Short
ようやく大切なものに気づいたってもう遅い

ようやく大切なものに気づいたってもう遅い

By:  晴々Completed
Language: Japanese
goodnovel4goodnovel
10Chapters
28views
Read
Add to library

Share:  

Report
Overview
Catalog
SCAN CODE TO READ ON APP

稲森晃(いなもり あきら)は極端なまでに面倒事を嫌う人間だ。 だから、彼専用に決められた「スケジュール表」が存在する。 たとえば、誕生日プレゼント。全てのプレゼントを一括購入し、その人の誕生日に間に合うように商品が発送され、当日に届くよう手配する。 待ち合わせ場所は毎回同じ。もし、約束のレストランを変更したい場合は、一カ月前に彼に変更を申し出なければならない。 男女の交わりも、彼は時間きっちりタイマーを設定している。 「できる限り、無駄を省くんだ。お互いに迷惑をかけるのはよくないだろ?」 彼と一緒にいた7年間、彼は誰に対してもこのような態度なのだと思っていた。 私のこの思い込みは、友人たちと集まったあの日で消えた。 あの日、店員がフルーツの盛り合わせを運んできた。 彼はその中から、みかんを手にとり、白い筋まで丁寧に取って、ガラスの器に入れていった。 隣に座っていた私は、手を伸ばしてそれを取ろうとした。 すると彼は手の動きを止め、私を見たが、ガラスの器を天野杏南(あまの あんな)の前にずらした。 杏南は以前、私をいじめていた女だ。 高校生の時、彼女から宿題用のノートを破られたり、机の上には接着剤をつけられたりした。授業時間なのにトイレに閉じ込められて出られなかったこともある。 あの頃の晃も、彼女を指さして「ろくな死に方はしないぞ」と呪うように怒っていた。 それが今、晃は私の隣に座っているくせに、綺麗に白い筋まで取り終えたみかんが入った器を杏南にあげて、囁いた。 「どうぞ、ゆっくり食べて」 私は伸ばしかけた手をそのまま引っ込めた。 その瞬間、私は一秒でもこの場にいたくなくなった。 それに晃への気持ちも冷めていった。

View More

Chapter 1

第1話

私は最後に晃をちらりと見た。

そして立ち上がって、その場を離れようとした。

「ほんと、葵(あおい)の性格って変わらないよね。すっごい人付き合い悪い。言ったじゃん、私、今日来たくないって、なんかプライド傷ついちゃうわ……」

相変わらずのわがままっぷりな杏南の声が後ろから聞こえてきた。

彼女の家庭での出来事も、杏南を変えることはできなかったらしい。

私は我慢できずに後ろを振り返って見ると、晃が彼女を懐に引き寄せて、なぐさめているところだった。

そして夜10時、彼はスケジュール通りに帰ってきた。

彼は家に入ってコートを脱ぎもせず、直接私の前にやって来た。

「葵、お前、明日杏南ちゃんに謝れよ。

お前が先に帰ってから、彼女、ずっと泣いていたんだぞ」

彼は失望した様子で私を見つめた。

「葵、もう子供じゃないんだ。今日は杏南ちゃんの他にもたくさん友人がいただろ。なんでいつもそうやって自分のことしか考えられないんだ?すっげえ失礼だと思わないのか?」

昨夜、あまりよく寝られなかったせいなのか、この時の私は気分が悪くなるほど心臓の鼓動が速くなった。

「ただのみかんだぞ。食べたいなら自分でむけばいいだろ?」

この時突然、彼と付き合い始めたあの年のことを思い出した。

私はりんごを持って、彼に甘えた。

彼は私を一瞥すると、眉をひそめた。

「俺が面倒な事は嫌いだって知ってるだろ?そんな時間かけて皮をむかないといけない果物とかいらん。俺にむいてもらおうなんて考えるなよ」

あの頃の私は、彼は誰に対しても面倒を嫌う人間だと思っていたが、例外があったわけだ。

その例外が、私ではなかっただけの話。

「高校生の頃なんてまだ子供みたいなもんだったんだから、杏南ちゃんがやったことを本気で受け止めるなよ。お前もそろそろ昔のことは忘れるべきだ。自分一人で悩むならまだしも、周りまで巻き込むなよな。

それに、彼女の実家はもう破産まで追い込まれたじゃないか。彼女はもう報いを受けたようなもんだろ」

彼が家に入ってきてから5分。300秒という時間。

その間口から出るのは全て杏南を庇う言葉ばかり。それにひきかえ私は一言も声を出していない。

私は彼を見つめ、悔しくて目に涙が滲んできた。

すると晃はため息をついて、疲れた様子で言った。

「ほらな、またこれだ。さっきちゃんと筋道立てて説明したろ?なんでまた泣きだすんだよ?

なあ、葵、お前のそういうとこ、俺めっちゃ疲れるんだ」

そして彼はコートを脱いで、適当にソファの背もたれに放り投げた。

私は深呼吸して、震える体をどうにか落ち着かせようとした。

「だから、あなたは私が、ただあのみかんの件で機嫌を悪くしていると思ってるわけね?」

彼はほぼ無意識に面倒臭そうな目をして眉間に皺を寄せた。

ここまでくると、私はもう我慢の限界だった。

ひどい耳鳴りがする。

まるでまたあの夏に戻ったかのようだ。

――水瀬葵(みなせ あおい)、あんた生まれつき卑しい人間よね。どうしてまだ生きていられるの?

人の持つ悪意というものは、ここまで不条理なものなのだろうか。

ただ、入学式の日に、持ち物の色が杏南とかぶっただけなのに……

ただ色が同じなだけで、デザインも違う。

そのせいで、毎日お嬢様の杏南にからかわれる対象になってしまった。

あの頃、杏南からいじめられる私を晃はいつも庇ってくれていた。

何度いじめられようと、彼は諦めずに何回だって私を連れ出してくれた。

だから彼は永遠に私の味方だと思っていた。

晃はティッシュをとり、そっと私の涙を拭き取った。

「もういいだろ。あと20分しかない。泣き止んで、時間は待ってくれないんだから」

Expand
Next Chapter
Download

Latest chapter

More Chapters
No Comments
10 Chapters
第1話
私は最後に晃をちらりと見た。そして立ち上がって、その場を離れようとした。「ほんと、葵(あおい)の性格って変わらないよね。すっごい人付き合い悪い。言ったじゃん、私、今日来たくないって、なんかプライド傷ついちゃうわ……」相変わらずのわがままっぷりな杏南の声が後ろから聞こえてきた。彼女の家庭での出来事も、杏南を変えることはできなかったらしい。私は我慢できずに後ろを振り返って見ると、晃が彼女を懐に引き寄せて、なぐさめているところだった。そして夜10時、彼はスケジュール通りに帰ってきた。彼は家に入ってコートを脱ぎもせず、直接私の前にやって来た。「葵、お前、明日杏南ちゃんに謝れよ。お前が先に帰ってから、彼女、ずっと泣いていたんだぞ」彼は失望した様子で私を見つめた。「葵、もう子供じゃないんだ。今日は杏南ちゃんの他にもたくさん友人がいただろ。なんでいつもそうやって自分のことしか考えられないんだ?すっげえ失礼だと思わないのか?」昨夜、あまりよく寝られなかったせいなのか、この時の私は気分が悪くなるほど心臓の鼓動が速くなった。「ただのみかんだぞ。食べたいなら自分でむけばいいだろ?」この時突然、彼と付き合い始めたあの年のことを思い出した。私はりんごを持って、彼に甘えた。彼は私を一瞥すると、眉をひそめた。「俺が面倒な事は嫌いだって知ってるだろ?そんな時間かけて皮をむかないといけない果物とかいらん。俺にむいてもらおうなんて考えるなよ」あの頃の私は、彼は誰に対しても面倒を嫌う人間だと思っていたが、例外があったわけだ。その例外が、私ではなかっただけの話。「高校生の頃なんてまだ子供みたいなもんだったんだから、杏南ちゃんがやったことを本気で受け止めるなよ。お前もそろそろ昔のことは忘れるべきだ。自分一人で悩むならまだしも、周りまで巻き込むなよな。それに、彼女の実家はもう破産まで追い込まれたじゃないか。彼女はもう報いを受けたようなもんだろ」彼が家に入ってきてから5分。300秒という時間。その間口から出るのは全て杏南を庇う言葉ばかり。それにひきかえ私は一言も声を出していない。私は彼を見つめ、悔しくて目に涙が滲んできた。すると晃はため息をついて、疲れた様子で言った。「ほらな、またこれだ。さっきちゃんと筋道立
Read more
第2話
毎週水曜日の10時半は晃の「スケジュール表」で定められた、ただ肉体関係を持つための時間だ。週に一回、一回につき30分。だから彼はわざわざタイマーを設定している。今まで一度も設定時間から遅れたこともなく、超えたこともない。行為が終わると、冷たい水でシャワーを浴びるのは耐えられても、私には髪一本触れようとしない。「あと5分だ、急ぐぞ」晃は浴室から出てすぐに時間を確認した。そして私が同じ場所に座って動こうとしないのを見て、彼の表情が冷たくなった。「おい、葵、また不機嫌そうにして、なんなんだよ?」別にそういうわけではない。これ以上彼と言い合うようなこともしたくない。「晃、私たち別れ……」私が言い終わるまえに、彼のスマホが急に鳴り響いた。彼は私をちらりと見ただけで、声を抑えて話していた。「分かった。大丈夫だから、すぐにそっちに行くよ」彼は焦った様子で服を着替え、吐き捨てるように一言残して出かけていった。「借金取りが杏南ちゃんの家に来て、ずっとドアを叩いているらしい。心配だから見に行ってくる」そして玄関が閉じる音とタイマー音が同時に響き、そのやかましさに頭がガンガンする。その翌日、会社で杏南の姿を見た瞬間、自分が夢でも見ているのかと疑ってしまった。同僚が私がわけが分からず呆然としているのを見て、そっと私の手を引いて隅の方へ連れていった。「あの人新入りよ。稲森社長と7年も付き合ってる彼女らしいの。あの二人が今朝車から降りてくる姿見てないでしょ?すっごいラブラブで羨ましかった。社長って彼女とあんなに仲が良かったのね。真実の愛を目の前にすれば、倦怠期なんてありっこないのよ」同僚はひたすら何かしゃべっていたが、私の耳には何も聞こえてこなかった。卒業したばかりの頃、私と彼は18畳にも満たない借りアパートで一緒に暮らした。あの頃の彼は私と手を繋いでショッピングをしている時に、知り合いに会っても手は繋いだままだった。そして相手が私のことを尋ねてくると、彼は繋いだ手をあげて揺らしてみせた。「俺の彼女だけど、どうかした?」そして彼は会社の社長になった。私が前の会社を辞めて彼の会社に来た日、晃は会議中にも関わらずに飛び出し、私を迎えに来ようとした。しかし、エレベーターが開くと、彼は一歩前に進
Read more
第3話
指輪がゴミ箱に放り投げられた瞬間、晃の表情が歪んだ。彼は前方に一歩踏み出し、口を開いたが、周りには多くの社員がいるので結局こう言った。「水瀬さん、ちょっとオフィスに来てくれ」ドアが閉まった。「葵、言い訳みたいなことをいくら言ったところで、もっと事が面倒になるだけだ。だから、そんな態度をとるのはやめてくれないか」彼の声はかなり低く抑えられていた。その瞳からは愛情が溢れ出てきそうに見えた。彼は私のほうへ近づき、手に触れようとしてきたが、私は素早くそれを避けた。「さっきの事は、説明するから。杏南ちゃんの家で問題が起きたから、手助けをしたまでだ。俺は彼女とは何の関係もないよ。ただの指輪だろう。君が欲しいならもっと良いものを買ってやるから」彼は毎年の誕生日プレゼントも全て事前に購入し、当日に到着するように発送を手配していた。しかも、ある年彼から贈られたプレゼントは、顧客へのプレゼントとまったく同じ物だった。「俺も手間は省きたかったし、それに、プレゼントはなんといっても贈る気持ちが大切だろう?」しかし、彼が杏南に贈ったあの指輪は、聞いたところによると歴史上のある国の貴族が、初恋の相手に贈った愛情たっぷりな代物らしい。そしてそれには物語があり、「君は初恋であって、僕が最後に恋に落ちた人でもある」だという。私はこの時、心臓が抉られるかのように、ズキズキと痛んだ。私は溢れそうな涙を堪えるために、何度も瞬きをした。「昨日の夜は?あなた、すぐに帰ってくるって言ってたじゃない」晃は無意識に右手を握りしめ、親指で人差し指をこすった。彼が嘘をつく時に見せる癖だ。「昨日は借金取りたちが彼女の家の前に押しかけていたから、一人残して帰るのは心配だったんだよ」私は早々に書いて印鑑も押した退職届を彼のデスクの上に置いた。「稲森晃社長」私は彼の目をじっと見つめた。「承認お願いします」彼が下に視線を向けて、それをよく確認しようとした時、ちょうど杏南が入ってきた。彼は見ることもなくさっさとサインし、そのまま私に返してきた。「葵、私と晃君は別にあやしい関係じゃないのよ。あなたが叩かれる時、彼はあなただけを守ってくれていたでしょ?まったく、毎回、まるで私がいじめっ子みたいじゃないの。子供の頃って何も分かって
Read more
第4話
私は家に帰って、自分の荷物を一つずつ整理していった。ペアの服、マフラー、手袋、コップ……全部7年の中で、彼と一緒に買ってきたものだ。「これで葵も、俺が誰かのものになるんじゃないかって心配する必要はないね」彼はそう言っていた。物が多すぎて、一日がかりで片付けて、大きな箱がいっぱいになった。そして私はなんとか外にあるゴミ捨て場に捨てた。今後、彼がどの女のものになっても、私にはもう関係ない。すると突然、箱の中からある本が落ちてきた。きっと気づかないうちに紛れ込んでしまったのだろう。その本をサッと払うと、少し黄ばんだ手紙がひらりと落ちた。なぜだかその瞬間、私はかなり慌てた。それはラブレターだった。差出人は晃。彼が杏南に書いたラブレターだ。言葉のひとつひとつに、彼の真摯な思いが感じられる。【いつかきっと、俺は君が目を離せないほどの男になってみせる】彼はこんな言葉を一度たりとも私に言ったことはない。彼は私と出会う前から杏南の知り合いだったし、彼女のことを好きだったのか。この時、私は頭が割れそうなほどの痛みを感じた。杏南にいじめられるたびに、彼が立ちはだかってくれたのは、私を守るためだと思っていた。そうではなく、彼はただ杏南と接触する機会を増やしたかっただけか。杏南にノートをゴミ箱に捨てられた時、彼が私に代わって探してきてくれた。私は感動して長い間喜びに満ちていた。今思い返せば、彼はすぐに拾いにいってくれたが、それは私のためだったのか、それともやはり杏南に少しでも自分を印象付けるためだったのか……私はソファに腰かけ、このラブレターをぎゅっと握りしめた。私は晃が杏南を手に入れられない間の、ただの代わりだっただけだ。そして今では、あの二人の立場は逆転し、杏南のほうが晃を求めるようになった。だから彼はこれでようやく堂々と彼女の傍にいられるというわけか。一方の私は、ただ彼の避けたい「面倒事」になった人間だ。この時、スマホのチャットグループに突然メッセージが届いた。同僚の一人が、飲み会の写真をアップした。晃と杏南は親密そうに体を寄せあっている。【めっちゃテンション上がる!やっぱり本当に愛し合うカップルを見ると興奮するわね。稲森社長の杏南さんを見つめる眼差し、もうドキド
Read more
第5話
マーケティング部の新プロジェクトである競争入札の情報が昨日漏洩したらしい。競合他社が入手した資料は、私が担当してきた書類と極めて酷似していた。窓の外はどんよりとした曇り空だった。一階にある車のクラクションが、鋭くこの空気を引き裂いた。私がドアを開けて入った瞬間、会議室にいる全員の視線が私に集中した。杏南は晃の左側に座っていた。彼のほうへ体を向けて目を赤くさせている。テーブルの上には私のペン型レコーダーが置かれてあった。シルバーのペンの表面には亀裂が入り、それがペン先から下の部分までのびている。まるで大きな引っ掻き傷のようだ。隣にいる監査役のノートパソコン画面には社内チャットグループが映っている。そしてあのツーショット写真が大きく開かれていた。その写真を最後に静かだったチャット内に、ようやく誰かがメッセージを送ってきた。【これって、加工写真でしょ?】そのメッセージに続いて他の社員が同意のスタンプを送ってきた。杏南は泣きながら立ち上がると、私の前に駆け寄ってきた。「葵、私、わざとあなたを告発したんじゃないの。ただ、今私はこの会社の仲間だから、黙って会社の不利益になることを見過ごすことはできなかったの。ごめんなさい、怒らないで?」会社の不利益という言葉を振りかざして、私を身動きできない状況にさせる気か。思わず冷笑してしまった。杏南は社員たちがどんどん近づいてくるのを見て、さらに泣き方に磨きをかけた。「違うの、本当にわざとじゃなかったのよ。ただ、葵のあのペン型レコーダーが目について、おかしいなって思っただけ。だって会社にこんなもの持って来ることってある?」私は彼女を無視し、テーブルの上からペン型レコーダーを持ち上げた。その中にあったSDカードは半分に折れていて、芯も外にむき出しになっている。まるで骨折したみたいだ。「あなたが壊したの?」「しゃがんで拾おうとした時に、うっかり手が滑って……」「SDカードが折れてるけど」「中にカードが入ってるなんて知らなかったのよ」するとまた彼女は涙を流した。「本当よ、本当にわざとじゃなかったんだから」ある同僚が近くで嘲笑うような声を出した。「ただのカード一枚でしょ?そんなにこだわる?ネットでも数百円くらいのもんだし。どっかの誰かさんは写真を熱心に加
Read more
第6話
杏南は下を向き、口角をにやりと上げた。「水瀬さん」この時、晃はようやく私のほうへ顔を向けて、淡々とした口調で言った。「まずは座って。この件は、しっかり調査する」「どうやって?」「会社の規定にのっとってだ」「カードが真っ二つよ。どうやって修復するつもり?」彼は罪悪感がある様子で、ちらりと半分になったカードを見つめた。しかしすぐにカードから視線をそらした。「長年一緒に働いてきた仲間だ。水瀬さんが会社の重要な機密を漏らすとは思えない。このペン型レコーダーについては会社が弁償するよ」このレコーダーは何ものにも代えがたい大切なものだと知っているくせに、晃は頑なに言おうとしない。杏南は彼の袖を引っ張った。「ねえ、晃君、もしかして私、面倒かけちゃった?」彼女はとても悲しそうに語尾を震わせていた。晃は彼女へ視線を向けた。そして彼女の肩をそっと叩いた。この場の全員がその様子を見ていた。「大したことじゃないから」この女が私の祖母の大切な形見を壊したというのに、彼は「大したことじゃない」の一言であっさり片付けた。私は杏南の目の前まで行った。すると晃はすぐに立ち上がった。私はそんな彼を無視し、監査役のほうへ目を向けた。「第一版と第二版で違うという比較の報告書はすでにグループ内に送りました。ペン型レコーダーの件については、警察に通報します」すると杏南が勢いよく顔を上げた。「警察沙汰にするほどのことなの?ただのレコーダーでしょ」「だったらなに?これをあなたはどうやって盗んだのか、自分自身でよく分かってるでしょ?」その言葉に、彼女は声を詰まらせた。晃が私の腕をつかんだ。「もう解決したことだっていうのに、どうしても面倒かけて、みんなを煩わせる気なんだ?」彼は手にどんどん力をこめていった。私はつかまれていないほうの手で、バシンッと彼を叩いた。その場の全員が私の行動に驚いていた。晃はとっさに私の手を離し、解放された私は彼らに背を向けてドアを押し開けた。晃が私を追いかけようとした瞬間、杏南の声が後ろから響いた。「晃君、なんだか眩暈がするの」ドアが閉まるその瞬間、後ろから騒がしい声が聞こえてきた。でも、私は振り返ることはなかった。そしてそのまま新幹線の駅に向かった。
Read more
第7話
一方、晃が家に帰った時、かなりの物がなくなっていることに気がついた。葵の物に加え、二人がお揃いで買った物までなくなっている。それにまるで泥棒でも入ったかのように、家の中はめちゃくちゃだった。彼は今まで一度も、葵と別れるなど考えたことはなかった。葵は自分のことをとても好きだから、離れられないと彼は思い込んでいた。しかし、床に散らばる手紙を見た瞬間、彼は悟った。そして彼はその場で立ち尽くした。その手紙とは、以前彼が杏南に書いたラブレターで、まさか葵に気づかれるとは思ってもいなかったのだ。晃は震える手でスマホを取り出した。電話をかけても、相手に繋がらないという機械の音声しか届かない。すると今度はLINEを開いた。杏南とのことは、葵にきちんと説明できると彼は思っていた。しかし、メッセージを送っても未送信になるばかりで、彼は驚いた。彼は思わず眉間に皺を寄せた。今日会社で起きた事に、葵はかなり悔しい思いをしたらしい。しかし、杏南の家があんなことになってしまっては、彼女が頼れるのは自分しかいない。確かに杏南はやりすぎだったと思うが、葵のほうだって警察沙汰にまでしてしまっただろう?あのペン型レコーダーなら会社が弁償すると伝えた。それなのに、葵は些細な事を、なぜここまでややこしく面倒にしてしまうのか。この時、杏南から電話がかかってきた。まあいい。晃は突然、葵に休暇届けにサインをして渡したことを思い出した。この機会に葵にはゆっくり休んでもらえばいいと、彼はそう考えた。杏南の件を処理してから、葵には謝りに行って、そのついでに連れて帰って来ればいい。あの騒動から三日目、杏南のために手配した弁護士から、葵側は和解には応じないと返事があったと伝えられた。しかも、ペン型レコーダーの件だけでなく、昔杏南が葵をいじめていた動画まで警察に提出されているという。晃はその動画を入手し、一日中オフィスにこもっていた。この時、晃は校外で初めて葵に出会った時のことを思い返していた。彼女はおばあさんと一緒に楽しそうにアイスクリームを食べていた。そして次に彼女を見かけた時、誰かにいじめられてノートをゴミ箱に捨てられていた。彼は体が勝手に動き、そのノートをゴミ箱から拾い上げて彼女に渡した後、近くには自分が思いを寄せてい
Read more
第8話
ある日、知らない番号から電話がかかってきた。私は電話に出たが、相手はなかなか口を開こうとしない。切ってしまおうと思ったら、相手はたどたどしく話し始めた。「葵、俺が間違ってた。俺、君のことが好きなんだ。おばあさんのペン型レコーダーならどうにかして修理するからさ、帰ってきてくれないか?」もはや、彼の話は行き当たりばったりで筋が通っていない。私はもう聞くのも面倒に感じた。「ねえ、私は天野さんとの和解を受け入れるつもりはないから」「そうじゃなくて……」話している途中で、私はさっさと電話を切った。そしてさっきかかってきた番号は着信拒否にしておいた。電話を切られてしまった晃を、周りにいる友人たちが見て、もともと賑わっていた雰囲気が一気に静かになった。恐ろしいほどに晃の顔が青ざめていた。彼はイライラしながら片手でシャツのボタンを外し、少し覇気のない様子を見せた。隣にいた友人が恐れを知らずにこう言った。「まさか水瀬さん?彼女って会社辞めて実家のほうに戻って、民宿を開いたらしいじゃん?美人オーナーだって噂になってかなり人気になってるってな。それにしても晃のことがよく分からないな、杏南ちゃんのことが好きだと思ったら、今度は水瀬さんって。水瀬さんのほうは7年もお前と一緒にいて、やっと吹っ切れたみたいじゃん。なのに、お前だけ焦ってなにやってんだよ?俺たちだって、お前さ、マジで何を考えているのか分からないぞ」この時、晃の表情はさらに暗くなった。数人の友人が晃の様子を見ていられなくなり、彼を連れて夜にも関わらず、民宿を訪ねた。「葵?」顔をあげると、民宿の入り口に晃の姿があった。彼の友人たちは気まずい雰囲気をどうにかしようと、笑顔で場を取り持とうとした。「久しぶりだよね。俺たちこっちには休暇を過ごしに来たんだ。歓迎してもらえるかな?」明らかにただの口実だ。しかし、稼ぎになるのに無駄にしてはもったいない。客室のカードキーを彼らに渡した後、私は部屋に戻っていった。しかし、角を曲がるところで、手が伸びてきて、懐に抱き寄せられてしまった。「葵、俺、本当に天野さんとはなんでもないんだよ。ただ、彼女が可哀想に思って、できるだけ手助けしてやっただけだ。彼女とどうなりたいとか全く考えてないよ。彼女には弁護士を雇っ
Read more
第9話
翌日の朝、外から聞こえてきた騒がしい声で目を覚ました。私は部屋から出て外に行った。庭には人だかりができている。誰が言い出したのか、いつの間にか、この民宿にはたくさんイケメンがいると噂になっていた。その噂が出回るとすぐに多くの客が興味を持ったようだ。私はあまりの忙しさに晃と彼の友人たちに会うことはなかった。足りないものを買いに行って戻ってくると、晃が入り口の前に立っていた。「今のあなたがやってることって、必死に私の心を取り戻そうとしているクズ男みたいよ?だけど、残念ね、私は小説に出てくるような、すぐにクズ男を許しちゃうヒロインじゃないのよ。それに、あなたとそんな駆け引きをするつもりもないから」晃は目を鋭く光らせて私を見つめた。どうにかして私を言いくるめようと何か口実でも見つけるために、探っているようだった。「夜は部屋が足りないわ。事前予約が必要なの」「待てるよ」「面倒だわ、その必要はない」「そんなことないよ」晃は私を見つめて、一言ずつはっきりと話した。「あの日、俺は君を信じなかったわけじゃないんだ」「部屋の予約が必要なら、ネットで空き情報を確認して予約することね」ここ最近はかなり商売が繁盛していて、暫くは満室状態だ。「天野さんにはもう二度と関わらないから」彼はスマホの端を指でなぞりながら、友人たちと宿泊客が賑やかにしているのを見つめ、気落ちした様子だった。民宿のスタッフがやって来て、私たちの関係を尋ねた。「何の関係もないよ」女性スタッフは恥ずかしそうに笑って、少し気まずそうに走り去った。夜になって、大勢の中で、晃だけが部屋を予約できなかった。彼は宿泊費の三倍の値段を払って誰かに部屋を譲ってもらいたかった。残念だが、私は勝手に宿泊客同士で値段のやり取りをして誰かに部屋を譲るというのは認めない。「葵、俺は君を待つことは面倒だとは思わない。君の気持ちが変わるまでいつまでも待てるよ。今までのこと償うから、俺にチャンスをくれないか?」晃は民宿の受付前にあるソファでその夜寝た。その夜ずっと彼に電話がかかってきていたが、彼は一度も出なかった。翌日、彼は一箱みかんを買って配達してもらい、ソファに座って皮をむき始めた。私が来ると、彼はご機嫌取りをするような笑みを浮かべて、
Read more
第10話
ある日、晃はまた突然姿を見せた。その時の彼は白いタキシード姿で、まるで結婚式に出てくるような新郎の姿だった。そして手にはウェディングドレスを抱きかかえている。彼は私を見つめ、片膝をついた。「葵、俺と結婚してくれないか?今日から周りには葵が俺の彼女で、妻になる女性だって紹介するから。天野さんのほうは7年の刑が確定したよ。彼女は二度と君の前に現れることはない。長い間葵のことを傷つけてばかりだったって、俺は分かった。それでも君は俺のことを捨てずに、ずっと傍にいてくれたんだよな。俺はただ葵の存在に慣れてしまっていただけだと思ってた。だけど、そうじゃなかったんだ。ここ暫く君が俺から離れて、だんだん分かってきたんだ。俺、自分でも気づかないうちに、君のことを愛していたんだよ」彼は私の反応を気にするかのように、慎重に言葉を続けた。「だから、葵、もう一度だけ君の傍にいられるチャンスを俺にくれないだろうか?お願いだ」私が口を開くまえに、彼がまた話しだした。「これからは、堂々とみんなに君が俺の彼女であり、これからの人生を共に歩いていく最愛の女性なんだって教えるから!」「それを信じろというの?」私はゆっくりと言った。晃は理解できていないかのように、呆然と私を見つめた。私は彼に近寄り、その手からウェディングドレスを取りあげた。「稲森さん、あんたさ、忘れたふりをしているのか、本気で忘れたのか知らないけど、このドレスは以前、天野杏南のサイズでオーダーメイドしたやつじゃないの?」晃の顔がどんどん青ざめていった。そして瞳に大きな苦痛の色を浮かべて、頭を抱え、私に尋ねた。「葵、俺たち、本当にもうヨリを戻すことはできないのか?」彼は目を赤くさせた。その瞳を見ると、彼が深く愛している人が、まるで私であるかのような錯覚が起きた。そんなはずがあるわけないだろう?彼のために料理をしても、彼は私を愛してはくれなかった。彼に代わって仕事の接待の席でお酒を飲み、胃潰瘍になった時だって、彼は私を愛してはくれなかった。そして今、私が彼のもとを去ってから、彼は私を愛し始めたのか?これは一体どういう状況だ?彼を見ていると、自分が7年もの間彼へ向けていた愛は一体なんだったのか、疑問に思えてきた。きっとあの愛は価値のないものだった
Read more
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status