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第9話

Author: トウモロコシ88
夕方、空から粉雪が舞い落ちてきた。

ピエールの気遣いを丁重に断り、私が1人でベビーカーを押してマンションのエントランスまで来た時、暗がりに隠れていた旭がついに飛び出してきた。

植え込みの影から現れ、私の行く手を塞ぐように立ちはだかる。

「綾音……」

ほんの数ヶ月見ない間に、彼はひどく老け込んでいた。頬はこけ、唇は凍えて紫色になっている。

私を見た瞬間、彼の目は真っ赤になり、雪が降るなか、冷たい地面に両膝をついて崩れ落ちた。

私は立ち止まり、冷ややかな目で彼を見下ろす。顔には驚きもなく、再会の喜びなど微塵もない。

「綾音、俺が悪かった。本当に俺が間違っていたんだ……」

旭は顔を上げ、涙と雪が混じった雫が、薄汚れた頬を伝って落ちる。

彼は震える手で懐から布包みを取り出し、両手で捧げるようにして開いた。

中に入っていたのは、黒ずんだ安物の銀のベビーリングと、しわくちゃになった一戸建ての設計図だ。

「破産して、ちゃんとしたものは買えなかった。これは最後の時計を売って手に入れたんだ……」

旭は惨めに泣きじゃくった。

「この設計図は、ずっと持ってたんだ。いつか、お前が欲し
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    夕方、空から粉雪が舞い落ちてきた。ピエールの気遣いを丁重に断り、私が1人でベビーカーを押してマンションのエントランスまで来た時、暗がりに隠れていた旭がついに飛び出してきた。植え込みの影から現れ、私の行く手を塞ぐように立ちはだかる。「綾音……」ほんの数ヶ月見ない間に、彼はひどく老け込んでいた。頬はこけ、唇は凍えて紫色になっている。私を見た瞬間、彼の目は真っ赤になり、雪が降るなか、冷たい地面に両膝をついて崩れ落ちた。私は立ち止まり、冷ややかな目で彼を見下ろす。顔には驚きもなく、再会の喜びなど微塵もない。「綾音、俺が悪かった。本当に俺が間違っていたんだ……」旭は顔を上げ、涙と雪が混じった雫が、薄汚れた頬を伝って落ちる。彼は震える手で懐から布包みを取り出し、両手で捧げるようにして開いた。中に入っていたのは、黒ずんだ安物の銀のベビーリングと、しわくちゃになった一戸建ての設計図だ。「破産して、ちゃんとしたものは買えなかった。これは最後の時計を売って手に入れたんだ……」旭は惨めに泣きじゃくった。「この設計図は、ずっと持ってたんだ。いつか、お前が欲しがってた庭付きの家を建ててやろうと思ってた。綾音、これまでは俺がクズだった。もう1度だけチャンスをくれないか?」彼は泣きながら、しもやけだらけの手を伸ばし、ベビーカーの縁に触れようとした。「今は何もないけど、肉体労働でも何でもする!誓うよ、これからは死に物狂いで働いて、2度と間違えたりしない!頼む、俺たちの子供を見せてくれ、ひと目でいいから……」「その子に気安く触らないで」旭の手が宙で止まった。私の冷ややかな目を見て、彼は底知れぬ恐怖を感じたようだ。「綾音、俺は罪を償いに来たんだ。俺を憎んでるのもわかってる。殴っても罵ってもいい、ただ、俺を見捨てないでくれ……」私は無表情のまま後ずさりし、彼の手を避けた。まるでゴミを見るような目で彼を見つめる。完全に心が離れてしまえば、怒りや憎しみすら湧いてこなくなるのだ。「結城旭、私の視界を汚さないで」旭の手は宙に浮いたまま、絶望的な眼差しで私を見つめる。「この子は柊杏(ひいらぎ あん)。もう柊家の籍に入っているわ。この子には愛情深い母親がいて、可愛がってくれる祖父母がいて、将来的にはもっと素晴らし

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    「私は妊婦の父親です」両親が息を切らして駆け込んできた。母は、私が血の海の中で真っ青な顔をして横たわり、全身に管を繋がれているのを見るなり腰を抜かし、その場にへたり込んで声を上げて泣き崩れた。父は目を赤くし、ペンを握るのもおぼつかないほど震える手で、同意書にしっかりとサインをした。破水して病院へ向かう途中、私は両親に連絡を入れていた。ただ、夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれ、彼らは車を途中で乗り捨て、2キロの道のりを走って駆けつけてくれたのだ。「綾音、もう大丈夫だ。お父さんもお母さんもいるからな、怖くないぞ……」悲痛な母の泣き声を聞きながら、私はついに気を失い、果てしない暗闇へと落ちていった。手術は難航した。失血が酷く途中で2回もショック状態に陥り、医師からは2度も危篤状態だと告げられたという。しかし、死の淵をさまよいながらも私は持ち堪え、元気な女の子を出産した。集中治療室で丸3日を過ごし、ようやく危機を脱した。その間、旭は一度も姿を見せなかった。看護師の話では、澪はその日の夜のうちに「病院の環境が悪すぎる。消毒液の匂いがして休まらない」と文句を言い、旭が手配して隣の市にある最高級の私立療養施設へ移ったらしい。旭はあっさりと彼女に付き添って立ち去り、救急処置室にいる妻の安否など、全く気に留めていなかった。退院の日、私は弁護士が用意した離婚協議書にサインした。「お父さん、お母さん。私を連れて行って」私は腕の中で眠る娘を見つめながら、かすれた声で、だが確固たる意志を持って告げた。「産後ケアセンターへ行くわ。私たちがどこにいるか、誰にも教えないでほしい」両親は目を赤くして頷いた。2人は、私がこの5年間どれほど旭に尽くし、そしてどれほどの理不尽に耐えてきたかを知っていた。未練を断ち切った私を見て、胸を痛めつつも、それ以上に安堵してくれていた。その日の午後、私は市内でも最高レベルのセキュリティを誇る高級産後ケアセンターに極秘で身を寄せた。部外者は決して立ち入れない場所だ。そこで私は外界との個人的な連絡を一切絶ち、仕事用のスマホだけを手元に置いた。私は実家の企業で財務本部長を務める幹部に電話をかけた。「大川さん、結城旭の会社に対する出資をすべて引き揚げてちょうだい。それから、うちと取

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