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9命のチェシャ猫はクズ男に尽くし死んで消える

9命のチェシャ猫はクズ男に尽くし死んで消える

By:  あれんちゃんCompleted
Language: Japanese
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横山寧々(よこやま ねね)という名を与えられたあやかしのチェシャ猫。命の恩人に恩返しするため、人間の姿に化けて陣内直樹(じんない なおき)の傍に寄り添っていた。 最後の命を使い果たしても直樹の心は温まらず、彼女はついに、彼のもとを去る決意をした。 だが、今さらになって直樹がすがりついてきた。「ずっと俺のそばにいるって言ったじゃないか」

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Chapter 1

第1話

修行を経て人の形を得た化け猫には9つの命があるが、横山寧々(よこやま ねね)にはもう1つの命しかなかった。

スマホの通知音が鳴り、寧々にメッセージが届いた。

【ブルガリホテルに来い。コンドームを持ってきて、サイズは一番大きいやつで】

外は激しい雨だった。

あやかしである彼女にとって、不浄な現代都市の空気に晒され、ましてや雨に濡れることは命取りだったが、彼女は迷わずタクシーを拾い、陣内直樹(じんない なおき)の待つホテルへと急いだ。

客室の前までたどり着くと、中から情けない声が聞こえ、通りかかった清掃スタッフの顔を真っ赤にさせていた。

寧々の心臓がキュッと締め付けられ、体中がわなわなと震えた。

それでも彼女はドアを叩いた。

バスタオルを腰に巻いただけの直樹が顔を出し、苛立ったように言った。「遅いぞ。妖術を使えばいいだろ」

「妖術を使えば使うほど……私の命が削られていくの……」

言い訳を聞こうともせず、直樹は不機嫌に言い放った。「だから何だ。お前は猫だろ?9つの命があるんじゃないのか。そう簡単に死ぬわけないだろうが」

しかし、寧々に残された命はあと1つ。これまで酷使され、限界をとうに超えていること、彼は知らなかった。

部屋の中から菊地奈津美(きくち なつみ)がしびれを切らして催促する。「直樹さん……」

ドアの隙間から、部屋で寛ぐ奈津美の頬が上気し、潤んだ目で満たされた後の恍惚とした表情が見えた。

寧々は喉を鳴らし、「わかった」とだけ呟いた。

直樹の婚約者でありながら、自分以外の誰かと愛し合う彼を外で見ていることしかできなかった。

寧々はもともとチェシャ猫だった。人間になる修行中、野獣に命を狙われたことがある。

命を救ってくれた直樹に恋をし、必死で人の姿になれるよう修行を積んだ。

9つの命を抱えて恩返しに来た彼女は、彼のためにすべての災厄を引き受け、一生添い遂げると誓ったのだ。

当時、直樹は初恋の人である奈津美に捨てられて荒れており、寧々は彼の傍らに寄り添い続け、ごく自然な流れで彼の婚約者になった。

しかし、2年前、奈津美が戻ってきたことで平穏な生活は砕かれた。

朝の4時。奈津美は顔をすっぽりと隠して部屋を出た。今や人気女優である彼女にとって、スキャンダルは命取りになるからだ。

奈津美は廊下でうずくまる寧々を見つけると、声をひそめてせせら笑った。「隠し聞きは楽しい?直樹さんはあなたをただの化け猫だと言ってたけど、私から見ればただの追っかけ女ね」

寧々はゆっくりと顔を上げた。顔色は真っ青だったが、その瞳だけは負けん気に溢れ、真っ直ぐに相手を見据えていた。

「私がいなかった間にあなたが隙をついて、直樹さんの婚約者の座を奪ったくせに」

入れ替わりに現れた直樹は、寧々への暴言を咎めるどころか、優しく奈津美の襟元を正してやった。

直樹は部屋の外で震える寧々を見据え、冷ややかに言った。「寧々、もし俺と奈津美さんが写真を撮られたら、いつものように自分のせいにしろ。奈津美さんの評判に傷一つつけさせるな」

寧々は唇を噛み、すぐに答えられなかった。

顔が青ざめていく。心の中には複雑な感情が渦巻いた。不満と悔しさ、そしてどうしようもない絶望。

直樹は不機嫌に眉をひそめ、さらにきつい口調で責め立てた。「それぐらいのこと、困るはずなんてないだろう?」

困るはずなど、あるわけがない。その恩を返すためなら何でもすると、彼女は心に決めていたのだから。

2人は周囲の目も気にせず、足早にその場を去った。撮られるリスクなど承知の上でこれほどまでに傍若無人なのは、誰かが自分の尻拭いをしてくれることに、すっかり慣れきっているからに他ならない。

奈津美が芸能界に入ると決めた時、直樹は当たり前のように、寧々にも芸能界へ入るよう促うながした。

片方は輝かしい人気女優、片方は悪評まみれで世間から石を投げられる存在となった。

スキャンダルが漏れるたび、寧々が責任を被り続けた。そうして彼女はいつしか、誰もが忌み嫌う「嫌われ者」へと成り下がっていた。

それでも寧々は構わなかった。直樹の傍にいられるだけでよかった。傷だらけの体で、いつか彼の凍てついた心を温められると信じて疑わなかったのだ。

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松坂 美枝
松坂 美枝
人間とあやかしのバトル 結局クズ男が全ての元凶だったか もう二度と人間世界には関わらなさそう
2026-07-14 09:34:29
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24 Chapters
第1話
修行を経て人の形を得た化け猫には9つの命があるが、横山寧々(よこやま ねね)にはもう1つの命しかなかった。スマホの通知音が鳴り、寧々にメッセージが届いた。【ブルガリホテルに来い。コンドームを持ってきて、サイズは一番大きいやつで】外は激しい雨だった。あやかしである彼女にとって、不浄な現代都市の空気に晒され、ましてや雨に濡れることは命取りだったが、彼女は迷わずタクシーを拾い、陣内直樹(じんない なおき)の待つホテルへと急いだ。客室の前までたどり着くと、中から情けない声が聞こえ、通りかかった清掃スタッフの顔を真っ赤にさせていた。寧々の心臓がキュッと締め付けられ、体中がわなわなと震えた。それでも彼女はドアを叩いた。バスタオルを腰に巻いただけの直樹が顔を出し、苛立ったように言った。「遅いぞ。妖術を使えばいいだろ」「妖術を使えば使うほど……私の命が削られていくの……」言い訳を聞こうともせず、直樹は不機嫌に言い放った。「だから何だ。お前は猫だろ?9つの命があるんじゃないのか。そう簡単に死ぬわけないだろうが」しかし、寧々に残された命はあと1つ。これまで酷使され、限界をとうに超えていること、彼は知らなかった。部屋の中から菊地奈津美(きくち なつみ)がしびれを切らして催促する。「直樹さん……」ドアの隙間から、部屋で寛ぐ奈津美の頬が上気し、潤んだ目で満たされた後の恍惚とした表情が見えた。寧々は喉を鳴らし、「わかった」とだけ呟いた。直樹の婚約者でありながら、自分以外の誰かと愛し合う彼を外で見ていることしかできなかった。寧々はもともとチェシャ猫だった。人間になる修行中、野獣に命を狙われたことがある。命を救ってくれた直樹に恋をし、必死で人の姿になれるよう修行を積んだ。9つの命を抱えて恩返しに来た彼女は、彼のためにすべての災厄を引き受け、一生添い遂げると誓ったのだ。当時、直樹は初恋の人である奈津美に捨てられて荒れており、寧々は彼の傍らに寄り添い続け、ごく自然な流れで彼の婚約者になった。しかし、2年前、奈津美が戻ってきたことで平穏な生活は砕かれた。朝の4時。奈津美は顔をすっぽりと隠して部屋を出た。今や人気女優である彼女にとって、スキャンダルは命取りになるからだ。奈津美は廊下でうずくまる寧々を見つけると、声をひそ
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第2話
雨に濡れたせいか、帰宅すると寧々は高熱を出していた。妖術を使えばすぐに治せる。でも、それを使えば命を削ることになる。熱でふらつきながらも、彼女は懸命に耐えていた。1本の電話が、ぼんやりしていた寧々を現実に引き戻した。「エリュシオンに来い。大事な商談なんだ。なるべく目を引く格好でな」ふらつく足取りで、寧々は必死に意識を保ちながらクローゼットから黒のバックレスドレスを取り出した。個室に入ると、相手の社長は寧々を見るなり、食い入るような視線を向けてきた。直樹は、寧々にその社長の隣へ座るよう促した。「お前が横山さんか。噂以上の美女だな……それにしても随分と遅かったじゃないか」直樹は場を取り繕う。「井上社長のおっしゃる通りです。寧々、井上社長に失礼のないよう、まずは一杯お付き合いしなさい」寧々は助けを求めるように直樹を見たが、彼は気付かないふりをした。何度も酒を注がれ、化粧をしても隠せないほど顔色は青白かった。ようやく理由をつけて外へ出た寧々は、必死に酔いを醒まそうとした。廊下の角を曲がろうとしたその時、聞き慣れた声が耳に届く。近づくにつれはっきり聞こえる言葉が、彼女の心を容赦なく切り刻む。直樹とその友人の声だった。「寧々さんはお前の婚約者だろう?長年そばで支えてくれた彼女に対して、これっぽっちの情も湧かないのかよ。奈津美さんが海外にいた時も、帰国した今だって……あんなクソジジに彼女を差し出して弄ばせるなんて、正気か?」直樹は、指先でタバコが燃え尽きるまで黙ったままだった。そして、「彼女が望んだことだ」と言った。その言葉を聞いて寧々は立ち尽くした。拳に食い込ませた爪が痛みを突きつけ、鮮血が滲んだ。そう。自分が望んだことだから。1つ目の命は、奈津美を引き止めようと空港へ向かう直樹を事故から救うために使った。2つ目の命は、自らの死をちらつかせてまで奈津美の帰国を望んだ直樹のために捧げられた。3つ目の命は、帰国した奈津美を芸能界で売れっ子にするために捧げた。……彼に寄り添った5年間で、寧々に残された命はあとわずかだった。2人の会話は続く。「いやいや、あんな美人を抱いていないはずがないだろ。感触は、お前のお気に入りの奈津美さんとどう違うんだ?」「あんなあやかしに触れるわけがないだろう」友人
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第3話
薄暗い照明の下で、直樹はあからさまにきょとんとした。しばらく黙り込んだ後、彼はすぐに何事もなかったかのように口元を緩め、どこか適当でありながら確信に満ちた口調で言った。「もちろん、愛してるよ」その答えは寧々の耳に届いたが、彼女の心を温めることはなかった。直樹は寧々の疑念を見抜いたのか、言葉を足した。「この契約を取り付けてくれたら、もっと寧々を可愛がってやるよ」彼の瞳には、言いようのない焦燥と打算が混じり、まるでその契約こそがすべてであるかのような響きがあった。寧々の心には、言いようのない悲しみが広がった。直樹はまだ、数年前に世間知らずのまま人の姿になったばかりの幼いあやかしとして彼女を見ているのだ。あの頃の彼女は純粋で人を疑わず、彼の何気ない言葉にいつも振り回されていた。けれど、この人間界での数年間は、彼女に酸いも甘いも噛み分け、裏切りという名の人情の機微を、残酷なまでに教え込んでいた。ただ、彼に利用されているという事実に気づきたくないだけ。心のどこかで、彼からの少しの真心にすがりたいだけだった。寧々は力なく個室へ戻ると、次から次へと酒を飲み干した。喉を焼く辛い液体に胃がせり上がる思いをしながらも、どうにか契約の判は押させた。だが、井上社長は卑猥な視線を向けていた。そもそも酒など二の次で、意識が朦朧とする彼女の体を目当てに手を伸ばしてくる。無意識と意識の間で必死にもがき、力が抜けていく。彼女は助けてほしいと心の中で叫んだ。かつてのように、直樹がこの窮地を救ってくれると信じていたから。だがこの冷酷な現実を前に、その望みは砕け散った。井上社長は抵抗しない寧々を前にすると、呆気にとられる隙に肩を組み寄せた。「可愛い子だ。直樹さんがお前をよこしたんだろ。この俺の夜の相手にな、絶対に逃げさせやしないぞ」直樹の名前を聞いた途端、呼吸すら忘れるほどの窒息感が襲ってきた。心臓を氷の万力で締め上げられるような、呼吸するたびに刺すような激痛が彼女をのみ込んだ。衣装の布地が、いよいよ剥ぎ取られようとしている。寧々は正気に戻り、必死に両手で抵抗した。部屋のドアが激しく蹴破られ、ある男が入り込んでくると、井上社長を一撃で倒した。寧々が顔を確認する間もなく、男の嘲る声が響いた。「何だ、ただのチェシャ猫じゃないか。こんな目に
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第4話
チェシャ猫一族というのは律儀なものらしい。一度恩を返すと言えば、相手との縁をすっぱりと断ち切るまでやめないのだという。かつて直樹に命を救われたとき、彼女は修行を重ねて人間へと姿を変え、9つの命を得た。今の様子だと、彼への恩を返し切るためには、その全ての命を捧げねばならないのかもしれない。自分で苦心して結んだはずの縁が、今では二度と解けない足かせになってしまったのだから皮肉なものだ。寧々は疲れた体をひきずり、直樹との家へ帰った。そこは一見温かそうに見えて、彼女にとってはひどく冷たい場所だった。ソファの上では、奈津美と直樹が体を寄せていた。時折、彼が甘い表情で奈津美に何かをささやき、それに彼女が満面の笑みで笑い返す。その絵面はどこまでも仲睦まじく、甘い雰囲気に満ちていた。玄関に立つ寧々が、冷たい風で冷え切ったドアノブを握ったまま、一瞬にして自分が完全な他人になったように感じたのは当然のことだった。それもそのはず。直樹の心にはずっと奈津美がいるのだから、自分など最初から場違いなの。身の程知らずだったのは自分の方なのよね。寧々の帰宅に気づいた奈津美は、いかにも予想外のことそうに、それでも直樹の肩に寄り添ったまま、寧々を挑発するようにちらりと視線を向けた。そして、これ見よがしに口を開いた。「寧々さん、おかえり」まるで、自分こそがこの家の女主人だとでも言いたげな態度だ。「寧々さん、今日の件は本当に助かったわ。直樹さんも、毎回あなたを困らせてばかりで、もう……」奈津美はニコニコと微笑みながらそう言った。見た目はどこまでも純粋だが、その笑みは決して目に届いていない。寧々はすぐに察した。今の言葉に罪悪感など微塵もなく、むしろ直樹との親密さと、この場での寧々のいたたまれない状況を誇示しようとする底意が見え隠れしていた。直樹も直樹で、仕事のトラブルなど二の次かのように、ただ奈津美が傷ついていないかを気に掛けるだけだった。これ以上関わり合う気力もなく、寧々は心身ともに限界で階段を上がろうとした。だがその時、直樹が冷ややかに声を掛けた。「寧々。奈津美さんが時代劇のオファーを受けたんだが、作中で激しい殺陣や乗馬シーンがあってな。向こうの話では、体型や顔立ちが似た吹き替えがなかなか見つからないそうなんだ。お前が一緒に現場に入ってやってく
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第5話
満月の夜。壁越しに聞こえる奈津美のわざとらしい甘え声が、寧々の神経を逆なでする。その騒々しさに、彼女は一睡もできないまま夜を明かそうとしていた。真の姿に戻った彼女の尻尾は、また一段と短くなっている。それが寿命のカウントダウンであることは、もう疑いようもなかった。寿命が尽きる前に、直樹との「絆」を完全に断ち切れるか、彼女にはわからなかった。ぼんやりしていると、奈津美が部屋から出てきた。「声を出しすぎて喉が渇いたわ。ねえ、梨のはちみつ煮を作ってちょうだい」寧々は化け猫の一族。火や水を扱うことは命に関わる苦痛だった。今まで直樹への情に溺れ、9つの命を盾にして無視してきたが、今は事情が違っていた。「家政婦さんを呼ぶわ」「あなたの手作りじゃなきゃ嫌よ。何よ、直樹さんには何でもしてあげるのに、私のはできないわけ?ねえ、寧々さん!」2人の声を聞いて直樹が部屋から出てきた。「寧々、ただの梨のはちみつ煮だ。得意だろう、作ってやれ」寧々はもう出ていくと決めていた。直樹の言いなりになるつもりはなく、奈津美の挑発に乗る気もなかった。しかし、断ろうとしたその時、2人の間に漂う「絆」が見えた。寧々は試すように応じた。「分かったわ」果たして、直樹との「絆」が少しだけ薄れたのが分かった。寧々は胸が高鳴った。彼の要求を満たせば、いつか必ず全ての恩義を返して自由になれるのだ。昼どき。容赦のない直射日光が照りつけ、空は灼熱の青に染まり、雲一つ残っていなかった。吹き替えと言っても、奈津美は極めてわがままだった。以前は寧々の幸運を横取りして人気者になったが、演技の苦労なんて何一つしたことがない。このドラマは業界注目の大作だ。出演さえすれば、さらなる飛躍が望めるはずだった。現場の奈津美は傍若無人で、セリフも当日覚えるほどだ。スタッフは辟易していたが、彼女の人気を恐れて誰も口を出せなかった。対照的に、誰に対しても親切な寧々は、接する全員から慕われていた。直樹が陣中見舞いにやってきた。彼はドラマのスポンサーであるため、現場を訪れる口実には事欠かない。助演女優が主役の奈津美をいじめるシーン。奈津美は「リアルな迫力を出したい」と、実際に平手打ちをし、髪を掴むことを要求した。ところが、本番直前になって「熱中症で気分が悪い」と言い
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第6話
ようやく目を覚ましたかのような寧々を見て、勲は安心したようにその場を去った。ただ、2人が撮影現場で顔を合わせれば、彼は嫌味を言わずにはいられない。同じあやかしの一族でありながら、勲は我が物顔で華やかに生きているというのに、寧々はボロボロになるまで痛めつけられ、残された命はあと一つしかないのだから。ある日、乗馬シーンの撮影があった。ジリジリと照りつける日差しの下、今回の奈津美は我がままを言わず、時間通りに現れた。「直樹さん、すごく暑いわ。寧々さんの手作りかき氷が食べられたら最高なんだけど」奈津美はそう言って甘え、直樹を使って寧々にパシリをさせた。直樹が口を開くより先に、寧々は作り終えたばかりのメイクや髪型のことも気にせず応じた。「分かった。すぐ作ってくる」あまりにも積極的な寧々に直樹は少し違和感を覚えたが、彼への頼み事を何でも聞くのが当たり前だと思っていたため、深くは考えなかった。奈津美は道具を使ったアップのシーンを撮るだけで、残りの撮影シーンの大部分は寧々に押し付けられた。奈津美に求められたのは、引きの映像からアップに切り替わる時だけ、顔を出せばいいのだ。暑い日差しの中、時代劇の衣装を着込んだまま待たされる奈津美を見て、直樹は彼女を心配そうに見つめた。2人の親密なやり取りは誰の目にも明らかで、以前の熱愛スキャンダルが再び再燃しそうな気配さえあった。同じく過酷な状況で馬を走らせ続けていた寧々は、額に滲んだ汗で髪が顔に張り付き、疲れ果てていたが、誰もそれを気にかけようとはしなかった。ところが、いつもはおとなしいはずの馬が突然暴れ出した。後ろ脚を高く振り上げ、いななきを上げながら激しく身をよじり、まるで背中に乗る寧々を振り落とさなければ気が済まないかのようだった。幸い、寧々は普通の女性よりも力があった。これまでの撮影でこんなトラブルはなかったため、監督やスタッフたちは大慌てで混乱していた。そんな中、物陰から見ていた奈津美は、人には気づかれないよう口元を吊り上げて得意げに微笑んでいた。奈津美は怯えるふりをして直樹の胸元に倒れ込む。目の前で起きるこの大混乱こそ、自分が待ち望んでいた好機だからだ。勲は眉間に深い皺を寄せ、鋭い眼差しを見せた。心の中で、この馬の異常は偶然ではないと確信していた。彼は素早く術
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第7話
病院。直樹は救急治療室の前で、いてもたってもいられない様子で待っていた。「陣内さん、全力を尽くして治療しております。ですが、菊地さんの状態は非常に深刻です。馬に踏まれたことで脾臓が破裂し、内出血も起きています。懸命に治療しますが、生存の可能性は極めて低いです。心づもりをお願いいたします」寧々が姿を見せると、直樹は目を真っ赤にして声を荒らげた。「お前だ!お前のせいで、奈津美さんが馬に襲われたんだ!」寧々は一瞬呆然とした。こんなことまで自分のせいにされるとは思ってもいなかったからだ。「お前が奈津美さんを妬んでいるから、こんなことをしたんだろう!文句があるなら俺に言え、奈津美さんを傷つける必要はないはずだ!」そこで、見ていられなくなった勲が間に入った。「直樹さん、頭がおかしくなったのか。あの子が降りた後に馬が奈津美さんを蹴ったんだ。しかも、寧々さんだって被害者だろう」今の直樹は、何を言われても耳を貸さなかった。寧々の腕を強く掴み、彼は奥歯を噛みしめるように絞り出した。「寧々、どんな願いも聞くと言ったよな。命令だ、今すぐ奈津美さんを助けろ。傷一つない元の姿で、俺の前に連れてこい!」寧々は彼がここまで激怒するとは予想していなかった。焦燥に駆られた目の前の彼を見つめ、そして、2人の間で緩み始めている「絆」の気配を確認する。彼女はとうとう決心した。口を開こうとした時、勲が慌てて制止し、隅へ引き寄せた。「何考えてんだ。自分の体調を分かってるのか?もし力を貸せば、お前の命はないんだぞ!」知り合ってわずか数日の相手の方が、5年寄り添った男よりも自分のことを心配してくれる。寧々は小さくつぶやいた。「ありがとう。例え命を失っても、この『絆』は切りたいの」寧々の覚悟を感じ、勲はもう引き止める術もなかった。「直樹。あなたが昔、私の命を救ってくれたから何度も恩返しをしてきた。でもこれが最後よ。私が奈津美さんを生き返らせたら、あの時の命の恩は、これできれいに清算する」直樹は手術室の中にいる奈津美のことで頭がいっぱいで、寧々が何を言っているのかまともに聞いていなかった。ただ「生き返らせる」という言葉だけを耳にして、二つ返事で承諾した。「わかった、わかったから!」雲が渦巻き、雷鳴がとどろき、異様な冷気が吹き荒れた。寧々に逃げ道はな
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第8話
勲の声は氷のように冷たかった。「前回、彼女に人命救助を強要した時に使ったのが、彼女の『最後の命』だったんだよ」寧々を救うことに必死だった勲は、それ以上言い返すこともなく、電話を切った。直樹はその場に立ち尽くし、スマホを握る手が制御不能なほど震えていた。信じられない。寧々があっけなく死ぬわけがない。彼は心の中で必死に言い訳を探し、残酷な現実から逃避しようとしていた。「寧々はあやかしなんだろ?なのに死ぬわけがない。最後の命だって、何の話だ?」彼は独り言を繰り返した。彼の中では、あやかしとは人間よりはるかに長寿で、死ぬことなどあり得ない存在だったのだ。直樹の目は狂気と偏執に染まっていた。あの頃、生き生きと魅力的だった寧々が、こんな最期を迎えたなんて認められなかった。「どうせ俺の気を引くための嘘だろ!」そうであってほしいと願い、すべては彼女の芝居だと決めつけた。机の上のフルーツナイフを見つめ、おぞましいほど歪んだ考えが心に蔓延っていく。ゆっくりと震える手でナイフを握り、自分の手首に向けた。もし彼女が本当に生きているなら、自分が傷ついたことを感じ取って現れるはずだ。そう信じ込んでいた。2人にしか分からない「絆」。それを今こそ試すしかないと、唯一の頼みの綱にすがりついた。刃が手首を切り、血が床に滴り落ちる。時は過ぎるが、寧々は現れない。出血多量で意識が薄れ、床に倒れ込んだ。その時ようやく、勲の言葉の意味を考え、彼女の部屋に視線を向ける。本当に死んだのか。この部屋にはもう、彼女はいない。優しい笑顔で名前を呼んでくれることも、二度とない。ずっと彼女に守られ、支えられていた彼にとって、これは覚めない悪夢のようだった。悲痛さが胸を締めつけ、息ができない。意識が途絶えそうなところで、秘書の声で呼び戻された。秘書は床の血だまりを見て血相を変え、慌てて傷口の処置をしながら、最悪の知らせをもたらした。「社長、大変です!例の井上社長から買い取った土地で問題が発生しました!」「何だって?」直樹はこの5年間、すべてが順風満帆で、自らの手で強大な基盤を築き上げてきた。会社の事業でこれほど大きなミスなど、ただの一度も起きたことがなかった。「温泉リゾートを作る予定でしたが、工事に入った途端、地下が巨大な岩盤で覆われてい
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第9話
「身代わり」という言葉が、直樹の心臓を容赦なく刺し貫いた。怒鳴り散らした直樹に驚き、目を真っ赤に潤ませた奈津美は問い詰める。「何よ、あの女をかばうの?あんなの、ただのケダモノじゃない!何にそんなに動揺してるの!まさか本気で愛したの?」それでも寧々を匿っていると疑わない奈津美は、部屋から部屋へと捜し回る。「あのケダモノをどこに隠したの!絶対に見つけてやる!」寧々の部屋に入ると、奈津美は整頓されていた部屋をめちゃくちゃに荒らした。直樹は、今の奈津美がまるでみっともない姿に見えた。今まで彼女の小細工を可愛いと思えていた自分が嘘のようだ。今はただ理不尽に騒ぎ立てているようにしか見えない。ケダモノなどという酷い言葉すら平気で吐き捨て、寧々に対する敬意の欠片もない。パシッ。乾いた音が響き、奈津美の頬が赤く腫れあがった。顔の熱さを感じながら、奈津美はあまりの突然の出来事に足元が揺らぎ、その瞳には驚愕と信じられないといった感情が入り混じっていた。直樹は耐え難い悲痛に苛まれながらも、寧々がもう死んだということは最後まで口に出せなかった。「よくも私をぶったわね」チヤホヤされてきた奈津美は、そんな理不尽なことは受け入れられず、直樹の説明も聞かずにドアを強く閉めて飛び出していった。普段ならすぐに機嫌を取ろうとしただろう。しかし今、彼の脳内には寧々の姿ばかりが駆け巡っていた。複雑な感情が渦巻く空っぽの部屋で、直樹は石のように立ち尽くしていた。ふと、先ほど奈津美に問い詰められた言葉を思い出す。自分は、本当に寧々を愛したのか?最初、彼女が自分を訪ねてきて、以前助けられた命の恩返しをしたいと騒いだ時、奈津美を失ったばかりだった彼はただ滑稽だとしか思わなかった。しかしその後、彼女が本当に自分の抱える問題を解決してくれるのを見て、次第に彼女の助けに慣れ、当然のように彼女を利用し始めた。寧々の自分への想いを見透かした上で、彼女を婚約者にし、結婚を急かす家族の口封じにすら使ったのだ。それでも彼の心の中には、常に奈津美がいた。奈津美の帰国後は、なおさら寧々を便利な道具として扱った。自分が寧々にしてきた数々の仕打ちを思い返し、直樹はようやく悟った。自分は、本当に間違っていたのだと。いずれにせよ、生きているのなら会わねばならない。死んでいる
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第10話
直樹のこの行動は、寧々の安否が本当に不明であることを改めて証明する結果となった。彼女の捜索に大金が投じられていることでネットは議論で持ち切りだ。沈んだ表情で心配する直樹に対して、奈津美との浮気が報じられた直後に今さら何を、という非難の声も殺到している。このトレンドで初めて寧々が行方不明になったことを知った奈津美は、これで自分の代わりに罪を被ってくれる者がいなくなったと冷や汗をかいた。かつてビンタを食らわされた直樹に泣きつくわけにもいかず、腹立たしさから逃げ出すようにサングラスとマスクで変装し、街のバーへと向かった。グラスを傾けて神経の疲れを癒やす間もなく、隣のテーブルから鋭い女性の声が飛んできた。「奈津美さん、まさか本人?寧々さんが消えたの、あなたのせいでしょう。よく平気でお酒なんか飲めるわね、なんて根性悪い女なの!」バーの中は元々騒々しい音楽と話し声に溢れており、最初は周囲の数人しか気づいていなかった。しかし、噂は一気に広がり、奈津美が店から出ようとした時には、すっかり大勢の人だかりに取り囲まれていた。酒を浴びせられたり、「泥棒猫!恥知らず!」と罵声が飛んだりした。お酒まみれの髪と服で立ち尽くす姿は、まさに哀れそのものだった。現場は一時、制御不能なパニック状態に陥った。そしてその頃、ネット上は再び炎上していた。バーでの様子を撮影した写真が拡散され、憶測まじりの情報で叩かれているのだ。寧々の失踪に敏感になっていたネットユーザーたちは、そのニュースを見るなり怒りに火がついた。批判の声が波のように押し寄せている。【こんな時に遊び歩く気分になれるなんて、一体どんな神経をしてるの】【こいつには当然の報いを与えるべきだ】……勲は、息を引き取った寧々の体を見つめながら、自らの妖力を練り上げていた。その時、スマホにメッセージが届く。【二宮さん、指示通り全て手配済みです。世論は完全に逆転しています。次の動きを見張っておきます】勲は練り上げた妖力をそっと寧々の体へ注ぎ込んだ。「道は整えた。お前が目を覚ますのを待っている」寧々は深い眠りの中で、あの苦しく重苦しい記憶の深淵に引きずり込まれそうになっていた。その時、誰かが彼女に救いの手を差し伸べた。どれほどの時が経ったのか。朝の光が差し込む中、寧々が意
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