Share

第7話

Author: チビッコ
しばらくして、眠りについた莉緒は乱暴に揺り起こされた。

目を開けると、すぐ目の前には険しい表情をしている祐介がいた。その瞳は、氷のように冷たかった。

「沙耶香がひどい出血で輸血が必要なんだ」と、彼は低い声で言った。「君と彼女は同じ血液型だから、今すぐ来てくれ」

莉緒は一瞬固まったが、すぐに首を横に振った。「私、もともと貧血なの。これで献血したら、きっと耐えられない」

祐介は鼻で笑った。「沙耶香を傷つけたとき、こうなるとは考えなかったのか?」

それを聞いて莉緒は目を見開き、信じられないという顔で彼を見つめた。「私が、彼女を傷つけたって?」

「責任逃れをするな」祐介はうんざりしたように手を振ると、二人のボディーガードがすぐさま彼女の両脇を固めた。「献血が終われば、この件はそれで済むんだ」

莉緒はもがいたが、大柄な男二人の力には到底かなわなかった。

彼女はベッドから無理やり引きずり降ろされ、ふらつきながら輸血室へと連行された。

廊下の明かりが眩しくて、一瞬、視界がかすんだ。そのとき、ふと結婚したばかりの頃を思い出した。

あの頃、自分が貧血でふらつくと、祐介は徹夜で栄養のあるスープを作ってくれた。そして、心配そうに、一口ずつ食べさせてくれたのだ。

「莉緒、これから少しでも具合が悪かったら、絶対に言うんだよ」と、あの頃の彼は優しく言った。「君に辛い思いをさせたくないんだ」

それなのに今は、輸血用の椅子に押さえつけられる自分を、祐介は冷たい目で見ているだけだった。

針が腕の血管に突き刺さり、真っ赤な血液が管を伝って、採血バッグへと流れていった。

それと共に、莉緒の顔色はどんどん青ざめていき、唇からは血の気が引き、指先が冷たくなっていった。

見かねた医師は眉をひそめ、祐介に小声で言った。「葛城社長、奥さんは体が弱すぎます。これ以上の採血は危険ですよ」

祐介は莉緒の真っ青な顔をじっと見て、わずかに眉を寄せた。一瞬、ためらったようにも見えた。

でも、すぐに彼は冷たく言い放った。「続けろ」

莉緒は目を閉じた。心臓をぎゅっと鷲掴みにされたような痛みが走った。

やっぱり、この男は自分が死んでも構わないんだ。

ほどなくして採血が終わる、莉緒はまっすぐに立つこともできず、目の前が何度も真っ暗になった。

祐介は、今にも倒れそうな彼女を見て手を差し伸べ、支えながら少し優しい声で言った。「顔色が悪いな」

莉緒は何も言わずに彼の手を振り払うと、壁に手をつきながら、ゆっくりと歩き始めた。

祐介は眉をひそめて彼女の後を追いながら言った。「栄養のあるスープを作るように言っておいたから、後で少し食べろ」

そう言われて莉緒は足を止め、振り返って皮肉な笑みを浮かべた。「なに?私が死んだら、彼女に輸血する人がいなくなるのが怖いの?」

それを言われた祐介の顔色を一変し、何か言い返そうとしたその時、医師が慌てて駆け寄ってきた。「葛城社長、野口さんがまたひどい出血を!さっきの輸血だけでは足りません!」

莉緒は息を呑み、思わず後ずさった。「いや、もうこれ以上は無理……」

祐介は莉緒の真っ青な顔を見て、その目に一瞬、ためらいの色が浮かんだ。

でも、彼はすぐに心を鬼にして、医師に言った。「続けろ」

彼の言葉に、莉緒は全身から血の気が引いていくのを感じ、まるで奈落の底へ突き落されたようだった。

彼女は祐介を見つめ、聞き取れないほどのか細い声で言った。「祐介、私、死んじゃう」

だが、祐介は莉緒から目をそらし、ぽつりと言った。「君は死なないさ」

二度目の採血の後、莉緒の意識はほとんどなくなっていた。

椅子にもたれかかった彼女は、弱々しく息をしながら、目の前が何度も真っ暗になった。

祐介は莉緒の血の気のない顔を見て、ようやく焦りの色を見せ、彼女を抱きかかえようと手を伸ばした。「莉緒」

しかし莉緒は、その手を激しく振り払った。そして壁に手をつき、一歩、また一歩と、ゆっくり苦しそうに病室へと戻っていった。

祐介が顔を上げると、莉緒のか細い後ろ姿は今にも倒れそうだったが、それでも彼女は一度も振り返らず健気に去っていた。

祐介はその場に立ち尽くし、遠ざかる莉緒の後ろ姿を見つめていると、ふと訳もなく不安が胸にこみ上げてきた。

そうしていると、そばにいた医師が報告してきた。「葛城社長、野口さんの容体は安定しました」

祐介は我に返ってうなずいたが、結局彼は莉緒を追いかけていくことはなかった。
Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • あの夜、すべてを終わらせた   第28話

    莉緒が妊娠したことは、ある日のよく晴れた午後に分かった。圭太は検査結果を手にすると、指先をかすかに震わせた。いつもは落ち着いているのに、珍しく声も上ずっている。「莉緒、本当か?」医師は笑顔で頷いた。「おめでとうございます。もう6週目ですよ」圭太は勢いよく振り返ると、莉緒を抱き上げてくるりと回った。でも、はっと何かに気づいたようにそっと彼女を下ろす。そして慌てて、まだ平らなお腹に触れた。「赤ちゃんに何かあったらどうしよう?俺、力を入れすぎたかな」莉緒はぷっと吹き出して、彼のこわばった顔を軽くつねった。「そんなにヤワじゃないわよ」それでも圭太の緊張は解けなかった。病院からの帰り道、彼は車のスピードを時速40キロまで落とした。減速帯を通過するときなんて、いっそ車から降りて道を平らにしてしまいたい、と思うほどだった。そして家に着くと、圭太はすぐにノートを取り出してリストを作り始めた。妊娠中の栄養、検診のスケジュール、妊婦の注意点……「圭太」莉緒は呆れて彼のペンを取り上げた。「ちょっと落ち着いて」圭太が顔を上げると、その目は少し赤くなっていた。「莉緒、俺は怖いんだ」莉緒ははっとした。「君がつらいんじゃないか、痛いんじゃないかって思うと……」圭太はかすれた声で言いながら、そっと彼女のお腹を撫でた。「それに、俺がちゃんとできるかどうかも不安なんだ」その言葉に莉緒の胸は温かくなった。彼女は圭太の顔を両手で包み込んだ。「あなたなら、きっといい父親になれるはずよ」妊娠期間は、想像していたよりもずっと大変だった。最初の3ヶ月、莉緒はひどいつわりに苦しんだ。圭太は毎日、趣向を凝らしてあっさりした食事を作った。それでも彼女が食べられないでいると、一口ずつ、なだめるように食べさせてあげた。夜、莉緒が寝付けずに何度も寝返りを打っていると、圭太は一晩中腰をさすってあげた。そして翌朝、目の下にクマを作ったまま、また彼女の世話を焼くのだった。4ヶ月目に入った頃、莉緒は急に大学の裏手にあった店の激辛混ぜ麺が食べたくなった。圭太は車で街の半分以上を走り回ったが、結局その店はとっくに閉店していることが分かった。それでも彼は諦めきれず、当時の店主を探し出してから、あの本格的な激辛混ぜ麺を作ってほしいと頼み込み、無理を言って店を開け

  • あの夜、すべてを終わらせた   第27話

    結婚式当日、莉緒は純白のウェディングドレスを身にまとい、慎吾の腕を組んでバージンロードの入り口に立っていた。その唇には、優しい笑みが浮かばせていた。慎吾は目を赤くし、娘の手を握るその手はかすかに震えていた。彼は深く息を吸い込んで、低い声で言った。「莉緒、君が幸せになるのを見届けることが、お父さんの人生で一番の願いだよ」莉緒は胸が熱くなり、そっと慎吾の手を握り返した。「お父さん、私、今すごく幸せだよ」慎吾はうなずくと、涙をぐっとこらえ、娘を連れて一歩一歩、バージンロードの先に立つ圭太のもとへと歩いていった。仕立ての良い黒のスーツに身を包んだ圭太は、熱い眼差しで莉緒を見つめていた。その瞳には、隠しきれない愛情が満ちあふれているのだ。莉緒がついに圭太の前に立ったとき、彼はごくりと喉を鳴らし、少し掠れた声で言った。「莉緒、この日を、ずっと待っていたんだ」牧師が微笑み、誓いの言葉を交わすよう促した。圭太は深く息を吸い込んで、ポケットから一通の手紙を取り出した。それは、かつて彼が渡せずにいたラブレターだった。「あの頃の俺は、この手紙を書くとき、手が震えて字もまともに書けなかったんだ」圭太は声を震わせながら、一語一句、言葉を紡いだ。「莉緒、もし君も少しでも俺を好きなら、明日はあの紫のリボンをつけてきてくれないかな?」会場からは温かい笑い声が起こった。しかし、莉緒の目からは、涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。「でもあの日、君はつけてこなかった」圭太は目を真っ赤にしながらも、微笑んで彼女の涙を拭った。「今になってそれもいい思い出だ。俺は待てるから。君が他の誰かと別れるのを、大学を卒業するのを、そして、君がやっと俺に気づいてくれるのを」彼は大きく息を吸い込むと、声は詰まらせ言った。「莉緒、ありがとう。最後に俺を選んでくれて」莉緒はもうこらえきれず、圭太の胸に飛び込んだ。会場は割れんばかりの拍手に包まれた。慎吾はそっと涙をぬぐい、恵はとっくに泣き崩れていた。両家の親たちは顔を見合わせて微笑み、その目には安堵の色が浮かんでいた。教会全体が幸福な空気に満たされる中、ただ一箇所、隅の方に寂しげな人影が静かにたたずんでいた。祐介はスーツはしわくちゃで、顔は青ざめたまま最後列の物陰に立っていた。壇上で抱き合う二人を見つめる彼の心臓は

  • あの夜、すべてを終わらせた   第26話

    莉緒は窓際に立っていた。圭太が後ろから彼女を抱きしめ、そっと顎を頭に乗せた。「何を考えてるんだ?」彼の温かい息が、莉緒の耳元をくすぐった。莉緒は圭太の腕の中に体を預け、自然と口元が緩んだ。「昔、あなたがカエルを私のランドセルに入れたこと、思い出してたの」圭太はくすくすと笑った。その振動が背中から伝わってくる。「じゃあ、あれは君が俺を噴水に突き落としたせいだって知ってたか?俺、3日も悪夢にうなされたんだぞ」階下から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。慎吾と充は庭で将棋を指していて、圭太の母親・青木恵(あおき めぐみ)は奥山家の料理人と結婚式のメニューについて話し合っていた。莉緒と圭太が婚約して以来、両家はほとんど毎週のように集まっていた。「莉緒、これ味見してみて」恵がお菓子の乗ったお皿を手にやってきた。「あなたの好みに合わせて作ってみたのよ。甘さ控えめよ」莉緒が一口食べると、上品な甘い香りが口いっぱいに広がった。「おいしいです!ありがとうございます、おばさん」「まだ『おばさん』かい?」庭から充のからかうような声が飛んできた。「もう呼び方を変えてもいいんじゃないか?」すると逆に圭太の耳が真っ赤になり、莉緒は笑いながら彼の胸に顔をうずめた。日差しは暖かく、風は優しく、空気さえも甘い香りがするようだった。「そうだ」圭太は急に悪戯っぽく瞬きをした。「見せたいものがあるんだ」彼は莉緒の手を引いて書斎へ向かうと、引き出しから黄ばんだ封筒を取り出した。莉緒は、それが大学時代のアルバムを整理している時に見たものだと気づいた。あの時は、開ける時間がなかったのだ。「今なら開けていいよ」圭太は緊張した面持ちで彼女の表情をうかがった。紙には、まだ学生だった頃の圭太の丁寧な文字が並んでいた。【莉緒へ。今日、また三浦先輩と話してたね。こんなに嫉妬深いのはダメだってわかってる。でも、俺は……君のことがすごく好きだ。もし君も少しでも俺を好きなら、明日はあの紫のリボンをつけてきてくれないかな?】莉緒の目頭が熱くなった。「じゃあ、あの日のあなたは……」「校門で一日中待ってたんだ」圭太は照れくさそうに頭を掻いた。「でも君、ポニーテールしてきてたんだ」そう言うと、二人は顔を見合わせて笑った。まるで時が17歳の夏に戻ったかのようだった

  • あの夜、すべてを終わらせた   第25話

    ほどなくして、祐介は奥山家の別荘の前に立っていた。その手には、高価な限定品のバッグが固く握られている。スーツの袖口は擦り切れてほつれ、革靴もくすんでいる。それでも、彼の眼差しだけはひたすらにまっすぐだった。「莉緒!」莉緒が出てくるのが見え、祐介は慌てて駆け寄った。「ほら、君が欲しがってたバッグだよ。買ってきたんだ」莉緒は今日、ベージュのセットアップを着こなしていた。無造作にまとめた髪は、さりげなく気品を漂わせていた。彼女は祐介の手にあるバッグにちらりと目をやると、口の端にほんのかすかな笑みを浮かべた。「あら、そう?」莉緒はバッグを受け取ると、期待に満ちた祐介の目の前で、不意にその手を離した。バサッという音を立てて、バッグが地面に落ちた。莉緒は足を上げ、そのピンヒールで容赦なくバッグを踏みつけ、何度かぐりぐりと押し付けた。「君は……」祐介は信じられないといった様子で目を見開き、目の前の光景をただ見つめていた。「きのうは好きだったけど、今日はもう好きじゃないの」莉緒は、まるで赤の他人を見るかのような冷たい視線を向け、淡々と言い放った。「昔はあなたのことが好きだったけど、今は顔を見るだけで虫唾が走るの」そう言われて祐介の顔から、さっと血の気が引いた。なけなしのお金をはたいて手に入れたバッグが、莉緒にとってはいつでも捨てられるゴミ同然だったのだ。「俺たち……もう本当に、やり直せないのか?」祐介の声は震えていた。「君が望む生活ができるように、がんばるから」「がんばる?」莉緒は面白いことでも聞いたかのように鼻で笑った。「前まであなたの仕事がうまくいったのって、どこの誰のお金とコネのおかげだったかしら?」彼女は祐介の落ちぶれた姿を上から下まで眺めまわし、続けた。「どうしたの、ヒモになるのが嫌だったんじゃないの?」それを聞いて祐介の顔はカッと赤くなった。そのとき、指が偶然ポケットの中の物に触れた。彼はしばらく黙り込んだ後、ポケットからビロードの小箱を取り出した。中には、莉緒が外したはずの結婚指輪が収められていた。「覚えてるかい?」祐介は声を詰まらせ言った。「結婚した日、君は誓ってくれたじゃないか。これを一生外さないって」莉緒の瞳が一瞬、揺れた。しかし、すぐにまた冷たい光を取り戻した。彼女は指輪を奪い取ると、期待

  • あの夜、すべてを終わらせた   第24話

    莉緒は、圭太の腕の中で甘えながら、彼のシャツのボタンをいじっていた。窓からやわらかな日差しが差し込む中、圭太は莉緒のためにぶどうの皮を剥いていて、そのすらりと長い指が器用に動くと、つややかな実がころんとフルーツ皿に落ちた。「圭太、駅前のあのお店のマカロンが食べたいな」莉緒はさらに甘えるように言った。圭太はすぐにぶどうを置くと、スマホを取り出した。「今すぐ、誰かに買いに行かせるよ」莉緒は満足そうに目を細めた。こうして大切にされている感じは、なんて素敵なんだろう。だが、彼女が圭太にキスをしようと顔を近づけた瞬間、窓の外から耳障りな叫び声が聞こえてきた。「莉緒!俺の覚悟を見せてやる!」奥山家の門の前に、祐介が立っていた。まだ病衣を着ていて、背中の傷のせいでまっすぐに立てていない。でも、その眼差しは異常なほどまっすぐだった。莉緒はうんざりしたように眉をひそめた。「また来た……」圭太は彼女をなだめるように手を軽く叩き、「俺が話付けてくる」と言った。門の外では、二人の男が対峙していた。祐介は圭太を睨みつけた。「お前に俺を止める資格はない」圭太はフッと笑うと、ゆっくりとシャツの袖をまくり上げた。「葛城社長、莉緒の背中にあなたが彼女を階段から突き落とした時にできた痣、手首にあなたが残した指の痕、彼女をあれほど傷つけたことを俺は知っているんです」そういうと彼の眼差しが、すっと冷たくなった。「今すぐ、立ち去りなさい」「俺はあいつの夫だ!」「もうすぐ離婚するんでしょう」圭太はそう訂正すると、不意に意味深な笑みを浮かべた。「葛城社長がそれほど自信がおありなら、試してみませんか?」そう言って、圭太は戻って莉緒を買い物に連れ出した。デパートの中。莉緒は圭太の腕に自分の腕を絡め、後ろをついてくる祐介をわざと無視した。彼女はある高級ブランド店の前で立ち止まった。そして、ショーウィンドウに飾られた限定品のバッグをじっと見つめた。それを見た圭太は、「これを包んでください」とすかさずブラックカードを差し出した。その少し離れた場所に立っていた祐介は、爪が食い込むほど強く拳を握りしめた。あのバッグの値段は、今の自分の全財産にも相当する額だった。「葛城社長は何かされないんですか?」圭太は眉を上げる。「以前はよく、莉緒にバッグを

  • あの夜、すべてを終わらせた   第23話

    一方で、祐介は消毒液の匂いの中でゆっくりと目を開けた。背中が焼けるように痛み、思わず息を呑んだ。「うっ」窓の外の光がブラインドの隙間から差し込んで、ベッドの上にはまだらな影が落ちていた。彼の意識はまだぼんやりとしていて、さっきまで見ていた夢の世界を彷徨っていたようだった。夢の中の自分は、莉緒を裏切らなかった。二人は幸せに暮らしていて、可愛い双子までいた。夢で見た莉緒の優しい笑顔はとてもリアルで、髪から香るジャスミンの匂いまでも思い出せるほどだった。だが、彼の口元から浮かべた微笑みが消えないうちに、冷たい現実に直面してしまった。がらんとした病室には、機械の規則正しい電子音が響くだけ。夢で見た温かい家も、布団をかけ直してくれる妻も、ここにはいなかった。「フッ」祐介は自嘲気味に口の端を歪めると、その動きに合わせて背中の傷がズキズキと痛んだ。でも、この体の痛みなんて、心の後悔に比べればどうってことなかった。彼は、あの日の莉緒の冷たい眼差し、そして、もう二度と許さないと言い放った、彼女のきっぱりとした態度を思い出した。全部、自業自得だ。誰よりも自分を愛してくれた人を、この手で突き放してしまったのだから。突然、病室のドアが開いた。祐介は無意識に顔を上げたが、その見覚えのある姿を目にした途端、心臓が止まるかと思った。「莉緒?」彼の声はみっともないほど震えていて、指は無意識にシーツを握りしめていた。莉緒はドアの前に立っていた。動きやすそうなトレーニングウェア姿で、手にはファイルを一つ持っている。彼女の視線は一瞬だけ祐介に向けられたが、そこに感情の色は一切なかった。「死んでなくてよかったわ」莉緒は中に入ってくると、ファイルをベッドサイドテーブルに置いた。「これは同意書よ。あなたが自分の意思で罰を受けたっていう同意書だから、サインしておいて」祐介の瞳から、光が一瞬で消え去った。彼はむさぼるように莉緒の顔を見つめる。離婚した時よりずっと顔色がいいし、眉間にあった憂いの影もすっかり消えていた。「他に、俺に言うことは……何もないのか?」祐介はやっとの思いで声を絞り出した。喉がカラカラに乾いて痛かった。莉緒は服の乱れを直し、彼に視線を向けることすらせずに言った。「葛城社長、どうぞお大事に」彼女が背を向けて出てい

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status