LOGIN夜のクラブで出会ったのは、 若くして巨大企業を率いる男――柊 蓮。 そして、夜の世界で生きる女――成瀬 玲。 決して交わるはずのなかった二人は、 一夜の出会いをきっかけに、抗えないほど強く惹かれ合っていく。 溺れるような愛。 未来を誓う指輪。 「一生守る」という甘い約束。 だが、蓮の背負う世界はあまりにも危険だった。 政財界と裏社会を結ぶ巨大組織《十八会》。 父の影、抗争、命を賭けた“断れない任務”。 愛する人を守るため、 男は嘘を選び、女は信じることを選ぶ。 これは、 闇の世界に生きる男と、 光になろうとした女の―― 危険で、甘く、切ない愛の物語。
View Moreその夜、彼女はまだ知らなかった。
この出会いが、愛と指輪と、命の危険を連れてくることを。 ――そして彼が、決して踏み込んではいけない男だったことを。夜の大都会――。
十二月の終わりの冷気は、まるで新しい季節の幕開けを知らせるかのように、頬をかすめて通り過ぎていく。 街路樹にはイルミネーションが揺れ、金と白の光が風に合わせて瞬き、車のヘッドライトが宝石のようにきらめきながら流れていく。 都会の喧騒が街全体を包み込み、あちこちから笑い声や音楽が漏れ出し、空気そのものが少し浮ついている――そんな夜だった。その中を、ひとり歩く男がいる。
柊 蓮――二十六歳。 若くして大企業の副社長に就いた男は、黒いコートの襟を立て、ゆっくりと歩いていた。普段の蓮ならこの時間、会食相手や父である会長に呼び出され、高級レストランの個室か、重役専用のクラブにいるはずだった。
だが今夜は珍しく、そのどこにも行かず、車を途中で降りて“ただの一市民”として夜の街を流れていた。――この時間に、ひとりで夜の街を歩くなんて、何年ぶりだろう。
そんな呟きが胸に浮かぶ。
街を歩きながら聞こえてくる笑い声やカップルのささやき、ふいに風に乗って流れてくる甘い香り。そのどれもが、自分にとっては遠ざけてきたものだった。 息苦しくなるほど忙しい日々。 責任と期待に押しつぶされる毎日。 それでも立ち止まることは許されず、蓮は常に前へ前へと歩くしかなかった。そんな彼の足が今夜だけ、ほんの気まぐれのように自由を求めていた。
「……少し、飲むか」
ぽつりと零れたその一言は、まるで誰かに許しを乞うような弱さを含んでいた。
蓮はふと見上げた。 ビルの外壁に取り付けられたガラスが、街の光を反射して淡く輝いている。その二階――特にひときわ美しい金色の光が目に飛び込んできた。――CRYSTAL ROSE。
柔らかく灯る薔薇のロゴが、夜の闇の中で優しく鼓動しているかのようだった。
その看板は、今夜の蓮にとって何かを告げる“合図”のように見えた。入るべきか、引き返すべきか。
一瞬だけ迷った。 だが次の瞬間、なぜか心がそっと背中を押す。まるで運命に導かれるかのように、蓮はエレベーターへ歩き出し、十二階のボタンを押した。
静かに閉まる扉。 上昇する機械音が、いつもよりもずっと胸の奥に響いた。――何かが変わるかもしれない。
そんな予感だけが、わずかに胸をざわつかせた。十二階。
扉が開くと、重厚感のある木製のドアが蓮を出迎えた。 手をかけ、押し開ける。――瞬間、眩い光と華やかな音が、蓮の身体を優しく包み込んだ。
柔らかいジャズピアノの旋律が流れ、グラスが触れ合う微かな音、低く囁くような笑い声。
天井から吊るされたクリスタルの照明が無数の光を砕き、床に散らしている。 そこは、都会の喧騒の中にひっそりと浮かぶ“異空間”だった。静けさと華やぎが共存する、大人のための夜。
その光景に蓮は思わず足を止める。――そして。
カウンターの奥から出てきた女性が、ふと顔を上げた。
「いらっしゃいませ」
その瞬間だった。
蓮の時間が、ふっと止まった。
腰まで届くほどの艶やかな黒髪が、カウンターレールの光をすくってふわりと揺れる。
肩に流れ落ちる髪先には深紅のドレスが柔らかく反射し、その光が彼女の白い肌をさらに際立たせていた。白磁のような肌。
整った横顔。 そして、静かに微笑む唇――。“美しい”では足りない。
蓮は、その場に立ち尽くした。彼女の名は、成瀬 玲。
その名をまだ知らぬ蓮は、ただ息を呑む。
胸の奥で、何かが淡く灯る音がした。彼女の気品と儚さ。
夜の女王のような艶やかさと、少女のように無垢な瞳。 すべてが絶妙な均衡で存在していた。スイートルームの外。 静まり返った最上階の廊下には、ホテル特有の柔らかな照明が落ち、床のカーペットが足音を吸い込むようにしんと沈んでいた。 その廊下の中央に、瑛斗は背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。 まるで“柱”のように微動だにせず、外側からの雑音を一切寄せつけない、職務に徹した護衛の姿だった。 しかし静寂とは裏腹に、瑛斗の胸の内では荒れた海のような波が何度も押し寄せていた。 表情は平静を保っていても、その心の奥では、言いようのないざわめきが広がっていた。(……やっと会えたんだな、玲ちゃん) 胸の深いところで小さく息を吐き、瑛斗はそっと天井を見上げた。 広がる天井の白い光が、わずかに滲んだように見える。 それは決して涙ではない。 だが、胸の奥から何かがこぼれ落ちそうになる感覚に、瑛斗は喉を固く閉ざした。 あのバリの海沿いの夜。 天城の刺客から生き延びたこと。 バーベキューをした夜。 そのすべてが今、胸の奥で静かに疼き始める。 瑛斗は玲華を守るためにバリへ向かった。 それは職務であり、桐嶋家の人間として当然の任務だった。 だがその裏に、ほんのわずか──本当に、かすかな希望があった。(もし……玲華様が蓮を忘れて、俺を見てくれたら——) そんな都合のいい期待を、心のどこかで抱いてしまっていた。 自分でもわかっている。 叶うはずのない淡い想いだと。 しかし、あの孤独な夜、彼女の涙を受け止めるたび、その気持ちは否応なしに胸の奥で膨らんでいった。 だが現実は——。 扉の向こうで二人は再び向き合い、抱き合い、泣き合っている。 飛行機の中で「好きだよ」と伝えられたこと。それだけで20年の瑛斗の想いは伝えられた。それだけでよかった。先ほどの、蓮を見つめる玲華の瞳。それを目の当たりにした瞬間、自分の想いは泡となって消えた。(……でも、それでいいんだ。彼女がしあわせなら……それで) 自分に言い聞かせるように、瑛斗はゆっくり目を閉じ、深く呼吸を整えた。 護衛として、弟分として、そして家族として育ててもらった恩を思い返す。 玲華は、守るべき存在。それは変わらない。「瑛斗」 低く、しかし確かな響きを持つ声が、静かな廊下に落ちた。 龍一だった。 少し離れた場所で腕を組み、目を閉じてい
扉が閉まった瞬間、蓮の呼吸が浅くなった。 静寂が落ちる。その音さえ吸い込まれてしまうほど、この部屋は外界から切り離された世界だった。 これまで何百回も、いや何千回も想像した“再会の瞬間”が、ついに現実として自分の目の前にある。 しかし実際その瞬間に立ち会うと、胸がきゅっと苦しく締めつけられ、言葉がどこかへ消えてしまっていた。 玲華もまた、同じだった。 ただ立ち尽くし、蓮を見つめたまま、唇を震わせるだけで声にならない。 会いたかった。 だけど、どう言葉にしていいのかわからない。 距離はわずか二歩。 指を伸ばせば届くはずなのに、その二歩があまりにも長く、深い谷のように感じられた。「玲……」 蓮が小さく呼んだ。 たった一度の名呼び。 その声だけで、玲華の瞳から涙が一気に溢れた。 耐えていた緊張がほどけ、感情が堰を切ったように胸から溢れ出す。 蓮が一歩近づく。 その足音が、重く、確かに玲華の心に響く。 玲華もまた無意識のうちに一歩前へ。 まるで見えない糸に引き寄せられるように、二人の距離は埋まっていった。 そして— 次の瞬間、二人は声もなく抱き合った。 どちらが先に腕を伸ばしたのかはわからない。 言葉より先に、身体が動いた。 心と心が互いの温度を確かめ合うように、必死で抱きしめ合った。「……会いたかった……蓮……!」 玲華の涙まじりの声が、蓮の胸元に震えながら落ちる。 その小さな震えに、蓮の胸が焼けるほど熱くなる。 蓮は目を閉じ、玲華の背へそっと手を回し、そして離すまいと強く抱き寄せた。「俺もだ。ずっと……ずっと会いたかった」 どれほど努力しても忘れられなかった。 どれほど離れようとしても、心は勝手に玲華を探し続けた。 会いたい気持ちが、毎日胸のどこかに棘のように刺さり続けていた。 その棘が今ようやく抜け落ち、蓮は安堵と痛みが混ざった息を深く吐き出す。 離れたくなかった。 本能がそう叫んでいた。 抱きしめた腕が勝手に強くなる。 玲華もまた同じ力で蓮の背中を掴み、指先に力を込めて離そうとしなかった。 どれだけの時間がそのまま過ぎたのだろう。 数秒か、数分か。 二人にとってはどちらでもよかった。 ただ、確かな温もりを感じていられることが何より
宗一郎の命令が下された瞬間、会場の空気は一気に張りつめたものへと変わった。さっきまで蓮と玲華の周囲を取り巻いていたざわめきが、まるで潮が引くように静まり返っていく。 客たちは息をのみ、次に何が起きるのかと固唾をのんで見守っていた。 龍一は「こちらへ」と短く告げ、迷いなく二人に背を向け歩き出す。 その歩みに合わせて、瑛斗と数名の部下が蓮と玲華の周囲を囲むように動いた。その動作は緻密で無駄がなく、何年も訓練を積んだ者たち独特の“空気”をまとっていた。 彼らは視線を遮り、注目を散らし、ふたりを守りつつ導くための壁のようだった。 その中を、蓮は玲華の手に触れたい衝動を必死に抑えながら歩いた。 触れたらもう二度と離せなくなる—そんな予感が蓮の胸を支配していた。 玲華もまた深呼吸を繰り返しながら、龍一の後ろを歩く蓮に静かに歩幅を合わせていた。 ほんの数秒前まで胸を締めつけていた緊張が、まだ足先の震えとなって残っている。 蓮が隣にいる。その事実がどれほど心を揺さぶるのか、自分でも抑えようがなかった。 広い会場を抜け、スタッフ専用の廊下へ入った瞬間、急に静寂が訪れた。 さっきまで背中に突き刺さっていた無数の視線も、噂めいたざわめきも、扉の向こう側に置き去りにされていく。「こっちだ」 龍一はエレベーターの前で立ち止まり、カードキーをかざした。 電子音とともに扉が静かに開く。 普通の客が使うものではない。 ホテルのスタッフでも限られた者しか利用できない、最上階へ直通の特別なエレベーターだった。 扉が開くと同時に、龍一は蓮に視線を向けた。「……父上が言った以上、俺も従う。だが、お前が玲華を傷つけたなら、その時は容赦しない」 その言葉には、兄としての情も、桐嶋龍一という男の厳しさも、どちらも含まれていた。 蓮は真っ直ぐ龍一を見返し、静かに頷いた。「わかってる。もう二度と傷つけない」 その言葉の強さは、玲華の胸に深く染みた。 ほとんど無意識に、玲華は小さく息を呑む。 その肩がほんのわずか震えたのを、蓮は横目で捉え、喉が熱くなった。 エレベーターが音もなく上昇を始める。 わずか数十秒の時間が、蓮には永く、重く感じられた。 誰も話さない。 だが沈黙の中で、蓮の胸の内は嵐のように荒れていた。 息が荒いわけでも、
宗一郎の前に立った玲華は、静かな微笑をたたえながら、はっきりとした声で言った。「お父様、お誕生日おめでとうございます」 その声音は透き通っていて、会場のざわめきの中でも不思議とよく響いた。 宗一郎が振り返り、ゆっくりと微笑み返す。その眼差しには、父としての誇りと、今この瞬間だけは表に出すことを許した深い慈しみが滲んでいた。 その親子の姿に、会場のあちこちで人々が息を呑む。 ささやき声が連鎖し、波紋のように広がっていった。「誰だ……? 会長の奥様? いや、もっと若い……」「いや、社長の奥様じゃないのか? …でも独身だって……」 好奇の視線が一斉に玲華へ向けられ、その美しさと気品に、一瞬あたりが静まり返る。照明が反射し、白いドレスの裾がゆっくりと揺れるたび、皆の視線が吸い寄せられる。 玲華が宗一郎の横へ移動しようとした、その瞬間だった。 玲華の視界の端に、黒い影が動いた。「玲!!」 鋭い声が、空気を裂いた。 振り返るより早く、蓮が目の前まで来ていた。 会場の喧騒が止まり、人々がざわめきを飲み込み、視線が一点に集中する。 蓮は迷いなく手を伸ばし、玲華の腕を取ろうと──した、まさにその瞬間。 玲華と蓮の間に、すっと大柄な影が滑り込んだ。 瑛斗だった。 長身の男が、一歩前に出るだけで空気が変わる。 警備という枠を超え、まるで“壁”のように蓮の前に立ちはだかった。 瑛斗は人差し指を軽く上げ、蓮を制するように静かに言う。「落ち着いてください」 その声は低く、衝突を避けるための冷静さを保っていたが、瞳の奥には揺るぎのない警戒があった。 蓮は瑛斗を見上げるように見据え、そして堂々と言い放つ。「彼女と話がしたい」 その声は震えていない。 ただ、強く真っ直ぐだった。 瑛斗はほんのわずか目を伏せ、次に龍一の方を向く。 この場で蓮を通すか否か、判断を仰ぐかのように。 龍一は顎をわずかに上げ、宗一郎へ声を掛けた。「会長?」 宗一郎は、蓮と玲華の顔をゆっくりと交互に見つめた。 まるで二人の間に流れる何かを確かめるように。 そして静かに言う。「瑛斗、下がれ」 瑛斗は即座に一礼し、一歩下がった。 蓮との距離はまだ近いままだが、妨げる姿勢は解かれた。 宗一郎は蓮の方へ体を向け、重々しく言葉を紡ぐ。「柊 蓮殿、娘