LOGIN3年後、私は海辺に小さな建物を買った。1階は店、2階は近所の若い女性たちにお菓子作りを教える場所にした。昔の私と同じような境遇の子もいた。学歴も、頼れる家族もない。その子たちには給料を払い、自分の力で食べていけるよう、お菓子作りの技術も教えた。佳代はよく、ずいぶん変わったと言った。おどおどしなくなったし、何をするにも、まず人の顔色をうかがう癖もなくなった、と。鏡を見て初めて気づいた。直哉と離れてからのほうが、私はずっと私らしく生きていた。母の残した家は売らなかった。庭のアジサイは、毎年花を咲かせる。ときどき庭に座り、生まれてこられなかったあの子を思った。今でも、悲しくはなる。けれど、その悲しみから抜け出せなくなることは、もうない。私はあの子の名前をつけた「ぶどう基金」を立ち上げ、治療費を払えない妊婦を支援することにした。最初に入れたお金は、自分で稼いだものだった。直哉はそれを知ると、名を伏せて多額の寄付をした。私は返した。翌日、彼が再び寄付してくることはなかった。代わりに久世グループの名で、別の街で同じような支援事業を始めた。私たちは、遠く離れたまま暮らしていた。彼は私の暮らしに踏み込まなくなった。私も彼の生活を気にしなかった。雅子が何度も見合いの話を持ってきたが、彼は一度も会おうとしなかったと聞いた。久世家の本邸には、私が使っていた部屋が今もそのまま残されているという。枕元には、結婚指輪と740万円の領収書。誰かが、もう前を向かなければと諭したとき、彼はこう言ったそうだ。「紗和は、もう前に進んだ。同じ場所にいるのは、俺だけだ」再び顔を合わせたのは、チャリティーの晩餐会だった。私は基金の代表として出席していた。直哉は最前列に座っていた。目が合うと、彼はしばらく私を見つめ、それから小さくうなずいた。会が終わると、出口で待っていた。数年ぶりに会う彼は、以前より口数が少なくなっていた。目元には、疲れもにじんでいた。「元気にしていた?」「うん。とても」社交辞令ではなかった。私は今、本当に幸せだ。好きな仕事がある。自分の家もある。一緒に食事をしたり、旅行に行ったりできる友達もいる。海を何度となく眺めたし、母が生前行きた
1年後、「はじまり」は2号店を開いた。直哉が渡そうとしたお金は、1円も使わなかった。軌道に乗せるまでは大変だった。母の家を担保に入れ、睡眠時間も一日5時間まで削った。けれど今度は、自分のためにする苦労だった。航が宣伝を担当し、佳代が1号店を見てくれた。新しい店の開店日、入口には長い列ができた。オーブンの前で、次々とパンが膨らんでいくのを眺めていると、初めて、確かな充実感が胸に広がった。昔は誰もが、私のことを直哉の妻としか呼ばなかった。今は、紗和の作ったケーキが食べたいと、わざわざ足を運んでくれる人がいる。私はもう、誰かの妻というだけの存在ではなかった。直哉は、ときどき店に来た。帰ってこいとも言わず、私の前に立ちふさがることもなくなった。ただ、いちばん隅の席に座り、昔私がいれていたブラックコーヒーを一杯頼んだ。彼は胃が弱い。以前なら、空腹で飲ませたりしなかった。今は飲んで顔色が悪くなっても、注意する人はいない。ある日、彼が店の外で倒れた。アキが慌てて私を呼びに来た。私は救急車を呼んだが、病院へは付き添わなかった。……目を覚ました直哉は、がらんとした病室を見回して尋ねた。「紗和は来たか?」アキが首を振った。「森川さんが救急車を呼んでくださいました」「それから?」「お仕事に戻られました」直哉は目を閉じた。以前、彼が胃から出血して入院したときは、紗和が3日間、つきっきりで看病した。医師に家族の署名を求められたとき、紗和の手はペンを握れないほど震えた。今は、彼が倒れたと知っても、紗和は見知らぬ人に対するのと同じことしかしなかった。恨まれなくなることが、恨まれるよりも深い絶望になると、彼は初めて知った。その年の結婚記念日、直哉は一人で火事のあったホテルへ行った。ホテルはすでに改装されていた。休憩室だった場所は、会議室になっていた。かつてそこで、妊婦ががれきの下敷きになったことを知る人はいなかった。直哉は廊下に座り、一晩を明かした。翌日、彼は紗和にひとつの箱を送った。……私のもとに届いた箱には、修理された木馬と、短い手紙が入っていた。【紗和、ごめん。今さら言っても意味がないことは分かっている。ただ、紗和とあの子に会
直哉は町を去らなかった。隣の民宿に泊まっていた。毎朝、開店前から通りの向こうに立っていた。私は相手にしなかった。それでも彼は、夜まで待ち続けた。ある日、台風が通り過ぎ、店の看板が吹き落とされた。翌朝店に着くと、看板は直っていた。航の話では、直哉が雨の中で夜中までかかって直したらしい。そのとき金属片で手のひらを切り、6針縫ったという。私は業者に連絡し、新しい看板に替えてもらった。取り外された看板を見て、直哉は一瞬、傷ついたような顔をした。「どうして替えるんだ?」「借りを作りたくないから」「俺たちは夫婦だろ」「もうすぐ、そうじゃなくなる」彼は何も言えなくなった。離婚訴訟の期日を迎える前に、直哉はようやく協議書に署名した。その日、彼はすべての財産を、改めて私の名義にしようとした。私は何ひとつ受け取らなかった。店までやってきた彼の目は、ひどく充血していた。「これは、もともと紗和のものだ。久世グループがここまで来られたのは、紗和のおかげでもあるんだ」「あの頃一緒に頑張ったのは、株が欲しかったからじゃない」「なら、何が欲しい?」声がかすれていた。「言ってくれれば、何でも渡す」私は窓の外の海を見た。「もう、ここへ来ないで」直哉の手の中で、書類がぐしゃりと曲がった。しばらくして、低い声が返ってきた。「それ以外なら、何でも聞くから」「私が望むのは、それだけ」彼の目から、少しずつ光が失われた。……離婚届を提出したことは、誰にも知らせなかった。役所の窓口で手続きを終えて外へ出ると、よく晴れていた。道端でしばらく立ち止まったあと、花を一束買って母に会いに行った。私は少し色あせた母の写真を、墓前に置いた。その隣に、離婚届の控えを置いた。「お母さん。もう、恩を返すために生きるのはやめるね」風が丘を渡り、葉がかすかに鳴った。私は長い間、そこに座っていた。坂を下りると、遠くに直哉が立っていた。近づいてはこなかった。距離を置いたまま、私が立ち去るのを見送っていた。あとになって知った。彼は倉橋家へ行っていた。バングルの亀裂は、専門機関で改めて調べられた。ひびが入ったのは、親族の食事会より前だと分かった。廊下の防犯カメ
店がオープンした日は、よく晴れていた。私は店に「はじまり」と名づけた。佳代には、もう少ししゃれた名前にすればいいのにと言われた。けれど私は、これでいいと思った。小さな店だが、窓を開ければ海が見える。初めのうちは客も少なく、毎朝4時に起きて生地をこね、夜10時まで店を開けていた。体はまだ、ときどき鈍く痛んだ。医師には定期的な診察を欠かさず、無理をしないようにと言われていた。私は自分を大切にすることを、少しずつ覚え始めた。昔は直哉の胃薬も、会議の予定も、大事な記念日も忘れなかったのに、自分の体のことは、いつも後回しにしていた。1か月ほどすると、常連客が少しずつ増えてきた。隣の民宿の主人、瀬戸航(せと わたる)が写真を撮り、ネットに載せてくれた。海と花と焼きたてのパンに引かれて、観光客も来るようになった。私が久世夫人だと気づく人もいた。否定はしなかった。事情を説明することもしなかった。過去は、恥じるようなものではない。ただ、もう終わった暮らしだ。直哉が私を見つけたのは、雨の日だった。ドアのベルが鳴ったとき、私はケーキにクリームを塗っていた。入口に立つ彼のスーツは雨にぬれ、前に会ったときよりずっとやつれていた。カウンター越しに目が合った。私は手を止めなかった。「何になさいますか?」直哉が、ごくりと喉を鳴らした。「紗和」その声で名前を呼ばれ、一瞬、昔に引き戻された気がした。昔は呼ばれさえすれば、すぐに振り向いていた。今は最後のいちごを飾ってから、ようやく顔を上げた。「久世さん、ここはパンとケーキの店です。何をお求めですか?」彼の目が、一瞬で赤くなった。「一緒に帰ろう」私はうつむき、手についたクリームをきれいに拭った。「離婚協議書は、届いているはずだけど」「署名はしていない」「なら、裁判にする」直哉は傷ついたように身をこわばらせた。「俺を恨んでいるのは分かってる。殴ってもいい。罵ってもいい。何をしろと言われてもする。だから、俺を罰するために離婚するなんて言わないでくれ」私は彼を見た。「私が出ていったのは、あなたを罰するためだと思っているの?」「違うのか?」彼は一歩近づいた。声が震えていた。「紗和、7年も一
半月かけて、母の残した家を直した。庭には、枯れたミカンの木が一本あった。佳代には、切ってしまったほうがいいと言われた。それでも私は、何日か水をやり続けた。やがて庭師に言われた。根が腐っていて、このままでは虫がつくだけだ、と。私は木の下に立ち、長い間見上げていた。「では、切ってください」枯れてしまったものは、水を与え続けたところで生き返らない。切った木が運び出されると、庭の一角がぽっかりと空いた。私はそこへ、白いアジサイを植えた。そして自分の貯金で海辺の店を借り、パンとケーキの店を始める準備をした。直哉と結婚する前、クラブで酒を運ぶ一方で、ケーキ屋で見習いをしていたことがある。母が入院していた頃には、売れ残ったパンをよく持っていった。母はいつも、私の作るものはおいしいと言ってくれた。久世家には料理人がいたので、嫁いでからはオーブンに触れなくなっていた。最初に焼いたパンは焦げてしまった。その真っ黒な表面を見ていたら、思わず笑ってしまった。京和市を離れてから、心から笑ったのは初めてだった。……その頃、直哉は、紗和が行きそうな場所をほとんど探し尽くしていた。紗和の母が入院していた病院にも足を運んだ。診療記録室の担当者が、7年ほど前の資料を出してきた。手術を受けたあと、紗和の母は半年だけ長く生きられた。その半年間、紗和は昼は母の世話をし、夜は直哉と久世グループの事業資料をまとめていた。当時の看護師は、紗和のことを覚えていた。「森川さんは、あの頃とても苦労されていました。お母様が亡くなったときも、久世さんは病院にいらっしゃいませんでしたね」直哉は言葉を失った。あの日、久世グループでは臨時の取締役会が開かれていた。紗和が送ったのは、【お母さんが亡くなった】という一通のメッセージだけだった。彼は会議を終えて葬儀場へ駆けつけ、紗和を抱き締めて謝った。紗和は泣かなかった。彼を責めることもなかった。それどころか、会社が大変なときなのだから仕方ないと、彼女のほうが彼を慰めた。もう終わったことだと、直哉は思っていた。看護師が古い紙箱を差し出すまでは。「森川さんが、あのとき置いていかれたものです」箱の中には、紗和の母が娘に宛てた手紙が入っていた。最後に
飛行機が着陸してからも、私はすぐには携帯電話の電源を入れなかった。窓の外は雨だった。見知らぬ街の明かりが、雨ににじんでつながって見えた。昔、初めて直哉と久世家へ行った夜も、こんな雨が降っていた。あのときは、彼が傘を差しかけ、上着を肩に掛けてくれた。今は古いスーツケースを引き、一人で雨の中へ歩き出した。携帯電話の電源を入れると、何十件もの不在着信が表示された。履歴は開かなかった。タクシーの運転手に行き先を聞かれた。私は、海辺にある小さな町の名を告げた。母が残してくれた古い家がある町だ。子どもの頃、母はよく言っていた。病気が治ったら、一緒に帰って海を見よう、と。けれど、その日は来なかった。タクシーが空港を出ると、私は再び携帯電話の電源を切り、窓にもたれたまま眠りに落ちた。深い眠りだった。目が覚める頃には、空が明るくなっていた。半分開いた窓から、ほのかに潮の香りを含んだ風が入ってくる。運転手が前を指した。「着きましたよ」古い家は、記憶にあるより小さかった。塀にはつたが絡み、木の扉の塗装は半分ほど剝げていた。近所に住む浜田佳代(はまだ かよ)は、しばらく私の顔を見つめてから、目を潤ませ、私の手を取って家の中へ引き入れてくれた。「お母さんが亡くなってから、ずっと空き家だったのよ。どうして、こんなに長いこと帰ってこなかったの?」私は少し笑った。「ずっと、時間がないと思っていたんです」本当は、時間がなかったわけではない。胃の弱い直哉のために、毎朝早く起きて雑炊を炊いた。久世グループがようやく落ち着いた頃には、接待で遅くなる彼を、夜更けまで待っていた。いつの間にか誰もが私を久世夫人として扱うようになり、季節の行事や年末年始には、断れない会食がいくつも入った。彼に付き添って歩いているうち、自分にも行きたい場所があることを、少しずつ忘れていった。佳代が一部屋を掃除してくれた。夜になって、初めて波の音を聞いた。直哉の足音も、翌日の献立を尋ねる使用人の控えめな声も聞こえない。古いベッドに横になると、胸の中が空っぽになったように痛んだ。けれど痛みが過ぎたあとには、久しく感じていなかった軽やかさが残った。……紗和が京和市を離れたあの夜、直哉が急いで