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Story 5

Auteur: 笠井未久
last update Dernière mise à jour: 2025-07-10 10:26:49

その週末、すぐに彼の秘書の男性が迎えに来ることになった。

一度、先生と会い、これからのことを決めてほしいとのことだった。

時間になり、出かけようとした私の元へ、父と妹がやってくる。

決して見送りなどではないことは、ふたりの顔を見てすぐにわかった。

「菜々子、下手なことをしたら承知しないからな。絶対に先生に気に入られろ。どんな手段を使ってもだ」

「お父様、お姉ちゃんに何があるっていうの?」

そんな会話を聞いていると、旅館のエントランス前に停まった黒塗りの高級車の後部座席のドアが、運転手によって開けられた。

「菜々子、仕事はしばらく必要ない。すべて先生のために時間を使うんだ。もうこのまま帰ってくるな」

「え!」

まだ結婚するとも決まっていないのに、「帰ってくるな」と言われたことに驚いて目を見開く。

そんな父の後ろで、見送りに来ていた仲居たちの顔色が変わったのがわかった。

「旦那様、それは困ります」

「なんだと!?」

「菜々子さんがいないと、館内のお花はどうするんですか? それに通訳も……」

今、私がやっている仕事を「重要だ」と言ってくれる彼女たちの気持ちに、嬉しさが募る。

こんな私でも、役に立つことがあったのだと──少しだけ救われた気持ちになった。

「そんなもの、誰でもできるだろ!」

……そう思った矢先に聞こえた父の声。

やはり父は、私のことを評価していないのだと知る。

それでも、私は自分の仕事に誇りを持ってきたし、誰かに認められるためにやってきたわけではない。

父のその言葉に、何も言えなくなってしまった仲居のみんなには申し訳なく思うが、私は行かなければいけない。

薄紫の訪問着に、背中まである髪はひとつに結い上げている今日の私。

荷物も、いつもの外出と同じく、財布とスマホ、ハンカチぐらいしか持っていない。

もちろん、帰ってくるつもりだからだ。

「行ってきます」

父たちではなく、私は仲居の皆にそう言って微笑んだ。

「菜々子様、ご案内いたします」

そんなやり取りを、秘書の男性がどんな気持ちで見ていたのかはわからない。

先生とは違い、穏やかな笑みをずっと浮かべたその人は、父たちにも礼をすると、先に乗り込んでいた私の横にスッと腰を下ろした。

そして、少しの余韻を残したあと、ドアは静かに閉められた。

「あれはないな」

走り出して数分後、隣から不意に聞こえた声に、私は驚いて視線を向けた。

「失礼しました、声に出ていました?」

心の声だったのか、少し苦笑しつつ言われたその言葉に、つい笑みがこぼれた。

「申し訳ありません。私の身内が、大変失礼なことを」

「いえ、菜々子様が謝罪することはありませんよ。それに急な日程で申し訳ありません。今日しか時間が取れなかったので。

申し遅れました、私は向井の秘書の桜庭紘一と申します」

頭を下げようとする彼を制して、私は首を振る。初めに先生を巻き込んだのは父であり、彼らは何も悪くない。

「お忙しいのですね」

「ええ、少しはセーブしてほしいところなんですが。あれではいつか身体を壊します」

そこまで言って、桜庭さんは少し表情を曇らせた。

「本当に、仕事を始めると周りが見えなくなるたちで。今日ももしかしたら、仕事をしているかもしれません」

ため息まじりに言いながら、桜庭さんはタブレットを操作する。

そんな話をしているうちに、車は都内の閑静な高級住宅街を走っていた。

この辺りはデザイナー住宅が多く、魅力的な建物が並ぶ。しかもショップもあり、とても住みやすいとテレビの特集で見たことがある。

「このあたりのお店で、先生と待ち合わせですか?」

これからの“話し合い”と言われれば、きっと条件面などを決めるはずだ。窓の外を見つつ、桜庭さんに問いかけた。

「いえ、あっ。もう到着しますよ」

それと同時に、目の前の大きな門が開き、車は中へと入っていく。

我が家の旅館とは違い、南国のような木々が生い茂り、あざやかな花が咲いている。

「きれい……」

つい漏れてしまった言葉に、桜庭さんは何も言わずにいてくれた。

少し走ると、目の前に真っ白なコンクリートの大きな建物が見えてきた。

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