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私と結婚してください 1

Author: 水守恵蓮
last update Huling Na-update: 2025-03-31 16:37:49

中絶手術をキャンセルして病院から帰ったのは、一昨年七月のこと。

あれからずっと、クシャクシャになった中絶同意書を、私はお守りみたいに肌身離さず持って過ごしてきた。同意書のサインは偽造だけど、『綾瀬塔也』というのは、ロンドンの日本大使館に勤務している実在の外交官の名前だ。

そして、最後に会った時から二年近い月日が経過した今――。

本物の綾瀬塔也が、私と対面のソファで、文字通り苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいる。

私はてきぱきと作業しながら、出来るだけ視線を気にしないように努めた。

だけど彼はなにかを沈思黙考していて、自分がどこに視線を向けているか、自覚していない様子。物憂げ……といった感じも、無理はない。

――今からほんの小一時間前。

『綾瀬塔也さん』

私が大使館から出てきた綾瀬さんを日本語で呼び止めると、彼は怪訝そうに振り返った。肩越しの視線で私を認め、ほんのわずかに目を瞠る。

『お前、確かだいぶ前……』

どうやら覚えてくれていたようで、こちらに向き直ってくれた。それでもさすがに名前までは思い出せないのか、記憶を手繰るように顎を摩る仕草をみせる。

『沢尻長閑(のどか)です。二年ほど前、私はロンドンであなたに助けてもらいました』

私が彼の記憶をアシストして自ら名乗ると、何度か無言で頷いて理解を示してくれた。

私と彼の関わりは、二年近く前のほんの数日間だけだ。彼にとっては、長い人生の中で、せいぜい袖を掠めた程度の些細な出来事だったはず。

十中八九、ハーフの見た目のせいだろう。幼い頃からコンプレックスだった日本人離れした顔立ちが、こんなところで役立つとは皮肉。でも、ほんの少しでも記憶の片隅に残しておいてもらえたのが嬉しかった。

『お久しぶりです。今度はどういう目的でロンドンに?』

 綾瀬さんは気を取り直した様子で、軽い世間話といった調子で訊ねてきた。けれど、その途中で、私の胸元に目を落とす。

『……結婚したのか。あの時の捜し人は、自力で見つけた?』

私が答える前に解を導いたといった感じで、語尾を尻上がりにした。

『いいえ』

 私がかぶりを振ると、彼は困惑気味に眉根を寄せた。

『でも』

言い淀む様子の彼の視線を追って、私も自分の胸元を見下ろす。

私が今、両腕で抱えているのは――。

『この子は、あなたの子です』

この期に及んで、緊張で揺れ動く心を見透かされないよう、にっこりと微笑んで見せる。

綾瀬さんは驚愕したように目を瞠り、短く息を吸った。

『一昨年の五月、人捜しに協力してくれた綾瀬さんに、身体でお礼をした時……』

『っ、ちょっと待て』

この機を逃さず畳みかける私を、鋭く制した。人の耳を気にしたのか、辺りにサッと視線を走らせる。

『おい、一緒に来い』

彼の車に乗せられて、私は在英日本国大使館からもほど近い高級住宅街、チェルシー地区の一角に連れて来られた。

彼が運転する車は、重厚なレンガの組石造りの五階建てアパートメントで停まった。

ワンフロアに一戸という造りの広々としたフラット、最上階が彼の家だった。

洒落た四枚パネルの玄関ドアを開ける彼の背中を眺めるうちに、あの夜の記憶が蘇ってきた。

だけど、悠長に思い耽る間もない。

ドアをしっかり施錠した後、綾瀬さんが苛立ちを隠すことなく、私を壁際に強く押さえつけたからだ。

『なんの冗談だ。それが俺の子だって証拠は?』

わざわざ目線を合わせ、鋭利な刃物みたいな眼差しで睨めつけてくる。

二年ぶりの熱視線。正直、背筋がゾクッとした。

でも、弱気を悟られないよう、私はヘーゼルの瞳に精一杯の力を込めた。

『この子自身が証拠です』

私が睨み返したのが意外だったのか、彼の整った眉尻がピクリと上がる。

『身に覚えがないと逃げられても困るので、生まれるのを待ってお訪ねしました』

少しでも間を空けたら、声が震えるのを気付かれてしまう。

ノンブレスで一気に言い放った私に、綾瀬さんは眉間の皺を深くした。

『DNA鑑定に持ち込もうとでも?』

『信じてもらえないなら、科学的証拠を突きつけるしかないですね。でも、この子の父親は本当にあなたです。素直に信じてくれれば、そこまでしなくても』

『……マジかよ』

綾瀬さんは呆然と呟き、大きな筋張った手で口を覆って絶句した。

予想外の出来事に、多分それなりに動揺している。

この場をどう切り抜けるかとか、今後どうするかとか、きっと目まぐるしく思考回路を働かせていて、それどころじゃないんだろうけど――。

私は、鼻先が掠めそうなこの近距離が落ち着かない。

だけど、彼から『認める』という言葉を引き出すまでは、逃げ腰になるのを少しも悟られるわけにはいかない。

私から目を逸らし黒い瞳を微妙に彷徨わせる彼を、本気で死に物狂いで睨みつける。

でも、心は思考に伴わず、心拍は大きく強いリズムを刻む。

まるで太鼓が乱れ打つような激しい音は、私が抱えている子供の鼓膜を直接震わせたようで。

『ふえ、うえー……』

泣き出すのと同時に、玄関に漂う臭いの正体。

これは……。

『うっ』

綾瀬さんが瞬時に鼻を覆って、私から飛び退くように離れた。

『あ、うんち。すみませんが、奥、お邪魔します!!』

『え? あ、おいっ!』

心臓が壊れそうだったから、助かった。

『どうぞ』という返事を待ってる余裕はない。

私は彼の横を摺り抜け、勝手に奥の部屋に逃げ込んだ。

そして、今に至る――。

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