……」 確か、眞鍋さんが先輩を悪く言うから、カッとなって色々言ったんだ。それを思い出すと、今更になって手が震えてきた。 誰かに口答えするなんてしたことなくて、よくあれだけ舌が回ったな、と他人事のように感じる。何故、あんなに腹が立ったのか、自分でも分からない。 ただ、先輩を守りたいという思いが先走って……。「榊先生が言うにはね、知恵熱みたいなものだって」 先輩は軽く説明して、額のタオルを取り替える。その手つきは、なんだか慣れているように見えた。「榊先生……確か養護の先生ですね」 普段保健室を利用しない私は、先生の名前が咄嗟に出てこなかった。そんな私に『そーそー、その榊先生ね』と笑いながら答えてくれる先輩は、やっぱり優しい人だ。「凛ちゃん、急に怒り出すんだもん、ボクびっくりしたよ。しかも、ボクを庇ってくれた。ごめんね、それから、ありがとう」 そう言って頭を下げる先輩に、私は慌てて起き上がった。「そんな、先輩が謝る必要なんてあ
座り込んだまま動かない眞鍋さんを放置して、私はその横を素通りした。周囲が騒がしいけど、たいして気にならない。(私、何を怖がってたんだろう) 初めて、言いたい事が言えた。今は清々しい思いだ。いつもの景色がきらめいて見えて、ふわふわと雲の上を歩いているような、そんな高揚感に満たされている。周りの雑音も遠のいていき、まるで夢を見ているような……。「……ちゃん! 凜ちゃん!」 あれ、先輩の声がする。名前を呼ばれるのと同時に掴まれた手は、火傷するかと思うくらいに熱を持っていて、私はそれをぼんやりと感じていた。 振り返ると先輩が息を切らせて、私を見上げている。その表情はどこか焦っていて、何かを叫んでいるけど上手く聞き取れない。徐々に視界がかすんでいき、体が冷えていく。 「せん……ぱ……い……」 その言葉を残して、私は意識を手放した。 沈んでいく意識の中で、お母さんの声が響く。『スカートなんか履いちゃダメ!』『リボンなんて似合わないよ』『あなたは王子様なの』 そこに真鍋さんの声が重なった。『凜くんていうの? 今日は助けてくれてありがとう! まるで王子様みたいだったよ?』『凜くんは私の王子様だわ』 声は増え続ける。 それは女子も男子も、先輩も後輩も、近所のおじさん、おばさんでさえ例外ではなかった。 凜くん、凜くん……何度も繰り返される言葉に、私の感覚は麻痺していく。 暗い淵へと落ちていく感覚に包まれ、もう眠りたいと思った――その時。『りんちゃん』 ふと、懐かしい声がした。 幼く小さな手が、私に差し伸べられている。記憶をたどれば、その姿が浮かんできた。水色のスモックを着ているから男の子だと思うけど、女の私よりよっぽど可愛らしい。 幼稚園時代、一緒に遊んでいた子だ。急にいなくなって、しばらく泣いていたっけ。お母さんはそれも気に入らなくて『王子様は泣かないの!』って、ヒステリックに騒いでた。小さい子供には逆効果なのに、気づきもしなかったのかな。 あの子は、どんな子だったっけ。ふわふわとした柔らかい髪の手触りが好きで、よく触らせてもらってたっけ。意地悪な男子にも立ち向かって、私より小さいのにって思ってたな。 あの子の、名前は――。「ゆう……ちゃん……」 なんで、忘れていたんだろう。 それは、私の淡い初恋だったのに。