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さよならの後に降る雨

さよならの後に降る雨

By:  福まみれCompleted
Language: Japanese
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ガスコンロが爆発した。 深津志保(ふかつ しほ)は深い傷を負い、命の灯が今にも消えそうだった。 その時、そばにいてくれたのは、まだ五歳の息子――深津陽向(ふかつ ひなた)だけだった。 魂となった志保は、泣きじゃくる陽向の傍らでただ立ち尽くしていた。 陽向は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、深津翔太(ふかつ しょうた)に必死に電話をかけていた。 「パパ、ママがいっぱい血を流してるよ、もう死んじゃいそうだよ。ママを助けて……」 けれども翔太は、「ママの嘘ばかり真似するな」と冷たく言い放ち、電話を切ってしまう。 陽向は必死に涙をぬぐい、どうにか救急車を呼び寄せたが、その救急車さえも翔太に奪われてしまう。 「パパ、お願い、ママの救急車を奪わないで!ママは本当にもうダメなんだ!」 「嘘つきめ、ママに変なことばかり教えられて。どけ、由紀(ゆき)はもうすぐ子どもが生まれるんだ。ママより由紀のほうが救急車が必要だ!」 翔太は、目を真っ赤にした陽向を突き飛ばし、振り返りもせず、由紀を抱えて救急車に乗り込む。 「パパ……パパ!ママを助けてよ!」 陽向は泣き叫びながら救急車を追いかけたが、背後から大型トラックが猛スピードで近づいていることに気づかなかった。 志保は必死で陽向の名前を叫び、どうにかして彼を守ろうとした。 けれど何もできず、ただその光景を見ていることしかできなかった。 陽向がトラックの車輪に巻き込まれていく、その瞬間―― 視界が真っ赤に染まった。 志保は、何もかもが壊れていく音を聞いた気がした。 ――これまで何度も、翔太は由紀とその娘のために、自分と陽向を置き去りにしてきた。 志保が抗議するたび、「由紀の父親には命を救われた恩がある」と、翔太は決まってそう言い訳をした。 ただの優柔不断な人だと、志保は自分に言い聞かせてきた。 まさか、ふたりの命をも、あっさり切り捨てる人だったなんて。 ――私が、陽向を不幸にしてしまったんだ。 胸を引き裂かれるような痛みの中、志保の命は静かに尽きていった。 もし来世があるのなら、もう二度と翔太とは関わりたくない――

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Chapter 1

第1話

ガスコンロが爆発した。

深津志保(ふかつ しほ)は深い傷を負い、命の灯が今にも消えそうだった。

その時、そばにいてくれたのは、まだ五歳の息子――深津陽向(ふかつ ひなた)だけだった。

魂となった志保は、泣きじゃくる陽向の傍らでただ立ち尽くしていた。

陽向は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、深津翔太(ふかつ しょうた)に必死に電話をかけていた。

「パパ、ママがいっぱい血を流してるよ、もう死んじゃいそうだよ。ママを助けて……」

けれども翔太は、「ママの嘘ばかり真似するな」と冷たく言い放ち、電話を切ってしまう。

陽向は必死に涙をぬぐい、どうにか救急車を呼び寄せたが、その救急車さえも翔太に奪われてしまう。

「パパ、お願い、ママの救急車を奪わないで!ママは本当にもうダメなんだ!」

「嘘つきめ、ママに変なことばかり教えられて。どけ、由紀(ゆき)はもうすぐ子どもが生まれるんだ。ママより由紀のほうが救急車が必要だ!」

翔太は、目を真っ赤にした陽向を突き飛ばし、振り返りもせず、由紀を抱えて救急車に乗り込む。

「パパ……パパ!ママを助けてよ!」

陽向は泣き叫びながら救急車を追いかけたが、背後から大型トラックが猛スピードで近づいていることに気づかなかった。

志保は必死で陽向の名前を叫び、どうにかして彼を守ろうとした。

けれど何もできず、ただその光景を見ていることしかできなかった。

陽向がトラックの車輪に巻き込まれていく、その瞬間――

視界が真っ赤に染まった。

志保は、何もかもが壊れていく音を聞いた気がした。

――これまで何度も、翔太は由紀とその娘のために、自分と陽向を置き去りにしてきた。

志保が抗議するたび、「由紀の父親には命を救われた恩がある」と、翔太は決まってそう言い訳をした。

ただの優柔不断な人だと、志保は自分に言い聞かせてきた。

まさか、ふたりの命をも、あっさり切り捨てる人だったなんて。

――私が、陽向を不幸にしてしまったんだ。

胸を引き裂かれるような痛みの中、志保の命は静かに尽きていった。

もし来世があるのなら、もう二度と翔太とは関わりたくない――

……

涙で目を腫らしたまま、志保は陽向を寝かしつけてからソファに座り込み、そのとき初めて、自分が生き返ったのだと気づいた。

消えない痛みが身体の奥を這いまわり、指先まで震えが止まらない。

志保はスマートフォンを手に取る。

SNSを開けば、由紀が頻繁に投稿を重ねていた。

最新の投稿は、少しふくらんだお腹を撫でながら、男の手を握って微笑む由紀の写真だった。そこには、こんな言葉が添えられていた。

【二十八歳の誕生日にプロポーズされました。私と子どもに家族をくれるって(照)】

写真の男の右手薬指に、小さな黒子がある。

それを見て、志保は凍りついた。

――翔太だった。

こんな光景、前にも一度見たはずなのに。

もう一度、現実として突きつけられると、胸の奥がずきんと痛む。

翔太が由紀にプロポーズをしたその時、志保という妻、そして陽向のことを一度でも思い出しただろうか。

でも――

彼は、志保と陽向親子の命すら大事に思わなかった人だ。何を期待したって無駄だ。

馬鹿なのは、自分が「恩返しのため」という嘘を信じ、息子と一緒に死んだことだ――

志保は、前世で自分と陽向が死んだときの光景を思い出し、涙が枯れるほど泣いた。

翔太が帰ってきたら、このバカげた結婚生活にはっきり終止符を打とう――それだけを心から願っていた。

そうして、夜が明けるまでじっと待ち続けた。

……

午前三時。

ようやく帰ってきた翔太は、志保の腫れた目を見て、うんざりしたようにワイシャツの口紅を拭った。

「口紅は由紀がうっかりつけたんだよ。結婚指輪も、ただ一時的に外しただけだ。いちいち気にするな」

ここ何年も、翔太は由紀と腕を組んで歩いたり、ホテルの同じ部屋から出てきたりした。

そのたびに、「気にしすぎだ」と言うのが決まり文句だった。

その言葉に、志保は思わず生理的な嫌悪感がこみ上げる。

志保は、涙にくぐもった声で翔太に問いかけた。

「いつも『気にするな』って言うけど……じゃあ、もし私が智也(ともや)の家に行って、夜中の三時に帰ってきたら、あなたはどう思うの?」

翔太は、志保が由紀に嫉妬することに、もううんざりしていた。

「志保、お前、もういい加減にしてくれよ。あいつはお前に気があるんだぞ。俺は由紀に恩があるだけで、それとは全然違うだろ?」

――何が違うっていうの。

言いかけた言葉を飲み込み、志保はふっと苦笑した。

「もういい……私、決めたの。翔太、あなたと離婚する」
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第1話
ガスコンロが爆発した。深津志保(ふかつ しほ)は深い傷を負い、命の灯が今にも消えそうだった。その時、そばにいてくれたのは、まだ五歳の息子――深津陽向(ふかつ ひなた)だけだった。魂となった志保は、泣きじゃくる陽向の傍らでただ立ち尽くしていた。陽向は、涙でぐしゃぐしゃの顔で、深津翔太(ふかつ しょうた)に必死に電話をかけていた。「パパ、ママがいっぱい血を流してるよ、もう死んじゃいそうだよ。ママを助けて……」けれども翔太は、「ママの嘘ばかり真似するな」と冷たく言い放ち、電話を切ってしまう。陽向は必死に涙をぬぐい、どうにか救急車を呼び寄せたが、その救急車さえも翔太に奪われてしまう。「パパ、お願い、ママの救急車を奪わないで!ママは本当にもうダメなんだ!」「嘘つきめ、ママに変なことばかり教えられて。どけ、由紀(ゆき)はもうすぐ子どもが生まれるんだ。ママより由紀のほうが救急車が必要だ!」翔太は、目を真っ赤にした陽向を突き飛ばし、振り返りもせず、由紀を抱えて救急車に乗り込む。「パパ……パパ!ママを助けてよ!」陽向は泣き叫びながら救急車を追いかけたが、背後から大型トラックが猛スピードで近づいていることに気づかなかった。志保は必死で陽向の名前を叫び、どうにかして彼を守ろうとした。けれど何もできず、ただその光景を見ていることしかできなかった。陽向がトラックの車輪に巻き込まれていく、その瞬間――視界が真っ赤に染まった。志保は、何もかもが壊れていく音を聞いた気がした。――これまで何度も、翔太は由紀とその娘のために、自分と陽向を置き去りにしてきた。志保が抗議するたび、「由紀の父親には命を救われた恩がある」と、翔太は決まってそう言い訳をした。ただの優柔不断な人だと、志保は自分に言い聞かせてきた。まさか、ふたりの命をも、あっさり切り捨てる人だったなんて。――私が、陽向を不幸にしてしまったんだ。胸を引き裂かれるような痛みの中、志保の命は静かに尽きていった。もし来世があるのなら、もう二度と翔太とは関わりたくない――……涙で目を腫らしたまま、志保は陽向を寝かしつけてからソファに座り込み、そのとき初めて、自分が生き返ったのだと気づいた。消えない痛みが身体の奥を這いまわり、指先まで震えが止まらない。
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第2話
三日前、翔太が由紀の妊婦健診に付き添う動画が、ネットで大きな話題になった。【今話題の由紀って、実は略奪愛だったらしいよ】【不倫でしょ、最低】そんな声がネットを駆けめぐり、由紀へのバッシングは止まらなかった。由紀は追い詰められ、自殺未遂まで起こしてしまった。ネットの中傷を目の当たりにし、翔太は胸を締めつけられる思いだった。「せめて誤解だけでも解きたい」――そんな想いで、志保に「形だけの離婚」を持ちかけた。志保はあまりの理不尽さに呆れ、ずっと首を縦に振らなかった。 でも、もう彼のことは必要ないと決めた。翔太は、志保の態度を「器が小さい」と内心で決めつけ、不機嫌な様子を隠そうともしなかった。だが、彼女が「離婚する」と言った瞬間、その顔にぱっと明るい色がさし、さっきまでの苛立ちはどこへやら、まるで子どものように上機嫌になった。「やっと決心したのか。じゃあ今すぐ離婚届を取ってくる!」「待って。離婚はいいけど、条件は変えて。私は財産分与なしのまま家を出るつもりはない。夫婦の財産は半分ずつよ」「ただの形だけの離婚なのに、そんなに本気にならなくてもいいだろ?」翔太は交際初期の志保を思い出していた。あの頃の彼女はいつも優しく、おおらかだった。一体いつから、こんなに細かくなったんだろう……志保は彼の冷たい視線に傷つき、かすれ声で言う。「嫌なの? じゃあもういい」それを聞いた翔太は焦ったように食い下がる。「駄目だ、ちゃんと分かったよ!全部お前の言う通りにするから、もうこれでいいだろ?」彼は志保が心変わりしないか心配で、午前六時にまで及んで弁護士を呼びつけ、離婚協議書を書き直させた。翔太も「形だけの離婚」が志保に申し訳ないとは思っている。でも由紀の父親は、かつて自分の命の恩人だった。由紀が世間の非難に晒されないようにするためには、どうしても志保に犠牲になってもらうしかないのだ。新しい離婚協議書がようやくプリントされると、翔太はそれをペンと一緒に志保に手渡した。「さあ、早くサインして!」翔太が急かす声を聞きながら、志保は二人がまだ愛し合っていた頃のことを思い出す。悲しみと共に、呟くように言った。「翔太、あなたは他の女のために、こんなにも私を追い詰めて。私が本当にあなたの前からいなく
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第3話
パリーン――志保の手から、トロフィーが床に落ちて粉々になった。陽向はまだ五歳なのに、ピアノが大好きだった。とくに江口隼人(えぐち はやと)の演奏に胸をときめかせていた。江口は気難しいことで有名で、めったに生徒を取らない。志保は彼の奥さんに近づくため、手作りのお菓子を贈ったり、一緒に買い物に付き合ったり、美容院にも付き合ったり……この二年間、あらゆる努力を重ねてきた。やっとの思いで江口に心を開かせ、生徒の枠を一つもらうことができたのだ。前世、志保がなかなか離婚に応じなかったせいで、由紀は長いこと「不倫相手」と責められ続けた。結局、翔太は陽向のために取っておいた生徒枠を、由紀の娘――心美に譲ってしまった。「由紀への償い」と言って。でも、この人生では迷わず離婚に応じたはずなのに――どうして、また同じことを繰り返されるのだろう?志保の胸は、鉛のように重たく沈んだ。彼女はしゃがみ込んで、陽向の涙をそっと拭ってやると、スマホを手に取り、翔太に電話をかけた。……しかし、何度かけても出ない。その間に、由紀のSNSが更新される。【うちの可愛い心美が、江口先生の唯一の生徒になりました!】【心美の才能と努力が、ついに認められた瞬間――本当に嬉しい!】そこには、心美と江口が一緒に写った写真が添えられている。コメント欄は賞賛の声で埋め尽くされていた。【心美ちゃん、ほんとすごい!ママに似て美人で優秀!】【江口先生が生徒を取るなんて、この子よっぽど天才なんでしょうね】【羨ましい……由紀さんだからこそ、こんなに素敵な娘さんが生まれるのでしょうね!】写真の中の心美が笑っている分だけ、陽向は涙で目を腫らしていた。志保は胸に苦しさを抱えたまま、陽向の手を取って歩き出す。……そして、江口家の前まで来たところで、翔太に行く手を阻まれた。翔太は眉間にしわを寄せて、二人を睨みつける。「やっぱり来たな。どうせまた騒ぎを起こす気だろ?」陽向は必死で首を振る。「ぼく、騒いだりなんかしてない。これは、もともとぼくのだったんだよ」翔太は膝をつき、陽向の頭を軽く撫でた。「でもな、心美も江口先生が大好きなんだ。だから、今度は彼女に譲ってあげられないか?」「いやだ、ぼくも江口先生が大好きなんだ!」陽向
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第4話
「証拠を全部突きつけられても、まだ認めないなんて……本当にがっかりだよ。陽向まで、嘘つきに育ててしまうなんて、全部お前のせいだ」翔太は失望を隠そうともせず、心美を連れて部屋を出ていった。玄関先で、由紀が静かに言うのが聞こえた。「翔太、私はもう何も言わないから……だから奥さんのこと、そんなに責めないであげて。私のせいで、夫婦喧嘩してほしくない」「由紀、お前は本当に優しいな。でもな、優しすぎるのも考えものだぞ。世の中には、優しい人ほど損をすることもあるんだ」こんなふうに罪をなすりつけられるのは、志保にとって初めてじゃなかった。翔太はいつも由紀の味方で、悪者にされるのはいつも自分だった。志保が離婚を口にすると、翔太は決まってこう言った。「お前も片親で育っただろう?陽向にも同じ思いをさせたいのか?そんなに自分勝手でいいのか?」――だから、志保はずっと我慢してきた。けれど、前の人生で陽向を失ったあの日、激しく後悔した。もっと早く、陽向を連れて家を出ていればよかった。今度こそ、あとひと月で離婚手続きは終わる。もう二度と翔太と関わることもない――そう思うだけで、少しだけ心が軽くなった。志保は抜け殻のような気持ちで、陽向と家へ戻った。帰り道、陽向がぽつりとつぶやく。「ママ、ぼく、もうピアノやらなくていいよ。江口先生もいらない。だから、泣かないで」自分の目が真っ赤に腫れているのに、陽向は逆に志保を慰めようとした。志保は、こみあげるものを必死でこらえて、そっと涙をぬぐった。「ママは泣いてないよ」「でも、ママの目が『かなしい』って言ってる」その一言に、堪えきれず涙がこぼれた。「ごめんね、陽向……全部、ママが悪いんだ」自分が弱かったせいで、何も守れなかった。陽向にまで、こんな思いをさせてしまった。陽向は小さな手で、志保の背中をそっとたたく。「大丈夫だよ。ママは、ぼくの一番大好きなママだから」志保は陽向をぎゅっと抱きしめ、しばらくふたりで泣いた。涙をぬぐいながら家に戻ると、もう翔太と由紀、心美が先に荷物を運び込んでいた。由紀が勝ち誇ったような笑みで言う。「志保さん、翔太はもうみんなの前で私にプロポーズしてくれたんですよ。だから一緒に住むのは当然ですよね?分かってくれ
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第5話
「たかが一つのレッスン枠ぐらいで、そこまで大騒ぎする必要あるか?この家の財産は全部息子のものになるんだぞ。欲しいものなんていくらでも手に入るのに。まったく、お前たち親子は揃いも揃って心が狭いんだ」翔太は自分がレッスン枠を取り上げたことを悪いと思い、レゴとネックレスを持って志保と陽向に謝ろうとしていた。けれど、志保が何もかも由紀親子と張り合おうとするのが鬱陶しかった。自分のすべても、この家も全部与えているのだから、たまには由紀親子に譲ってやることぐらい、できないものか――そう思っていた。翔太はそれ以上口論する気になれず、冷たい顔のまま部屋を出ていった。志保は翔太の後ろ姿を見つめながら、昔のように追いかけて謝ったりもしなかった。ただ、眉間を押さえて扉を閉め、ベッドに横たわる。けれど、頭の中がざわついて、なかなか眠れない。ようやく朝方にうとうとし始めた頃、子どもの泣き声で目を覚ました。「陽向!」はっとして、素足のまま廊下へ駆け出す。リビングでは、翔太が心美を抱き上げて、由紀とふたりで大事そうになだめている。その前で、陽向は顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。頬には真っ赤な手形がついている。翔太は、まるで他人事のように、陽向の様子を無視していた。志保の胸が締め付けられる。彼女は陽向のそばにしゃがみ、涙をぬぐってやった。「もう泣かないで。どうしたのか、ママに教えて?」陽向が答える前に、由紀が怒ったように口を挟む。「私が叩いたのよ!志保さん、あなたはいつも心が狭くて、私と翔太にいちいち嫉妬して、いろんな手で私たちを困らせてきました。私は大人だから我慢してきたけど――でも、あなたの息子まで心美をいじめるなんて、どうかしてます」志保は顔をこわばらせて言い返す。「陽向が理由もなく人をいじめたりしない!あなたが叩いたなら、きちんと謝るべきよ!」言い終わらぬうちに、翔太が冷たい声で割り込んだ。「もういい加減にしろよ。息子が心美のおもちゃを取り上げて、押したから由紀が叩いたんだ。お前が息子を甘やかしてるから、こんな子になったんだぞ。由紀は俺たちの代わりに教育してくれてるだけだ」陽向は泣きながら首を振る。「パパ、ぼくはおもちゃを取ってないよ。心美ちゃんがぼくのぬいぐるみを取ったんだ!」
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第6話
「お前たちに出て行けと言ったのは、ただの怒りにまかせた言葉だったんだ。あの家は、いつだってお前と陽向の家だよ」――違う、それは翔太の家だ。私と陽向の家じゃない。志保はもう、その話題を続けたくなかった。「何か用なの?」「うん。今朝のぬいぐるみのことは、俺が悪かった。お前たちに謝りたくて来たんだ。でもあの人たちも苦労してるし、しかも俺の恩人の娘だ。厳しく言うわけにもいかないんだよ」こんな言い訳、志保はもう何度も聞いた。恩返しのために、私と陽向がずっと我慢しなきゃいけないの?でも、私たちは何も由紀親子に借りなんてないのに――志保が黙っていると、翔太はしゃがみ込んで、背中から新しいぬいぐるみを取り出し、陽向に差し出した。「もう泣くな、陽向。パパが新しいぬいぐるみを買ってきたぞ。どう?」陽向はまだ目が腫れていた。「いらない。ぼく、おばあちゃんが作ってくれたぬいぐるみがいい」翔太はうんざりした顔で、「どれもぬいぐるみだろ。何が違うんだよ」と言った。その態度に、志保は堪えきれず口を開いた。「翔太、息子に謝りに来たんじゃなかったの?」翔太は立ち上がって言い返す。「別に叱りたいわけじゃない。でも男の子をこんなに甘やかして育てて――志保、お前も少し由紀から子育てを学んだほうがいい。心美なんて、ぜんぜん手がかからないのに」「陽向はまだ熱があるし、薬も飲ませたばかりよ。用事がないなら、もう帰って」志保は堪えきれず、ドアを閉めようとした。だが、翔太が手でドアを押さえて止めた。少し咳払いして、バツが悪そうに言う。「由紀が、お前の結婚式プランが本当に好きで、初めての結婚だし、すごく大事にしてるから、ぜひお願いしたいって」その言葉に、志保は自分の耳を疑った。――どうして、こんな無神経なことを頼めるの?志保は拳をぎゅっと握りしめる。「翔太、自分がどれだけひどいことを言ってるかわかってる?」翔太は一瞬、目をそらしたあと、必死に続ける。「三倍……いや、十倍の報酬を出す。由紀に悪気はない。お前のプランが本当に気に入っただけなんだ」「ごめんなさい。無理」志保は二歩、後ろへ下がり、歯を食いしばって力いっぱいドアを閉めた。翔太はしばらくノックを続けたが、志保はもう開けなかっ
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第7話
由紀からメッセージが届くたびに、志保の心はどんどん冷え込んでいった。送られてきたメッセージは、すぐに削除され、スクリーンショットを撮る間もない。けれど、今回は画面録画でしっかり保存しておいた。志保はその動画を端末に残し、胸の中に渦巻く負の感情を押し殺して、陽向と一緒に静かに食事をした。結局、志保は結婚式のプランナーを引き受けなかった。そして翔太は本当にウェディング会社を売却した。その後、翔太からメッセージが届く。【お前を困らせたかったわけじゃない。ただ、由紀がお前のせいで泣いたから、何かけじめが必要だった。怒らないでくれ。由紀の機嫌が直ったら、また会社は買い戻すつもりだから】その言葉に、志保は皮肉な笑みを浮かべるしかなかった。翔太も自分が間違っていることはわかっている。それでも、いつも志保にだけ我慢を強いる。以前は、翔太を由紀と自分の間で悩ませたくなくて、できるだけ彼の気持ちを思いやってきた。けれど――彼は一度たりとも、志保を本当に思いやったことはなかった。その夜、志保は翔太の異母弟・仁(じん)に会うことにした。「翔太の持ち株、安く譲ってもいいわ。ただし、取引は25日後にして」仁はいたずらっぽい笑みを浮かべて答える。「兄貴は俺のこと大嫌いだけど……そんなことして本当に恨まれてもいいのか?」「関係ないわ。あなたがいらないなら、他の人に売るだけよ」「待って待って、お義姉さん、その話、俺がもらうよ」取引の話を終えた仁は、鼻歌まじりにその場を去った。帰り道、仁は偶然、翔太と出くわす。ふたりは血のつながった兄弟だが、顔を合わせれば喧嘩腰になるほど仲が悪い。だが、今日は珍しく仁が先に声をかけた。「兄貴、ちょっと気になることがあってさ。持ち株の半分はお義姉さんが持ってるんだろ?もし兄貴が愛人のためにお義姉さんを傷つけ続けたら、全部俺に売っちゃうかもよ?」翔太は鼻で笑って、冷たく言い放つ。「そんな夢みたいなこと、やめとけ。志保は絶対に俺を裏切らない」志保がどれだけ傷ついているか、翔太にも分かっていた。でも、少し優しくすればすぐに許してもらえる――志保が自分をどれだけ愛しているか、翔太は自信があった。彼女が本気で自分を裏切ることなんて、あるはずがない――そう信じ
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第8話
志保が家に駆け戻ると、すでに玄関の暗証番号が変えられていて、中に入ることもできなかった。警察に通報しても「家庭内の問題」とされ、警察官が間に入っても、ただの調停で終わるだけだった。警官が帰った後、翔太は冷たい目で志保を見下ろす。「お前なんかに子どもを預けるんじゃなかった!この間は由紀に子育てを任せてる。お前が結婚式のプランを仕上げるまで、子どもは返さない!」「やめて、お願い、陽向を返して!翔太、こんなことしないで!」志保は今にも崩れそうなほど追い詰められていた。翔太も、志保の真っ赤な目や、額と体に刻まれた傷跡を見ると、胸が痛んだ。けれど、由紀が「子どもはまだ小さいから、今ならやり直せる」と言ったことを思い出し、結局、志保を突き放して玄関の外に締め出してしまう。志保は気が狂いそうになったが、どうすることもできなかった。その後の一か月近く、由紀は毎日のように陽向の動画を志保に送りつけてきた。動画の中で、心美は陽向を馬のようにまたがって遊び、翔太は陽向を叱りつけ、罰として立たせていた。志保は1日2~3時間しか眠れず、心も体も限界に追い詰められていた。その一方で、ネット上では毎日「翔太と由紀の仲睦まじいニュース」が流れ続けた。#翔太・由紀、家族三人で仲良くお出かけ#翔太、由紀のために100億円!伝説のウエディング準備中#翔太が海外の島を押さえて由紀とのハネムーンを計画#翔太コメント『志保は家政婦であり、男の子は家政婦の息子』由紀は結婚式のプランについて、何度も何度も無理難題を押し付けてきた。志保がようやくすべてを修正し、子どもを迎えに行こうとしたそのとき――ひとりの過激なファンがナイフで陽向の心臓を刺す事件が起きた。現場の動画はネットで拡散された。動画には、翔太が陽向のすぐ隣にいながら、最初に守ったのは由紀と心美だった――その光景が、克明に映し出されていた。#危機一髪!翔太が由紀を救う、まさに本物の愛という話題がSNSのトレンド一位になった。志保は救急室の前でただひたすら待ち続け、陽向は生死の境をさまよっていた。それでも翔太は、傍らで一方的に志保を責め続ける。「お前が過激なファンを焚きつけて由紀を傷つけようとしたせいで、結局一番傷ついたのは俺たちの息子だって、考えたこ
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第9話
結婚式が始まる直前になっても、翔太の胸には不安が渦巻いていた。「どうしたの、翔太?顔色が悪いけど……もしかして志保さんがまた何かしでかそうとしてるの?」純白のウェディングドレスに身を包んだ由紀が、心配そうに問いかけてくる。翔太は心の中を乱されながらも、なんとか優しく答えた。「心配いらないよ。もうスタッフには『絶対に入れるな』って言ってある」10分前、警備責任者にも確認済みだった。「志保も陽向も、敷地内で目撃されていません」と報告を受けている。本来なら、それで安心できるはずなのに、なぜか心はますますざわついていく。由紀は、さらに声をひそめて言った。「本当は志保さんが何も問題を起こさないなら、式に出席してもらってもよかったのに。でも、私にはいつも敵意を向けてくるから……」彼女の言葉も、翔太の耳には届かない。翔太は何度も迷いながら、ようやく口を開いた。「由紀、この『略奪愛』の騒動が収まったら、できるだけ早く離婚しよう」自分が由紀と結婚するのは、仕方なくそうするしかなかっただけ。やはり、本当の妻であり愛しているのは志保なのだ。この選択をするたびに、どこかで志保を裏切っているような罪悪感に襲われる。由紀は拳を握りしめ、唇を噛んでつぶやいた。「また志保さんが嫉妬して何かしたんでしょ?わかったわ、私は何があってもあなたの邪魔をしない。どうか、私のせいで志保さんと揉めないで」翔太はため息まじりに答えた。「志保がお前の半分でも分別があったら、こんなに苦労しなかったのに。でも安心して、由紀。お前のお父さんが俺を救って命を落とした恩は、絶対に忘れない。俺は一生、お前の味方だ」「うん」由紀は笑顔でうなずく。だが、彼女は必死で翔太の妻の座を勝ち取ったのだから、離婚するつもりなど最初からなかった。一度翔太と志保を引き離した今となっては、自分こそが「本当の妻」になるのだと、由紀は疑いもしなかった。翔太は、そんな彼女の本心など知らない。やがて、結婚式のセレモニーが始まり、翔太と由紀が並んでステージに立つ。ウェディングドレスの由紀を目にした瞬間、翔太は、かつて志保が自分に嫁いできたときの、あの可憐な笑顔を思い出し、無意識に目を細めてしまう。だが、由紀と指輪を交換しようとしたまさにその時――
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第10話
由紀は、自分が送ったメッセージを志保が画面録画で残していたと知り、内心では悔しさで奥歯を噛みしめていた。それでも、表向きは涙を流し、悲劇のヒロインを見事に演じてみせる。「もうここまで来たら、翔太、正直に話すね」「お義姉さんは普段から私をいじめてばかりだったの。私を『不倫女』呼ばわりして、危うく仕事も失いかけたし、毎日私を罵って、山の斜面でも私を突き落とそうとした。極端なファンを煽って私を殺そうとまでしたのよ……私だって人間だもの、傷つくし、怒ることだってある。だからあんなひどい言葉を、わざとお義姉さんに送ってしまったの」そう訴えると、翔太は胸が痛み、強い罪悪感に襲われた。「本当にそうだったのか?」「ええ。本当は、気持ちが落ち着いたらきちんと謝るつもりだったの。でも、志保さんは私のことをマスコミに売って、私を徹底的に潰そうとしたのよ」そう言いながら、由紀は声を詰まらせて涙ぐむ。その姿を見て、翔太の心はさらに締め付けられる。翔太はそっと由紀の涙を拭いながら、優しく声をかける。「ごめん、由紀。全部俺がちゃんと守ってあげられなかったせいだ。志保がここまでお前を追い詰めるなんて許せない。今すぐ呼び出して、土下座させる!」翔太はすぐに志保へ電話をかけたが、呼び出し音が鳴るだけで誰も出なかった。仕方なく、今度はメッセージを送る。【志保、お前がやったことを思えば、由紀が警察に通報しなかっただけでも感謝すべきだ。それなのに恩を仇で返すなんて、頭がおかしいんじゃないか?】【お前が持っていた株を仁に売ったことはもういい】【とにかく、すぐにこっちへ来て由紀に土下座して謝れ!】三通続けて送信したが、最後のメッセージだけ送信失敗の赤いマークが表示された。「彼女、あなたの仇に株を売ったのに、何も責めずにいるのに……それどころか、あなたのことをブロックして削除までして。本当に、志保さんってあなたが甘やかしたせいで、どんどん図に乗ってるのよ。あなたがかわいそう」由紀は甘えた声でそう言いながら、さらに翔太の心に火をつけた。そうだ。自分が志保を甘やかしすぎたから、彼女はこんな身勝手なことばかりするようになったのだ。今こそ、自分がしっかり彼女を正さなければ、いつか取り返しのつかないことになる――そう翔太は強く思
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