Chapter: 36 洽覧深識(こうらんしんしき)「リージュ様、論点がずれております」 とんちきな発言をした私に、ネフィは心底呆れた声で指摘した。それに反して、殿下は上機嫌だ。「え、じゃあ夜ならいいの? やった! そういえば、まだ|寝衣《しんい》も見た事なかったよね。どんな感じなんだろう……それを脱がすのも楽しみだな」 垣間見た弱々しさはどこへやら。艶を増していく紫の瞳は、確実に私を獲物として見ている。いつもとはまた違う、|獰猛《どうもう》とも言える視線に呑まれ混乱する私に、騎士団長が助け舟を出してくれた。「殿下、今はそういった事はご遠慮ください。私をお呼びになったのは、妃殿下のお力について、でございますね?」 さっきまでの屍のような目とは一転、騎士団長の表情は、きりりと引き締まっている。既に私を『妃殿下』と称する点は気になるけれど、それを言い始じめたらまた話しが止まってしまう。不承不承ながらも、居住まいを正した殿下に胸を撫でおろし、騎士団長へと向き直る。「はい。|此度《こたび》の戦では、主にオードネンの動きに重点を置いていました。けれど、今後はアックティカを覗き見る手段がありません。国王や、その他の重鎮たちを絵姿で確認はしましたが、追う事は叶いませんでした。そこで、味方陣営の情報収集に観点を移してはと思ったのです。陛下にもご相談いたしましたが、賛同していただき、こうして騎士団長をお呼びする運びとなりました」 |経緯《いきさつ》を掻い摘んで伝えると、殿下も援護してくださる。「うん、僕も賛成。リージュ誘拐の時から、内通者の存在が懸念されている。オードネンも、こちらの情報が洩れていると仄めかしていたし。まずは騎士団を束ねる君、それから軍団長、師団長と広げていく。団長であれば数もそう多くはないし、リージュの負担も軽く済むはずだ。慣れてきたらもっと目を広げる」 じっと耳を傾ける騎士団長は、一つの疑問を呈した。「しかし、多くはないと言っても十名以上はいます。それら全てを網羅されると? 恐れ入りますが、名も爵位も様々です。私も完全に把握しているのは軍団長まで。それ以下の者は、各団長に一任している状態です。師団長は更に多く、兵卒ともなれば、かなりの功績を上げなけれ
Last Updated: 2025-09-19
Chapter: 35 ︎︎幼心の君 殿下の落ち込み具合は、まるで垂れている耳と尻尾が見えるかと思うほどだった。私は沈む殿下の手を取り、満開の百合の花を撫でると、穏やかな声音を意識しながら語りかける。「殿下はよく務めておいでです。何事も、最初から上手くはいきません。今は学ぶ時なのです。周りをご覧になって? ︎︎師となる方々に恵まれているではないですか。辛い時は、どうぞ私にぶつけてください。私は、そのためにいるのですから」 ゆっくりと顔を上げる殿下に、微笑み頷いた。私達は支え合い、高め合う双樹。精霊王もそれを望んだのではないかしら。 人と精霊という、一時期は相反した存在が手を取り合う。私は精霊の血というものを感じる事はできないけれど、それが殿下の傍に在るために必要だと言うのであれば、信じたい。長い年月を繋いできた契約は、きっと当事者にとっては意味の無いものだ。 きっかけがどうであれ、互いのために存在する事が重要で、契約はそれに|付随《ふずい》するものでしかない。少なくとも、私はそう思う。 それもちゃんと言葉にして、殿下に伝える。「……うん、そうだね。リージュがいるから僕は強くなれる。戦場も、本当は怖かった。さっきまで話していた従騎士が、呆気なく死んでいくんだ。僕も何人も殺した。オードネンも、民兵も……その感触がまだ残ってる。でも、リージュを危険に晒したオードネンが許せなくて、それで……」 私の腰に抱きつき、肩を震わせる殿下は小さく感じる。戦場は、私には想像もつかない、人と人が殺し合う場所。そこに訓練を受けているとはいっても、たった十三歳で送り込まれたのだ。 どれほど怖かっただろう。 どれほど恐ろしかっただろう。 殿下の背中を撫でながら、相槌を打つくらいしかできなのが歯痒い。 そんな私達を見て、騎士団長は控えめに口を開く。「殿下、良きお方と出会われましたね。王妃様も気丈なお方ですが、妃殿下は肝が据わっておいでだ。遠見で、戦場の様子もご覧になられていたはず。軍議の場だけとはいえ、殺伐とした空気は感じておられたのでは?」 問いかける騎士団長に、私は頷いた。戦場自体は見ていないけれど、騎士達の鎧は血に
Last Updated: 2025-09-18
Chapter: 34 羨望と嫉妬 雪が積もる庭を眺めながら、私は暖かいサロンで寛いでいた。今日は騎士団長ハイゼ・ホーグ様との面会の日だ。殿下がお帰りなって三日。陛下は迅速に対応してくださり、通達を受けた騎士団長もお忙しい中、こうしてお時間をいただいている。皆様もまだ警戒を解いていないという事だろう。これを鑑《かんが》みても、お仕事が詰まってると予想される。離宮の番兵達も、どこか落ち着かない様子だ。 彼らも騎士の一員。離宮の警護を仰せつかっているから戦には出なかったけれど、戦況が変われば迷いなく死地へ向かうだろう。彼らも、私の力を制御する訓練に付き合ってくれた。仕事とはいえ、眉唾物の魔法の特訓だなんて呆れていたのかもしれない。それでも、私の力を実感するにつれ、真剣味を増していた。 王家の力は、皆知っている。だけれど、それは|御伽噺《おとぎばなし》としてだ。魔法が絶えて千年の間に、世情も落ち着き、使われなくなった力は忘れられていった。それでも、お年寄りの口伝で語り継がれる事もある。そうして思うのだ。「王族は特別な血を持っている。だから不思議な力もあるに違いない」 そうんな風に。 でも騎士になると、その辺りの感覚が違ってくるらしい。やはり、王家の近くを警護するのが主な任務だからか、私の力もすぐに理解してくれた。殿下や陛下の力の事も知っていて、心を見透かされても照れるだけ。お二人のお眼鏡にかなった方々だから、宰相のような人もいなかった。末端になると、目が届かずに買収される方もいると聞いたけれど。 騎士団長も、快く今日の面談に応じてくれた。そのお気持ちに応えるべく、できる限りのおもてなしを用意している。約束の時間が近づき、ネフィと最終確認をしていると、扉がノックされた。「王太子妃殿下、お初にお目にかかります。お招きにより馳せ参じました、騎士団長ハイゼ・ホーグでございます……何故、殿下がおいでなのですか?」 騎士の礼を執り、顔を上げると怪訝な顔をされる騎士団長。それもそのはず、私の隣には殿下が陣取っていたのだから。 ついさっき、騎士団長が訪れるほんの少し前に殿下は現れた。それからはずっと私の隣で腰を抱き、今に至る。騎士団長に問われた殿下は鼻で笑う。
Last Updated: 2025-09-17
Chapter: 33 役目 殿下が退出されると、途端に寂しさが顔を出す。ちゃんと約束もしたし、戦に行く事もない。それでも、まだ不安定な情勢下では、またいつ戦が始まるか分からなかった。 アックティカとの戦いは、一旦の目途がついている。しかしそれは、今回の出陣で大将首だった宰相、この呼び方はもう相応しくないかしら……元公爵オードネンを打ち取ったからであり、決着がついた訳ではない。オードネンがいなくなった今、私の遠見は当てにならなかった。 私が知り得たのは、あくまでオードネンの周囲だけ。やり取りがあった人物も、絵姿で確認してみたけれど追う事はできていない。つまり、直接会わなければ、遠見の対象にはならないという事だ。 今度また戦が始まれば、私は役に立てないだろう。私に何ができるのか。そう考えて思い付いたのが、味方陣営との連絡役だ。これは今回の戦でもしていた事ではある。 殿下もいらっしゃる戦場の情報収集なら即時反映できるから、私は殿下の目を通して戦況を陛下に伝えていた。それに加えて、騎士達とも面通しすれば、見える範囲が広がり情報量も増える。 もしかしたら内通者を見つける事だって可能かもしれない。これは一度、陛下にご相談してみる価値があるだろう。 そのためには騎士団の方々とお会いしなくては。事前に準備しておけば、いざという時に慌てなくて済む。それに、騎士団には大勢の方々が所属していらっしゃるから、面談にも時間がかかるだろうし。 そうと決まればじっとはしていられない。今は軍議の最中だから、使いを出してお時間をいただかねば。すぐに手紙を|認《したた》め、ネフィへ指示を出すと、扉の外で見張りをしている騎士に伝えてくれた。遠ざかっていく小走りの足音を聞きながら、私は図書室へと向かう。 図書室には年代別に、王城へ従事している者の名鑑が収められている。殿下が私のためにと準備してくださった物だ。書物は手書きだから、書き写すだけでも膨大な仕事量になる。その上、装丁は|鞣《なめ》した革、紙も羊皮紙でとても高価だ。そんな写本が、私のためだけに集められた図書室は種類も
Last Updated: 2025-09-16
Chapter: 32 約束 和やかな空気の中、ネフィがお茶を用意してくれて、殿下と二人ソファに座る。その間も殿下の腕は腰に回されていて、一年という時間を埋めるようにぴったりとくっついていた。 待ち侘びていた人がすぐ傍にいる。それがこんなにも幸せな事だなんて、私は知らなかった。お父様やお母様、ネフィや他のメイド達。みんな大事な人ではあるけれど、やっぱり殿下は特別だ。 でも、ささやかな時間はそう長くない。満ち足りた空間を壊したのは、控えめに扉をノックする音。殿下が返事をすると、野太い声が返ってきた。「殿下、ご歓談中に申し訳ございません。間もなく軍議のお時間です。ご準備を」 その声には少しの焦りが見えた。たぶん、ぎりぎりまで待ってくれていたのだろう。殿下も素直に従い立ち上がると、私の左手を取って口づける。恒例になりつつあるこの仕草は、嬉しい反面、寂しさも連れくるのだった。 ――いつでも、傍に。 そんな想いが込められた口づけだから。でも今日からは違う。「それじゃ、リージュ。夜には帰るから、待ってて。一緒に夕食を食べよう。料理長も張り切っていたし、きっと御馳走だよ。ずっと味気ない野戦食だったから、すっごく楽しみ」 ふわりと微笑む殿下につられて、私も頬が緩む。「はい、お待ちしております。ずっと一人だったから、嬉しいです。殿下のお好きなトラウトのムニエルをメインにお願いしましょう。料理長がいつも言っていたのです。ムニエルの日は、とてもご機嫌だったって」 一年前は、夕食を共にする時間も少なかった。軍議や軍の編成、その他の|細々《こまごま》とした雑務に追われ、顔を合わせない日もあったほど。私も及ばずながら遠見で視た会話や風景から、あちらの戦力を|図《はか》り騎士団長へ伝えていた。 その中で、まだ知らない一面を料理長はあれこれと教えてくれる。この離宮の料理長は話し方も陽気な方で、敬意を払いつつも気安げな口調は親しみやすかった。なんでも以前は王宮の副料理長だったそうで、王家の方々の食の好みを把握し、采配するのは責任重大だという。時には毒見役が亡くなられる事もあり、その調査への協力も仕事のひとつだと言っていた。その結果、部下が捕えられた
Last Updated: 2025-09-15
Chapter: 31 甘い罰 我慢。 それは以前もよく仰っていた言葉。口付けを重ねる度、殿下は自分を抑えるようにそう繰り返していた。でも一年前はまだ姿も幼くて、ませた方だなと思っていたけれど。 今、私は蛇に睨まれた蛙のように動けずにいる。背も伸びて、艶を増した瞳は遠見では気付けなかった。いつも机に向かった状態で、視えるの上半身だけ。こんなに身長が伸びているとは思わなかったし、お顔はそれほど変わっていない。それに、目の前にいるからだろうか。息づかいや瞳に映る自分の姿に、言いようのない恐怖心が湧き上がる。「ダメだよリージュ。そんな顔したら、余計に食べたくなっちゃうでしょ? ︎︎それとも誘ってるの? ︎︎悪い子にはお仕置きが必要かな?」 ずいと顔を寄せる殿下を振りほどこうとするも、難なく|躱《かわ》されてしまう。殿下は優しく、でも強引に腰を抱くと、ドレスの襟を引っ張り喉元に唇を寄せた。ぞくりとした感覚が背中を走り、小さな痛みが刻まれる。 殿下はそれを満足そうに確かめると、鏡に写して私に見せた。そこには赤い花のような痣が浮きでている。長い指でなぞりながら、うっそりと呟いた。「ほら、見える? ︎︎君が僕のものっていう印だよ。初めてだけど、上手くいってよかった。白い肌に映えて綺麗だね。早くもっとつけたい。君の身体中、くまなく……」 腰を撫でる手が妖しく動き、徐々に登ってくる。慣れない状況に、私の頭は混乱していた。 逃げるべき? それともこのまま? 危うく胸元に到達しようとした時、ネフィの咳払いが止めてくれた。「殿下、そこまでです。ご自重ください」 慇懃無礼にそう言うネフィに、殿下は口を尖らせ抗議する。「ちぇ、もうちょっとだったのに。ネフィってば意地悪だな」 でもその声に棘はなく、気安い雰囲気だった。本気で咎めようという気は無いのだろう。ネフィも分かっているようで、同じく口を尖らせた。「あら、いざとなったら止めるように、と仰ったのは殿下ではございませんか。私はご命令に従ったまでですわ」 つんと澄まして、王族相手にも物怖じしない物言いでも、殿下は笑って
Last Updated: 2025-09-14
Chapter: 第36話 ファーストキス おそるおそる、私は校門から顔を出した。不審な動きをする私に、いつもなら声をかけてくれる人達も遠巻きに見ている。(先輩は……いない、よし!) ささっと校門から飛び出し、昇降口まで走る。 できるなら、今は先輩に会いたくはない。いや、会いたいけど、まだ心の準備ができていなかった。 思い浮かぶのは昨日の先輩の、瞳。『それとも、『俺』がいい?』 そう呟く先輩は、男を感じさせた。 カッと赤く染まる頬に、私は頭を振って熱を追い出した。 そして、昨日のことを思い出す。 昨日は眞鍋さんからの電話の最中に、みっともなく泣いてしまった。それでも眞鍋さんは、何度も相槌を打ちながらちゃんと話を聞いてくれる。その声音が優しくて、私は初めて友達ができたように感じたんだ。 今までは、親しくしてくれてもどこか壁を感じていた。でも、昨日の眞鍋さんにはそれがなくて、恥をかかせたといってもいい私に真摯に向き合ってくれる。 嫌いになったのではないか。 そう尋ねる私に、眞鍋さんは『逆にサッパリした』と笑う。 あの後、数人の生徒が直接謝りに来たらしい。『ごめん』と頭を下げる生徒に、眞鍋さんは笑顔で『一昨日きやがれ』と追い返した、そう自慢げに言う。 知らない眞鍋さんの一面に、私も自然と頬が緩んで声を上げて笑ってしまった。 眞鍋さんも一緒に笑って、本当に楽しい時間だった。 そして今日、先輩に会う勇気が出なかった私は逃げの一手に出る。もう昇降口は目前だ。(いける……!) そのままの勢いで靴箱に向かうと、そこには仁王立ちした先輩の姿が。 私は寸でのところで急ブレーキをかけ、呆然とその姿を見つめる。「凜ちゃん、おはよう!」 笑顔のはずなのに、何故か冷や汗が止まらない。 言い淀む私に、先輩がずいっと顔を近づけた。「昨日はいきなり帰っちゃうんだもん。ボク、心配してたんだよ?」 その表情はいつもの可愛い先輩だ。でも、目が笑っていなかった。
Last Updated: 2025-09-19
Chapter: 第35話 友人 私はなんとか家に辿り着き、力なく『ただいま』と室内に声をかけた。すると、奥からお母さんがパタパタとやってくる、いつもの風景だ。「凜くん、おかえり~」 その声を聞いて、私はほっと胸を撫でおろす。安心したからじゃない、お母さんの機嫌がよかったから。「聞いてよ凜くん、お隣の佐藤さんがね、凜くんを褒めてくれたの!」 ぱあっと花が咲くように笑うお母さん。私は曖昧に頷き、宿題があるからと部屋へ向かった。「もうすぐ夕ご飯だからね~」 そんなお母さんに、なんだか罪悪感が募る。(別に、私が悪い訳じゃないし……!) だけど、先輩のあの目を思い出すと、ぞくりとした何かが這い上がってくるようで、私は怖くなってきてしまう。ドキドキと、心臓がうるさいくらいに鳴って、私は呼吸さえままならない。(走ってきたから……そう、そうに決まってる……) 鞄を雑に投げ出してベッドに倒れ込むと、言い訳ばかりが浮かんできた。そんなものじゃないことくらい、分かってるのに。 ベッドで丸くなって呼吸を整えていると、不意にスマホが鳴った。立ち上がるのも億劫だったけど、もしかしたら部活の連絡かもしれないし、私は溜息を吐きながら、鞄に手を突っ込む。(あれ……眞鍋さん……?) どうしたのかと出てみると、いきなり眞鍋さんの声が耳を|劈《つんざ》く。「ちょっと! 凜くん無事!?」 思わずスマホを耳から離すと、私の名前を連呼する、でも心配そうな声が聞こえた。「眞鍋さん、落ち着いて。どうしたの? 無事って……私のこと?」 尋ねる私に、眞鍋さんは勢いよく『当たり前!』と叫んだ。「だから落ち着いて! 耳が痛いよ……」 苦情を告げると、仕方がないなぁとスマホの向こうで溜息が聞こえた。『あのね! 今日、なんかすごい走って帰ってたよね? それ見て不安になっちゃったんだ……私、瀬戸先輩に凜くんはどこだって聞かれたの』 思いがけない言葉に私はギョッとした。今まさに先輩のことで胸が大騒ぎなのだから。
Last Updated: 2025-09-16
Chapter: 第34話 離脱 『俺』と『ボク』 どっちかなんて、選べるはずない。 だって、どちらも先輩なんだもの。「ねぇ、凜ちゃん。昔した約束、覚えてる? お嫁さんになってくれるって、約束したよね?」 ずいっと顔を近づけてくる先輩は、私の心を見透かすように瞳を覗く。「あの、それは……」 覚えている、というか、さっき思い出したんだけど。 幼稚園の頃、私は同じクラスの男の子に『男女』と呼ばれ、からかわれていて、よく泣きながら校庭の隅に座り込んでいた。それを見たゆうちゃんが傍で慰めながら『お嫁さんになって』と笑いかけてくれていたんだ。 私は『うん』と応えていたけど、意味が分かっていなかったのが実情で……。 冷や汗を流しながら視線を逸らす私に、先輩は目を細め、ずいっと顔を近づける。「本気にしてなかったみたいだな……」 その額には、うっすらと血管が浮き上がっているような……。 でも先輩は、ふぅっと肩の力を抜き少しの距離を取る。「ま、いいや。これから挽回すればいいだけだし」 そう言いながら指を絡め、薬指をなぞった。「指輪、買わないとな……あーでも生活指導に取り上げられるか。ネックレスに通せばイケるか……?」 ぶつぶつと呟く先輩に、この機を逃せば逃げられないと悟った私は、勢いよく万歳をして先輩の手を振りほどくと脱兎のごとく駆けだした。 先輩がどんな顔をしているかなんて気にする余裕もない。 必死に商店街を走り抜ける。 道行く人々が何事かと振り返り、中には部活の後輩もいて、私を指さし『何やってんすか!?』と声が投げられた。 それにも構わず、私はひた走る。 だけど――。「なんで逃げるんだよ!?」 まさかのまさか。 先輩は猛烈な速さで迫ってくるではないか!「いやぁぁぁっ! なんで追いかけてくるんですか!?」 剣道部は足が基本。走り込みで鍛えたその足に、先輩は易々と追いついてきた。「ふざ
Last Updated: 2025-09-12
Chapter: 第33話 捕獲「な、ななななんで、そんな」 先輩の真剣な瞳に射抜かれ、私は動揺を隠せずにテンパっていた。だって、いきなり『惹かれていた』なんて言われたこともないし、こんなシチュエーションも初めてなのに。 及び腰になる私に対し、先輩はしっかりと手を繋いで、あどけなさの中に異様な色気を滲ませて迫ってきた。「逃げちゃダメだよ、ちゃんと聞いて」 手を振りほどこうにも、小柄な体からは想像の付かない力で優しく拘束される。私の方が10cmは身長が高いにも関わらず、逃げ出すことができない。「ボクね、幼稚園の頃から凜ちゃんが好きだった。でも、ちょっとした行き違いがあって、忘れてたのが悔しいよ。覚えていたら『オウジサマ』なんて呼ばせない、凜ちゃんはボクのお姫様だもの」 その声は低く響き、私を捕えていく。「今もね、思い出したらいてもたってもいられなくて、凜ちゃんを探してたんだ。アイツらにも協力してもらおうとしてたところに凜ちゃんが現れるんだから驚いちゃった」 言葉遣いこそ可愛らしいけど、なぜか少し怖い。「あ、あの、先輩……どうしたんですか? らしくないって言うか。手も、こういうのは慣れていなくて、ですね」 冷や汗をかきながら、なんとかこの危うい雰囲気を壊そうと試みる。でも、それとは逆に、先輩は更に指を絡めてきた。(これは……何と言うか、くすぐったいし、恥ずかしい……) 周囲に視線もどこか変わってきたように感じる。 私は今まで好意を寄せられることはあっても、男女の仲に発展したことがなかった。告白もされたことがない。だから、こういう時どうすればいいのか、全く分からず、挙動不審になってしまう。「凜
Last Updated: 2025-09-05
Chapter: 第32話 逢瀬 商店街を行く人々の視線が、チラホラと私達に向けられているのが分かる。こんなに人が多い所で話し込んでいたら気になるのも当然だ。 ただでさえ夕方の商店街は人が多く、年齢層も幅広い。買い物に来ているのだろう主婦や、学校帰りの学生は、これから塾があるのかもしれない。少しずつ、会社帰りと思われるスーツ姿の人も増えてきた。 でも、私の意識は目の前の先輩に注がれている。何か言いたげな先輩は、私の手を取るとポツリと呟いた。「凜ちゃん、かっこよくなったよね。昔は泣いてばかりだったのに」 そう言って笑う。 (え? 昔って……) まさか、と目を見開く私に、先輩はずいっと顔を近づけてきた。「ゆうちゃん」 その一言に、私は呼吸が止まる。(そんな……都合がいいこと、ある訳が……) 私は心のどこかで、ゆうちゃんが先輩ならいいのにと思っていた。だって、私はゆうちゃんが好きだったから。 だから、先輩がゆうちゃんであってほしいと思ったんだ。「保健室で凜ちゃんが寝てるとき、ずっと呼んでたんだよ。覚えてる?」 確かにあの時、ゆうちゃんのことを思い出していた。でもまさか寝言を言っていたなんて……しかも聞かれてしまったのは恥ずかしすぎる。 羞恥心で顔が熱くなるのが分かり、私は俯いてしまう。「顔真っ赤」 からかうように覗き込んでくる先輩だけど、その瞳は柔らかく細められていた。その視線から逃げるようにして、顔を背けると、しつこく追いかけてくる。「な、なんなんですか!? 先輩には関係ないでしょう!?」 むきになって、つい思ってもいないことを口走ってしまった。その言葉を待っていたと言わんばかりに先輩は胸を張る。「関係あるよ! だって、ボクがゆうちゃんだもん」 ついに、先輩が確信を突いた。それは望んでいた答え。 でも――。「先輩が……ゆうちゃん……? それなら、何故言ってくれなかったんですか? 私もさっき思い出したばかりだから、文句は言えませんけど……教えてくれてもいいじゃないですか」 そう問いかけると、先輩は眉を垂れて申し訳なさそうに応える。「うん、ボクもさっき思い出したんだ。凜ちゃんが教室に帰った後、ボクも倒れちゃって。凜ちゃんが言ってた『ゆうちゃん』がきっかけだよ」 先輩も、思い出した――?「ボクさ、幼稚園でのこと、丸っと忘れてたんだ。だから凜ちゃんにも
Last Updated: 2025-09-02
Chapter: 第31話 顔第31話 慌ただしく去っていった彼らに目もくれず、先輩は私だけを見ていた。「……驚いた、よね? ボクの本性が、あんなだって……」 眉を垂れる姿は、いつもの先輩だ。唇を噛みしめる表情は、沈み始めた夕日に照らされ悲壮感を増している。とてもさっきまで乱暴な言葉を吐いていた人と同一人物だとは思えない。 私が知っているのは、可愛くて、優しくて、でもどことなく陰を感じる、そんな先輩だ。まだ出会って2日、その正体が、なんとなく分かった気がする。 だけど、それを知ってもなお、私は先輩を疑っていない。本性だなんて言っているけど、それだって先輩の一部だ。人は相手によって態度を変える。それは悪いことではなくて、使い分けているだけ。 友人に対する顔。 先生に対する顔。 家族に対する顔。 全部ひっくるめて、ひとりの人間なんだ。 私は、先輩を通してそれを知った。 今まで当たり前だと思っていた『王子様』という役割は、私の心ひとつでどうにでもなるんだって。 求められる『王子様』を演じなければ、いつもお母さんは私を怒鳴りつけた。ヒステリックに泣き叫んで、物に当たり散らす。その様子は、幼心にトラウマを植え付けるには十分だった。 だけど、それよりも、上手くできた時のお母さんの笑顔が好きだったんだ。ぎゅって抱きしめて、『私の王子様』って、すごく嬉しそうに笑う、その顔が。 他の子もそう。 私を『凜くん』と呼ぶ眞鍋さんは、すごく可愛かった。だから、私が我慢すればそれでいいと思ってたんだ。
Last Updated: 2025-08-29
Chapter: 最後の砦 掌に乗せられた黒い箱。 その意味は私もよく知っている。 にこやかに笑っている岬くんは、自分のネックレスを外し、改めて私から奪った物を首にかけた。「似合う?」 指でつまんで、可愛らしく首を傾げる岬くん。「……いやいや! 似合うも何も、さっきと同じものでしょ!?」 思わず叫ぶ私に対しても、岬くんはぶれなかった。「えー、違うよ。ただのおまけと、君からもらった物では天と地ほどの大違い。ヒュディシェリを描いてる君なら、分かってくれると思うんだけど?」 そう言われて、私はぐうっと唸る。 あの名場面を知っているだけに、分からないなんて言える訳ないじゃない。いつか私もこんな素敵なプロポーズされたいな、なんて思ってもいたし。 だけどさぁ!? 今のやり取りにロマンチックな雰囲気なんてまるでなし! もらった~なんて言ってるけど、不意打ちでかっさらっただけでしょ!? じとっとした視線で睨みつける私を無視して、岬くんは元のネックレスを用済みとばかりに鞄に投げ込んだ。それとは反対に、赤い空き箱を大事そうに紙の手提げ袋に入れる。 それを見て、私はまた悲鳴を上げてしまった。「ちょっ! それ私の……!」 なんと岬くんの手には私が描いたヒュディシェリのイラストが、これでもかというほどデカデカと印刷された紙バッグがあるではないか。 私は普段小説を書いているけど、大きなイベントがある時にはイラストも描いていた。「確かこれって、今年のヒュディシェリ記念日に描いたやつ……!」 評判は良かったけど投稿サイトに上げただけで、紙バッグなんてグッズは作ってないはず。慌てる私を、岬くんはにこやかに眺める。「そうだよ? すごく好きなんだ、このイラスト。2人の気持ちがこもってるって言うか……あ、2次販売とかはしてないから安心してね?」 いや、問題はそこじゃないって。 もうここまできたら感心してしまう。 なんと言うか、私を好きだと言ったのも、キスしたのも、もしかしてヒュディシェリを模倣したものではないかと疑ってしまうのは仕方がないだろう。(うん、その方がしっくりくるわ。クラスカースト上位の岬くんが私を好きなんてナイナイ) 妙に納得している私に、岬くんはすかさず突っ込んだ。「違うからね?」 まるで心を読まれたようで、びくりと肩が跳ねる。「やっぱり。きっとただのファンだと
Last Updated: 2025-09-04
Chapter: 絆石 思った通り。 笹塚さんは俺を見るなり固まった。 その視線は、俺の首元に釘付けだ。 そこにあるのは、数量限定で作られたヒュディとシェリア姫の絆石。これは原作でも登場するキーアイテムで、不器用なヒュディがシェリア姫へ贈る、想いの詰まった石だ。 告知されてすぐ、笹塚さんなら購入するだろうと思って、俺も注文した。ペアセット販売だから、俺の元にも、今笹塚さんの胸元に輝くペンダントがある。「な、なんで……それ」 笹塚さんはもちろん意味を知っているから、俺の赤い石に戸惑っていた。「なんでって……黒薔薇が好きなら買うでしょ」 俺はさも当然という顔をして、笹塚さんの様子を探った。 黒薔薇とは、ヒュディ×シェリア姫のカップル名だ。2人のイメージカラーから作られたらしい。 ヒュディは黒い髪と軍服、シェリア姫は赤、そして薔薇を模したドレスを身にまとっている。黒薔薇は、まさに2人を表すのに相応しいものと言えるだろう。 笹塚さんも、当然知っている。同人誌まで作るくらい熱心なファンなんだから。 まだ状況が飲み込めないのか、口をパクパクさせる笹塚さんに、俺は更に追い込みをかける。「笹塚さん、シェリア姫の石も持ってるよね?」 セット販売だから当たり前だけど、わざと強調しながら問いかける。笹塚さんはコクりと頷くけど、その表情は疑問符だらけだ。「悪いんだけど、ちょっと見せてくれる?」 そう聞くと、少し戸惑いながらも自室へと戻って行った。 数分もしないうちに再び降りてきた笹塚さんは、赤い箱に入った石を見せてくれる。俺はすかさずそれを奪い取り、代わりに黒い箱を柔らかそうな掌に乗せた。「え、は?」 自分の手と俺を交互に見る笹塚さんは、とても可愛い。このまま持って帰りたい気持ちを押さえつけて、俺は口を開いた。「絆石の交換。もちろん、意味、分かるよね?」 ヒュディが石を渡すのは、プロポーズのシーンだ。 主人公に負け続けるヒュディは、とうとう追い詰められ、命の危機に晒される。『シェリア、お前は逃げろ。お前さえ生きていれば、俺達の勝ちだ』 ヒュディは、自国のために戦っていた。魔族だと迫害を受け、簡単に狩られる同胞達。シェリア姫は王の一人娘であり、自国の希望だった。 劣勢に陥ったヒュディは、王女であるシェリアだけでも逃がそうとしたんだ。『いいえ、私は貴方と共に生きま
Last Updated: 2025-07-25
Chapter: アニメじゃない 悔しい。 昨日から岬くんに振り回されっぱなしだ。 今日なんていきなり家まで来て、結婚!? 私達まだ高校生でしょ!? お母さん達までまきこんで、一体何を考えてえんだろう。 私はこの年まで、恋愛の経験がない。告白されたこともないし、告白したこともないのに。 憧れはある。少女漫画のように、熱烈に好意を寄せられ、強引だけど甘く求められるような……あれ? 今、まさにその状態なのでは?「なってくれるよね? 岬 美希に」 髪にするりと指を絡め、囁く岬くんの声に、胸がキュッと鳴る。横で奇声を上げるお母さんのお陰で、流されずに済んだのは不幸中の幸いかもしれない。「あ、あのねぇ!」 私がなんとかこの状況を抜け出そうと試みると、さっきまでの色気はどこへやら。岬くんがにこりと年相応の笑顔で言う。「そろそろ準備した方がいいんじゃない? もう8時過ぎたよ。参戦服なら時間かかるでしょ?」 ハッとして時計に目をやると、もう8時10分を回ろうとしている。会場は家からバスで20分ほどかかるから、8時30分には出ないと、本当に時間がない。 サークル入場は一般開場から余裕があるけど、スペースの設営には意外と時間がかかる。お隣さんへの挨拶もるし、仲のいいサークルに差し入れもしたい。 でも、この場に岬くんだけ置いていくのは危険なのでは!? 時計と岬くんを交互に見ながら若干パニックに陥っていると、岬くんが更に急かしてきた。「ほらほら早く。僕も設営手伝うし、売り子もするか
Last Updated: 2025-06-20
Chapter: 妻問い 叫び声を上げながら固まったお義父さんと、頬を染めキャーキャー騒ぐお義母さん。 どっちも笹塚さんに似ていて面白い。俺にとっては笹塚さんが最優先であり、物事の基準だ。笹塚さんがご両親に似ているという感情は湧かない。 それを眺めていたら、ドタバタと音を立てて笹塚さんがリビングに飛び込んできた。その姿を見て、俺は目を細める。(はい、アウト) その姿は、さっきのキャミソールとホットパンツの上からロンTを被っただけのもので、まるでそれしか着ていないような錯覚を起こす。普段はデフォルトの制服で隠されている素足は程よく肉付き、劣情を抱かせるには十分だ。「ねぇねぇ、美希。今から式場押さえちゃう? 和装もいいけど、やっぱりドレスよね~、岬くんはどうかしら?」 疼く下腹部から意識を逸らし、お義母さんに相槌を打つ。「そうですね、美希さんならどちらも似合うと思います。素敵な式にしたいですね」 実の所、既に貯金を始めている。中学の時に笹塚さんを知ってから、毎年のお年玉は全額貯金。高校に入ってからはバイトも始めた。それも全ては笹塚さんを手に入れるため。 笹塚さんが望む式を挙げたいし、家も準備したい。そして創作を楽しめる時間を作れるよう、専業主婦にしてあげたい。家事なんてそれなりでいいし、なんなら俺が全部やる。 俺は笹塚さんと生涯を共にできれば、それだけで満足だ。 それにはまだまだ足りないんだから、もっと頑張らねば。大学も、もう決めている。ゆくゆくは起業も考えているから、経済学部を選んだ。起業すれば、笹塚さんとの時間も捻出しやすくなるし、何より楽をさせてあげられる。 そのためには、成功できるだけの実力が必要だ。笹塚さんとの生活をより良くするため、俺はどんな努力も厭わなかった。 お母さんから結婚の話しを聞いた笹塚さんは、赤くなったり青くなったり、表情をクルクルと変えている。そういう所も可愛いと思えるのだから、本当に厄介だ。「ちょ、ちょっと岬くん!? お母さん達に何に言って……け、結婚て、気が早すぎるでしょ!?」 俺に文句を投げつけるその表情も、可愛くて、愛おしくて、そして美味そうだ。「え~、俺、昨日言ったよ? 幸せなお嫁さんにするって。聞いてなかったの?」 少しむくれて言えば、笹塚さんは面白いように慌てている。「なってくれるよね? 岬 美希に」 長い黒髪
Last Updated: 2025-05-21
Chapter: 先ず馬を射よ 階下から聞こえてきた叫び声に、びくりと肩が跳ねた。(な、なに!?) お父さんの怒号にも似た叫びと、お母さんの黄色い声に困惑しながらも、手近にあったロンTを被りリビングに向かう。(まさか、岬くん変な事言ってないよね!?) 同人誌即売会での奇行は、私に危機感を持たせるのに十分だった。たぶん、私や家族に危害を加える事はしないと思う。でも、どういった行動に出るのかが読めない。 昨日はオタク全開の服装だったのに、今日はしっかりキメて来ているし、それにあの言葉。 ――それとも、誘ってる? 思い出すだけで顔が熱くなる。 もしそんな事をお父さん達に言っていたら、恥ずかしくて死ねる。その点については、岬くんの信用はゼロに近かった。 学校ではそんな素振りした事もないのに、あの公開告白の後からは攻めの姿勢を崩さない。実を言えば、ブースに居座った岬くんはずっと私の手を握っていたのだ。机の下で指を絡め、お客さんが途切れたらじっと見つめてくる。 そして何度も呟くのだ。「はぁ……笹塚さん、可愛い。もう1回キスしいい?」 私はその度に冷や汗を流していた。陰キャのカースト底辺として生きてきたのに、そんな経験ある訳ないじゃい。なのに岬くんは手を緩めない。 帰り際にバス停で別れた時も、隙をついて額にキスされてしまった。真っ赤になって怒る私にも、岬くんは喜ぶ始末。 だからこそ、今両親に対して何を事を口走っているのか、考えるだけでも恐ろしくなってしまう。 バタバタと階段を下りて、リビングのドアを開く。 そこには立ち上がった姿勢のまま固まるお父さんと、頬を染めキャーキャーとはしゃぐお母さんがいた。その正面には岬くんが笑顔をたたえ、静かに座っている。「何、どうしたの!? さっきの叫び声って何!?」 そこでやっと私に気付いたお母さんが、こちらを見ながらにこやかに言った。「あ、美希ったら、こんなにカッコいい彼氏がいるなんて聞いてないわよ~? こんな子が息子になってくれるなんて、お母さん嬉しい!」 今、なんて言った……? 彼氏は分かる。だって実際に岬くんに告白されて、流されるようにではあるけど、彼氏彼女になったから。 でも、息子って? ゆっくり視線を向けると、岬くんはにんまりと笑う。「そういう事だから、今後ともよろしくね。美希さん」 その一言でハッとした。(外堀
Last Updated: 2025-05-06
Chapter: 将を射んと欲すれば バタバタと階段を駆けあがる笹塚さんの後姿は可愛らしく、緩む頬を何とか押しとどめて冷静を装った。『白い何か』がチラリと見えたからだ。「美希? どうしたの、うるさいよ~」 そう言って顔を出したのは、笹塚さんのお母さん。まだ若く、姉妹と言われても納得できそうだ。玄関に立つ俺に気付くと、少しびっくりして口を押さえる。「あ、あら、お客さんだったのね。えっと……」 口籠るお母さんに、俺は優等生ぶって頭を下げた。「早朝からお騒がせしてしまって申し訳ありません。昨日から美希さんとお付き合いさせていただいています、岬涼です。今日も一緒に出掛ける約束をしていたので、迎えに来ました。ついでと言ってはなんですが、ご両親にもご挨拶させていただければと」 お義母さんは聞かされていなかったのか、更に驚いていた。慌てて引っ込むと、今度はお義父さんを連れて現れる。「き、君が……美希と……? なんと言うか、随分とカッコいい子だね……」 今日はヒュディ仕様だから、タイプの違いに猜疑的なのかもしれない。笹塚さんは真面目な委員長タイプだ。俺は警戒を解くように、柔らかく微笑みながら落としにかかる。「はじめましてお義父さん、岬涼です。急な事で驚かせてしまったかもしれませんが、僕は美希さんをずっと好きだったんです。やっと昨日告白して、受け入れてもらえました。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」 深く頭を下げると、2人が慌てる様子が伝わってくる。いささか高校生にしては丁寧すぎる言葉使いも、隙を生むには好都合。両親と良好な関係が築けるに越した事は無いが、俺にとっては将を射るための馬に過ぎない。 笹塚さんは一見大人しいから、俺みたいなのが来たのも意外だったのだろう。俺が知る限り、笹塚さんは今まで彼氏がいなかった。正真正銘、俺が初カレだ。素のままで来てもよかったけど、第一印象は大事だからね。身なりには気を付けないと。 顔を上げると、2人はぎこちない笑みを浮かべながらも、俺を室内に案内してくれた。リビングのソファに座ると、お義母さんがお茶を出してくれる。「ごめんなさいね。そうとは知らずに、あんなだらしない恰好で出させてしまって。美希ったら水臭いわ。こんなイケメンが彼氏なんて、教えてくれてもいいのに。ね、お父さん」 話を振られたお義父さんは、しかめっ面で俺を値踏みしている。これも想定
Last Updated: 2025-04-23