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第三十四話

last update Dernière mise à jour: 2025-03-10 14:48:32

Side 日向

彩華の「隣にいる」と言ってくれた言葉が、頭の中で何度も反響していた。

すべてを片付けるまで――そう言ってくれた。

俺にとって、それはどんな言葉よりも救いだった。

彼女の温もりを腕の中に感じながら、俺はようやく一歩踏み出す覚悟を決めた。

もう、迷うつもりはない。

このまま、曖昧な状態を続けるわけにはいかない。

父親の言いなりになり、会社の未来のために「必要な選択」をしろと言われ続ける人生は、もう終わらせる。

高木家との政略結婚も、親の都合で決められた跡継ぎのレールも、すべて――。

俺はあの日、すぐに行動に移した。高木家にはっきりと断りの連絡を入れたのだ。

だが、その決意がどれほど大きな障害を生むのかは、すぐに思い知らされることになった。

翌朝、いつも通りオフィスに出社すると、すぐに秘書が俺の元へ駆け寄ってきた。

「副社長、社長がお呼びです」

何も言わなくても、すでに動きを察知されていることぐらい想像はつく。

「わかった」

俺は無言で立ち上がり、社長室へ向かった。扉を開けると、すでに父がソファに座って待っていた。

その隣には、高木絵梨奈の姿もある。想像通りすぎていらだちが募るが顔には出せない。

「日向、お前、何を考えている?」

父の声は低く冷たい。まさか俺が父や彼女を通り越して、正式に断るとは思っていなかったのだろう。

それが、この会社に与える影響も父はもちろん、俺だってわかっている。この結婚によって父はこの業界の確固たる地位を築きたいのだ。

だが、それは彩華や瑠香を犠牲にしてやることではない。兄もきっとそれはわかってくれるはずだ。

それに俺だってただずっとぼんやりと会社にいたわけではない。絶対にいつか、この父を今の地位から引きずり降ろしてみせる。

「日向さん、こんにちは」

高木が父の隣で微かに笑みを浮かべながら、俺に頭を下げた。

「絵梨奈さん、お久しぶりですね」

俺もにっこりと笑いつつ、そう答える。とんだ茶番でしかない。

そんな俺たちを見て、父が苛立ったように声を荒げる。

「とぼけるな。お前が最近、妙な動きをしていることは知っている。会社の将来のためにお前を副社長に据えたというのに、余計なことを考えるな!!」

「余計なこと、とは?」

「彼女との婚約の件だ」

だろうな。それ以外この状況でありえない。しかし、俺も今回は引くつもりはない。

「……その話なら
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    高木が部屋を出て行ったあとも、父はしばらく無言のままだった。机に肘をつき、指先で軽くこめかみを押さえている。その仕草からは苛立ちとも疲労ともつかない感情が滲んでいた。重苦しい沈黙が社長室に漂う。重厚な木製のデスクと革張りのソファ、壁に飾られた額縁――どこを見ても、この部屋の空気は冷たく、威圧感があった。俺は椅子に深く腰を下ろし、静かに父の言葉を待った。「……お前、何か勘違いをしているようだな」やがて、父が低く呟く。その声音は先ほどよりも抑えられていたが、言葉の奥には確かな圧力が潜んでいた。「勘違い?」「お前が一人で勝手に動いたところで、この話が終わるとでも思っているのか?」父の冷ややかな視線が俺を射抜く。まるで、手に乗った駒を見下ろすような目だ。その眼差しにわずかな苛立ちが混じったのを、俺は見逃さなかった。「この結婚は、すでに高木家と正式に進めると決まっている。お前の意思ごときで覆る話ではない」「俺は高木家にはっきりと断りを入れました。それでもあなたは、まだこの話を続けるつもりですか?」「当然だ」父はあっさりと言い切った。その表情に迷いは微塵もない。俺の反発など初めから織り込み済みだとでも言うように、淡々とした口調だった。「お前の勝手な判断が、どれほどの影響を及ぼすのか理解しているのか? 高木家の後ろ盾を失えば、我が社は経営基盤を大きく揺るがすことになる。その責任を取る覚悟があるのか?」「その責任を取るのが副社長の仕事なら、俺は正々堂々とやるまでです」言い放つと、父の表情がわずかに変わった。「ほう……?」鼻で笑いながら椅子にもたれかかる。その仕草には余裕が漂っていたが、僅かに目を細めたのを俺は見逃さなかった。俺の言葉が、多少なりとも彼の意識に引っかかったことは確かだ。父は鼻で笑い、椅子にもたれかかる。「ならば、お前の力だけでやってみろ」その言葉に、嫌な予感がした「どういう意味ですか?」「お前を、今日付けですべての経営会議から外す」「……は?」父は淡々と続ける。「副社長という立場は残してやるが、意思決定には一切関与させない。今後、経営に関わる重要案件は、すべて私と取締役会で決める」「そんな……」息を呑む。これは単なる権限の剥奪ではない。「これは私の命令だ」父の言葉は絶対だった。副社長という肩書きを持っていても、

  • Once more with you もう一度あなたと   第三十四話

    Side 日向彩華の「隣にいる」と言ってくれた言葉が、頭の中で何度も反響していた。すべてを片付けるまで――そう言ってくれた。俺にとって、それはどんな言葉よりも救いだった。彼女の温もりを腕の中に感じながら、俺はようやく一歩踏み出す覚悟を決めた。もう、迷うつもりはない。このまま、曖昧な状態を続けるわけにはいかない。父親の言いなりになり、会社の未来のために「必要な選択」をしろと言われ続ける人生は、もう終わらせる。高木家との政略結婚も、親の都合で決められた跡継ぎのレールも、すべて――。俺はあの日、すぐに行動に移した。高木家にはっきりと断りの連絡を入れたのだ。だが、その決意がどれほど大きな障害を生むのかは、すぐに思い知らされることになった。翌朝、いつも通りオフィスに出社すると、すぐに秘書が俺の元へ駆け寄ってきた。「副社長、社長がお呼びです」何も言わなくても、すでに動きを察知されていることぐらい想像はつく。「わかった」俺は無言で立ち上がり、社長室へ向かった。扉を開けると、すでに父がソファに座って待っていた。その隣には、高木絵梨奈の姿もある。想像通りすぎていらだちが募るが顔には出せない。「日向、お前、何を考えている?」父の声は低く冷たい。まさか俺が父や彼女を通り越して、正式に断るとは思っていなかったのだろう。それが、この会社に与える影響も父はもちろん、俺だってわかっている。この結婚によって父はこの業界の確固たる地位を築きたいのだ。だが、それは彩華や瑠香を犠牲にしてやることではない。兄もきっとそれはわかってくれるはずだ。それに俺だってただずっとぼんやりと会社にいたわけではない。絶対にいつか、この父を今の地位から引きずり降ろしてみせる。「日向さん、こんにちは」高木が父の隣で微かに笑みを浮かべながら、俺に頭を下げた。「絵梨奈さん、お久しぶりですね」俺もにっこりと笑いつつ、そう答える。とんだ茶番でしかない。そんな俺たちを見て、父が苛立ったように声を荒げる。「とぼけるな。お前が最近、妙な動きをしていることは知っている。会社の将来のためにお前を副社長に据えたというのに、余計なことを考えるな!!」「余計なこと、とは?」「彼女との婚約の件だ」だろうな。それ以外この状況でありえない。しかし、俺も今回は引くつもりはない。「……その話なら

  • Once more with you もう一度あなたと   第三十三話

    「彩華といるときだけが、俺にとって自分でいられる場所だった。でも、俺が彩華の隣を望むことは許されないよな……」そう言って、日向はふっと悲しげに笑った。その笑顔はあまりにも寂しそうで、どこか諦めが滲んでいて。――どうして、そんな顔をするの?まるで、最初から叶わないことが決まっているみたいに。まるで、最初から私の気持ちなんて、どうせ受け入れられないって決めつけているみたいに。胸の奥がちくりと痛む。なのに、それと同時に、どうしようもなく苛立ちが募っていった。「ねえ、本当に日向はずるい。謝るなら最初からそんなこと言わないでしょ!」気づけば、感情のままに声を上げていた。「『お前なんて嫌いだ、二度と顔も見たくない』そう言えばいいじゃない!」自分でも驚くくらい、強い口調になっていた。「昔から思わせぶりなことばかり言うじゃない! そんなふうに言うから、私は……!」言葉が詰まる。頭の中は混乱しているのに、どうしても止められなかった。「本当は私にそばにいてほしいんでしょ!!」その瞬間、息が詰まった。なんてことを言ってしまったの。まるで、ただのうぬぼれみたいじゃないか。「私のこと好きなんでしょう?」そう聞いているのと同じ。そんなこと、口に出すなんて――。背中に冷たい汗が流れる。こんなことを言うつもりじゃなかったのに。けれど、日向は――。「そうだよ」迷いなく、即答した。「俺はずっとずっと彩華にそばにいてほしい。狂おしいほどに」静かな言葉だった。だけど、その一言は、私の心に鋭く突き刺さった。言葉が出ない。息をするのさえ、苦しくなる。どうしよう。どうしたらいいの?「それができないのは、お父様のことがあるから?」やっと絞り出した声は、震えていた。日向はすぐには答えなかった。けれど、その表情を見れば、答えが「YES」であることは明白だった。「日向は、お父様のこと、どうにかするつもりはあるの? ないなら、もう私と瑠香とは関わら……」そこまで話した私の言葉を遮るように、日向は「ある!」と強く言った。「すべてを片付けて、俺は……」言いかけた言葉をのみ込むように、日向は私をまっすぐに見つめた。その目に映るのは迷いがある様には見えなかった。「でも高木さんの方が、日向の隣にいるのにふさわしいんじゃないの?」それは、私がずっと思っていたこと

  • Once more with you もう一度あなたと   第三十二話

    日向の問いに、何か言葉を返そうとしても、喉がつかえて声にならなかった。 彼の手が触れたままの手首がじんと熱を持ち、鼓動の音だけがやけに響いている。 言葉を発することも、逃げることもできず、ただじっと彼を見つめるしかなかった。それでも日向は諦めず、もう一度問いかける。「昔のことを気にすることないって……どういう意味だ?」さっきよりも少しだけ強い声。「それは……」何かを言わなきゃいけないと思うのに、どんな言葉を紡いでも、うまく伝えられる自信がなかった。あの日、酔って私と一夜をともにしたことを、きっとやさしい日向はずっと気にしている。 再会してからの彼の態度は、後悔からくるものだと、ずっと思っていた。 だから、もう気にしなくていい。 私たちのことは忘れて、自分のために生きてくれたらいい――そう伝えたかった。でも、それが嘘だということも、私は自分でわかっていた。罪悪感だったとしても、日向がそばにいてくれることが嬉しい。 そんなずるい気持ちが、私の心の奥底に確かにあった。だけど、日向は会社を背負う人間。 高木さんが言った通り、私は足手まといだ。そんな迷いを抱えたまま、私は何も言えずにただ黙り込んだ。すると、不意に日向が視線を逸らす。「悪い、体調が悪いときに……」まるで、自分を落ち着かせるようにそう言いながら、彼はそっと私の手を放した。自由になったはずなのに、つかまれていた部分がじんじんと熱を持ち、胸がドキドキと早鐘を打つ。 どうしていいかわからなくて、私は自分の腕をそっと抱えながら、ただ俯くしかなかった。「でも、これだけは知っておいて」沈黙の中、日向の低く落ち着いた声が響く。「……え?」顔を上げると、日向は少しだけ言葉を選ぶように考え込み、そして、ゆっくりとした口調で言った。「今の言葉が、あの日――彩華を抱いたことを言っているなら」その一言に、心臓が跳ねる。あの日――。意識しないようにしていた記憶が、鮮明によみがえってくる。「後悔したこともないし、忘れるつもりもない」静かに、でも確かに日向の声が響く。 私は、息をのんだ。「……っ」驚いて顔を上げると、日向の目がまっすぐに私を見ていた。 迷いのない、揺るがない瞳。「ただ、俺が悔いているのは、彩華のそばを離れたことだ」その言葉を聞いた瞬間、胸が締めつけら

  • Once more with you もう一度あなたと   第三十一話

    Side 彩華朝の光がカーテンの隙間から差し込み、ぼんやりとしたまぶたを照らしていた。まるで柔らかな手で揺さぶられるような感覚がして、意識が浅い眠りから徐々に浮かび上がる。――あれ……?ゆっくりとまぶたを持ち上げると、視界の端に伏せられた頭が見えた。日向――?まだ夢を見ているのかと錯覚しそうになった。けれど、覚醒していく意識の中で、目の前の光景が夢ではないことを理解する。ベッドのそばに置かれた椅子に座り、日向が腕を枕代わりにしてつっぷして眠っていた。最初は、何が起こっているのかわからなかった。でも、彼の肩がゆっくりと上下しているのを見て、現実なのだと気づく。――ずっと、そばにいてくれたの?驚きとともに、心がじんと温かくなるのを感じる。何時間ここにいたのかわからないけれど、少なくとも私は、日向がそばにいることに気づかずに眠ってしまっていた。申し訳なさと同時に、胸の奥に静かに嬉しさが広がっていく。どうして、こんなことをしてくれるの?昔の罪滅ぼし?あの夜のことを、まだ気にしているの?でも、それなら、もういいんだよ。勝手にいなくなる理由があったことは、もうわかった。彼が苦しんでいたことも、どうしようもなかったことも、すべて理解している。だから、そんなふうに気にしないでほしい。それとも――違う?私としては、もう一度、瑠香のパパとママとして、新しい生活を夢見ることもある。現実的ではないとわかっていても、そんな未来を想像してしまう日がある。再会してからの彼は、昔と違っていた。あの頃は、ただ憧れていた。子どもが夢見るように、無邪気に「好き」だと思っていた。でも今は違う。大人になった日向を知り、彼の生き方を知り、私はもう、ただの幼い恋心ではない感情を抱いてしまっている。だけど――。私は、彼の隣に並べるような人間じゃない。それを、一番理解しているのは私自身だった。日向は、会社の後継者であり、大企業の副社長。一方の私は、ただの社員で、子どもを育てるのに精一杯なシングルマザー。彼にとって、私との関係は、きっと重荷になる。それを望んでしまうのは、ただの私のわがままでしかない。――こんな想いを抱いてしまうのは、迷惑なだけ。心にそう言い聞かせるように、眠る日向を見つめた。こうして目を閉じていると、昔の彼に戻ったように見

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