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第673話

Author: 桜夏
透子は答えた。「もうないです。あなたが約束を守ってくださると信じます。私の身の安全が保障されるのであれば、これ以上の条件はないです」

その言葉を聞き、雅人は一瞬、言葉を失った。透子が、彼の想像以上に……話の分かる人間だったからだ。

これだけの金でいいのか?これは基本的な賠償金にすぎない。他の条件は彼女の言い値でいいのに、彼女は何も言わなかった。

唯一の要求は身の安全、つまり、自分が美月をしっかり見張ること。

だが、それは条件と呼べるだろうか。もともと、自分がすべきことではないか。

「もう少し考えてみて。僕が正式な賠償契約に署名する前なら、いつでも追加できる」

雅人はそう言い、それから電話を切った。

病室で。

透子は男の言葉を聞きながら、わずかに唇を引き結んだ。

相手の声は落ち着いていたが、悪意のある圧迫感や、警告するような口調はなかった。

どうやら橘家は、ちゃんと話が通じるようだ。

アシスタントは名刺を取り出して差し出した。

「如月さん、うちの社長の意向は明確でございます。こちら、わたくしの名刺です。いつでもご連絡ください」

理恵が透子の代わりにそれを受け取り、二人は正式な書類の調印日時と、弁護士を交えて公示することについて約束を交わした。

面会は四十分ほどで終わり、アシスタントが去ると、病室で理恵が言った。

「透子、本当に条項を追加しないの?言っておくけど、橘家はとんでもないお金持ちなのよ。もらわないなんて大損じゃない。

それに、もともと朝比奈が何度もあなたを故意に傷つけたんだから。会社を一つよこせって言ったって、彼だってくれるわよ」

透子は少し顔を上げ、微笑んで言った。「会社をもらっても、経営なんてできないわ」

理恵は言った。「もう、それは例え話よ。それに、自分で経営できなくても、人を雇って管理させればいいじゃない。

とにかく言いたいのは、もっと自分の利益を求めなさいってこと。分かった?そうしないと、あなたが受けた苦しみが全部無駄になるわよ」

透子は考え込んだ。彼女もそれは分かっている。だから賠償金も受け取ったのだ。

それ以外のことは……

透子は言った。「その時は、さっき私が言った一文と、もし朝比奈さんがまた私を傷つけたら、橘家が彼女をどう処分するか、書類に重点的に記載してもらうつもりよ」

理恵は腕を組み、評価するよ
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