夫の不倫相手から届いた気味の悪い段ボール箱は、物置の奥に仕舞ったまま、埃をかぶっている。明穂はそれをゴミステーションに持って行こうかと何度も考えたが、玄関の扉を開けるたび、紗央里が冷たい目で待ち構えている気がして、足がすくむ。吉高に問いただす勇気もない。夜中、物置からかすかな物音が聞こえるたび、明穂の心はざわつく。不気味な予感が消えず、彼女は眠れぬ夜を過ごす。箱はただそこにあるだけで、家庭の空気を重くする。ある日、明穂は意を決して箱に近づいたが、冷や汗が背筋を伝う。紗央里の薔薇の香水の匂いが、微かに漂う気がした。結局、箱はそのまま物置に残り、明穂の心に暗い影を落とし続ける。いつか向き合わねばならないと知りながら、彼女は物置の扉を閉めた。
(それに、この箱も不倫の証拠になる筈だわ)
しかも紗央里がこれを持って来たという確固とした証拠は何処にも無い。ただの無作為な悪戯だと言われればそうかもしれない。また、荷物を運んで来たドライバーの顔も薄ぼんやりとしか見えておらず、無表情で特徴が掴めなかった。
(怖い)
家のまえを通り過ぎる車の気配が、昨日の恐怖を思い起こさせた。明穂は玄関扉の施錠を確認すると、チェーンを掛けリビングのカーテンを閉めて階段を駆け上がった。
(どうして)
明穂は寝室のベッドに寄り掛かり、なにも見えない天井に問いかけた。
(私のなにがいけなかったの?)
不倫をした吉高も悪いが自身にも至らなかった点があったのでは無いかと明穂は胸を痛めた。
(・・・・やっぱり目が不自由だから?)
この2年間吉高は優しい夫だったが、たまの休日に旅行に出掛けても反応が薄い明穂に辟易し、日常生活でも気遣ってばかりで息苦しかったのだろうか。
(でもそんな事、最初から分かっていたんじゃないの?)
実は、吉高には弱視の明穂と結婚する覚悟など端からなかった。ただ弟の大智に負けたくないその一心で、大智の初恋の相手だった明穂にプロポーズをした。そんな吉高の軽率な行動を明穂が知る由もなかった。彼女は吉高の甘い言葉や優しい仕草に心を許し、共に未来を夢見て笑顔で日々を過ごしていた。だが、吉高の心は冷たく、結婚はただのゲー
=この電話はお繋ぎする事は出来ません、電波の= 大智の携帯電話は繋がらなかった。受話器から流れる無機質なアナウンスが、明穂の胸に小さく刺さった。 「あら、繋がらなかったの」
(あぁ)寝室の扉は僅かに開き、薄暗い隙間から熱と音が漏れていた。 (あぁ、やっぱり)
明穂の両親は、大智が彼女にプロポーズしたことを知らない。
新婚当初、別々のベッドで眠ることに明穂は寂しさを覚えた。寄り添う温もりを想像していたあの頃の甘い期待は、今や遠い記憶だ。だが、吉高との間に漂う不協和音、紗央里の影や心のすれ違いを思えば、ツインベッドの距離感に心から安堵した。それでも安眠は訪れず、明穂は霞がかった朝を迎えた。カーテンの隙間から差し込む薄い光が、彼女の疲れた顔を冷たく照らす。
時計の針がどれだけ進んだのか、抱き合った二人の上に柔らかな日差しが降り注いでいた。ふと気づくと、明穂の右手が忙しなく動き、何かを探している。 「これか?」 大智がティッシュの箱を差し出した。
明穂を奪うと手紙で宣言した大智は、弁護士の記章を胸に金沢に帰ってきた。スーツ姿の彼は、3年前のやんちゃな面影を残しつつ、精悍な雰囲気をまとっていた。