ログイン「真実か挑戦か」のゲームで負けた笠井宥丸(かさい ゆうまる)は、今までで一番刺激的だったことは何かと尋ねられた。 彼は片腕で篠崎千穂(しのざき ちほ)を抱き寄せ、気だるげな表情を浮かべていた。 「この耳の聞こえない出来損ないとやる時に、七緒の名前を呼ぶことだな。こいつは聞こえないから、自分の名前を呼ばれていると思い込んで、愛情たっぷりの目で俺を見つめてくる。喘ぎ声もさらに大きくなるんだ」 その瞬間、個室にいた全員が歓声を上げ、割れんばかりの拍手と囃し立てる声が鳴りやまなかった。 誰一人として、千穂の顔から血の気が一気に引いたことに気づく者はいなかった。
もっと見る研究院のけたたましい警報音が、夜の静寂を切り裂いた。千穂はデータモニターの前で勢いよく顔を上げた。中央隔離チャンバーに収められたクリスタルが驚異的な周波数で脈動しており、そこから放たれる青い光が、実験室全体をまるで深海の底のように照らし出していた。「伝送効率、400パーセントを突破!」同僚の叫びがインカムから響き渡った。「篠崎博士、クリスタルが過負荷状態です!」千穂の指先はキーボードの上で目まぐるしく踊り、額にはじわりと細かな汗が滲んだ。この3年間積み上げてきたすべての計算、推論、そして実験の成果が今夜、ついに証明されようとしていた。メインコンソールの画面上では、脳波のスペクトルとクリスタルの共鳴周波数が完璧に重なり合っていた。人類史上初となる、物質を超越した意識伝送が、まさに完了しようとしていたのだ。「記録準備」千穂はインカムのボタンを押し、自分でも驚くほど冷徹な声で告げた。「カウントダウン、10秒前」警報の赤いランプが点滅する中、彼女は無意識のうちに左頬の薄い傷跡に触れていた。七緒によって刻まれたその傷痕は、今や彼女が毎日この研究院を出入りするための、生体認証マーカーとなっていた。それはまるで、かつて粉々に砕け散った過去が、最終的に彼女の血肉へと溶け込み、前へ進むための原動力へと変わったかのようだった。「3、2、1!」クリスタルが突如として、目も眩むような強烈な光を放った。あまりの眩しさに一瞬の眩暈を覚える中、千穂はこめかみから微弱な電流が流れ込んでくるのを感じた。それと同時に、かつての記憶が少しずつ脳裏に蘇ってきた。12歳で聴力を失ったあの日の雨音。18歳で宥丸と初めて出会ったとき、彼のまつ毛に降り注いでいた柔らかな陽だまり。七緒に噴水池の底へ沈められたときに鼻を突いた、あの血の匂い……そして記憶の奔流は、最後に研究院の廊下で立ち尽くす、宥丸の真っ赤に充血した目元の残像でピタリと止まった。「篠崎博士!」誰かが彼女の肩を激しく揺さぶった。「鼻血が!」千穂が顔を拭うと、手のひらはべっとりと鮮血に染まっていた。メインスクリーン上のデータが凄まじい勢いで更新されていく中、スピーカーからは天泰の震える声が響き渡った。「成功だ……人類初の、空間を超えた意識共有が……実現したんだ……!」研究院内は割れん
七緒の葬儀は簡素なもので、参列者の姿はほとんどなかった。宥丸は最後の情けとして足を運んだが、七緒の親族の一人から、皆の前でコップの水をまともに顔へぶちまけられた。「あんたがあの子を死に追いやったのよ!」七緒の母親が金切り声を上げた。「あの子はあんたをあんなに愛していたのに、あんたはあの耳の聞こえない女のためにあの子の評判を地に落とした!今度は命まで奪おうっていうの!」宥丸は顔の水を拭い、静かに言った。「七緒が何をしたか、知らないとは言わせない。あいつは千穂の顔を切り裂き、その人生までをも台無しにしようとしたんだ。あいつがしたことに比べれば、俺の与えた罰などまだ軽すぎるくらいだ」「それがどうしたっていうのよ!たかが耳の聞こえない女じゃないの!」宥丸は七緒の母親の口から出たその言葉に驚きすら感じなかった。彼は最後に七緒の遺影へ視線を向けた。写真の中の彼女は、いつものように花がほころぶような笑みを浮かべており、その美しい外見の下に隠された醜悪な本性など微塵も感じさせなかった。宥丸は再び研究院の付近へと足を運んでいた。千穂がまだここにいることは分かっていたが、前回のことがあって以来、彼がこの場所へ立ち入るための正当な口実は完全に失われていた。国立研究院のオリジン計画の首席研究員という肩書きが、彼女を、彼には永遠に手の届かない別の世界へと隔絶してしまった。それでも、宥丸は諦めきれなかった。夜の帳が下りる頃、彼は一人で車の中に座り、研究院の灯りが一つ、また一つと灯っていくのをただ見つめていた。「笠井さん、あなたに入館権限はありません」警備員の眼差しは、行く手を阻む鉄の門扉よりも冷酷だった。「一度だけでいい、彼女に会わせてくれ」彼の声はひどく掠れて、惨めな響きを帯びていた。「たかが五分でいいんだ……」「篠崎博士がお会いになることはありません」相手はぴしゃりと言葉を遮った。「お引き取りください」彼は鉄門の外で3日3晩立ち尽くした。冷たい秋の雨がスーツを濡らし、骨の髄まで凍りつくような寒さが身を苛んだ。4日目の夜明け、二人の軍人が彼の前に姿を現した。「笠井さん、あなたはすでに重点監視対象リストに登録されています。これ以上、国家級の研究員へのつきまとい行為を続けるのであれば、我々も強制的な措置を取らざる
宥丸は、これ以上研究院に留まるすべを持たなかった。彼の申し出た投資案は撥ね付けられ、千穂と再会することも叶わない。ひとまず視察団と共に、そこを立ち去るほかなかった。しかし、彼の脳内は千穂の姿で埋め尽くされていた。とうとうマネージャーにもその心ここにあらずな様子を見透かされてしまった。「最近はしばらく自宅でゆっくり休んでください」宥丸はアシスタントを呼びつけ、七緒の近況を尋ねることにした。「白川さんは……その、あまりよろしくない状態のようです」時間が経つにつれ、ネット上の炎上騒ぎは収束するどころか、ますます激しさを増していた。家の周囲に群がっていた記者たちはとうの昔に姿を消したというのに、七緒は未だに部屋に引きこもったままだ。宥丸が彼女の部屋へ足を踏み入れたとき、目の前にいる人物が、かつて華やかで美しかったあの七緒だとは、にわかには信じがたいほどだった。ひどくやつれ果てた七緒は宥丸の姿を認めるやいなや、這いつくばるようにしてすがりついてきた。「宥丸……宥丸!私が悪かったわ、お願いだから助けて!彼ら、絶え間なく電話をかけてきて、私のことを罵るの……!怖いの、ねえ宥丸、助けてよ!」だが、宥丸は一言も発することなく、ただ冷ややかな瞳で彼女を見下ろしていた。七緒の瞳に灯っていたかすかな期待の光が、みるみるうちに消えていった。口から吐き出される言葉も、哀願から怨み言へと変わっていった。「私を許す気なんて、最初からないんでしょう!あんな耳の聞こえない女のために!」その言葉を聞いた瞬間、宥丸はついに反応を示した。彼はゆっくりと身を屈め、憎悪に満ちた七緒の瞳を真っ向から見据えた。「あいつを許さなかったのは、お前の方だろう。千穂の顔を刃物で切り裂き、あまつさえ悪びれもせず、人を雇って千穂をめちゃくちゃにさせるとまでほざいた……お前がここまで底意地の悪い毒婦だったとは、以前の俺は気づきもしなかったよ」七緒はその場で凍りつき、狼狽した様子で尋ねた。「どうして……それを、知ってるの……?」宥丸は顔色一つ変えずに言い放った。「俺が知っているのはそれだけじゃない。今こんなに落ちぶれているってのに、お前のあの何人もの愛人たちは、どうして助けに来てくれないんだろうな」「ち、違う……!愛人なんていないわ、私には宥丸しかいないの
深夜。千穂はたった一人、実験室に残って作業を続けていた。昼間の出来事が彼女の心をひどく掻き乱していた。データの海に没頭している間だけが、唯一思考を冷静に保てる時間だった。「やはりここにいたか」天泰がドアを押し開けて入ってきた。その手には、夜食の入った袋が二つ提げられていた。「昼も君が食事をとる姿を見なかったからね。寮にもいないし、十中八九ここだろうと思ったよ」千穂は無理に口角を上げようとしたが、すぐに諦め、どんよりと沈んだ顔を見せた。「ありがとうございます。でも、まだお腹は空いていなくて」「無関係な人間のために体を壊すなんて、割に合わないだろう」天泰は笑うと、手慣れた様子で箸を千穂に手渡した。そして、もう片方の手で千穂が持っていた資料を取り上げた。「今日、彼が帰る前に、我々のプロジェクトへ10億円の投資を申請してきてね」千穂の手がピタリと止まり、掴みかけたおかずが皿へと落ちた。「……受けたんですか?」「まさか」天泰はフッと鼻を鳴らした。「オリジン計画は国家機密だ。個人の投資など受け入れられるわけがない。だが、彼もずいぶんと誠意を見せていてね。投資の理由は『千穂のために何かしたい』とのことだった」そう言って、天泰はさりげなさを装いながら千穂の顔を窺った。「私は、あの人のものなんて何も必要ありません」千穂は再びおかずを口へと放り込み、くぐもった声で答えた。天泰は小さくため息をついた。「千穂くん。なぜこの計画が『オリジン』と名付けられたか、知っているか?」千穂は首を振った。天泰は、実験室の中央に据えられたメインコンソールを指し示した。「我々が研究しているこの技術は、人類のコミュニケーションの根本的な壁を打ち破るものだ。音も、言語も、そして健常な五感さえも必要としない。まさに、万物が生まれ落ちた瞬間の、あの純粋な状態へと回帰するかのように」天泰は再び千穂に向き直った。「君はかつて、無音の世界で生きてきた。だからこそ、この壁を越えることの本当の意義を、誰よりも深く理解しているはずだ。だがね、科学と人間の感情は対立するものではない。時に、過去を正視してこそ、未来へと力強く踏み出せることもある」千穂の視線が、メインコンソール上で点滅するインジケーターへと吸い寄せられた。そのマシンは、あの古代遺跡のクリスタ
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