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第5話

作者: 詩理
キャリーケースを引きずり、町はずれの古びた安宿を見つけた。

かび臭く、空気はどこまでも淀んでいる。壁紙は剥がれ、カーペットにはしみが広がっていた。

でも、家を追い出された私には、ここしか泊まる場所がなかった。

深夜、激しい痛みにうなされて悪夢から目覚める。

がんが骨まで広がったせいで、体の奥が針で刺されるみたいに痛い。息をするだけで苦しい。

薄い毛布の中で丸くなりながら、子供の頃の記憶が押し寄せてくる。

あのとき私は十二歳。やっと家の勉強が始まったばかりだった。

咲はいつも「お姉ちゃん、この服似合うよ」と優しく選んでくれた。でも彼女がくれた服を着ると、決まって肌が痛くて痒くなった。

授業中も体がきつくて倒れてしまい、全身に発疹。みんな「澪が弱すぎるせい」としか思わず、私自身もそう信じかけていた。

「澪は本当にひ弱だなあ」先生もため息をついていた。

咲は駆け寄ってきて、「大丈夫?薬持ってくるね」と心配そうに声をかける。

十四歳のときは、模擬戦の訓練中に誰かに突き落とされ、高台の下で一晩中動けなかった。

捜索隊が見つけてくれたときには、高熱で意識も朦朧としていた。

咲は涙を浮かべ、「私がもっと早く助けてあげればよかった」と周囲に語ってヒロインになる。

私はどんどん助けが必要な厄介者というレッテルが貼られていった。

でも本当に恐ろしかったのは、「栄養補給」と称したサプリだった。怪我をすると、決まって咲が「私がやる」と言って薬を用意してくれる。優しいふりをして飲ませてくれたけど、私はますます体が弱くなった。

今思えば、あのサプリには骨髄をじわじわ壊す毒が混じっていたんだ。

ゆっくり、静かに、私の命が削られていった。

みんな、私が生まれつき弱いんだと思い込んでいた。私自身でさえ、ずっとそうだと信じてた。

まさか十二歳のころから、ずっと毒を盛られていたなんて――

そのころ、鷹野家本邸では怜司が机に向かっていたが、仕事なんて手につかなかった。

得体のしれない不安が胸に溜まり、じっとしていられない。

「……くそっ!」怜司は衝動的に机の上の書類を払いのけた。

すぐにでも澪の元へ駆けつけて、無事を確かめたかった。

でも、自尊心が邪魔をしてどうしても理由が欲しかった。

ベッドサイドのスマホが鳴ったとき、私は痛みで意識が飛びそうになっていた。

怜司からのメッセージは冷え切っていた。

【澪、すぐに戻ってきて咲に謝れ。逃げても無駄だ】

もう返信する気力も残っていなかった。

怜司は、少しでも私のことを心配してくれているのだろうか。

……いや、もうどうでもいい。

残された時間は、あと一日だけ。

翌日、近くの美園食堂の女性スタッフが部屋をノックしてくれた。

澄んだ瞳が印象的な、どこか素朴で温かい子だった。

「あの……うちのオーナーが、よかったらこれをどうぞって」

湯気の立つスープを大事そうに運んできてくれた。

あたたかい善意に、思わず涙がこぼれそうになる。この世に、まだ私みたいな厄介者を気にかけてくれる人がいたんだ――

感謝して受け取ろうとした、そのとき。突然、咲が現れた。

真っ黒なレザージャケットに身を包み、完璧な笑顔を浮かべている。

「お姉ちゃん、やっと見つけた」

まっすぐ歩み寄ると、女の子を強引に押しのけた。

スープが床にぶちまけられ、熱さに思わず体をよじる。

「ごめんなさいね」咲はわざとらしく頭を下げ、「こういう得体の知れないものは飲まないほうがいいよ」と嘲る。

女の子は怒りに震え、「どうしてそんなことするの?」と睨みつける。

「子供は口を挟まないことね」咲が冷たく言い放つと、少女は怯えて逃げ出した。

「それから、お姉ちゃんの離婚手続きを手伝った弁護士は、もうクビになったよ」咲は何でもないことのように笑う。「家の掟を破った罰だって。怜司さんが自分で追い出したの。

見てみなよ。あんたが無能だから、他人まで巻き込んで不幸にしてるのよ。

今や鷹野家のみんなが、あんたを裏切り者扱いしてる」

その言葉に、世界が崩れていくのを感じた。

私のせいで、助けてくれた人まで傷つけてしまった。

私は、みんなに迷惑ばかりかける存在になってしまった。

「なぜそこまでするの?」声を振り絞って尋ねる。

「だって、私はお姉ちゃんが大嫌いだから!」

咲の笑い声は突き刺さるように鋭い。

「もうすぐ死ぬのに、なんでとっとと消えないの?なんでまだこの辺うろついてるの?

怜司さんが本当にお姉ちゃんを信じてると思う?最初から最後まで、ただのお荷物扱いだったくせに!」

それが、本当の咲だ。誰も知らない完璧な妹の本性。

私は静かに問いかけた。

「咲……私は一度だって、あんたを傷つけたことなんてない。どうしてそんなに私を憎むの?」

「仕方ないじゃん。所詮、赤の他人の子供より、家族の血を引いた娘のほうが価値があるんだよ」咲は見下ろしながら言う。

「私はずっと思ってたんだ。なんであんたみたいな役立たずが、全部手に入れるんだろうって。

跡取りの妻の座も、お父さんの愛も、怜司さんの視線も……全部、本来は私がもらうはずだったのに!

あんたが体弱い理由、私にはちゃんとわかってたよ」

咲の目に、底知れぬ悪意がきらめく。

「十二歳からずっと、あんたのサプリに毒を混ぜてた。じわじわとあんたの体を壊してやったんだよ。

服の中の虫も、高台から突き落としたのも、毒入りの薬も、ぜんぶ私がやったんだよ」

怒りで体が震えた。けれど、手を振り上げた瞬間、あっけなく押し倒される。

もう、私の体なんか、まるで役に立たない。

咲はしゃがみ込んで、冷ややかに笑う。

「悔しい?恨めしい?でも、あんたには何もできない。役立たずなんだから!

私に一発入れる力も、もう残ってないでしょ?」

そのまま何度か蹴りつけ、私が床で呻くのを見て、満足そうに立ち上がる。

「あんたが弱っていく姿を見るのが、一番の楽しみだったんだ。

お姉ちゃんが死んだら、怜司さんの隣にいるのは私だけ」

激痛に目の前が暗くなる。

咲はご機嫌で部屋を出ていった。

彼女は気づかなかった。私がベッドサイドに置いたスマホが、今も録音中だったことを。

赤いランプが、静かに点滅していた。

たった今のやりとりが、すべて録音されている。

私は汗まみれの服でどうにか起き上がり、スマホを手に取る。

録音データを確認して、思わず笑った。

やっと、やっと、すべての真実が暴かれる。

人生最後の日。すべてが明るみに出るその瞬間を、私は待っている。
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