玄関側に回ると、オークの姉さんが笑顔で手を振っていた。
「こんちは、調子はどう?」 わたしも自然と笑顔になれた。 「おかげさまで、なんかスッキリです」 オーク姉さんは、おなじみの荷車から小包をひとつ取り出しながら、「まずはいつものね」と言った。 「伯爵も懲りない人よねえ」 まとめて送り返したのに、また吸血鬼からのプレゼントだ。 「すみません、今日から受け取り拒否で……」と、わたしはサインしながら、申し訳なくて口をへの字にした。 「でも持ってきてもらってこれだと、お姉さんもストレスになるでしょ……」 オーク姉さんは笑ってくれる 「そんなことないよ、ちゃんと料金は向こうから発生しているからね。そこはご心配なく」 そして彼女は、「で、今日はもう一つあるのね」と、一通の封筒を取り出した。 受け取った封筒の裏面に、わたしの目は思わず輝いた。 差出人に、〝フクロウの森のマヌル〟とある。 やっぱり、マヌルの返事だ!…… 姉さんは、「よかったわね!」と、満面の笑みを残して荷車を引き、去っていった。 * * * 裏庭の湖が、きらきらと揺れている。 縁側のテラスで、わたしは左右を見回し、背後まで確認し、念のため見上げて軒先をチェックする。コウモリもいない。 ──よし。 そして、封筒を手に、ハサミを握る。 マヌルさんが書いたのであろう文字で、〝睡蓮の湖の相川〟と宛先がしてある。字を見つめているだけで、なんだが胸が波立つ。わたしも頭にタオルを巻いて、天袋の隙間に入っていく。 ヒコさんが手を引いてくれた。 屋根裏は、ランタンモードに切り替えた彼の懐中電灯が、ぽうっと全体的に照らしている。 埃っぽいかと思っていたが、それほどでもない。 むしろ空気が冷たい。 時間が止まっていた空間の匂いだ。 アトリエとも違う、人がそもそも入らない空間の、眠っていたようなにおいだ。 アオを肩に乗せ、懐中電灯を手に、わたしはヒコの指さす先に光を向けた。 梁の上を、電気の配線が走っている。「……危険な箇所って、あの配線のこと?」「うん。黒い配線の真ん中あたりを見てみて」 私は目を凝らした。「カバーが破れてるだろ」 ヒコの声が、いつになく低く、真剣だ。 言われてよく見ると、太めの配線の黒いビニール外装《カバー》が、ほつれたようにあちこちで剥がれている。 中から赤色っぽい金属の反射が覗いている。「あそこで銅線が剥き出しになっているんだ」「──どうして…… 勝手に、電気コードが破れることなんてある?」 なんか怖い。それこそ誰かが屋根裏に忍びこんで、配線のカバーを剥いていったなんて思ったら、寒気がしてきた。「……まさか、コウモリが?」 つぶやくと、ヒコさんが言った。「いや。ネズミが齧《かじ》ったんだと思う」 わたしは思わず反芻する。「ネズミ!?」「そう。ネズミが前歯でかじったんだよ。あいつら歯が伸びるだろ。だから伸びすぎると、柱だって壁だって、なんでも齧るんだ。ムズムズしてさ」「だからって……配線までかじるものなの?」 普通にビリッてしないのかな……「するかもねぇ。でもアイツらには木も枝も電線も関係ないからなぁ……。──あとほら、こんどは上を
点呼をとる声が、和室に響く。「番号、イチ!」「にっ!」 ヒコさんとアオだ。(ふたりしか居ないのに、点呼、いる?)「持ち物確認! 懐中電灯、ヨシッ!「お菓子、ヨシ!」 おやつ持ってくんかい…… ついつい平たい目で突っ込んでいるけれど、男の子って楽しそうよね……。 と言うのも、このふたり、これから天井裏に大冒険なのだが、いい大人と子供が目を輝かせながら押入れの天袋へとよじ登っていくその背中を、わたしはお尻のポケットに気になる手紙を入れたまま見送った。(……やっと読める) そう内心で思っているものの、彼らは別に遊びにだけ行くわけじゃない。 屋根に穴が開いているかもしれず、チェックに行ってくれるのだ。「いってらっしゃい、ご安全に〜!」 いちおう、それっぽく、笑顔で手を振る。 ずらした板の中へと、ふたりは屋根裏に消えていった。 ──さて。 ……わたしは息を吐き、いそいそと、さっきお尻のポケットにねじ込んだ封筒を取り出す。子供が寝た後に、って感じだ。(ああ、もう、ドキドキする!) 縁側テラスに小走りする。 湖の上では、空が晴れ渡り、わたしは封筒を鼻先をあてる。 ヒコさんじゃないけれど、森の匂いに、マヌルの背中が思い浮かぶ。 ほのかな心音のぬくもりに、浸っていたかった。 だが、そこに、あのヒコの顔が重なる。「──!」 うっかりまた心臓が跳ね上がった。 淡い封筒からの波長を、犬の濡れた鼻先が上書きしてしまったようだ。 廊下の壁に手をついて、うなだれる。 動悸が止まらない。 ──くそう、あの無自覚イケメン犬め……! 距離感バグってるヒコの、目を閉じたあの顔が
玄関側に回ると、オークの姉さんが笑顔で手を振っていた。 「こんちは、調子はどう?」 わたしも自然と笑顔になれた。 「おかげさまで、なんかスッキリです」 オーク姉さんは、おなじみの荷車から小包をひとつ取り出しながら、「まずはいつものね」と言った。 「伯爵も懲りない人よねえ」 まとめて送り返したのに、また吸血鬼からのプレゼントだ。 「すみません、今日から受け取り拒否で……」と、わたしはサインしながら、申し訳なくて口をへの字にした。 「でも持ってきてもらってこれだと、お姉さんもストレスになるでしょ……」 オーク姉さんは笑ってくれる 「そんなことないよ、ちゃんと料金は向こうから発生しているからね。そこはご心配なく」 そして彼女は、「で、今日はもう一つあるのね」と、一通の封筒を取り出した。 受け取った封筒の裏面に、わたしの目は思わず輝いた。 差出人に、〝フクロウの森のマヌル〟とある。 やっぱり、マヌルの返事だ!…… 姉さんは、「よかったわね!」と、満面の笑みを残して荷車を引き、去っていった。 * * * 裏庭の湖が、きらきらと揺れている。 縁側のテラスで、わたしは左右を見回し、背後まで確認し、念のため見上げて軒先をチェックする。コウモリもいない。 ──よし。 そして、封筒を手に、ハサミを握る。 マヌルさんが書いたのであろう文字で、〝睡蓮の湖の相川〟と宛先がしてある。字を見つめているだけで、なんだが胸が波立つ。
──翌日、昼過ぎ。 ぽかぽかとした春の光の中で、ヒコさんが訪ねてきた。 彼は、わたしがテラスでチラシの裏に落書きをしていることに驚いた。 「……絵、描けるようになったの?!」 わたしは、はにかんだ。絵というほどのものではないけれど…… 「えへへ、そうなんですよ」 描いていたのは、昨夜のアオがコウモリに食いつこうとした顛末の四コマ漫画だ。 線もヨレヨレだし、下書きも無しの一発描きで、楽しいから描いただけのものだ。 「──ははは! たしかにあいつ、コウモリとか食べそうだ」 でも、ヒコさんには、このとおり好評で良かった。 チャリン……、と、懐のポケットでアプリの通知音がした。 そう。わたしは発見したのだ。こんなラクガキでも正のエネルギーが貯まるのだと言うことを……! 「面白かったよ、また描いたら見せてね」 すると、チャリン……と、またスマホが鳴った。 「なんの音?」と、ヒコさんは興味深そうだった。 「ええと…… なんていうか、仕事、みたいなものかな?」 わたしは誤魔化した。 それにしても、四コマでも人に絵を見せたからポイントが加算になったのだろうか。わたしは少し考え込んだ。……いや、反応が返ってきたことに、わたしの心が嬉しかったからだろうか。 わたしの横で、ちょっと離れてヒコさんがあくびをしながら、「おれも座っていい?」と、縁側に腰掛けた。 「朝から王都に仕事行ってきた帰りなんだ」 「大工さんのお仕事?」 「んにゃ。きょうは魔王さまの王宮で、庭師さ」 ……とっさにピンと来なくて、私
今夜は、サラダと煮っ転がし。 ヒコさんにも食べていけばと誘ったが、なんだか明日は早いらしい。 ものすごく残念そうに、肩と尻尾を落として帰って行った。 だから今夜は簡単に、タコをサトイモと煮た。 魔界にも醤油があるのが微妙に嬉しい。 わたしはエプロンをかけ、トマトを切っている。 こうして、夕暮れどきに夕飯を作る生活にも、だいぶ慣れてきた。 時計を見るとまだ十八時。 社畜だった頃は、この時間だと、追加の残業が降ってくることにイライラしていたはずだ。 背後では、アオが塗り絵をしている。 クレパスがテーブルの上でカツカツと踊る音がしている。 「それで、絵葉書にはなんて書いたのさ?」 「んー、なんてことは書いてないよ。今度はうちに遊びにきてください。一緒に湖を見ましょう、って」 それでダメなら、何を言ってももうダメってことだろう。 レタスを洗いながら、わたしは答える。 アオが手を止めて、ちょっとためるように言った。 「……一緒に、って、ぼくもいっしょにってことだよね?」 かわいいけど、めんどくさいスライムだな…… わたしはレタスの葉をちぎりながら言った。 「まぁ、そういうことになるね。でもお利口さんにするんだよ」 アオは勝ち誇ったような顔をしてるんだろうな。 言わなくても分かる。クレパスの音が楽しそうに変化している。
和室にちゃぶ台を出し、マヌルさん宛の手紙を書きはじめた。 けれども、どうにも文章が堅い。というか、手癖のせいで――なんだかビジネスメールみたいになってしまう。 お世話になっております…… とか書いちゃってるし。 「──だめだな、こりゃ」 はぁ、とため息をつきながら便箋をくしゃりと丸めて、大の字に寝転がる。 天井の染みに目をとめて、ぼんやりと考えた。 最後にプライベートな手紙を書いたのは、いつのことだろう。たぶん、学生のころか。それこそ十年以上前の話だ。 喧嘩をして、しばらく電話に出なかったとき、ハルトから封筒で手紙が届いた。 何日か開けなかったけど、机の片隅に置いたきり、それは心のどこかにずっとあった。 学校で絵を描いている時も、バイトをしている時も。 一週間ほどして、気も晴れてしまったのか、休みの日に封を切ったら便箋に三枚の手紙が入っていた。 小学校のときと変わらないハルトの字に、ちょっとほっとして、電話をかけたっけ。 わたしは畳に体を起こした。 やっぱり手紙は良いな。 面とむかって言えないことも、心をこめて書ける。 ちょっと休憩でもしようと立ち上がった。 廊下に出て、台所へ向かう。 その途中、ふと窓の外に湖が見えて、わたしは足を止めた。