ログイン何世紀も生きる白狐の半妖・藤宮和泉は、 二人の息子を育てるシングルマザー。 ROH― Ray of Hope ― 希望の灯りー 人の世界で生きる半妖の白狐、 藤宮和泉(ふじみや いずみ)。 長い時を生きる彼女は、 静かに人間社会に紛れて暮らしている。 社長、研究者、弁護士、アイドル―― さまざまな男たちが彼女に惹かれ、近づいてくる。 だが、和泉は誰のものにもならない。 ただ一人。 彼女の隣に、自然に立つ男がいる。 警備担当の青年、優士。 人と妖。 交わらないはずの時間の中で、 二人は少しずつ距離を縮めていく。 これは―― 長い孤独を生きてきた白狐が見つける、 小さな希望の物語。
もっと見る私は今、窓口で200万円を越える大口現金取引の対応をしている。400万円……私の銀行員としての年収を遥かに上回る額で、指先が震え手に汗が滲んだ。札束の重みが掌にずっしりと伝わり、息を潜めながら一枚一枚丁寧に数える。顧客の視線が背中に刺さるように感じ、ミスは許されない緊張が全身を支配する。こんな大金を日常的に扱う世界があるなんて、入行した頃は想像もしていなかった。
「こちらの申込用紙にお名前、ご住所、連絡先と……あと……、なんでしたっけ?」
隣の同僚に聞いても素っ気ない態度で「係長にでも聞いてくれば?」と顎でしゃくった。私は慌てて立ち上がり、椅子は大きな音を立てて床に倒れた。クスクスと失笑が頭上から降ってくる。私は同僚にウケが宜しくない。葛城株式会社社長夫人という肩書も、ここではただの新入り扱い。一人の私を妬み、要するに虐められている。大人のイジメは陰湿だ。誰も表立って敵対しないのに、視線と小さな仕草でじわじわと追い詰めてくる。400万円の札束を前に震えていた指が、今度は恥ずかしさで熱くなった。
「運転免許証かマイナンバーカード……パスポートでも結構ですので、お顔が確認出来るものを」
男性はマイナンバーカードを差し出した。卯月真広、30歳。夫の忠則と同い年なのに、どこか落ち着いた大人の色気がある。いや……ただ単にマザコンの忠則がいつまでもガキっぽいだけなのかもしれない。
「ご職業は?」
「会社員だ」端正な顔立ちに深く澄んだ湖のような声色が重なる。思わず聞き惚れてしまい、頷くのが遅れた。
「失礼ですがご利用目的をお伺いしても宜しいですか?」
「売買……」 「はい?」卯月様は一瞬視線を逸らし、すぐに「自動車を購入する」と訂正された。声が少し上ずっている。400万円もの現金を車購入のためだけに持ち歩くものだろうか。ちょっと怪しい。胸の奥に小さな棘のような違和感が刺さった。
「ありがとうございます」
100万円の入った封筒がカウンターに山積みになる。次々と積み重なる札束の山が、まるで私を嘲笑うようにそびえ立つ。彼は持参したアタッシュケースを開くと、ぞんざいに札束を掴んで放り込み、ガチャンと蓋を閉めた。金属の音が静かな窓口に響き、周囲の視線が一瞬こちらに集まる。私は精一杯の笑顔を作ったが、脇の下には汗が滲んでいた。早くここから立ち去って欲しいと心から願った。
ところが卯月様はグラサンを掛け、私の顔をじっと覗き込んだ。レンズ越しの視線が鋭く、まるで心まで見透かされるようだった。
「あんたが葛城美穂子さんか?」
「は、はい。私が葛城でございますが……なにか不手際でもございましたでしょうか?」心臓が耳元でどくどくと鳴り、息が浅くなった。背中に冷や汗が一筋、ゆっくりと伝うのがわかる。
「いや、確認したまでだ」
取引が終わると、営業課長が係長と連れ立ちカウンターから飛び出してきて、卯月様に深々と頭を下げた。「ありがとうございました」私は黒いカラスのようなスーツの背中が遠ざかるまで、息を詰めて見送るしかなかった。この取引の違和感が、胸の奥で重く沈殿していく。なぜ私の名前を知っていたのか。その一言が、頭の中で何度も反芻される。
銀行の窓口が閉まり、シャッターがガラガラと下ろされ1日の終わりを告げる。私はインカムを外し、緊張で凝り固まった首をゆっくり回す。
窓口業務の同僚たちは挨拶もなしに椅子から立ち上がり、さっさと更衣室へ向かった。他の行員や上役には満面の笑みで「お疲れ様です」と会釈するのに、私には視線すらくれない。
私は彼女たちにとって見えない存在なのだろう。孤独感が胸を鋭く刺す。今日の卯月様の取引、あの「確認したまでだ」という一言が頭から離れない。誰かに話したいのに、誰も振り向いてくれない。この支店で、私は本当に一人きりだ。
そして案の定、ロッカールームの扉には一枚の落書きが貼られていた。黒いスーツ姿の男性とポニーテールの女性がキスをしている。幼稚すぎて言葉も出ない。卯月様と私を重ねたつもりなのだろう。嫉妬と嘲笑が混じった下品な落書きに、胸がざわつく。
私はコピー用紙を引き剥がし、力を込めてグシャグシャに丸めた。ゴミ箱に投げ込むとき、指先が震えた。そこには私の悔しさと、誰にも見せられない涙が積み重なっている。
同僚たちのクスクス笑いが背中に残り、今日の違和感と屈辱が1つに絡みつく。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 原作者・作家の天咲琴乃(あまさき ことの)です。 『ROH-Ray of Hope―白狐・和泉の恋愛草子100年の時を超えて―』は、100年を生きる白狐の女性が、自らの運命に抗いながら愛を見つける物語として生まれました。 GoodNovelでの長編連載は私にとって大きな挑戦でした。 藤宮白狐譚は、シリーズにしようとして 作ったもので、 まず、最初に100年生きて、恋をすることを 許されない白狐の女性をつくらました。 それに逆らい結婚しても呪が強くて 結婚しても離婚してしまうと言う悲劇が起きる。 相手役にはGoodNovelの人気カテゴリーの CEOやツンデレ彼氏や100年の恋といった、 皆様が好きなジャンルを取り込む と決めて書き出しました。 ところが、途中から日常を書きつつ、 恋愛が中々進まず、 シングルマザーだから子供たちも 無視を出来ない為 進行がスロースペース、書ける時に書いて 保存しておき、 更新するときに貼り付ける、という地味な作業を コツコツとやりつつ、本日まで至った次第です。 ネット小説のGoodNovelで、どこまで自分に 読者がつくのか未知数で、読んで貰えるのか、 ROHにくるまでの作品は総合の文字数が 5万文字や3万文字が多いのは、読んで貰えるのか 不安と期待の狭間で、書きました。 どのキャラクターも、人間らしいことと、恋愛奥手、 人付き合いが苦手など、作者の悩みも反映しつつ、読んだ人が 仕事の疲れや学校の人間関係の疲れなど ホッとして貰えたらいいなと思います。 純愛って現実世界であるのかわからないくらい、 いまの世の中は恋するひとの倫理観が問われ 承認欲求が強く倫理観が乏しい人も多くて 私自身もシングルマザーで、この小説のような私の優士はまだみつかっていませんが 言霊があるように、強く思い続けることで未来を引き寄せることができるかも、知れない。 「先生、お疲れ様。次の新作は?」 私の右肩に、白い細い指の手が置かれた。 藤宮和泉、元白狐の、半妖怪だった女性の 透き通る指。 「和泉、優士くんは?傷は治った?」 「天咲先生、ええ。ありがとう、物
朝日が差し込んでいた。長かった夜が終わる。五芒星の結界は消えた。白狐たちの姿もない。藤の花だけが静かに揺れていた。「……終わった」和泉はその場へ座り込む。身体に力が入らない。まるで百年間背負っていた何かが、一気に抜け落ちたようだった。「和泉!」優士が駆け寄る。和泉は顔を上げた。不思議だった。いつも感じていたものがない。未来の気配。人の感情。妖力の流れ。何も感じない。「……見えない」小さく呟く。「未来が見えない」優士が息を呑む。和泉は空を見上げた。ただの空だった。特別な光もない。神の声も聞こえない。百年間、一度もなかった感覚。「ふふ……」和泉は笑った。涙が零れる。「本当に人間になっちゃった」その声はどこか嬉しそうだった。だが。次の瞬間。和泉は優士の肩を見て顔色を変える。「優士!」白装束が赤く染まっていた。昨夜の傷。深い。確かに塞がり始めてはいる。だが。以前なら、とっくに治っていた。「大丈夫です」優士は苦笑した。「大丈夫じゃないでしょ!」和泉は半泣きになる。優士は傷口を見下ろした。そして。少しだけ考える。「……」数秒後。ぽつりと言った。「術が使えるうちに治しておけば良かったですね」「優士!!」和泉が叫ぶ。宮司たちまで吹き出した。こんな状況で何を言っているのか。優士は肩をすくめる。「いや、本当に」「笑い事じゃない!」「死んでません」「そういう問題じゃない!」和泉の目から涙が溢れる。怒っているのか。安心したのか。自分でも分からない。優士は静かにその涙を拭った。昔なら。術で治せた。傷も。病も。苦しみも。だが今は違う。もう二人とも人間だ。怪我もする。病気にもなる。老いていく。いつか死ぬ。でも。それでいい。優士はゆっくり立ち上がる。そして。和泉へ手を差し出した。「帰りましょう」和泉はその手を見る。百年前。叶わなかった未来。百年間。夢見続けた未来。それが今。目の前にある。和泉は手を伸ばした。優士の手を握る。温かい。人間の手だった。「うん」小さく頷く。涙を拭いながら。笑いながら。遠くで鳥が鳴いている。春風が吹く。藤の花が揺れる。白狐の呪いは終わった。永遠の命も。不思議な力も。
光は夜空へ昇っていった。白く。優しく。まるで百年分の祈りを抱いているかのように。「……」和泉は立ち尽くしていた。身体の奥から何かが抜けていく。不思議な感覚。怖くはなかった。ただ。少し寂しかった。百年間共にあった力だから。その時だった。結界の向こう側で光が揺らぐ。誰かがいる。いや。一人ではない。何人も。何十人も。白い影が立っていた。「……」宮司たちが息を呑む。優士も言葉を失った。和泉だけが分かった。この気配を知っている。血の中に流れている。遠い昔から。ずっと。「……ご先祖様」和泉が呟く。光の中から女たちが現れる。巫女装束。白狐の耳。長い髪。美しく。そして強い目をしていた。戦国時代を生きた者。江戸を生きた者。明治を生きた者。時代を越えた白狐たち。藤宮家の巫女たちだった。「ほう」最前列の女性が腕を組む。「おまえだけ恋を成就させる気か」和泉が固まる。「え」「え、じゃない」別の巫女が呆れたように言う。「私たちは全員失敗したぞ」「そうそう」「羨ましいにもほどがある」「百年待っただけで済んだなら楽なものだ」口々に言われる。和泉は思わず頭を下げた。「すみません……」優士が横で困っていた。何を謝っているのか分からない。だが。先祖たちは笑っていた。本気で怒っている訳ではない。どこか楽しそうだった。「顔を上げろ」最年長らしき巫女が前へ出る。銀色の長い髪。圧倒的な存在感。和泉はゆっくり顔を上げた。巫女は和泉を見つめる。長い時間。じっと。そして。ふっと笑った。「よく頑張ったな」その一言で。和泉の涙が溢れた。百年。待ち続けた。泣き続けた。諦めそうになった。それでも。生きてきた。「……ごめんなさい」和泉は泣きながら言う。「私だけ」巫女は首を振る。「違う」優しい声だった。「おまえは我らの続きを生きたのだ」周囲の巫女たちも頷く。「そうだ」「行け」「幸せになれ」「我らの分まで」涙が止まらない。優士は静かに和泉の肩へ手を置いた。巫女たちは優士を見る。そして。一斉に笑った。「神宮寺の男か」「顔は悪くない」「百年前よりマシだな」優士が困惑する。和泉は思わず吹き出した。こんな場面なのに。笑ってしまった。
風が吹いていた。 結界の中。 五芒星の光が地面を走る。 優士の肩から流れた血が白装束を染めていた。 それでも。 優士は立っていた。 一歩も退かない。 一歩も離れない。 百年前とは違う。 和泉はそれを知っていた。 「……優士」 涙が滲む。 怖かった。 また失うかもしれない。 また一人になるかもしれない。 そんな恐怖が胸を締め付ける。 だが。 優士は静かに微笑んだ。 「大丈夫です」 その声は不思議なくらい穏やかだった。 「今度は逃げません」 和泉の目から涙が零れる。 百年前。 優士は自分を逃がした。 守るために。 愛していたから。 でも。 その結果、二人は離れ離れになった。 百年もの間。 ずっと。 「……もう嫌だよ」 和泉は震える声で呟く。 「もう離れたくない」 結界が激しく揺れる。 風が唸る。 見えない力が二人を引き裂こうとする。 それでも。 優士は和泉の手を離さなかった。 「離れません」 短い言葉。 だが。 その言葉には百年分の想いが込められていた。 「絶対に」 和泉は目を閉じる。 そして。 ゆっくりと胸へ手を当てた。 そこにある。 白狐の力。 長い時間を生きた証。 未来を見る力。 傷を癒やす力。 人にはない力。 藤宮家が代々受け継いできたもの。 「……ありがとう」 和泉は静かに呟く。 白い光が身体から溢れ始める。 宮司たちが息を呑んだ。 結界全体が光り始める。 優士も目を見開く。 和泉の髪が風に舞う。 藤の花びらが光の中へ吸い込まれていく。 「和泉!」 優士が叫ぶ。 和泉は振り返る。 泣きながら笑っていた。 「大丈夫」 不思議なほど穏やかな声だった。 「これは返さなきゃいけないものだから」 光が強くなる。 身体が軽くなる。 百年という時間がほどけていく。 「この力をお返しします」 和泉は空へ向かって手を伸ばした。 「どうか」 涙が頬を伝う。 「どうか次は、この国の誰かのために使ってください」 風が吹く。 藤の花が舞う。 光はさらに強くなる。 和泉は最後に
朝。キッチンに立つと、もう先に人がいる。「おはようございます」振り向いた優士が、いつも通りに言う。「……おはよ」和泉が返す。それも、もう自然になっている。「……ていうか」少しだけ間を置く。「なんでそんな普通にいるの」思わず言う。優士は、ほんの少しだけ考える。「来てはいけませんでしたか」真面目に聞いてくる。「そうじゃないけど」即答する。「そうじゃないけど、自然すぎてびっくりする」優士は、わずかに首をかしげる。「問題はないかと」淡々と言う。「いやあるでしょ」和泉が突っ込む。そのやり取りに。後ろから声が飛ぶ。「なにそれ、もう同棲じゃん」李雨。完全
朝。 カーテンの隙間から、光が差し込む。 「……」 目を開ける。 静かな空気。 少しだけ、現実に戻るまでの時間。 「……」 昨日のことを思い出す。 優士の声。 子どもたちのやり取り。 全部が、自然に浮かぶ。 「……」 小さく、息を吐く。 安心する。 それが、当たり前になりつつある。 「……やば」 思わず、呟く。 でも。 悪い意味じゃない。 ベッドから起き上がる。 リビングへ向かう。 「おはよー」 李雨の声が、先に聞こえる。 元気だ。 「おはよう」 和泉が返す。 キッチンに立つ。 そのとき
公園を出た帰り道。夕焼けが、ゆっくりと色を落としていく。「……」子どもたちは、少し前を歩いている。二人で何か話しながら。その背中が、少しだけ遠い。「……疲れてませんか」優士が、静かに言う。和泉は、少しだけ笑う。「優士さんの方がじゃない?」さっきの鬼ごっこを思い出す。少しだけぎこちない走り方。「……問題ありません」真面目に返す。でも。少しだけ息が上がっていたのは、見えている。「ほんとに?」和泉が、少しだけ覗き込む。優士は、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。「……多少は」正直に言う。そのやり取りが、少しだけ可笑しい。「ふふ」和泉が、軽く笑う。そのまま、少
休日の午後。春の光が、やわらかく街を包んでいる。「……」並んで歩く。距離は、近い。でも。触れてはいない。「……あの」和泉が、小さく口を開く。優士は、すぐに応じる。「はい」それだけで、少し安心する。でも。何を話すかは、決めていない。「……」沈黙が落ちる。気まずいわけじゃない。でも。どこか、落ち着かない。——恋人、なんだよね。ふと、そんなことを考える。昨日までとは違う関係。それなのに。どうすればいいのか、わからない。「……和泉さん」優士が、静かに呼ぶ。和泉は、少しだけ驚く。「なに?」優士は、少しだけ視線を落とす。それから。「距離が、少し