Chapter: 62 伝統という名の腐敗 ルストニカ平原は、国境の森から約二日の距離にある。 このままアックティカとトスカリャが進軍を続ければ、一週間後には森に辿り着くだろう。そこで叩かない理由は、ゲリラ戦を得意とする傭兵がいるためだった。 ルストニカ平原で布陣を築けば、我が軍は迎え撃つ体制を整え、王都を戦火から守ることもできる。しかし、それは相手も重々承知しているはずだ。 そうなれば、やはりこの戦の肝は国境の森、テューフグリューンが握っている。 平原を横断するこの森は、越えるだけなら半日程度の深さしかない。けれど、東西に長く伸び、その樹影に潜み後方に回られてしまう危険性も持ち合わせている。補給路が立たれれば、勝てる戦も勝てなくなるのは必定だ。 今開かれている軍議も、まさにその件についてのもの。 私は身重のため着席を許され、椅子に座ってその様子を見つめる。 主だった貴族が陛下を中心に円卓を囲み、ざっくりと描かれた地図に注視していた。陛下から見て下方にカイザークの国旗、中央にテューフグリューンを示す緑の線、その上にアックティカとトスカリャの国旗が描かれている。カイザークには青、アックティカには赤と黒の駒が複数配置され、白い髭を蓄えた元帥、ホルター様が場を仕切って声を上げた。「十中八九、敵は傭兵を重用するでしょう。陽動、攪乱、そして補給路の断絶を狙って行動すると予想します」 ホルター様は黒い駒を、緑の線の上へ移動させ、その淵に沿ってカイザーク軍を表す青い駒の後ろに回す。ここまでは、私でも分かる流れだ。問題はその後。ホルター様はアックティカ、トスカリャの連合軍へと視線を向ける。「アックティカの戦力は、その殆どが民兵です。兵士も、繁忙期には農民として畑に出ます。その錬度は極めて低いでしょう」 そう言って、一部の赤い駒を後ろに下げる。「そのため、主戦力はトスカリャと見て間違いありません。大将首は首領、ダッツェ・バズ。十年連続で首領を務めている猛者です。しかし、戦となればこちらに利があります。一対一と多対多の違いを思い知るでしょう」 トスカリャの首
Last Updated: 2025-10-22
 Chapter: 61 烏合の衆 トスカリャに動きあり。 その報がもたらされたのは、陽射しが厳しさを増す夏至の事。|奇《く》しくも一年前の開戦と同じ時期だった。懸念していた山間トンネルがついに完成し、脅威がまたひとつ増えた事になる。まだ先と思われていたトンネルの開通は、クムト様が私達の元に来てから僅か数十日で強行され、多くの人命を飲み込んだ。 山を削るのは相当な労力を必要とし、自然の驚異を嫌が応にも思い知らされる。鉱山でさえ多くの犠牲が出るというのに、国を隔てる山脈を貫こうというのだからその数も膨大になるだろう。どれだけ補強に力を入れても不意に崩落が起こり、進めば進むほどに酸素は薄れ、有毒なガスが噴出する。 それは人間如きが適う相手ではなく、長い歴史の中でも成し遂げた者はいない。それをアックティカとトスカリャという小国がやり遂げたのだから、瞬く間に噂は広まり世界が震撼した。 鎖国で情報規制をしていたアックティカだけれど、トンネル開通だけは大々的に報じている。そして同時に、世界へ向けて宣戦布告を突きつけた。 いくら偉業を成し遂げたとはいえ、二国合わせても人口は三十万にも満たない。しかもその人口は、国全体を合算してなのだから戦に動員できるのは更に少なくなる。その中には戦えない女性や子供も含まれ、純粋な戦力はざっと見積もっても三万。ほとんどが民兵、そこに傭兵が加わるはずだ。 前回の戦では傭兵が一万強を占めていた。今回は新たにトスカリャの兵も加わる。前回よりも、訓練を受けた兵が増えると予想されていた。 私はと言えば、懐妊が確実なものとなり、徐々にお腹が大きくなってきている。アルは素より義両親である両陛下や両親、妹方、皆が喜んでくれていた。婚姻までのあと二年間が待ち遠しいと、既に準備は進められている。 一口に二年と言っても、王室の婚姻式となればそう気の早い話ではない。ドレスや装飾品は一流のものが使われるから、布地の選定、お針子や商人の人選など時間と手間がかかるのだ。 今、私に宿る命を迎える準備も同じ。肌着やおむつは厳選された素材が使われ、乳母はアルもお世話になった旧知の子爵婦人が選ばれた。この方はアルの遠縁で、先王の姪だそう
Last Updated: 2025-10-12
 Chapter: 60 啓蟄 その後のアルの行動は早かった。 まず化粧品や衣服に使われている染料、石鹼や洗剤、香油まで成分を調べあげ、妊婦に良くない物を排除していく。特に香油は薬としても使われるし、料理に使われる香辛料も薬草としての側面があるから神経を尖らせていた。その食事も栄養豊富で、それでいてあっさりとした物に変え、果てには離宮を彩る植物まで徹底して堕胎に繋がる物を植え替えてしまう。 乳母はもちろん乳児に必要な品々まで、全て揃うのに一週間とかからなかった。私は何度も『まだ確定ではない』と言ったのだけれど、どちらにせよ必要な物だからとアルは譲らない。 私はネフィと打ち明けるのは早まったかと溜息を吐いたものだ。嬉しくない訳では決してない。アルは喜んでくれているし、陛下や王妃様も気遣ってくれる。だからこそ、余計にもし勘違いだったらと不安が募っていく。 そして王城の空気も、次第に緊張感が増してきた。 王太子の子供なのだ。男児であれば次期王太子、女児であれば他国との国交に繋がる可能性がある。 つまり、命を狙われるという事。 カイザークの人々は温厚だと言われているけれど、中には腰抜けだと侮る国も存在しているのは事実だ。この国は森を有し、海洋国家ルーベンダークとも近く、平時であればアックティカから豊富な農作物が手に入り、一年を通して飢えに苦しむ事が無い。気候も温暖で、立地に恵まれたこの国を狙う者も多いのだ。 そんな者達にとって、王位継承者の誕生は邪魔でしかない。 アックティカもそのひとつ。未だ交戦状態は続き、大きな戦にはなっていないけれど、国境では小競り合いが頻発していた。昼夜を問わず奇襲をかけ、兵の疲弊を誘っているのだろう。 そこに王太子妃懐妊の報が流れれば、暗殺も危惧された。アックティカに対する警戒は怠らないけれど、憂いは他にもある。それはアックティカの北方、雪の国トスカリャだ。 トスカリャは、アックティカと山脈で隔てられた陸の孤島。比較的温暖なアックティカと違い、山脈で遮られた寒気が停滞する極寒の地として知られる。 広大な国土は万年雪に覆われ、夏でも気温は
Last Updated: 2025-10-11
 Chapter: 59 ︎︎結晶 ネフィと二人、くすりと笑うとアルが拗ねたように口を尖らせる。「二人だけずるいよ! 僕も仲間に入れてくれてもいいでしょ? 何かあったの?」 その言い様に、また笑みが零れる。あまり意地悪をするのも悪いと思い、打ち明けた。「まだ確定ではないのですが……覚悟して聞いてくださいね?」 表情を引き締めて言うと、アルも居住まいを正し頷く。「実は、月のものが遅れているのです。まだ数日程ですが、念のため香水を控えています。香水には|酒精《アルコール》が使われていますから、万が一も考えられますでしょう?」 その言葉に、アルは目を見開き固まった。そしてネフィが続ける。「予定では殿下のご帰還後だったのです。しかし三日三晩、その後もずっとですからね……可能性は否定できません。御典医のベルリア様にも診ていただき、しばらくは安静にとご指導を受けております。ですので、殿下」 ネフィはちらりとアルに視線を移し、ちくりと棘を刺す。「夜のお勤めも、控えていただきたく存じます」 するとアルは百面相を繰り広げる。ぱっと明るくなったかと思うと、焦ったようにおろおろと視線を泳がせ、何度も口を開閉するけれど、どれも言葉にならない。お母様が仰っていたけれど、本当にこういう時の殿方って、面白い反応をなされるのだと感心してしまった。「喜んでくださらないのですか……?」 わざと悲しい顔をして見せると、アルはぶんぶんと音がなるほど首を振る。「そんな事ある訳ない! すごく嬉しいんだ! でも……ダメ、なの……?」 そろりとネフィを|窺《うかが》うと、返ってきたのは無情な答えだ。「はい,ダメです」 アルは項垂れるけれど、顔を上げるともう顔つきが変わっていた。「うん、そうだよね。何よりも、リリーの体が一番大事だ。僕が我慢すればいいだけだし、リリーが苦しむのは見たくない。ネフィ、何かあったらすぐに知らせて。執務中でも構わない。乳母も探さないとな……いや、リリーはどうしたい?」
Last Updated: 2025-10-10
 Chapter: 58 眠れぬ夜 忙しなく部屋から退出したクムト様を見送り、アルは肩を|竦《すく》めて見せ、それに私も同意の苦笑いで応えた。でもひとつ息を吐くと、扉を見つめ悔し気に声を絞り出す。「あいつ、いつもああなんだ。人の心配はしつこいくらいにするのに、自分がその立場になるとすぐ逃げる。僕達だって、ずっと子供のままじゃない。いつまでも守られてばかりじゃ嫌なのに」 今日の訪問も、きっと私達を心配して来てくれたのだろう。アックティカに関しては陛下にも当然報告しているはずだから、遅かれ早かれ軍議の際に共有される。それをこうして、直接訪ねてくれた。そして多分……。「適当な奴だけど、父上も、お爺様も、みんなクムトが好きなんだよ。つい憎まれ口叩いちゃうけど、僕もそう。だからシーアと再会して幸せになってほしいし、心から笑ってほしい。あいつの笑顔は痛くて、辛い……」 アルは私の肩に頬を預け、耐えているようだった。流れる金の髪を撫でながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「クムト様も、皆がお好きなのでしょうね……。開戦のあの日、軍議でお茶を運んできた下位の騎士にお声をかけていらっしゃいました。お名前を呼んで、お子様のお話を楽しそうに。私もできるだけ覚えようとしていますが、まだまだ未熟だと思い知ったんです」 小さく笑うと、アルは不思議そうに顔を上げる。きらきらと輝く瞳は、まだ幼さを残していた。『そんな前の事、覚えてるの……?』と、ちょっと|慄《おのの》いているのが気になったけれど。 この激動の時代に、王太子となったアル。それは死と隣り合わせの、そして残し残される道。もしかしたら、クムト様はご自分を重ねているのかもしれない。「ただ長生きしただけで賢者にはなれません。他の名を遺す方々も短命であれど、何かを成し遂げたからこそ賢者、そして英雄と呼ばれるのです。ね、アル。二人でクムト様を支えましょう? 王として、王妃として。いつか必ず訪れる福音を、皆で喜べるように」 驚いたように瞳を|瞬《またた》かせ、アルは私を凝視する。私は微笑み、頬に触れた。「クムト様も、貴方も、ひとりじゃありません。どうか頼ってくださいませ。私には、貴方も泣
Last Updated: 2025-10-09
 Chapter: 57 遠い記憶 それからクムト様は、どれだけ自分達が愛し合っていたかを熱弁し始めた。「ボクもシーアも、すごくモテてたんだよ~。今は白くなちゃったけど、この髪も金色でね。女の子に良く声掛けられてたな。シーアはね、めちゃくちゃ可愛いの! 黒い髪が綺麗で、澄んだ青い瞳が印象的なんだ。その上、愛嬌があって、町の食堂で働いていたんだけど、働き者で可愛いって噂が広まって、ほとんどのお客さんはシーア目当てって言われるくらい!」 両手を大きく開き、身振り手振りで婚約者を褒め称える。今もまだ、その姿は脳裏に焼き付いているのだろう。当時の空気、匂いさえも。「その町は宿場町でさ、いろんな人が訪れてた。人種も職業も様々で、賑やかだったな……」 空を見つめるクムト様の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。いつも気丈に振舞っているけれど、やはり不老不死は人と隔絶した存在。五千年もの間、どれほどの友を見送ってきたのだろう。長い刻の中でも忘れれられない恋人との記憶、そして再会こそが、クムト様の原動力のように思えた。 アルも神妙に話を聞いている。「父さん、母さん。弟のルイ、隣のトゥディ、ゼクおばさん……皆の顔は忘れた事ない。旅の中で出会った人達、皆、皆覚えてる。仲良くなった人も、喧嘩した人も」 クムト様は幸せを噛み締めるように、目を閉じて思い出に浸った。軽薄な態度の裏側には、計り知れない慈愛が隠されている。それが痛い程に伝わって、私まで涙が滲んできた。 そんな私を見て、クムト様は可笑しそうに笑う。「どうしたの、りっちゃん。ここは笑う所だよ?  ボクの記憶に、泣き顔なんて残したくないな。ほら、あっちゃんも。じじぃの昔話なんて、笑い飛ばしてくれなきゃ」 ケラケラと声を立てておどけてみせるけれど、そんなに軽い話ではない。会えない時間の重みを知った私には尚更。 それはアルも同じで、真摯な眼差しで応える。「笑わないよ。お前はお調子者だけど、僕達の事を誰より考えてくれてる。以前、父上が言ってた。クムトはカイザークの父だって。精霊王と交渉したのも、お前なんだろう?︎ ︎ ︎人間の行いに激
Last Updated: 2025-10-08
 Chapter: 第39話 先輩のこと 私は顔を上げ、眞鍋さんを見つめる。「女の子の……顔……?」 そんなこと、初めて言われた。いつもカッコいいとか、ハンサムとか、そんな嬉しいけど微妙な言葉ばかりで、気恥ずかしくなってしまう。きっと、今の私は真っ赤に染まっている。体が熱くて、眞鍋さんの顔まともに目れない。「……凜くん、可愛い……! ちょ、こっち見なさいよ!」 ぐいぐいと私の頬を掴んで引っ張る眞鍋さんは、口調もどこか砕けてより気安い感じになっていた。「眞鍋さんっ! 痛い! や、見ないで!」 そう言いながらも、私の顔は緩んでいる。 なんだか、すごく楽しい。「よいではないか~初心な奴め~」 眞鍋さんはぐりぐりと私の頬を突きながら、目を細める。「ん、凜くんにとっては、瀬戸先輩はいい方に作用してるのかもね。ムカつくけど」 壁に背中を付けて伸びをしながらそう言った。そして神妙な声で、続けた。「瀬戸先輩の噂、前に言ったでしょ? あれもさ、ホント噂だけなの」 薄暗い資材置き場でふたり、肩を寄せ合ってその声に耳を傾ける。「瀬戸先輩、去年の冬休み前に停学になったんだけど、その原因が曖昧なんだよね……そういうことって普通朝礼とかで言ったりするでしょ?」 真似べさんに言われて、私はうなずいた。「うん……眞鍋さんが私から噂を遠ざけてたって言ってたけど、さすがに朝礼で報告されたら私でも気付くよ。でも……言われてみたら朝礼で先輩の話、聞いたことないかも……」 いくら眞鍋さんが噂から守ってくれていたとしても、朝礼で先生から報告されれば嫌でも知ることになる。私は一年からこの学校に通っていて、朝礼は定期的に行われているんだから。 眞鍋さんもうなずく。「だよね? だけど、瀬戸先輩の悪い噂は生徒の中では有名なんだよ。前言ったように、いじめとか、女の子を……みたいなやつね」 少し声を落として、私を見つめる。「でも、誰がその当事
Last Updated: 2025-10-28
 Chapter: 第38話 親友 私は呆然としたまま眞鍋さんに手を引かれ、資材置き場になっている階段下の陰に押し込められ、へにゃりと座り込んだ。  隣に眞鍋さんが寄り添い、震える手を握って撫でてくれる。 「凛くん……大丈夫? いくら瀬戸先輩でも、まさかあんな行動に出るとは思わなくて……一緒に登校するべきだった。気が回らなくてごめん」 そう言って背中を摩ってくれた。その暖かさに、ゆっくりと落ち着きを取り戻していく。深呼吸をして、手の震えもどうにか止まった。「眞鍋さん……ありがとう。私、あんなこと言ったのに……」 それでも眞鍋さんは笑う。「何言ってるのよ! あれは私にも非があった。凜くんの気持ち無視してたし……でも、できるなら、友達として傍にいたいの。守ってくれたとか、王子様とかじゃなくて、ひとりの女の子として。凜くんが私に言ってくれたこと、嬉しかったよ」   眞鍋さんもまた、周囲の勝手な決めつけで役割を与えられていた。浮気性で、友人の彼氏にも手を出す、ビッチ。私が聞いたのも、そんな噂だ。 だけど、どこにもそんな事実はない。昨日、眞鍋さんと電話で話ていた時に打ち明けてくれたこと。それは酷いものだった。最初は、ほんの些細な事から始まったと言う。「中一の時、ある男子がね、告白を断るのに私の名前を出したんだって。そしたらその子、私が彼氏を取ったって言いふらしたの。それからだよ、私がビッチって言われ出したのは……」 それを聞いた時には、本当に怒りで震えた。なんて身勝手で、なんて無責任なんだろう。その後、眞鍋さんがどうなるかなんて考えもしていない。「でもね、私はそれでよかったと思うよ。だって、本当の友達が分かったんだもん」 そう言う眞鍋さんの声は力強かった。 こうして寄り添ってくれて、心配してくれる眞鍋さんに、私は心強く勇気づけられている。「……先輩は、本気……なのかな……」 ぽつりと呟くと、小さな溜息がきこえた。「凜くんはどうなの? 先輩のこと、好き?」 私、私は――。
Last Updated: 2025-10-24
 Chapter: 第37話 執着 足元にうずくまる凜ちゃんに、俺は何とも言えない多幸感に包まれていた。「凜ちゃん、大丈夫?」 自分がそうさせているくせに、心配して見せると、凜ちゃんの肩が跳ねる。 それはどこか煽情的で、俺は喉を鳴らす。 だけど、そんな幸せな時間はすぐに終わった。「せとっち! なにやってんだよ!」 機嫌がよかった俺に、人垣をかき分けて伊吹が駆け寄る。その後ろにはこの間、凜ちゃんとやり合っていた女がついてきていた。「凜くん!」 そう言って俺の凜ちゃんに触れようとする。「触んじゃねぇよ」 俺は相手が女だろうと容赦はしない。女の長い髪を引っ張ると、伊吹が止めに入った。「おい! やりすぎだって!」 凜ちゃんを庇うような女も、伊吹も、どちらも気に入らない。「やんのか、伊吹」 俺を見下ろす伊吹の胸倉を掴んで恫喝すると、その隙をついて女が凜ちゃんを連れ去った。「あ、凜ちゃん!」 追いかけようとする俺を、また伊吹が引き留める。「だから、落ち着けって。あの子の気持ちも考えてやれよ。こんな場所で、いきなりなんて、泣いてるかもしれないぞ?」 伊吹は眉を垂れて俺に言い聞かせる。「泣いてる……凜ちゃんが……?」 そんなこと、想像もしなかった。 俺のものだって宣言すれば、きっと喜んでくれる。そう思っていたのに。「はぁ……まさかせとっちがこんな行動に出るなんて……想定していなかった俺にも責任はある。一旦落ち着いて、それから謝りに行こう。ついていってやるから」 保護者気取りの伊吹を見上げ、俺は唇を噛みしめた。 高い身長、恵まれた体格、低くて男らしい声。 どれも俺には無いものばかりだ。今では凜ちゃんにも身長を追い越されている。 もしあのまま、幼稚園の頃のまま、一緒に成長していたら、凜ちゃんは俺から離れていたかもしれない。俺の腕を掴んだままの伊吹を見上げる。首を傾げる伊吹は、余裕があって、男気もある。
Last Updated: 2025-10-03
 Chapter: 第36話 ファーストキス おそるおそる、私は校門から顔を出した。不審な動きをする私に、いつもなら声をかけてくれる人達も遠巻きに見ている。(先輩は……いない、よし!) ささっと校門から飛び出し、昇降口まで走る。 できるなら、今は先輩に会いたくはない。いや、会いたいけど、まだ心の準備ができていなかった。 思い浮かぶのは昨日の先輩の、瞳。『それとも、『俺』がいい?』 そう呟く先輩は、男を感じさせた。 カッと赤く染まる頬に、私は頭を振って熱を追い出した。 そして、昨日のことを思い出す。 昨日は眞鍋さんからの電話の最中に、みっともなく泣いてしまった。それでも眞鍋さんは、何度も相槌を打ちながらちゃんと話を聞いてくれる。その声音が優しくて、私は初めて友達ができたように感じたんだ。 今までは、親しくしてくれてもどこか壁を感じていた。でも、昨日の眞鍋さんにはそれがなくて、恥をかかせたといってもいい私に真摯に向き合ってくれる。 嫌いになったのではないか。 そう尋ねる私に、眞鍋さんは『逆にサッパリした』と笑う。 あの後、数人の生徒が直接謝りに来たらしい。『ごめん』と頭を下げる生徒に、眞鍋さんは笑顔で『一昨日きやがれ』と追い返した、そう自慢げに言う。 知らない眞鍋さんの一面に、私も自然と頬が緩んで声を上げて笑ってしまった。 眞鍋さんも一緒に笑って、本当に楽しい時間だった。 そして今日、先輩に会う勇気が出なかった私は逃げの一手に出る。もう昇降口は目前だ。(いける……!) そのままの勢いで靴箱に向かうと、そこには仁王立ちした先輩の姿が。 私は寸でのところで急ブレーキをかけ、呆然とその姿を見つめる。「凜ちゃん、おはよう!」 笑顔のはずなのに、何故か冷や汗が止まらない。 言い淀む私に、先輩がずいっと顔を近づけた。「昨日はいきなり帰っちゃうんだもん。ボク、心配してたんだよ?」 その表情はいつもの可愛い先輩だ。でも、目が笑っていなかった。
Last Updated: 2025-09-19
 Chapter: 第35話 友人 私はなんとか家に辿り着き、力なく『ただいま』と室内に声をかけた。すると、奥からお母さんがパタパタとやってくる、いつもの風景だ。「凜くん、おかえり~」 その声を聞いて、私はほっと胸を撫でおろす。安心したからじゃない、お母さんの機嫌がよかったから。「聞いてよ凜くん、お隣の佐藤さんがね、凜くんを褒めてくれたの!」 ぱあっと花が咲くように笑うお母さん。私は曖昧に頷き、宿題があるからと部屋へ向かった。「もうすぐ夕ご飯だからね~」 そんなお母さんに、なんだか罪悪感が募る。(別に、私が悪い訳じゃないし……!) だけど、先輩のあの目を思い出すと、ぞくりとした何かが這い上がってくるようで、私は怖くなってきてしまう。ドキドキと、心臓がうるさいくらいに鳴って、私は呼吸さえままならない。(走ってきたから……そう、そうに決まってる……) 鞄を雑に投げ出してベッドに倒れ込むと、言い訳ばかりが浮かんできた。そんなものじゃないことくらい、分かってるのに。 ベッドで丸くなって呼吸を整えていると、不意にスマホが鳴った。立ち上がるのも億劫だったけど、もしかしたら部活の連絡かもしれないし、私は溜息を吐きながら、鞄に手を突っ込む。(あれ……眞鍋さん……?) どうしたのかと出てみると、いきなり眞鍋さんの声が耳を|劈《つんざ》く。「ちょっと! 凜くん無事!?」 思わずスマホを耳から離すと、私の名前を連呼する、でも心配そうな声が聞こえた。「眞鍋さん、落ち着いて。どうしたの? 無事って……私のこと?」 尋ねる私に、眞鍋さんは勢いよく『当たり前!』と叫んだ。「だから落ち着いて! 耳が痛いよ……」 苦情を告げると、仕方がないなぁとスマホの向こうで溜息が聞こえた。『あのね! 今日、なんかすごい走って帰ってたよね? それ見て不安になっちゃったんだ……私、瀬戸先輩に凜くんはどこだって聞かれたの』 思いがけない言葉に私はギョッとした。今まさに先輩のことで胸が大騒ぎなのだから。
Last Updated: 2025-09-16
 Chapter: 第34話 離脱 『俺』と『ボク』 どっちかなんて、選べるはずない。 だって、どちらも先輩なんだもの。「ねぇ、凜ちゃん。昔した約束、覚えてる? お嫁さんになってくれるって、約束したよね?」 ずいっと顔を近づけてくる先輩は、私の心を見透かすように瞳を覗く。「あの、それは……」 覚えている、というか、さっき思い出したんだけど。 幼稚園の頃、私は同じクラスの男の子に『男女』と呼ばれ、からかわれていて、よく泣きながら校庭の隅に座り込んでいた。それを見たゆうちゃんが傍で慰めながら『お嫁さんになって』と笑いかけてくれていたんだ。 私は『うん』と応えていたけど、意味が分かっていなかったのが実情で……。 冷や汗を流しながら視線を逸らす私に、先輩は目を細め、ずいっと顔を近づける。「本気にしてなかったみたいだな……」 その額には、うっすらと血管が浮き上がっているような……。 でも先輩は、ふぅっと肩の力を抜き少しの距離を取る。「ま、いいや。これから挽回すればいいだけだし」 そう言いながら指を絡め、薬指をなぞった。「指輪、買わないとな……あーでも生活指導に取り上げられるか。ネックレスに通せばイケるか……?」 ぶつぶつと呟く先輩に、この機を逃せば逃げられないと悟った私は、勢いよく万歳をして先輩の手を振りほどくと脱兎のごとく駆けだした。 先輩がどんな顔をしているかなんて気にする余裕もない。 必死に商店街を走り抜ける。 道行く人々が何事かと振り返り、中には部活の後輩もいて、私を指さし『何やってんすか!?』と声が投げられた。 それにも構わず、私はひた走る。 だけど――。「なんで逃げるんだよ!?」 まさかのまさか。 先輩は猛烈な速さで迫ってくるではないか!「いやぁぁぁっ! なんで追いかけてくるんですか!?」 剣道部は足が基本。走り込みで鍛えたその足に、先輩は易々と追いついてきた。「ふざ
Last Updated: 2025-09-12
 Chapter: 最後の砦 掌に乗せられた黒い箱。 その意味は私もよく知っている。 にこやかに笑っている岬くんは、自分のネックレスを外し、改めて私から奪った物を首にかけた。「似合う?」 指でつまんで、可愛らしく首を傾げる岬くん。「……いやいや! 似合うも何も、さっきと同じものでしょ!?」 思わず叫ぶ私に対しても、岬くんはぶれなかった。「えー、違うよ。ただのおまけと、君からもらった物では天と地ほどの大違い。ヒュディシェリを描いてる君なら、分かってくれると思うんだけど?」 そう言われて、私はぐうっと唸る。 あの名場面を知っているだけに、分からないなんて言える訳ないじゃない。いつか私もこんな素敵なプロポーズされたいな、なんて思ってもいたし。 だけどさぁ!? 今のやり取りにロマンチックな雰囲気なんてまるでなし! もらった~なんて言ってるけど、不意打ちでかっさらっただけでしょ!? じとっとした視線で睨みつける私を無視して、岬くんは元のネックレスを用済みとばかりに鞄に投げ込んだ。それとは反対に、赤い空き箱を大事そうに紙の手提げ袋に入れる。 それを見て、私はまた悲鳴を上げてしまった。「ちょっ! それ私の……!」 なんと岬くんの手には私が描いたヒュディシェリのイラストが、これでもかというほどデカデカと印刷された紙バッグがあるではないか。 私は普段小説を書いているけど、大きなイベントがある時にはイラストも描いていた。「確かこれって、今年のヒュディシェリ記念日に描いたやつ……!」 評判は良かったけど投稿サイトに上げただけで、紙バッグなんてグッズは作ってないはず。慌てる私を、岬くんはにこやかに眺める。「そうだよ? すごく好きなんだ、このイラスト。2人の気持ちがこもってるって言うか……あ、2次販売とかはしてないから安心してね?」 いや、問題はそこじゃないって。 もうここまできたら感心してしまう。 なんと言うか、私を好きだと言ったのも、キスしたのも、もしかしてヒュディシェリを模倣したものではないかと疑ってしまうのは仕方がないだろう。(うん、その方がしっくりくるわ。クラスカースト上位の岬くんが私を好きなんてナイナイ) 妙に納得している私に、岬くんはすかさず突っ込んだ。「違うからね?」 まるで心を読まれたようで、びくりと肩が跳ねる。「やっぱり。きっとただのファンだと
Last Updated: 2025-09-04
 Chapter: 絆石 思った通り。 笹塚さんは俺を見るなり固まった。 その視線は、俺の首元に釘付けだ。 そこにあるのは、数量限定で作られたヒュディとシェリア姫の絆石。これは原作でも登場するキーアイテムで、不器用なヒュディがシェリア姫へ贈る、想いの詰まった石だ。 告知されてすぐ、笹塚さんなら購入するだろうと思って、俺も注文した。ペアセット販売だから、俺の元にも、今笹塚さんの胸元に輝くペンダントがある。「な、なんで……それ」 笹塚さんはもちろん意味を知っているから、俺の赤い石に戸惑っていた。「なんでって……黒薔薇が好きなら買うでしょ」 俺はさも当然という顔をして、笹塚さんの様子を探った。 黒薔薇とは、ヒュディ×シェリア姫のカップル名だ。2人のイメージカラーから作られたらしい。 ヒュディは黒い髪と軍服、シェリア姫は赤、そして薔薇を模したドレスを身にまとっている。黒薔薇は、まさに2人を表すのに相応しいものと言えるだろう。 笹塚さんも、当然知っている。同人誌まで作るくらい熱心なファンなんだから。 まだ状況が飲み込めないのか、口をパクパクさせる笹塚さんに、俺は更に追い込みをかける。「笹塚さん、シェリア姫の石も持ってるよね?」 セット販売だから当たり前だけど、わざと強調しながら問いかける。笹塚さんはコクりと頷くけど、その表情は疑問符だらけだ。「悪いんだけど、ちょっと見せてくれる?」 そう聞くと、少し戸惑いながらも自室へと戻って行った。 数分もしないうちに再び降りてきた笹塚さんは、赤い箱に入った石を見せてくれる。俺はすかさずそれを奪い取り、代わりに黒い箱を柔らかそうな掌に乗せた。「え、は?」 自分の手と俺を交互に見る笹塚さんは、とても可愛い。このまま持って帰りたい気持ちを押さえつけて、俺は口を開いた。「絆石の交換。もちろん、意味、分かるよね?」 ヒュディが石を渡すのは、プロポーズのシーンだ。 主人公に負け続けるヒュディは、とうとう追い詰められ、命の危機に晒される。『シェリア、お前は逃げろ。お前さえ生きていれば、俺達の勝ちだ』 ヒュディは、自国のために戦っていた。魔族だと迫害を受け、簡単に狩られる同胞達。シェリア姫は王の一人娘であり、自国の希望だった。 劣勢に陥ったヒュディは、王女であるシェリアだけでも逃がそうとしたんだ。『いいえ、私は貴方と共に生きま
Last Updated: 2025-07-25
 Chapter: アニメじゃない 悔しい。 昨日から岬くんに振り回されっぱなしだ。 今日なんていきなり家まで来て、結婚!? 私達まだ高校生でしょ!? お母さん達までまきこんで、一体何を考えてえんだろう。 私はこの年まで、恋愛の経験がない。告白されたこともないし、告白したこともないのに。 憧れはある。少女漫画のように、熱烈に好意を寄せられ、強引だけど甘く求められるような……あれ? 今、まさにその状態なのでは?「なってくれるよね? 岬 美希に」 髪にするりと指を絡め、囁く岬くんの声に、胸がキュッと鳴る。横で奇声を上げるお母さんのお陰で、流されずに済んだのは不幸中の幸いかもしれない。「あ、あのねぇ!」 私がなんとかこの状況を抜け出そうと試みると、さっきまでの色気はどこへやら。岬くんがにこりと年相応の笑顔で言う。「そろそろ準備した方がいいんじゃない? もう8時過ぎたよ。参戦服なら時間かかるでしょ?」 ハッとして時計に目をやると、もう8時10分を回ろうとしている。会場は家からバスで20分ほどかかるから、8時30分には出ないと、本当に時間がない。 サークル入場は一般開場から余裕があるけど、スペースの設営には意外と時間がかかる。お隣さんへの挨拶もるし、仲のいいサークルに差し入れもしたい。 でも、この場に岬くんだけ置いていくのは危険なのでは!? 時計と岬くんを交互に見ながら若干パニックに陥っていると、岬くんが更に急かしてきた。「ほらほら早く。僕も設営手伝うし、売り子もするか
Last Updated: 2025-06-20
 Chapter: 妻問い 叫び声を上げながら固まったお義父さんと、頬を染めキャーキャー騒ぐお義母さん。 どっちも笹塚さんに似ていて面白い。俺にとっては笹塚さんが最優先であり、物事の基準だ。笹塚さんがご両親に似ているという感情は湧かない。 それを眺めていたら、ドタバタと音を立てて笹塚さんがリビングに飛び込んできた。その姿を見て、俺は目を細める。(はい、アウト) その姿は、さっきのキャミソールとホットパンツの上からロンTを被っただけのもので、まるでそれしか着ていないような錯覚を起こす。普段はデフォルトの制服で隠されている素足は程よく肉付き、劣情を抱かせるには十分だ。「ねぇねぇ、美希。今から式場押さえちゃう? 和装もいいけど、やっぱりドレスよね~、岬くんはどうかしら?」 疼く下腹部から意識を逸らし、お義母さんに相槌を打つ。「そうですね、美希さんならどちらも似合うと思います。素敵な式にしたいですね」 実の所、既に貯金を始めている。中学の時に笹塚さんを知ってから、毎年のお年玉は全額貯金。高校に入ってからはバイトも始めた。それも全ては笹塚さんを手に入れるため。 笹塚さんが望む式を挙げたいし、家も準備したい。そして創作を楽しめる時間を作れるよう、専業主婦にしてあげたい。家事なんてそれなりでいいし、なんなら俺が全部やる。 俺は笹塚さんと生涯を共にできれば、それだけで満足だ。 それにはまだまだ足りないんだから、もっと頑張らねば。大学も、もう決めている。ゆくゆくは起業も考えているから、経済学部を選んだ。起業すれば、笹塚さんとの時間も捻出しやすくなるし、何より楽をさせてあげられる。  そのためには、成功できるだけの実力が必要だ。笹塚さんとの生活をより良くするため、俺はどんな努力も厭わなかった。 お母さんから結婚の話しを聞いた笹塚さんは、赤くなったり青くなったり、表情をクルクルと変えている。そういう所も可愛いと思えるのだから、本当に厄介だ。「ちょ、ちょっと岬くん!? お母さん達に何に言って……け、結婚て、気が早すぎるでしょ!?」 俺に文句を投げつけるその表情も、可愛くて、愛おしくて、そして美味そうだ。「え~、俺、昨日言ったよ? 幸せなお嫁さんにするって。聞いてなかったの?」 少しむくれて言えば、笹塚さんは面白いように慌てている。「なってくれるよね? 岬 美希に」 長い黒髪
Last Updated: 2025-05-21
 Chapter: 先ず馬を射よ 階下から聞こえてきた叫び声に、びくりと肩が跳ねた。(な、なに!?) お父さんの怒号にも似た叫びと、お母さんの黄色い声に困惑しながらも、手近にあったロンTを被りリビングに向かう。(まさか、岬くん変な事言ってないよね!?) 同人誌即売会での奇行は、私に危機感を持たせるのに十分だった。たぶん、私や家族に危害を加える事はしないと思う。でも、どういった行動に出るのかが読めない。 昨日はオタク全開の服装だったのに、今日はしっかりキメて来ているし、それにあの言葉。 ――それとも、誘ってる? 思い出すだけで顔が熱くなる。 もしそんな事をお父さん達に言っていたら、恥ずかしくて死ねる。その点については、岬くんの信用はゼロに近かった。 学校ではそんな素振りした事もないのに、あの公開告白の後からは攻めの姿勢を崩さない。実を言えば、ブースに居座った岬くんはずっと私の手を握っていたのだ。机の下で指を絡め、お客さんが途切れたらじっと見つめてくる。 そして何度も呟くのだ。「はぁ……笹塚さん、可愛い。もう1回キスしいい?」 私はその度に冷や汗を流していた。陰キャのカースト底辺として生きてきたのに、そんな経験ある訳ないじゃい。なのに岬くんは手を緩めない。 帰り際にバス停で別れた時も、隙をついて額にキスされてしまった。真っ赤になって怒る私にも、岬くんは喜ぶ始末。 だからこそ、今両親に対して何を事を口走っているのか、考えるだけでも恐ろしくなってしまう。 バタバタと階段を下りて、リビングのドアを開く。 そこには立ち上がった姿勢のまま固まるお父さんと、頬を染めキャーキャーとはしゃぐお母さんがいた。その正面には岬くんが笑顔をたたえ、静かに座っている。「何、どうしたの!? さっきの叫び声って何!?」 そこでやっと私に気付いたお母さんが、こちらを見ながらにこやかに言った。「あ、美希ったら、こんなにカッコいい彼氏がいるなんて聞いてないわよ~? こんな子が息子になってくれるなんて、お母さん嬉しい!」 今、なんて言った……? 彼氏は分かる。だって実際に岬くんに告白されて、流されるようにではあるけど、彼氏彼女になったから。 でも、息子って? ゆっくり視線を向けると、岬くんはにんまりと笑う。「そういう事だから、今後ともよろしくね。美希さん」 その一言でハッとした。(外堀
Last Updated: 2025-05-06
 Chapter: 将を射んと欲すれば バタバタと階段を駆けあがる笹塚さんの後姿は可愛らしく、緩む頬を何とか押しとどめて冷静を装った。『白い何か』がチラリと見えたからだ。「美希? どうしたの、うるさいよ~」 そう言って顔を出したのは、笹塚さんのお母さん。まだ若く、姉妹と言われても納得できそうだ。玄関に立つ俺に気付くと、少しびっくりして口を押さえる。「あ、あら、お客さんだったのね。えっと……」 口籠るお母さんに、俺は優等生ぶって頭を下げた。「早朝からお騒がせしてしまって申し訳ありません。昨日から美希さんとお付き合いさせていただいています、岬涼です。今日も一緒に出掛ける約束をしていたので、迎えに来ました。ついでと言ってはなんですが、ご両親にもご挨拶させていただければと」 お義母さんは聞かされていなかったのか、更に驚いていた。慌てて引っ込むと、今度はお義父さんを連れて現れる。「き、君が……美希と……? なんと言うか、随分とカッコいい子だね……」 今日はヒュディ仕様だから、タイプの違いに猜疑的なのかもしれない。笹塚さんは真面目な委員長タイプだ。俺は警戒を解くように、柔らかく微笑みながら落としにかかる。「はじめましてお義父さん、岬涼です。急な事で驚かせてしまったかもしれませんが、僕は美希さんをずっと好きだったんです。やっと昨日告白して、受け入れてもらえました。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」 深く頭を下げると、2人が慌てる様子が伝わってくる。いささか高校生にしては丁寧すぎる言葉使いも、隙を生むには好都合。両親と良好な関係が築けるに越した事は無いが、俺にとっては将を射るための馬に過ぎない。 笹塚さんは一見大人しいから、俺みたいなのが来たのも意外だったのだろう。俺が知る限り、笹塚さんは今まで彼氏がいなかった。正真正銘、俺が初カレだ。素のままで来てもよかったけど、第一印象は大事だからね。身なりには気を付けないと。 顔を上げると、2人はぎこちない笑みを浮かべながらも、俺を室内に案内してくれた。リビングのソファに座ると、お義母さんがお茶を出してくれる。「ごめんなさいね。そうとは知らずに、あんなだらしない恰好で出させてしまって。美希ったら水臭いわ。こんなイケメンが彼氏なんて、教えてくれてもいいのに。ね、お父さん」 話を振られたお義父さんは、しかめっ面で俺を値踏みしている。これも想定
Last Updated: 2025-04-23