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第543話

Author: 栄子
星羅は一瞬、固まった。

「初めて安人に会った日、あの子は小さくて痩せていて、顔立ちは整っていた。だけど、生まれつき体が弱かったせいか、顔色は青白く、漆黒の瞳でじっと見つめる視線はどこかぼんやりとしていた。

その瞳に映る私自身の姿を見て、胸が締め付けられた。あの子が私の子供だとは、その時はまだ知らなかったけれど、あの時のあの子の姿は、今でも鮮明に覚えている」

星羅もそれを聞いて、胸が締め付けられる思いだった。

「初めて会った時、安人は私と優希にすぐに懐いてくれた」綾は少し間を置いてから、続けた。「だけど誠也には最初の頃は懐かなかったのよ。その後、岡崎さんとK国に安人を迎えに行った時、あの子は誠也にとても懐いて、信頼していた。それは私への信頼感を遥かに超えてた」

「血の繋がりって、不思議なものだよね?」星羅は腕に抱いた蒼空を見下ろしながら言った。「この子は生後1ヶ月の頃、本当に手がかかったの。誰に抱っこされてもダメで、丈じゃないと泣き止まなかった。丈はあの時、まるまる1ヶ月ほとんど毎晩抱っこして寝かしつけていたの」

蒼空は母親の腕の中で目をパチパチさせ、何かを言いたげに声をあげた。まるで、母親の言葉に同意しているようだった。

綾は蒼空の愛らしい姿を見ながら、息子への申し訳ない気持ちで胸が一杯になった。

安人の幼い頃を、彼女は何も知らなかった。

その思いは、いつしか彼女の心に深く根づいてしまい、誠也が安人に注ぐ愛情を素直に受け入れられなかった一因にもなったのだ。

今でも、思い返すと、綾は辛い気持ちになるのだ。

「北城に戻ってきてから、安人はほとんど誠也と一緒に過ごしていた。そして会いに行く度に、あの子は成長していた。星羅、誠也はきっと、安人に必要な安心感を与えてあげていたんだと思う。そうでなければ、彼は夢の中でも『お父さん』と呼ぶはずがないんじゃないかな」

それを聞いて星羅も胸を打たれて、言った。「それで、あなたは彼がいなくなったら、安人くんがどうなるか心配なんだね?」

綾は唇を噛み締め、頷いた。

「仕方ないわよね。丈も辛い思いをしているの」星羅はため息をついた。「人の命って、本当に儚いもよね」

綾はスーツケースのハンドルを引き出し、少し間を置いてから言った。「誠也は、複雑な家庭環境で育ったの。彼にとって、子供たちはある意味、救いだったんだと
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