Masuk華side
家に着くと午後三時半を回ったところで、もうすぐ子どもたちも学校が終わって帰ってくる時間になっていた。
「早く着替えなきゃ。子どもたちが帰ってきたら片付けどころではないわ」
急いで着物から洋服に着替え、訪問着や今日使った小物などを慌てて片づけをしていると、鞄の中に入れていたスマホが鳴りはじめた。
「こんな時に誰かしら?……瑛斗?何か進展でもあったのかしら?」
片付けの手を止めるわけにはいかなかったため、スピーカーに切り替えて電話に出ることにした。
「はい、華です」
「ああ、俺だ。―――今日、華に会うとは思っていなかったからビックリしたよ。どうしてあの場にいたんだ。」
「え、突然どうしたの?」
(瑛斗も社長として忙しいはずなのに、なんでわざわざ電話してきたの?用件ってこのこと?)
「……今日は、茶道の協会の懇親会があって参加したのよ」
疑問に思いながらも事情を説明すると、瑛斗は焦ったように早口で噛みついてきた。
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瑛斗side刑事に頼み、鑑定結果の正式なコピーを警察署で受け取ってから、会長と華の待つ神宮寺家へと向かった。結果が出ている以上、どうしようもないのだが、二人にこの事実を報告しなくてはいけないことに、気も足取りも重かった。神宮寺家の屋敷を訪ねると、家政婦が変わらぬ笑顔で出迎えてくれて、後ろに続いて応接間に続く長い廊下を歩いていく。華と結婚していた頃は年に三回ほど顔を出していたこの屋敷も、玲との結婚後は一度もなく、久しぶりの空気が温かい。廊下から見える庭には、池に錦鯉が優雅に泳いでおり、綺麗に選定された松の木と美しい砂紋が描かれており、俺の心を少しだけ癒してくれた。(こんな景色の中で、お茶をたてたら風情もあっていいな……)華が着物姿で生徒に茶道を教えている姿を思い浮かべると、つい頬が緩む。しかし、すぐに隣に北條湊の姿も出てきて、俺は意識的にすぐに消し去った。(今は、あの男のことは考えない。今は、会長と華としっかりと向き合うんだ……)「旦那様、一条様がお見えになりました」家政婦が声を掛けると中から声がし部屋の扉を開ける。会長と華は笑顔で出迎えてくれたが、二人とも普段と違い表情が硬く極度の緊張が伝わってくる。「お時間を頂
瑛斗side後日、神宮寺会長と華と一緒に警察にいって鑑定を行った。会長と華の複雑な気持ちを考えると胸が痛んだが、二人が協力してくれると言った今、その覚悟を無碍にはできない。検査はあっという間に終わったが、俺たちを取り巻く空気は終始重く誰もが口を閉ざしていた。三週間後、社長室で今後の経営について空と議論している時に俺のスマホが鳴った。ディスプレイに表示される「警察」の文字に全身に緊張が走り、一瞬息を止まる思いだったが、深く深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから通話ボタンをタップした。「こちら、警察の者ですが、一条瑛斗さんの携帯でお間違えないでしょうか?先日行ったDNA鑑定の結果が出ましたので報告します」「はい――――――」「こちらなのですが、神宮寺玲容疑者と父親に血縁関係はありませんでした」「血縁関係がない?」「はい、追加でご提出された神宮寺櫻子さんと玲さんは親子関係が認められましたので、父親は別の人だと思われます」「……そうですか。分かりました、ありがとうございます」スマホを持つ手が震えて落ちそうになるのを必死で保ちながらなんとか電話を切った。「今の
瑛斗side「はい――――。私は三上と玲が裏で協力していたと思ったのですが、尋ねると『協力なんかしていない。お互い目を瞑っただけ』そうキッパリと否定してきました」「目を瞑ったってどういうこと?」華が、顔色を変えて身を乗り出す。「ハッキリとは言わなかった。だけど、DNA鑑定について『やり方は分かっても肝心なことを分かっていない』と言われたよ」「その後に力強い声で、三上は『俺は一か八かなんて賭けは好まない。やるなら事前に熟考して検証する。それが、答えだ』、そう言っていた」「つまり、三上は事前に実験して誤った結果が出るか確かめたってこと?」「ああ、その可能性が高いと思う。三上と玲が互いに目を瞑った秘密、三上の秘密がこのDNA鑑定の操作だとすれば、玲の秘密はなんだったのかとずっと考えていました。そしてある仮説に辿り着きました」俺は、深く息を吸い込んでからまっすぐに会長の顔を見て話を続けた。「失礼なのは重々承知で話をさせていただきます。三上は、神宮寺家の人たちでDNA鑑定の結果が誤るか実験した。そして、その結果が玲さんにとって不都合なものだったのではないかと……」
瑛斗side「先日、三上に会ってきた。玲が逃亡したことを知ると激しく取り乱して、そのあとちょっと引っかかることを言っていたんだ。直接話をしたいから時間を作ってくれないか。出来れば神宮寺会長も同席してもらえるとありがたい」「三上が?やっぱり三上と玲は裏で協力していたの?」「そのことも会ってから詳しく話すよ。華にだけ先に言うけれど、DNA鑑定の件、俺から会長に話をしてもいいか?これが事件の大きな鍵を握っている気がするんだ」「……分かったわ。瑛斗に任せる。」翌週の金曜日の午後――――俺は、重厚な雰囲気が漂うビルのエントランスを抜け、神宮寺会長の会社を訪問した。名前を名乗ると会長秘書が丁寧にお辞儀をしてから応接室へと案内し、部屋には既に会長と華がソファに座っており、ただならぬ緊張感が漂っていた。「わざわざ来てもらって悪いね。大事な席だ、どうぞ」「いえ、こちらこそお時間を作って頂きありがとうございます」「神宮寺家で対処すべきところを、三上君の件で君に色々動いてもらって申し訳ない」ソファに座るように勧められて腰を下ろすと、会長は気が気でないようで本題に入った。
瑛斗side(三上は、華への激しい独占欲を持っている異常性はあるが、普段は論理的で頭の切れる人物だ。突発的に無茶をするタイプには思えない。一方の玲は、自分の思い通りに相手を手中に収めたいタイプだった。そんな玲が、三上のやったことを知ったら大人しく黙っているだろうか?)玲が副社長になってから、今までの行いを見ると口止めしたからと言って素直に聞くタイプには思えなかった。むしろ、弱みを握られてはいけない人間に思える。「空、こういうケースはどうだ?玲はDNA鑑定の偽装に気づいて三上を脅した。しかし、三上も玲の別の弱みを握っていて返り討ちにあった。そして、二人は仕方なく黙認することにした」「……ありえそうだね。それなら、三上が協力関係を否定したのも辻躄があう。彼らは協力関係ではなく脅迫による共犯関係だったってことか」「俺たちは三上と玲が仲間だと思っていたが、そこからもう違っていたのかもしれない。互いに弱みを握られて、最大の脅威の存在だった。だから玲も自分が逃げたことを三上に言わなかった……」「三上が玲さんの逃亡を知って激しく取り乱したのも、裏切られたことを知ったからだとしたら、その腹いせに瑛斗にヒントを投げたのかもしれないね。」「ああ、玲の逃亡を知って三上は激しく取り乱して「裏切られた」と言っていた。だから、きっと三上のメッセージの真意が分かれば、玲を確実に追い詰めるものになると思うんだ…&h
瑛斗side「賭けは好まない。事前に熟考して検証するか――――」三上との面会翌日。社長室に空を呼んで三上とのやり取りをすべて話した。空は、ソファに深く座り、腕を組んで考え込んでいる。「確かに、今までの三上のやり方を見ると異常なほどの執着心と計画性を感じるよね。何年もかけて華さんに近付いて信用を勝ち取っている。だから、華さんも違和感を感じても気づけなかったんだと思うし。」「そうなんだ。三上のことだから、用意周到に事をすすめたいタイプだと言うのは分かるんだ。ただそれは監禁に関してだ。だけど、昨日の話の流れだと、賭けについては事件ではなく、あのDNA鑑定な気がしてならない。何か俺たちが見落としている可能性がある気がするんだ――――」俺の言葉を聞いて、空は小さく独り言のように呟いた。「DNA鑑定も、ちゃんと誤った結果が出るか事前に試したとかは?」「―――試した!?」空は自信なさげに頭の中を整理するように慎重に言葉を選びながら話を進めた。「三上の性格からして、ちゃんと確証を持ってから実行すると思うんだ。そうすると、DNA鑑定でちゃんと誤った結果が出るか、事前に試したことは考えられないかな?」