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あの夢が醒めなかったら
あの夢が醒めなかったら
Author: 蘇南系

第1話

Author: 蘇南系
元彼の弟との密かな恋は三年続いた。

私・松村清子(まつむら きよこ)はわざわざ飛行機で海外まで飛び、大森浩司(おおもり こうじ)へのサプライズにと、手作りの誕生日ケーキを作った。

ところが、そこで思いがけず、彼が別の女の子にプロポーズしている現場を目撃してしまう。

浩司が片膝をつき、かつて自分が気に入っていたダイヤの指輪を、別の女の子の指にはめるのを清子はこの目で見た。

巨大スクリーンには、電子日記が映し出されていた。そこには、浩司とその女の子との恋愛の軌跡が記されている。

その期間は、清子と浩司が付き合っていたこの三年間と、完全に重なっていた。

清子はその場に立ちすくみ、しばらくは我に返れなかった。

あの女――吉川美加(よしかわ みか)が化粧直しに出かけると、中からくすくす笑う声と会話が聞こえてきた。

「ああ、浩司、そんな風にプロポーズしちゃって、三年も付き合ってる彼女はどうするの?彼女、浩司が結婚してくれるのをずっと待ってんでしょ?帰ってなんて説明するつもり?……もう、正直に話しちゃえば?」

「あの時さ、浩司の兄さんにフラれたばっかりで、彼女、すっごく落ち込んでたんだよ。で、どういう風の吹き回しか、急に浩司に猛烈アタックしてきてさ。浩司も、彼女がまた浩司の兄さんに絡みに行くのを心配して、仕方なく付き合ってただけなんだよね。今じゃ浩司の兄さんも海外に引っ越しちゃったし、もう自分を犠牲にする必要もないってわけさ」

「この三年間、浩司は仕事の口実で飛んできては、彼の大事な女に会ってたんだ。彼女、全く気づいてなかったんだな」

「でもさ、浩司、三年も寝てて、本当に少しも感情湧かなかったの?松村清子って、あの顔とスタイル、男が見たらヨダレ出るよ?彼女、浩司にベタ惚れで、浩司以外の男は眼中になかったから、チャンスなかったけどさ」

浩司はだらりと口元をゆるめ、何気ない口調で言った。

「遊び相手に、感情なんて湧くと思う?」

その瞬間、清子の顔から血の気が引き、体が凍りついた。

胸が張り裂けるような痛みが広がる。浩司が席を立って出てこようとするのが見えた。

清子は慌てて身を隠し、彼らの後を追った。

静かな地下駐車場で、浩司が優しく、その女の子の唇にキスをしているのを清子は目にした。彼女を傷つけないよう、とても慎重に。

一番熱くなった時、浩司は車内灯をつけ、彼女の顔を丁寧に手のひらに載せて見つめた。

清子は突然思い出した。浩司と情事を交わす時、彼はいつも明かりを消すよう言っていたことを。

彼の変わった趣味だと思っていた。でも、本当は、彼女を別の誰かだと錯覚しやすくするためだったのだ。

「ああ、浩司、痛いよ……」

浩司の声はかすれていたが、あふれるほどの愛情は隠せなかった。

「ごめん、じゃあ、優しくするね」

清子は、心臓を鋭い刃で何度も刺されたような、言いようのない痛みに襲われた。足がガクガクし、今にも倒れそうになった。もうこれ以上見ていることはできず、震えながらその場を離れた。

この三年間、浩司が出張と言って家を空けるたび、それはすべて別の女のもとへ行くためだったのだ。

彼は最初からずっと、清子を騙していた。

ケーキが床に落ちた。清子がケーキに描いた笑顔が、ぐちゃぐちゃに潰れている。まるで彼女の愚かさを嘲笑っているようだった。

どうやって空港に辿り着いたのか、自分でもわからなかった。指が震えながら、一番早い便のチケットを予約して帰路についた。

指の隙間から涙が止まらなかった。清子は、三年前のあの日を思い出していた。

三年前、元彼に裏切られた清子は、会員制バーで泥酔していた。突然の火災が起きた時、彼女の意識は朦朧とし、ただ絶え間なく響く助けを求める叫び声だけが聞こえていた。

逃げ道はすべて塞がれ、死を覚悟したその時、誰かが炎の中に飛び込んできて、清子を抱きかかえ、救い出してくれた。

焼け落ちた戸棚が彼の肩に倒れかかり、清子は彼の堪えたうめき声をかすかに聞いた。

その後、清子は三日三晩昏睡した。周囲は失恋のショックで自殺を図ったのだと思った。しかし清子の頭の中は、あの人の姿でいっぱいだった。

最後に元彼の家を訪れ、自分のものを取り戻そうとした時、ちょうどシャワーから上がり、上半身裸で現れた浩司と出くわした。

彼の左肩にある、まだ新しい傷痕を見た瞬間、清子は自分を救ってくれた恩人を見つけたと思った。

何度も夢の中で彼に胸をときめかせた後、清子は初めてプライドを捨て、年下の弟分を自ら追いかけることにした。

彼とオートレースを見に行った。

彼の好きなサッカー選手のユニフォームをプレゼントした。

彼が興味を持つことなら、何でも一緒にやった。

どんなに忙しくても、彼の電話一本で、清子はすぐに彼の元へ駆けつけた。

やがて二人は付き合い始めた。しかし浩司は、二人の関係をしばらくは公にしないでほしいと頼んだ。

清子は、彼が兄さんに知られるのを避け、気まずい思いをさせたくなかったのだと思った。

実際は、二股をかけやすくするためだったのだ。

そもそも、彼が清子と付き合ったのは、兄さんの代わりに「失恋のショックで自殺未遂」した厄介者を始末するためだったのだ。

清子は泣きながら笑った。心が痛んで、蟻が心臓をかじっているようだった。

飛行機が着陸した時には、もう夜が明けていた。

清子は直接会社へ向かい、一日中会議に明け暮れた。

ようやく手が空いてスマホを開くと、真っ先に目に入ったのは、浩司の肩の、彼女が大切にしてきたあの傷痕の写真だった。

キャプションはこう書かれていた。

【これは彼が私を愛している証。今日、プロポーズしてくれた】

その下には、共通の友人のコメントが付いていた。

【これはね、浩司が吉川家に彼と美加の交際を認めてもらうために、十発の棒で打たれた勲章なんだよ】

清子はスマホを見つめ、ようやく気づいた。あの女の子に会ったことがある、しかも浩司の後輩だと思って友達登録までしていたことに!

頭の中が真っ白になった。

写真の傷痕を凝視する。もしこれがあの女のためにできた傷だとしたら……?

ならば、あの時清子を救ったのは浩司ではない?

彼女が好きになったのも、決して浩司ではなかった?

清子の呼吸が次第に荒くなった。浩司じゃないなら、いったい誰なんだ?

彼女は虚ろな目で拳を握りしめ、全身が氷の穴に落ちたように冷たくなった。

死のようだった沈黙を破ったのは、突然鳴り響いた携帯電話の着信音だった。

「清子、あと十日で私たちの約束の日よ。約束したでしょ?もしあの彼氏がプロポーズしてこなかったら、お母さんが紹介するお見合いに行くって」

昨夜見たこと、聞いたことが頭をよぎる。清子は深く息を吸った。

「お母さん……お見合い、行くわ。頼むね」

最初から間違っていたのなら、これ以上間違いを続ける必要はない。

たとえあの人を見つけられなくても、もう浩司と無駄な時間を過ごすつもりはなかった。

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