Masuk書斎のソファに座ったお父様は、私に向かって口を開く。 「羽累の交通事故、だが……。恐らく事故ではない。事件だ。……羽累を狙って、車が突っ込んで来たらしい」 「──え」 お父様の言葉に、私の頭は真っ白になってしまう。 何で、どうして──。 私が混乱している間にも、お父様は話を続けた。 「羽累が事故に遭う前から、不穏な雰囲気はあったらしい」 「な……っ」 「誰かに見られているような……着けられているような気がしていたらしい。そして、不安を感じる日々を過ごしていて……相談しようとした矢先に……」 「車に轢かれてしまった、と言う事ですか……?」 そうらしい、とお父様が頷いた。 待って……。 待って。 それじゃあ、お母様はただの交通事故じゃなくて。 誰かに。明確な殺意を持って狙われていた、と言う事なの。 そんな事って。 「──っ、ひど……っ、酷い……っ」 「茉莉花!」 私は、目の前が真っ暗になる。 ぐわんぐわん、と頭が回って、気持ちが悪くなる。 お母様に、お祖父様。 お母様は奇跡的に命が助かったけど、気が気じゃななかった。 いつお母様の目が一生覚めない、と言われるかという恐怖を感じた。 そんな日が、もしかしたらいつか訪れるかもしれない、と怖かった。 お母様は奇跡的に無事だった。 だけど、お祖父様は──。 お祖父様は、この世を去ってしまったのだ。 まだまだお元気で、私の結婚を楽しみにして下さっていたのに。 苓さんとの婚約式を、結婚式を楽しみにして下さっていたのに。 それなのに──、惨い事に、命を奪われた。 それと、苓さん。 苓さんは、私を守るために身代わりになってしまったようなものだ。 私に関わらなければ、苓さんがあんな大怪我をする事は無かったのに。 私と──藤堂家と関わってしまったばっかりに、苓さんは大怪我をして、私の記憶まで失った。 私たちに関わらなければ、苓さんはきっとこんな大変な目に遭う事なんて無かったのに。 沢山の人を巻き込んでいる。 涼子は、速水家は、藤堂家への恨みで沢山の人を巻き込み、その人の人生をめちゃくちゃにしているんだ。 「絶対……絶対に許せません、お父様……っ」 私が声を振り絞り、何とかそれだけを紡ぐと、お父様は頷いた。 「ああ。私だって許せない。羽累を、お祖父様を……そして
苓さんは軽く鼻を啜ると、長椅子から立ち上がった。 「藤堂さん、俺……そろそろ帰りますね」 「──えっ?」 「今は、目覚めたばかりのお母様についていてあげてください」 「た、小鳥遊さん──」 苓さんは、気まずそうに私に頭を下げるとそのまま私には目を向けずに歩いて行ってしまう。 「あ…… 」 苓さんの遠ざかって行く背中に、私は情けない声を上げてしまうだけで。 彼を追いかける事が出来なかった。 今は、目覚めたばかりのお母様の傍を離れたくない、という気持ちがある。 それに、私の事を忘れてしまっている苓さんが、ここにいるのは気まずいだろう、と言う考えもあって。 その事に悩んでいる内に、苓さんは帰ってしまった──。 私は、苓さんと別れて廊下を歩きお母様の病室に戻ってきた。 病室の扉が開いた音に反応したのだろう。 お母様の手を握っていたお父様が振り向いた。 「茉莉花、苓くんは帰ったのか?」 「はい、後はご家族で……、と」 「そうか……」 お父様の目は赤く染まっている。 「お父様、お母様は……」 私は、お父様に手を握られて目を閉じているお母様に顔を向ける。 すると、お父様はとても優しい目でお母様を見つめたあと答えた。 「ああ。疲れたようで、眠ったよ……」 「そうですか……。でも、お母様が目覚めて、本当に良かった……」 いったい、何年経っただろう。 お母様が交通事故に遭い、どれだけの時間が流れたのたか。 お母様が眠っている間に、沢山の事があった。 目覚めた瞬間、色々な事が変わっていて、どれだけショックを受けるだろうか。 「茉莉花。……羽累も眠った事だし、私たちは1度家に帰ろう」 「え……っ、今日は泊まらないのですか……?」 てっきり今日は病院に泊まるのだと思っていた私は、驚きに目を見開いてしまう。 そんな私の問いかけに、お父様は難しい顔で頷いた。 「ああ。茉莉花がさっき外に出ている間に、羽累と少し話した……。それで、茉莉花にも話しておきたい事がある」 「えっ、私に、ですか?」 「ああ。その話はここで話すべきではないと判断した」 「……重いお話、ですか?」 嫌な予感がした。 私がお父様を見つめてそう問うと、お父様も私の目をしっかり見返して頷いた。 「ああ。……もしかしたら、藤堂は相当前から速水家の謀略に嵌め
ようやく私たちの呼吸も、感情も落ち着いて。 私がお母様が寝ているベッドから立ち上がる事ができた。 そして、病室の入口付近で泣いているお父様の元へ近づき、お父様を立たせる。 ぐっしょりと涙に濡れたお父様の顔。 お父様は私に何度も「すまない」とお礼を伝えながら、震える足で何とかお母様の近くに行き、私が座っていた丸椅子に腰掛けた。 「はる……はる……」 「──な、た」 お母様の名前を、お父様が必死に呼び。 そして、お母様が途切れ途切れにお父様を呼ぶ。 お父様の手は、しっかりお母様の手を握っていて。 その光景を見つめていた私は、自分のバッグからハンカチを取り出して目元を拭った。 そこで、ふと気付く。 さっきまで私の背中を優しく撫でてくれていた手が、いつの間にか消えている。 「──苓、さん?」 私は病室をぐるりと見回したけど、病室に居るのは私たち家族、3人だけ──。 そこに、苓さんの姿はなくなっていた。 もしかしたら、気まずくなって帰ってしまったのだろうか。 私は顔を真っ青にすると、慌てて部屋から出た。 お母様が目覚めた事を教えてくれて。 そして、一緒に病室に残ってくれていたのに。 それなのに、苓さんに失礼な事をしてしまった。 もう、帰ってしまっただろうか。 私は廊下に出て、走り出そうとしたけど、苓さんはすぐに見つかった。 廊下に設置されている長椅子に座り、ぽつんと1人で過ごしている苓さんに、私は近付いて行く。 私の足音に気が付いたのだろうか。 苓さんは慌てた様子で自分の顔を腕で拭い、ぱっとこちらに顔を向けた。 「──藤堂さん」 「苓さ……小鳥遊、さん……」 苓さんの顔を見て、私は驚いて彼の名前を呼んでしまいそうになった。 だけど、慌てて苗字を言い直す。 どうして? どうして、苓さんが。 苓さんの目元は赤く染まっていて。 明らかに泣いていたのが分かる。 苓さんは、私とお付き合いをしていた事なんて覚えていない。 だからきっと、私に付き合い、お母様のお見舞いに来た事だって覚えていないはずなのに。 それなのに、苓さんは泣いてくれていたの? 私は、苓さんの近くまで歩いて行くと、彼が拒まないのをいい事に、少し彼から距離を取って長椅子に腰を下ろした。 「──小鳥遊さん、すみません」 「え……っ?」 突然謝
私がお母様の頬を撫でると、お母様の睫毛がぴくりと動いた。 ふるふる、と痙攣する。 私がその光景に驚き言葉を失っていると──。 ゆっくり、お母様の瞼が持ち上がった。 「お、お母様……?」 お母様はぼんやりとした目をしていたけど、私の声が聞こえたのだろうか。 酷くゆっくりと、緩慢な動作でお母様の目が動き、それに連動してお母様の顔がゆっくりと私に傾けられる。 お母様が、私を見た──。 その瞬間、お母様の瞳に様々な感情が浮かんだ。 そして、一瞬にしてそれが消えて。 「ま……つ……」 「──っ、はいっ、はい……!お母様!私です、茉莉花です!」 お母様の唇がぶるぶると震え、確かに私の名前を呼んでくれたような気がする。 お母様の声は聞き取るのも酷く難しいくらい掠れ、小さかった。 だけど、確かに私を認識して、私の名前を呼んでくれた気がする。 その証拠に、お母様の目には沢山の涙が溢れんばかりに溜まり、とうとうそれが零れ落ちた。 私がお母様の手を優しく、だけど力強く握ると、お母様の手にも微かに力が籠る。 そして、弱々しくだけど。確かに私の手を握り返してくれた──。 それが、嬉しくて嬉しくて。 どうしようもなくて──。 私は声も出せず、お母様のベッドに顔を伏せ、泣いた。 そんな私の背中を、苓さんが優しく撫でてくれている。 私の事を覚えていないはずなのに。それなのに、苓さんの優しさは変わらない。 その優しさに、また私の目からは涙が溢れて。 私が泣いていると、廊下からバタバタと忙しなく駆けて来る足音が聞こえ、そして次の瞬間、勢い良く病室の扉が開かれた。 「──羽累!!」 お母様の名前を叫びながら病室に駆け込んできたお父様は、今まで見た事がないくらい慌てた様子で。 いつもはきっちりと整えられている髪も、スーツも、焦って走って来たからだろうか。 信じられないほど乱れていて。 お父様の声に反応したお母様が、ゆっくり顔を動かしてお父様を見たような気配がする。 私は、涙で視界が滲んでしまっていたけど、確かにお母様の顔がお父様の方に向いているのが見えて。 背後から、どしゃりと膝を着いたような音が聞こえた──。 そして、聞いた事がなかった、お父様の涙に濡れる声が聞こえて。 お父様が泣いている──。 それが分かった瞬間、収まってきていた
苓さんと一緒に、お母様の病室に向かう。 病院内を進む苓さんは、記憶がないからだろう。 通い慣れたお母様の病室までの道を、物珍しそうに見ていた。 きょろきょろと周囲を確認する苓さんの前方を歩き、別館に向かった私達は、お母様の病室にようやく着いた。 病室の前と、中には医師や看護師がいるのが見えた。 「──先生!」 私は、病室に駆け寄りつつ声を上げる。 すると、私が来た事に気が付いたのだろう。主治医の先生が私の顔を見て安堵の表情を浮かべた。 「藤堂さん……!良かった、戻られたのですね」 「は、はい……!母の意識が戻った、と……!」 「ええ、驚く事に……。とても喜ばしい事です。先程、指先が動きました。その後、目を覚まされましたよ」 「──っ!本当に、本当に!?奇跡のようです……っ」 「ええ、今はまた眠ってしまっておりますが、意識は戻りましたのでご安心ください。明日、精密検査をしましょう」 「はいっ、はい……!よろしくお願いします!」 お母様の状態を一通り確認し終えたのだろう。 主治医の先生は病室を出て行き、看護師さん達が「何かあればお声かけくださいね」と柔らかい表情で去って行った。 私は、お母様の意識が戻った事が嬉しくて嬉しくて。 私は、ふらふらとしつつ病室の扉に手をかける。 「藤堂さん、危ないです。俺が開けますよ……」 「──あっ、ありがとうございます、小鳥遊さん……」 私を気遣ってくれたのだろう。 苓さんは、私に触れるか触れないかの距離まで近付くと、私の代わりに病室の扉を開けて中に入るよう促してくれた。 「その……、危ないので手を……」 「何から何まで、すみません……」 苓さんが躊躇いがちに手を差し出してくれる。 私は、その心遣いを有難く受け、手のひらを差し出してくれた苓さんに自分の手を重ねた。 苓さんは、重ねられた私の手を見てぎゅっと強く握ると、私の背中に手を添えて支えながら入室した。 「──お母、様」 私がお母様の眠るベッドの横に辿り着いた瞬間、かくんと足から力が抜けてしまった。 「──危ない!」 「ご、ごめんなさい……、小鳥遊さん……」 その場に膝を着いてしまいそうになった私を、苓さんは慌てて支えると、丸椅子に座らせてくれた。 そして、苓さんも眠るお母様をじっと見つめている。 お母様には、今まで
──待って、今苓さんはなんて言ったの。 私の手を引き、前方を走る苓さんを唖然と見つめながら、私は足を動かし続ける。 道路を駆け、病院に戻ってきた苓さんは、驚いたままでいる私に振り向き、事情を話した。 「警備会社から、俺の所に連絡が来たんです。藤堂さんに連絡が繋がらなくって、俺の所に……!」 「え、え……」 「藤堂さんがお母様の病室を出て暫くして、お母様の指が動いた、そうです。病室内の様子を確認するために時間を決めて、毎回窓から中を確認しているようで……その時、警備員が確認した時にちょうど──」 「お母様の指が動いた、と……?」 私の言葉に、苓さんは強く頷いた。 苓さんが、焦って私を探しに来てくれた理由はこれで分かった。 だから私は、腕を掴んでいる苓さんの手に自分の手を重ね、離してもらうようにぐっと力を入れた。 「ありがとうございます、小鳥遊さん。……すぐに教えていただき、助かりました。谷島さんとお話をしていたから、電話に気づかなくて。……ご迷惑をかけてしまいましたね」 困ったように眉を下げ、私がそう口にすると。 苓さんは何とも言えない、何かを言いたそうな表情で私を見た。 だけど、今の私には苓さんが何を口にしたいのか──。 全く分からない。 私の手を離してもらおう、と力を込める。 すると、私の行動の意を汲んでくれた苓さんは、ゆっくりと手を離した。 「ありがとうございました、小鳥遊さん。……では、私はお母様の所へ向かいま」 「──あのっ、俺もご一緒してもいいでしょうか?」 私がその場を離れようとした時、それまで悩むような顔をしていた苓さんが、意を決したように声を発した。 「え……、どうして、小鳥遊さんが……」 「その……、間違っていたらすみません。だけど、このスケジュールアプリに書かれている茉莉花さんって、……藤堂さんの事ですよね?」 茉莉花さん。 苓さんの口から、凄く久しぶりに私の名前が呼ばれて。 私の視界は瞬時にぶわり、と涙で滲んだ。 そんなに長い期間じゃなかったのに。 苓さんに「茉莉花」と名前で呼ばれなくなった事が、とても寂しかったんだ、と実感する。 苓さんに名前を呼ばれただけで、懐かしく感じて、凄く嬉しくて。 涙が溢れてくるなんて。 「と、藤堂さん……?」 苓さんは、突然涙ぐんだ私に驚き、戸惑ってい
「いいえ……、いいえ──!涼子に、話した事なんて、ありません」 苓さんの声音も、真剣さを帯びる。 私の心臓は、何故かどくどくと不安に揺れる。 ただの、俺の考え過ぎだったらいいんですが。 苓さんはそう言うけど
私は、微かに震える指でスマホに届いたメッセージをタップした。 メッセージを開くと、ただ一言だけ書かれていた。 【仕事が終わったら会社で待っていろ】 「何で……っ、どうして私が御影さんと会わないといけないのっ」 会う理由なんて、私には無い。 だから、私は急いでその連絡に返信をした。 会う必要は無い、と。 だけど、すぐに再びスマホの通知音が鳴り、御影さんから返信があった
御影は、足早に涼子を追ったがその後ろ姿を見失ってしまった。 「もう、帰ったのか──?」 たまたま、何らかの理由で病院に来る用事があり、たまたま茉莉花を見かけ、怯えたのだろうか。 だが、それにしては自ら近付いて行ったように見えるのがどうにも腑に落ちない──。 そんな事を考えつつ、御影が再度病院に戻ろうか、と踵を返したところで。 聞き慣れた声が、ふと聞こえた。 「ええ……。そうよ、そう。状態は?どうなのよ、ちゃん
志木チーム長は、随分やり手の戦略家だ。 彼が入社してきてくれてから、目に見えて業績が良くなっている。 彼が今まで成し遂げてきた内容を確認し、賞賛したくなった。 中長期的な経営に関する戦略を組み立て、市場調査もずば抜けている。 また、広い視野を持っている事から、彼がチーム長に就いているのも頷けた。 「なるほど……。マーケティング力も高いわ……逸材ね」 そして、彼から少し遅れて入社した、矢田理香子主任







