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第784話

Author: 小春日和
どうやら、真奈は馬場と二人きりで過ごすことを避けられないようだった。

間もなくして、馬場が病室に入ってきた。「瀬川さん、ボスに言われまして、瀬川さんを送り届けるようにとのことです」

「分かった」

真奈は布団をめくって身を起こし、ベッドから降りようとしたが、動作はひどくぎこちなかった。だが馬場は手を貸そうともせず、真奈が足を引きずりながら歩き出すのを、ただ黙って見ていた。

その背後にぴたりと付き従い、真奈の歩く速さに合わせて、同じ速度で無言のままついてくる。

まるで、任務だけを遂行する冷たい機械のようだった。

「……っ!」

真奈は思わず息を呑み、痛みで顔をしかめた。廊下にいた看護師がそれに気づき、急いで駆け寄って真奈の体を支えると、馬場に向かって少し怒ったように言った。「ご家族の方、奥さんがこんなに痛がっているのに、どうして手を貸さないんですか?」

馬場は眉をひそめ、露骨に不快そうな表情を浮かべた。

真奈は慌てて場を収めるように言った。「違うんです、看護師さん。彼は私の夫じゃありません。ただの……知り合いです」

「友達でもそういうことはダメですよ。支えてあげようともしないなんて」

看護師はそう言いながら、真奈を支えていた腕をそっと馬場の手に重ねた。馬場は反射的に手を引こうとしたが、看護師がその手を押さえて言った。「患者さんはケガをしていますから、歩くときはしっかり支えてください。もし傷が開いたら、また処置をやり直しですから」

「ありがとう、看護師さん。彼なら、ちゃんと支えてくれるはずです」

そう言って真奈は、わざと全身の体重を馬場の腕に預けた。

だが馬場の腕は想像以上にがっしりとしていて、少しも揺らぐ気配がなかった。

看護師の一言が効いたのか、馬場はそれ以上拒むこともなく、真奈を支えてそのままエレベーターへと歩みを進めた。病院の玄関前に着くと、馬場は車を横付けにして自ら車のドアを開けた。真奈が乗り込むと、馬場は無言のまま運転席に戻り、車を発進させた。

バックミラー越しに見えるのは、馬場の鋭い眼差しだけ。その視線はまるで氷のように冷たく、生まれつき感情というものを持たないかのようだった。

車はしばらく走り続けていたが、いっこうに立花家の別荘が見えてこなかった。

「この道って、立花家に向かうルートじゃないわよね?」

洛城に来てからの数
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