LOGIN稲森晃(いなもり あきら)は極端なまでに面倒事を嫌う人間だ。 だから、彼専用に決められた「スケジュール表」が存在する。 たとえば、誕生日プレゼント。全てのプレゼントを一括購入し、その人の誕生日に間に合うように商品が発送され、当日に届くよう手配する。 待ち合わせ場所は毎回同じ。もし、約束のレストランを変更したい場合は、一カ月前に彼に変更を申し出なければならない。 男女の交わりも、彼は時間きっちりタイマーを設定している。 「できる限り、無駄を省くんだ。お互いに迷惑をかけるのはよくないだろ?」 彼と一緒にいた7年間、彼は誰に対してもこのような態度なのだと思っていた。 私のこの思い込みは、友人たちと集まったあの日で消えた。 あの日、店員がフルーツの盛り合わせを運んできた。 彼はその中から、みかんを手にとり、白い筋まで丁寧に取って、ガラスの器に入れていった。 隣に座っていた私は、手を伸ばしてそれを取ろうとした。 すると彼は手の動きを止め、私を見たが、ガラスの器を天野杏南(あまの あんな)の前にずらした。 杏南は以前、私をいじめていた女だ。 高校生の時、彼女から宿題用のノートを破られたり、机の上には接着剤をつけられたりした。授業時間なのにトイレに閉じ込められて出られなかったこともある。 あの頃の晃も、彼女を指さして「ろくな死に方はしないぞ」と呪うように怒っていた。 それが今、晃は私の隣に座っているくせに、綺麗に白い筋まで取り終えたみかんが入った器を杏南にあげて、囁いた。 「どうぞ、ゆっくり食べて」 私は伸ばしかけた手をそのまま引っ込めた。 その瞬間、私は一秒でもこの場にいたくなくなった。 それに晃への気持ちも冷めていった。
View Moreある日、晃はまた突然姿を見せた。その時の彼は白いタキシード姿で、まるで結婚式に出てくるような新郎の姿だった。そして手にはウェディングドレスを抱きかかえている。彼は私を見つめ、片膝をついた。「葵、俺と結婚してくれないか?今日から周りには葵が俺の彼女で、妻になる女性だって紹介するから。天野さんのほうは7年の刑が確定したよ。彼女は二度と君の前に現れることはない。長い間葵のことを傷つけてばかりだったって、俺は分かった。それでも君は俺のことを捨てずに、ずっと傍にいてくれたんだよな。俺はただ葵の存在に慣れてしまっていただけだと思ってた。だけど、そうじゃなかったんだ。ここ暫く君が俺から離れて、だんだん分かってきたんだ。俺、自分でも気づかないうちに、君のことを愛していたんだよ」彼は私の反応を気にするかのように、慎重に言葉を続けた。「だから、葵、もう一度だけ君の傍にいられるチャンスを俺にくれないだろうか?お願いだ」私が口を開くまえに、彼がまた話しだした。「これからは、堂々とみんなに君が俺の彼女であり、これからの人生を共に歩いていく最愛の女性なんだって教えるから!」「それを信じろというの?」私はゆっくりと言った。晃は理解できていないかのように、呆然と私を見つめた。私は彼に近寄り、その手からウェディングドレスを取りあげた。「稲森さん、あんたさ、忘れたふりをしているのか、本気で忘れたのか知らないけど、このドレスは以前、天野杏南のサイズでオーダーメイドしたやつじゃないの?」晃の顔がどんどん青ざめていった。そして瞳に大きな苦痛の色を浮かべて、頭を抱え、私に尋ねた。「葵、俺たち、本当にもうヨリを戻すことはできないのか?」彼は目を赤くさせた。その瞳を見ると、彼が深く愛している人が、まるで私であるかのような錯覚が起きた。そんなはずがあるわけないだろう?彼のために料理をしても、彼は私を愛してはくれなかった。彼に代わって仕事の接待の席でお酒を飲み、胃潰瘍になった時だって、彼は私を愛してはくれなかった。そして今、私が彼のもとを去ってから、彼は私を愛し始めたのか?これは一体どういう状況だ?彼を見ていると、自分が7年もの間彼へ向けていた愛は一体なんだったのか、疑問に思えてきた。きっとあの愛は価値のないものだった
翌日の朝、外から聞こえてきた騒がしい声で目を覚ました。私は部屋から出て外に行った。庭には人だかりができている。誰が言い出したのか、いつの間にか、この民宿にはたくさんイケメンがいると噂になっていた。その噂が出回るとすぐに多くの客が興味を持ったようだ。私はあまりの忙しさに晃と彼の友人たちに会うことはなかった。足りないものを買いに行って戻ってくると、晃が入り口の前に立っていた。「今のあなたがやってることって、必死に私の心を取り戻そうとしているクズ男みたいよ?だけど、残念ね、私は小説に出てくるような、すぐにクズ男を許しちゃうヒロインじゃないのよ。それに、あなたとそんな駆け引きをするつもりもないから」晃は目を鋭く光らせて私を見つめた。どうにかして私を言いくるめようと何か口実でも見つけるために、探っているようだった。「夜は部屋が足りないわ。事前予約が必要なの」「待てるよ」「面倒だわ、その必要はない」「そんなことないよ」晃は私を見つめて、一言ずつはっきりと話した。「あの日、俺は君を信じなかったわけじゃないんだ」「部屋の予約が必要なら、ネットで空き情報を確認して予約することね」ここ最近はかなり商売が繁盛していて、暫くは満室状態だ。「天野さんにはもう二度と関わらないから」彼はスマホの端を指でなぞりながら、友人たちと宿泊客が賑やかにしているのを見つめ、気落ちした様子だった。民宿のスタッフがやって来て、私たちの関係を尋ねた。「何の関係もないよ」女性スタッフは恥ずかしそうに笑って、少し気まずそうに走り去った。夜になって、大勢の中で、晃だけが部屋を予約できなかった。彼は宿泊費の三倍の値段を払って誰かに部屋を譲ってもらいたかった。残念だが、私は勝手に宿泊客同士で値段のやり取りをして誰かに部屋を譲るというのは認めない。「葵、俺は君を待つことは面倒だとは思わない。君の気持ちが変わるまでいつまでも待てるよ。今までのこと償うから、俺にチャンスをくれないか?」晃は民宿の受付前にあるソファでその夜寝た。その夜ずっと彼に電話がかかってきていたが、彼は一度も出なかった。翌日、彼は一箱みかんを買って配達してもらい、ソファに座って皮をむき始めた。私が来ると、彼はご機嫌取りをするような笑みを浮かべて、
ある日、知らない番号から電話がかかってきた。私は電話に出たが、相手はなかなか口を開こうとしない。切ってしまおうと思ったら、相手はたどたどしく話し始めた。「葵、俺が間違ってた。俺、君のことが好きなんだ。おばあさんのペン型レコーダーならどうにかして修理するからさ、帰ってきてくれないか?」もはや、彼の話は行き当たりばったりで筋が通っていない。私はもう聞くのも面倒に感じた。「ねえ、私は天野さんとの和解を受け入れるつもりはないから」「そうじゃなくて……」話している途中で、私はさっさと電話を切った。そしてさっきかかってきた番号は着信拒否にしておいた。電話を切られてしまった晃を、周りにいる友人たちが見て、もともと賑わっていた雰囲気が一気に静かになった。恐ろしいほどに晃の顔が青ざめていた。彼はイライラしながら片手でシャツのボタンを外し、少し覇気のない様子を見せた。隣にいた友人が恐れを知らずにこう言った。「まさか水瀬さん?彼女って会社辞めて実家のほうに戻って、民宿を開いたらしいじゃん?美人オーナーだって噂になってかなり人気になってるってな。それにしても晃のことがよく分からないな、杏南ちゃんのことが好きだと思ったら、今度は水瀬さんって。水瀬さんのほうは7年もお前と一緒にいて、やっと吹っ切れたみたいじゃん。なのに、お前だけ焦ってなにやってんだよ?俺たちだって、お前さ、マジで何を考えているのか分からないぞ」この時、晃の表情はさらに暗くなった。数人の友人が晃の様子を見ていられなくなり、彼を連れて夜にも関わらず、民宿を訪ねた。「葵?」顔をあげると、民宿の入り口に晃の姿があった。彼の友人たちは気まずい雰囲気をどうにかしようと、笑顔で場を取り持とうとした。「久しぶりだよね。俺たちこっちには休暇を過ごしに来たんだ。歓迎してもらえるかな?」明らかにただの口実だ。しかし、稼ぎになるのに無駄にしてはもったいない。客室のカードキーを彼らに渡した後、私は部屋に戻っていった。しかし、角を曲がるところで、手が伸びてきて、懐に抱き寄せられてしまった。「葵、俺、本当に天野さんとはなんでもないんだよ。ただ、彼女が可哀想に思って、できるだけ手助けしてやっただけだ。彼女とどうなりたいとか全く考えてないよ。彼女には弁護士を雇っ
一方、晃が家に帰った時、かなりの物がなくなっていることに気がついた。葵の物に加え、二人がお揃いで買った物までなくなっている。それにまるで泥棒でも入ったかのように、家の中はめちゃくちゃだった。彼は今まで一度も、葵と別れるなど考えたことはなかった。葵は自分のことをとても好きだから、離れられないと彼は思い込んでいた。しかし、床に散らばる手紙を見た瞬間、彼は悟った。そして彼はその場で立ち尽くした。その手紙とは、以前彼が杏南に書いたラブレターで、まさか葵に気づかれるとは思ってもいなかったのだ。晃は震える手でスマホを取り出した。電話をかけても、相手に繋がらないという機械の音声しか届かない。すると今度はLINEを開いた。杏南とのことは、葵にきちんと説明できると彼は思っていた。しかし、メッセージを送っても未送信になるばかりで、彼は驚いた。彼は思わず眉間に皺を寄せた。今日会社で起きた事に、葵はかなり悔しい思いをしたらしい。しかし、杏南の家があんなことになってしまっては、彼女が頼れるのは自分しかいない。確かに杏南はやりすぎだったと思うが、葵のほうだって警察沙汰にまでしてしまっただろう?あのペン型レコーダーなら会社が弁償すると伝えた。それなのに、葵は些細な事を、なぜここまでややこしく面倒にしてしまうのか。この時、杏南から電話がかかってきた。まあいい。晃は突然、葵に休暇届けにサインをして渡したことを思い出した。この機会に葵にはゆっくり休んでもらえばいいと、彼はそう考えた。杏南の件を処理してから、葵には謝りに行って、そのついでに連れて帰って来ればいい。あの騒動から三日目、杏南のために手配した弁護士から、葵側は和解には応じないと返事があったと伝えられた。しかも、ペン型レコーダーの件だけでなく、昔杏南が葵をいじめていた動画まで警察に提出されているという。晃はその動画を入手し、一日中オフィスにこもっていた。この時、晃は校外で初めて葵に出会った時のことを思い返していた。彼女はおばあさんと一緒に楽しそうにアイスクリームを食べていた。そして次に彼女を見かけた時、誰かにいじめられてノートをゴミ箱に捨てられていた。彼は体が勝手に動き、そのノートをゴミ箱から拾い上げて彼女に渡した後、近くには自分が思いを寄せてい