目を合わせたら、恋だった。

目を合わせたら、恋だった。

last updateLast Updated : 2025-05-19
By:  海野雫Completed
Language: Japanese
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「目を合わせることすら怖かった僕に、世界一まっすぐな恋が向かってきた」 桐ヶ谷陽翔が「ガチの一目惚れ」でグイグイ攻めてくるのに対し、綾瀬叶翔は「過去のトラウマ」から人を信用できず、逃げる。
それでも陽翔は諦めず、叶翔にアプローチし続ける。そして少しずつ叶翔が心を開いていき……。

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Chapter 1

第一話 初めて目があった日

「ああ……ムリ、ムリ! 人が多すぎる……。しかもみんな楽しそうに話してるし、あっちこっちで目が合いそうだ……。絶対また変な目で見られるに決まってる……」

 春の柔らかな日差しがキャンパスを包み込み、そこへふわりと桜の花びらが舞い落ちる。大学のメインストリートには、新入生を歓迎するために色とりどりの看板やポスターが並び、そこかしこから活気のある声が飛び交っていた。

 俺――綾瀬叶翔は、真新しいスーツの襟元を窮屈そうに引っ張りながら、人混みを必死に縫うように歩いている。長めの前髪をわざと目元に垂らして、誰とも視線が合わないように下を向きっぱなしだ。こうでもしないと、すぐに呼吸が苦しくなってしまう。

「おーい、テニスサークルやりませんかー? 初心者大歓迎ですよ!」

「映画研究会でーす! 新入生、募集中ー!」

「アニメ・漫画好きさん、集まれー!」

 活気に溢れた上級生たちが、手作りのチラシを片手に次々と声をかけてくる。好奇心でサークルを回っている新入生たちは、上級生に質問をしたり雑談したり、笑顔で盛り上がっている。

 ――みんな、希望に満ちた顔をしてるな……。

 だけど、俺にはまぶしすぎて目を合わせるなんてできない。そもそも、コミュ障の俺がこんな人だかりの中で笑い合うなんて、夢のまた夢だ。

「入学おめでとうございます!」

 周囲はお祝いムード一色。桜の舞う綺麗なキャンパス。普通ならワクワクしていてもおかしくないはずなのに、俺は心の中で息苦しさを感じ続けていた。むしろ、早くこの人混みから抜け出して、誰もいない隅っこに逃げ込みたい。

「……早く、入学式終わってくれないかな……」

 うつむき加減のまま、一刻も早く式典会場へたどり着きたい一心で足を速める。地面ばかり見ているせいで、前方に何があるかなんてろくに確認できていなかった。

 すると、嫌でも耳に飛び込んでくるほどの大きなざわめきが、前方から伝わってきた。そこは他の新歓ブースよりも一層盛り上がっているようで、人だかりができている。

「ほら、あそこにいるの、インディーズバンドの『BLUE MOON』だって。まだプロじゃないけど、めちゃくちゃ人気あるらしいよ」

「確か、この大学の軽音部からプロになったバンド、多いんだよね? その次の有望株が『BLUE MOON』なんだって」

「あ、あのチラシ配ってる人がボーカルなんだ……桐ヶ谷陽翔(きりがやはると)っていうんだよね。ネットでも“イケメン”って騒がれてるらしいけど、本当に顔ちっちゃい! モデルみたい!」

 その声に釣られて、俺も少しだけ顔を上げてしまった。すぐにでも視線を戻すべきだったのに、思わず見とれてしまう。金に近い明るい茶髪と、整った顔立ち。身長も高い。その男は、人波の中心にいながら、全く気負うことなく屈託のない笑顔を振りまいていた。

 ――すごい……何、このキラキラ感……。芸能人かな?

 ごくりと唾を飲んだ瞬間、その彼と目が合った……ような気がした。

「あっ……」

 急に心臓がドクンと音を立てる。けれど、そのまま彼の瞳を見つめているなんて、俺には無理だった。咄嗟に視線を下へ戻してしまう。

(ああ……絶対変だと思われた。気まずい……)

 だが、「BLUE MOON」というバンド名も、ボーカルである彼の顔も、俺にとっては到底縁のない世界の存在だ。せめて知らないフリをして、早くこの場を立ち去ろう。そう思って歩き出そうとしたとき――。

「おー、君、軽音に興味ない?」

 俺の前に、チラシを持った手がすっと差し出された。

「うわっ……!」

 思わず肩をすくめ、びくりと体をこわばらせる。周囲の視線が、一気にこちらに集中した気がした。呼吸が急に浅くなる。

「あ、もしかして、迷ってる? 大丈夫?」

 明るい声に、恐る恐る顔を上げると――やはり、さっき目が合った金髪の彼がそこにいた。近くで見ると、陽光に照らされた髪がまぶしく光っている。笑顔が、まるで雑誌のグラビアみたいにキラキラしていて……そんな眩しさに、俺はますます萎縮してしまう。

 彼がさらに一歩近づこうとした瞬間、ふっと動きを止めたのが見えた。まるで俺の何かに気づいたように、驚いた顔をしている。それを見て、心臓が締め付けられるようにざわついた。

(また……変な奴って思われたんだ……。こんな陰キャが声をかけられて、場違いもいいところだ……)

 頭がぐわんぐわんしそうだ。周りにいる他の新入生からも、「なんであの地味な子が陽翔くんに話しかけられてるの?」なんて言われている気がして仕方ない。

「……っ!」

 痛いほどの鼓動とともに、耐えられなくなった俺は、彼の声を振り切るように俯いて後ずさる。うまく息ができず、のどがカラカラに渇く。袖口をギュッと握り、必死に震えを堪えながら、その場から一気に逃げ出した。

「え、あれ……? あっ、ごめん……!」

 背後から彼の声がかすかに聞こえた。けれど振り返る余裕なんて全くない。何か言葉をかけてくれているみたいだったけど、今はとにかく誰の視線にもさらされたくなかった。

 ――もう、ほんとに最悪だ。大学生活初日から、こんな調子かよ……。

 入学式会場の扉が見えてくると同時に、少しだけ人混みが薄れた。その瞬間、肩の力が抜けて、どっと疲労感が押し寄せる。

「はぁ……。あんなイケメンに話しかけられるなんて、絶対に注目されちゃったよ……。また『変なヤツだな』って思われたはず……」

 胸にうずく恐怖と恥ずかしさ。嫌な汗が止まらない。俺は俯いたまま、なんとか会場の隅の方まで歩いていき、誰の目にもつかないよう壁際に身を寄せた。

(……大学生になったら、ちょっとは楽になれるかと思ったんだけど)

 ここに来るまでの不安は、すべて的中してしまった気がする。人が多いだけで息苦しいし、初対面の人と話すなんて到底無理だ。ましてや、さっきみたいにキラキラした人気者に声をかけられるなんて……。

 動悸がいまだに治まらない。頭の中で、さっきの場面がぐるぐると再生されてしまう。金髪の彼が驚いたように目を見開いていたあの表情が忘れられない。

 ――いったい、どんな気持ちであの目を向けてきたんだろう。

 俺を笑おうとしていた? それとも、興味本位で話しかけてきただけ?

 だとしても、そんなことどうでもいい。もう会うことなんてないだろうし、俺は誰の記憶にも残らないまま、ひっそりと学生生活を送ればいい……。

 壁際に背を預け、震える指先を握りしめてみる。胸の奥には、不安と恐怖が混ざり合った重苦しさだけが残っていた。

「……どうか、誰も俺のことなんか気にしませんように……」

 小さな呟きは、誰にも聞かれることなく消えていく。

 だけど、そのとき脳裏に浮かんだのは、あの眩しい笑顔と、まっすぐな瞳。

 ――なんでだろう。あんな人、俺には絶対関係ないのに……。

 桜の花びらが舞い落ちるキャンパス。新入生たちの晴れやかな声。とびきり眩しい笑顔で話しかけてきた金髪の彼。

 やがて、入学式のアナウンスが会場を満たす頃、俺は決意するように小さく息を吐いた。

 ――どうせ浮かれるような性格でもないし、友達だって別にいなくていい。最低限、トラブルに巻き込まれずにやり過ごせればそれでいい……。

 そう自分に言い聞かせながら、俺は誰にも気づかれないようにコソコソと開式を待つ。胸の奥に渦巻くのは、期待というよりは不安ばかり。

 だけど、あの瞬間に交わした視線と――彼の驚いたような、そしてどこか切なげな表情――その記憶だけが、どうにも胸の奥で大きく揺れていた。

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第一話 初めて目があった日
「ああ……ムリ、ムリ! 人が多すぎる……。しかもみんな楽しそうに話してるし、あっちこっちで目が合いそうだ……。絶対また変な目で見られるに決まってる……」 春の柔らかな日差しがキャンパスを包み込み、そこへふわりと桜の花びらが舞い落ちる。大学のメインストリートには、新入生を歓迎するために色とりどりの看板やポスターが並び、そこかしこから活気のある声が飛び交っていた。 俺――綾瀬叶翔は、真新しいスーツの襟元を窮屈そうに引っ張りながら、人混みを必死に縫うように歩いている。長めの前髪をわざと目元に垂らして、誰とも視線が合わないように下を向きっぱなしだ。こうでもしないと、すぐに呼吸が苦しくなってしまう。「おーい、テニスサークルやりませんかー? 初心者大歓迎ですよ!」「映画研究会でーす! 新入生、募集中ー!」「アニメ・漫画好きさん、集まれー!」 活気に溢れた上級生たちが、手作りのチラシを片手に次々と声をかけてくる。好奇心でサークルを回っている新入生たちは、上級生に質問をしたり雑談したり、笑顔で盛り上がっている。 ――みんな、希望に満ちた顔をしてるな……。 だけど、俺にはまぶしすぎて目を合わせるなんてできない。そもそも、コミュ障の俺がこんな人だかりの中で笑い合うなんて、夢のまた夢だ。「入学おめでとうございます!」 周囲はお祝いムード一色。桜の舞う綺麗なキャンパス。普通ならワクワクしていてもおかしくないはずなのに、俺は心の中で息苦しさを感じ続けていた。むしろ、早くこの人混みから抜け出して、誰もいない隅っこに逃げ込みたい。「……早く、入学式終わってくれないかな……」 うつむき加減のまま、一刻も早く式典会場へたどり着きたい一心で足を速める。地面ばかり見ているせいで、前方に何があるかなんてろくに確認できていなかった。 すると、嫌でも耳に飛び込んでくるほどの大きなざわめきが、前方から伝わってきた。そこは他の新歓ブースよりも一層盛り上がっているようで、人だかりができている。「ほら、あそこにいるの、インディーズバンドの『BLUE MOON』だって。まだプロじゃないけど、めちゃくちゃ人気あるらしいよ」「確か、この大学の軽音部からプロになったバンド、多いんだよね? その次の有望株が『BLUE MOON』なんだって」「あ、あのチラシ配ってる人がボーカルなんだ……桐ヶ谷陽翔
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第二話 同じクラスだった悪夢
 大学に入学してからの一週間は、あっという間に過ぎ去った。高校までは決められた時間割に沿って受動的に授業を受けていたが、大学では自分で履修登録をして、取りたい講義を選ばなければならない。必修科目を押さえつつ、興味のある選択科目をどう組み込むか――。最初は戸惑ったが、自分で決めるという行為はどこか新鮮で、少しだけわくわくする気持ちもあった。 もっとも、すでにサークルに参加している連中は、先輩たちから「単位の取りやすい授業」や「テストが簡単な講義」について積極的に情報収集をしているらしい。そういう様子を、まるで別世界の出来事みたいに横目で見ながら、俺は自分の興味を基準に履修を組んだ。友人や先輩のアドバイスなど、もとより聞く相手もいないし、そもそも関わりたくなかった。 住む場所だって、あえて寮生活を選ばなかったのは、誰とも日常的に顔を合わせずに済む方法を取りたかったからだ。一人暮らしは初めてだったけれど、最低限の自炊と家事をこなすうちに、それなりに慣れてきた。必要な買い物は夜遅くにコンビニで済ませる。誰かと鉢合わせするリスクを少しでも減らしたかった。 そんな感じで、なるべく周囲と関わらない生活を続けていたのに――。 初めての授業日。最初のコマは、大講義室での講義だった。大勢の学生が集まるらしく、教室に入った瞬間から賑やかな声が耳に飛び込んでくる。演劇場のように段差がついた座席が広がり、前方のホワイトボードの横にはモニターまで備え付けられていた。 その光景だけで、なんだか気圧されそうになる。なるべく人から遠い席を確保したくて、俺は一番後ろの窓際へ急いだ。ここなら視線が集まらないだろう。窓からは明るい春の光が差し込んで机をやわらかく照らしている。けれど俺はそれをありがたく感じるよりも、“誰にも見つからない暗がり”を求めるように、姿勢を小さくしながら座った。 ――あぁ、この講義は結構人数が多いんだな。どうか指名されませんように……。 講義が始まるベルが鳴るまでの間、ノートとペンを静かに取り出す。ペンケースのファスナーをゆっくり開き、なるべく音を立てないようにペンを出して準備を整えた。隣の席には誰もいない。俺は心底ホッと胸を撫でおろす。 ――これならこの授業、なんとか無事にやり過ごせそう……。 ところが、始業のベルが鳴る寸前、俺の横の席に人の気配が降りた。しか
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第三話 昼休みのベンチ
 朝一の“逃走劇”がひとまず終わり、そこから二限目はどうにか穏便にやり過ごす。特に目立ったことはなく、授業も問題なく終わった。ホッと息をついて廊下に出ると、学生たちは昼休みということで揃って食堂へ向かっていく。 ――人混みの食堂なんて、絶対無理……。 そう思い、中庭へ向かう。大学の中庭には木々が並び、ベンチやテーブルが点在していて、少し落ち着ける空間になっている。意外と知っている人が少ないのか、人気がほとんどなく、俺のお気に入りの“隠れスポット”だ。 日当たりのよい場所を避けるように、一番奥の木陰にあるベンチへ。そこは淡い木漏れ日が差し込み、春の心地よい日差しを適度に遮ってくれる。カバンから今日の昼飯――コンビニで買ってきた菓子パン――を取り出して、そっと息を吐いた。 ――今日は朝から散々だ……。あんなキラキラした人に追いかけ回されるなんて……。 半ば呆然としながらパンの袋を開け、かじろうとした、そのとき。 すとん。 不意に、誰かがベンチの隣へ腰を下ろした気配がした。俺の隣に他の人が座るなんて滅多にない。しかも、空いてるベンチは他に掃いて捨てるほどあるのに。驚いて横目をやると――。 ――また……あの人だ。 朝、教室で声をかけてきた桐ヶ谷陽翔が、何食わぬ顔で弁当箱を広げている。こんな“穴場”をどうして知っているんだろう……。俺の心は嫌な予感と混乱でいっぱいになる。 彼が持ってきている弁当は、色とりどりの野菜や卵焼き、肉料理がバランスよく詰まっていて、やたらと美味しそうに見えた。誰かが作ってくれたものなのだろうか。けれど彼の周囲に他の友人らしき人はいない。「いただきまーす!」 陽翔はにこやかにそう言ってから食べ始める。大きく頬張る姿は飾り気がなく、むしろ子どもっぽいとも言える。だけど、そんな無防備な表情も様になってしまうのが、彼の持つカリスマ性なのかもしれない。 ――何で俺の隣にわざわざ座ってんだ……。 パンを持った手が震え、食欲が失せてしまう。少し背を丸めて気配を殺そうとするが、すぐに陽翔は俺の方へ顔を向け、嬉しそうに声をかけてきた。「ねえ、君って、もしかして同じ学部だったりする? さっきも大講義室にいたでしょ」 耳に心地よいトーンで問いかけられると、なぜか拒否しきれず胸がざわつく。とっさに言葉が出てこなくて、ただ俯くしかない。「入
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第四話 一人の帰り道
 その日の夕方。一日の授業が終わり、俺は薄暗くなり始めた街を抜けて、自宅マンションに向かっていた。オレンジ色の街灯が淡く照らす道を歩きながら、今日あった出来事を振り返って、再びため息をつく。「……なんであんなに何度も声をかけてくるんだろう。朝だってしつこかったのに、昼には結局捕まっちゃったし……」 追いかけられていたときの周囲の視線を思い出すと、未だに胸がざわつく。あの光景は二度と味わいたくない。 だけど、ベンチでの会話――俺が名前を言ったときの、彼の嬉しそうな笑顔――あれを思い出すと、妙に胸が熱くなる。こわばっていたはずの心が、ほんの少し緩んだ気がした瞬間だった。「……いや、絶対気のせいだ。俺にとっては怖いはずなのに……」 頭を振って否定する。考えれば考えるほど、自分でも訳が分からなくなりそうだ。あんなキラキラした“モテ男”と俺なんかが釣り合うわけがないし、関わるメリットなんて何もない。最初から深く考えずに、距離を取ればいいだけのことなのに……。「でも……あのまっすぐさって、反則だろ……」 ぼそりと呟いて、開けかけたマンションの扉を押し込む。室内に入ると、狭いワンルームがひんやりとした空気で満ちていて、今日一日の疲れがどっと襲ってきた。鞄を床に置いて、電気をつける。部屋には誰もいない。 ――そう、俺は一人でいいんだ。誰にも迷惑をかけず、誰からも変な目で見られずに過ごせるなら、それがいちばん楽なはず……。 そう言い聞かせながら、ベッドに倒れ込む。瞼を閉じても、どうしても陽翔の屈託のない笑顔が浮かんでくる。それは朝日のようにまぶしくて、俺の“当たり前”を容赦なく揺るがそうとしていた。 ――明日も彼は同じ教室に来るのだろうか。それともまた昼にあのベンチへ……? 考えるだけで緊張が走るのに、なぜか“怖い”一辺倒とは言い切れない気持ちが胸にこみ上げてくる。だが、そこにある微かな好奇心を、俺は必死に振り払うように目を閉じた。「……うるさい、もう寝よ……」 上着すら脱がず、ベッドに身を横たえる。脳裏には桐ヶ谷陽翔のまぶしい笑顔が何度もよぎる。そんな相手のことなんて考えたくないのに、思い出すたびに心がざわつく。 ――変だ。俺、どうしちゃったんだろう……。 やがて、疲れからか深い眠気が襲ってくる。まぶたが重くなり、意識が溶けていくように遠のく。最後に
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第五話 また、来た……
 大学の授業は、高校と違って一つひとつの教室が変わる。授業と授業の合間に移動しなくてはならず、開始時間ギリギリになると出入口周辺は学生でごった返す。そんな状況は、なるべく人の視線を避けたい俺には地獄以外の何物でもない。だからこそ、少しでも落ち着いて席を確保するために、俺は毎回少し早めに教室へ入っていた。 この日も二限目が行われる教室へ、開始の十分ほど前に入室する。百人は入るであろう中規模の講義室で、段差になっている座席を見渡しながら、一番後ろの窓際へ滑り込む。窓から見える桜の木は、すっかり花が散ってしまったが、時折舞い落ちる花びらが窓ガラスに貼りついたままになっていて、微かな春の名残を感じさせた。 鞄からノートとペンケースを取り出し、ファスナーを静かに引いてペンを取り出す。なるべく物音を立てずに――そう自分を戒めながら準備をしていると、前方の扉から見覚えのある金色の髪が目に飛び込んできた。 |桐ヶ谷陽翔《きりがやはると》。 見るからに華やかなオーラをまとい、教室に入るなりあちこちから声をかけられている。彼はそのたびに笑顔で手を振り、軽やかな調子で返事をしていた。そんな陽キャの塊のような存在に、俺は反射的に視線を逸らす。 ――また、隣に座ったり……は、しないよね。 切実にそう祈ったのも束の間、迷うことなく彼は一直線に俺の方へ向かい、やけに自然な動作で隣の席へ腰を下ろす。「また会ったね!」 さも当然のように笑いかける彼に対して、俺は返事どころか顔を向けることすらできなかった。どうしてこんな目立つ人が、俺なんかの隣に座ろうとするんだ。周囲の学生たちがこっちを見ているのではないか――そう考えるだけで心臓がドクドクとうるさく鳴り、冷たい汗が背中をつたう。「叶翔くんと同じ授業がいくつもあるなんて、なんか運命感じるなぁ。ほら、他にも一緒になるかもね」 陽翔は頬杖をついて、まるで楽しそうに俺を見つめている。俺は視線を合わさないよう、必死にノートへ集中するふりをした。だって、目が合ったら、また呼吸が苦しくなる。 ――なんでこんなに構ってくるの……? 彼なら、もっと他に友達がいそうなものなのに。モテ男だし、普段はバンド仲間だっているはずだ。それなのに、なぜ俺を追いかけ回す? 朝からずっと不思議で仕方がなかった。 ちらりと周囲を窺うと、意外にも彼の近くに座ろう
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第六話 逃げたい、けど
 ところが、今日の中庭はいつも以上に人が多い。ぽかぽかと暖かい陽気に誘われて、ベンチやテーブルには先客が溢れている。仕方がなく、植え込みの石段に腰を下ろし、コンビニで買ってきたパンにかぶりつく。 ――あんなモテる人が、なんでわざわざ俺とご飯なんて……。 どう考えても不自然だ。絶対、軽い冗談か冷やかしだ。そんな思いが頭を支配して、パンの味すらわからない。木陰に漂うひんやりとした空気が、今の自分の心を映し出しているかのように感じた。 先ほどの出来事を考えながらぼんやりしていたところへ、突然後ろから元気な声が飛んできた。「やっと見つけた!」 肩がびくりと震え、驚いた拍子に手の中のパンを落としかける。「わっ……!」 慌てた俺より先に、すっと長い腕が伸びてパンをキャッチしてくれた。「危なかったね。はい、どうぞ」 まるで英雄のようにパンを差し出すのは、やはり陽翔だった。彼はまぶしい笑顔を浮かべながら、春の日差しを背に金色の髪をきらきらと揺らしている。「……あ、ありがとう……ございます……」 何とか礼を言い、再度逃げようと立ち上がりかけるが、周囲のベンチも通路も人でいっぱいで、すぐには動けない。それを見た陽翔は隣に当たり前のように腰を下ろし、今日はサンドイッチの詰まった包みを取り出す。 まるでSNSで見るカフェごはんのような、カラフルなサンドイッチ。昨日の手作り弁当もそうだったが、彼が食べているものはどこか手が込んでいて、見た目も鮮やかだ。自分で作ったのか、もしくは誰かに作ってもらったのか――聞きたいけれど、そんな余裕はまったくない。 隣で「うまいっ!」と満面の笑みを浮かべながら頬張る陽翔とは対照的に、俺のパンはやけに味気ないままだ。「……叶翔くん、もしかして、俺のこと避けてる?」 いつも明るく弾むはずの声が、少しだけかすれて聞こえた気がした。ちらりと横目で見ると、陽翔はサンドイッチを持つ手を止め、心細そうに顔を伏せている。「俺って……そんなに怖いかな……?」 その言葉には、彼の本音がこぼれ落ちているように感じた。まっすぐで裏表のない彼が、冗談抜きで傷ついている――そんな雰囲気が滲む。 思えば、陽翔が俺に何か強引なことをしたわけじゃない。ただ距離を詰めようとしてくるだけで、嘲笑や悪意らしきものは感じられない。でも、俺がここまで逃げ回るのは……
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第七話 初めての女の子の味方?
 三限目の授業がない俺は、そのまま中庭で時間を潰すことにした。ほとんどの学生が教室へ移動した後の中庭は、さっきまでのにぎわいが嘘のように静まり返っている。木々の間から春の木漏れ日が落ち、ベンチやテーブルに柔らかな影を作っていた。 適当なベンチに腰を下ろし、スケッチブックを取り出す。ペラペラとページをめくって空いたスペースにイラストでも描こうとした、そのとき。「ねぇねぇ、さっきの授業で桐ヶ谷陽翔先輩に声かけられてたでしょ? すごくない? あんな神イベント滅多にないよ?」 弾むような、明るい女性の声が聞こえてくる。驚いて顔を上げると、黒髪のショートヘアでスリムなパンツを穿いた女性がニコニコしながら立っていた。少しキツめの目元だが、その瞳は柔らかく、人懐っこい光を帯びている。「ごめん、いきなり話しかけて。あたし、さっき同じ教室にいたんだけど、陽翔先輩に声かけられてるから気になっちゃって。あたし、一年の宮下芽衣(みやしためい)。よろしくね」 そう言って、芽衣は右手を差し出す。慣れない動作に戸惑いつつも、拒否するわけにもいかず、俺もおずおずと握手を交わした。「い、一年の……綾瀬(あやせ)……叶翔(かなと)……です……」 目を合わせないまま名乗ると、芽衣は軽く俺の前髪を指でかき上げて、顔を覗き込んでくる。「うわ、イケメンじゃん! 顔隠してるの、もったいないねー」 めったに言われない言葉に戸惑いを覚えつつ、また俯きがちになる。人によっては馴れ馴れしさを感じてしまいそうだが、芽衣には不思議と警戒心が薄れる空気があった。陽翔とはまた違うタイプの明るさと言えばいいだろうか。「実はあたし、BLUE MOONの大ファンで、特に陽翔さん推しなの。ライブも何度か行ってて、SNSも全部フォローしてるんだよね。だから、この大学に入ったってのもあるんだ」 そう言いながら、芽衣はスマートフォンの画面をちらりと見せてくる。そこには陽翔たちが出演するライブ情報や、ファンアカウントらしい投稿がぎっしり並んでいた。「……そう、なんだ。知らなかった。そんな人気バンドがあるなんて……」 正直、俺は音楽シーンに疎いし、そもそも高校時代にあまり情報収集する余裕がなかった。「ねえ、叶翔くんは普段何してるの?」 何気ない質問のつもりだろうが、俺はとっさにスケッチブックを握りしめ、隠すように閉
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第八話 ”絵”の正体
 ――絶対バレちゃまずい……。またあの時みたいに、ネット上で晒されたら……。 嫌な思い出が頭をよぎり、心臓がぎゅっと締め付けられた。過去に受けた仕打ちを思い返すと、手足が震えそうになる。 次の授業まであと少し。気持ちを落ち着かせようと教室へ向かう道すがらも、どうにも胸の鼓動が速い。人気のない教室の一番後ろの席で、始業を待つ間にプリントが配られてくる。何か書き込んで落ち着こうと、つい余白にさらさらとラフスケッチをしてしまう。 だが、授業が終わって片付けをしているとき、一枚のプリントが床に落ち、拾おうと身を屈めたところで先に誰かの手が伸びてきた。「はい、これ落としたよ」 顔を上げると、そこにいたのは芽衣だった。彼女はプリントを差し出したまま、じっとイラストの描かれた余白を見つめている。 ――まずい……。 こちらを見つめる芽衣の表情は、さっきよりも複雑そうで、何かに気づいたような、思い出したような――そんな色が浮かんでいた。でも、何も言わずにプリントを俺の手に渡し、さっと立ち去っていく。「……ありがとう……」 その背中を見送る間、胸の鼓動がうるさいほどに鳴り響いていた。ラフスケッチに描いていたのは、バンドのメンバーらしき立ち絵だ。もしこれが、芽衣が知っている有名イラストレーターの絵柄と似ているなんてことになったら……。 嫌な汗が額を伝う。過去のトラウマが頭をもたげ、全身がこわばる。 ――もう、二度と繰り返したくないのに……。あんな思いは、もう……絶対に。 プリントを胸元に押し当て、身震いを押し殺す。外では春の陽射しが穏やかに降り注いでいるというのに、俺の心は雲のかかったまま、暗い影が広がっていた。
last updateLast Updated : 2025-05-19
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第九話 見ないでって、願ってた
 高校一年生のときのことを思い出すだけで、今も胸がきしむように痛む。 淡い期待を抱いて入学したあの高校での生活は、初めこそ順調だった。クラスにもうまく溶け込み、特にクラスの中心的存在だった彼と親しくなるのに、それほど時間はかからなかった。 行きも帰りも一緒で、休み時間にはたわいない会話を繰り返し、昼食を並んで食べる。体育祭を経てさらに距離が縮まり、その関係は周りから見ても「仲の良い親友」と言えるものだった。いつの間にか彼の笑顔が、自分の中で特別な意味を帯びるようになっていた。 俺が男を好きだと自覚したのは、中学の頃。 同級生数人でエロ動画を見ていたときのことだ。友人たちは映像に映る豊満な女性の身体に興奮していたが、俺の視線は真逆の場所へ向かっていた。 引き締まった体躯や厚い胸板、割れた腹筋、男らしさを象徴する無骨な指先。それらに不可解なほど惹かれ、「こんなふうに抱かれてみたい」とさえ思ってしまった――その瞬間、自分が「男を好きになる」という事実をはっきりと知ったのだ。 高校に入り、彼と過ごすうちに高鳴っていく気持ちを抑えられなくなったのは、一年の三学期頃だった。親友として当たり前に接している日常が、恋心の芽をひそやかに育てていったのだろう。いつしか“好き”という言葉が喉の奥までこみ上げ、とうとう告白せずにはいられなくなった。 決心を固め、部活終わりの夕方に呼び出した彼を待つ教室は、冬の夕暮れが早くに落ちていて、蛍光灯の冷たい光が教室の隅々を浮かび上がらせていた。廊下から聞こえる遠い笑い声とは対照的に、二人きりの教室は張りつめた静寂に包まれていた。「……好き、なんだ。お前のことが……」 声が震え、心臓も壊れそうなほど鳴っていた。けれど、その言葉がどういう結末を招くのかは、まるで想像できなかった。 彼は目を見開き、言葉もなく硬直していた。驚きと戸惑いがない交ぜになった表情。その奥に見えたのは“嫌悪”だった。徐々に顔色が青くなり、吐き気を催したように唇を歪めると、何も言わないまま走り去っていった。 俺は机に突っ伏してそのまましばらく動けなかった。 次の朝――いつも一緒に登校していたはずの彼から「先に行く」とだけ連絡がきた。胸に嫌な予感を覚えながら教室に入ると、机の中には一通の手紙が入れられていた。 そこには下品な罵倒と、ゲイを揶揄するような言葉
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第十話 友達なんて、いらない
 大学に進学した今でも、その傷跡は決して消え去ったわけではない。いつものように、始業の十分前に教室へ入り、一番後ろの窓際の席を確保する。もうすっかり、これが“定位置”になってしまった。 窓から差し込む春の日差しは穏やかで、外の木々には若々しい新緑がきらきらと揺れている。陽射しを浴びて暖まる教室の空気の中で、ふと息をつく。 ――今日は、陽翔さんと同じ授業はなかったよな……。 そう思うと、ほっとするような、なぜか寂しいような、不思議な感情が湧き上がる。自分でもその落差に戸惑い、首を振って打ち消す。 --……俺はあんな人を信じられるわけない。怖くないかもしれないけれど、信用しすぎるなんて絶対にだめだ……。 胸の奥をざわつかせる思いを閉じ込め、ノートの端にラフスケッチを描き始める。この時間こそが俺にとっての逃避であり、心の拠り所だ。ペン先が滑り始めると、周囲の雑音から切り離されたような集中力が得られる。 しかし、その平穏は突然、明るい声で破られた。「やっほー、叶翔くん! おはよー!」 頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこには|宮下芽衣《みやしためい》が立っていた。先日から何度か声をかけてくれる。 俺は慌ててペンを止め、かろうじて小さな声で返事をする。「……お、おはよう……」 芽衣は笑顔のまま隣の席を当たり前のように確保すると、ちらりと俺のノートを覗き込む。「昨日も思ったんだけど、ほんとにイラスト上手だね。すっごく引き込まれちゃう」 ぎくっ……と胸が強張る。もしこの絵を芽衣が特定してしまったら――あの嫌な思い出がふと脳裏をかすめる。 しかし、芽衣は怪訝そうな目で見つめるわけでもなく、ただ純粋に興味を持っているように見えた。それでも俺は、スケッチブックをそっと閉じ、身を縮こまらせるようにノートの上に手を置く。「み、宮下さん……」「もう、芽衣でいいよ。あたしも“叶翔”って呼びたいし、呼び捨てで気軽に話そ」 彼女はまったく悪意を感じさせない瞳で、言葉を続ける。彼女はサバサバした性格だが押しつけがましくなく、人と関わるのが本当に上手いのだろう。下手に自分を大きく見せようともせず、かと言って妙な距離を取ろうともしない。俺のような陰キャだって構わず会話してくれるのはありがたいが、警戒心が残るのも事実だった。「……じゃ、じゃあ……芽衣、って呼ぶ……
last updateLast Updated : 2025-05-19
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