LOGIN私・桐原美玖(きりはら みく)は、夫・桐原朔也(きりはら さくや)に最も憎まれていた時に死んだ。 彼の冷たい態度に耐え切れず、自ら命を絶ったのだ。 葬儀場で、夫は私の遺骨が入った骨壺を手にすると、珍しくわずかに笑った。 「こんな汚れた人間、まともに弔ってやる必要なんてありませんから」 次の瞬間、骨壺が地面に叩き落とされ、私の遺骨が辺り一面に散らばった。 彼はずっと、かつて彼が想いを寄せていた女性を死なせたのは私だと思っていた。 だから彼は長い年月をかけて私に近づき、私を愛しているふりをして、慎重にすべてを奪うことにしたらしい。 念願の復讐を果たした夫は、私の遺骨を踏みつけ、そのまま立ち去った。 ところがそれから間もなく、彼は葬儀場で膝をつき、私の遺骨を返してくれと懇願することになるのだった。
View Moreそれからしばらくして、朔也は少しずつ立ち直ったように見えた。彼は半年をかけて自分の会社を大きく成長させ、国内でも名の知れた経営者になった。会社の懇親会が予定されていたその日、朔也はシャワーを浴び、以前と変わらない隙のない姿に身なりを整える。それどころか機嫌もよさそうにジュエリーショップへ立ち寄り、ダイヤのカフスボタンを一組買った。奇しくもそれは、私が最後の結婚記念日に朔也へ贈ったものと、まったく同じ品だった。私の顔など見たくないだろうと思い、あのときは会社へ直接送った。それでも朔也は一瞥しただけでゴミ同然に扱い、清掃員にそのまま回収させてしまった。私は行くあてもなく歩く朔也のあとをついていく。風に髪が揺れるたび、生前、彼のそばにいると感じていたミントの香りをかすかに思い出した。やがて大きな橋へたどり着くと、朔也は欄干の外側へ出て足を止めた。50メートルほど下では川が激しく流れている。それを見ていると、あの日、床一面に散らばった自分の遺骨を思い出した。そして、朔也が店員に頼んでカフスボタンの表面に刻んだ日付が、日の光を受けて冷たく輝く。そこに刻まれていたのは、私たちにとっての最後の結婚記念日。この半年間、朔也は思いつく限りの方法で罪を償おうとしていた。会社の株をすべて両親へ譲り、風花の墓前では彼女の写真をすべて燃やした。そして、私が常々彼に言っていたように、自分の体を気遣って暮らすようにもなった。それでも夜中に目を覚ませば、隣には誰もおらず、残っているのは、私が使っていたシャンプーの香りだけ。「社長!」突然、背後から智樹の声が響いた。「やめてください!そんなことしないでくださいよ!」朔也は振り返り、10年もの間そばで働いてきた智樹を見ると、ふっと笑った。「吉川、美玖のこと覚えてるか?」智樹が握るスマホには、まだ発信されていない警察への通報画面が表示されていた。「美玖が会社に俺の昼飯を届けに来るたび、君の分までお菓子を持ってきてたよな」朔也のつま先が、わずかに外へ動く。「あの時の俺、何て言ったっけ。『食べるな、捨てろ』だったか?」橋の上を吹き抜ける風が、薄い服を激しくはためかせる。この半年で、朔也は別人のように痩せてしまっていて、細くなった手首には、青紫色の血管まで浮き上がっている。
けれど、同じ材料を使い、同じように火加減を調整したはずなのに、出来上がったものは苦みを感じるほど塩辛かった。やがて朔也は、調味料入れに私が貼った付箋を見つけた。【朔也は胃が弱いから、塩は3分の2くらいにすること】たぶん私は、朔也が思っていたよりずっと、彼のことを愛していた。残念ながら、朔也は一度もそれに気づかなかったけれど。朔也と過ごした十数年は、彼の憎しみと嘘にまみれたものだった。それでも私たちは確かに、学生時代に出会い、やがて結婚した。朔也は新婚旅行で海へ行ったときに撮った写真を見つけた。写真の裏には、私の字でこう書いてある。【朔也がずっと誰かに愛されますように】あの頃の私は、この人がずっと自分のそばにいるのだと心から信じていた。その言葉を見た途端、朔也は堪えきれないように泣き出し、写真を胸に強く抱きしめた。一番つらい罰は憎まれることではなく、かつて自分を愛してくれた人の想いを、自分の手で壊してしまったと気づくことなのかもしれない。たった3日で、朔也は目に見えて痩せてしまった。もともと悪かった胃もさらにひどくなり、夜になると胃を押さえながら泣いていた。痛くて泣いているのか、今も忘れられない風花を想っているのか、それとも、もういない私のためなのか……それは私にも分からない。私は涙のついた彼のまつげにそっと触れ、小さくため息をついた。泣かないでよ。私は昔から、あなたが泣くのを見るのが一番つらいんだから。家に戻って4日目、朔也は突然、まだ最後の望みが残っていることを思い出したように車の鍵をつかみ、葬儀場へ向かった。年配の職員は、真っ赤に充血した朔也の目に気圧されたように、誰を捜しているのかと尋ねた。「桐原美玖です!美玖の遺骨はどこですか?お願いします……返してください……」「桐原美玖さん?」声を聞きつけた別の職員が奥から顔を出した。「桐原美玖さんのご遺骨は一部しか残っていませんでしたが、残った分はすべてお父様が引き取られましたよ」朔也は雷に打たれたように立ち尽くした。やがて足から力が抜け、そのまま大理石の床に膝をつくと、あの日の遺骨がどこかに残っていないか必死に探し始める。「まだ残ってませんか……ほんの少しでいいんです。お願いします……美玖に会いたいんです……」今度は、私の
朔也がふっと笑った。けれど笑っているうちに、その声はいつしか泣き声に変わっていく。激しい雨の中、朔也は桜葉台にある、かつて二人で暮らした家へ戻った。雨が降り続いた深夜、朔也は突然熱を出した。40度の高熱で意識も朦朧とし、ベッド脇の水を数度も倒した末、とうとう彼自身までカーペットの上に転がり落ちてしまった。こんなに弱りきった朔也を見るのは初めてだった。かつて二人で眠ったベッドの上で、朔也は体を丸め、シルクの掛け布団にくるまりながら、それでも寒そうに震えている。「美玖……」私は思わず動きを止めた。今、私を呼んだ?もう一度、朔也の口から名前がこぼれたことで、聞き間違いではなかったと分かった。けれど、どんな気持ちで受け止めればいいのか、自分でも分からない。ふと、結婚して3年目の雨の夜を思い出した。あのときも朔也は、今と同じように高熱を出していた。私は一晩中そばを離れず、つきっきりで看病していた。喉の痛みが少しでも楽になるようにと、温かいはちみつレモンティーを持って寝室へ戻ると、朔也はスマホを開き、写真に写る見知らぬ女性を見つめながら小さく呟いていた。「風花がいてくれたらよかったのに」そのとき手が震え、熱いはちみつレモンティーが腕にかかった。「風花って、誰?」思わず口にしてから、聞くべきではなかったのだと気づいた。熱で赤くなっていた朔也の顔から、すっと血の気が引いた。さっきまで高熱に浮かされていたとは思えないほど、その目だけが冷たく冴えていた。「見たのか?」それが私たちの最初で最後の、本音のぶつかり合いだった。朔也は裸足のまま床へ下りると、金庫から風花の写真を取り出してベッド脇に置き、静かな声で言った。「15年前のあの路地で、死ぬべきだったのはお前だ」私は口を開き、必死に説明しようとした。けれど突然、ベッド脇のランプをつかんで投げつけてきた朔也。「お前とキスするたび、どれだけ吐き気がしたか知ってるか?毎回、愛してるなんて言われるたびに、その口を引き裂いてやりたかった!」ガラスのシェードが足元で砕け散ったというのに、私はその瞬間でさえ思っていた。裸足だから、破片を踏んでしまったら大変なことになる。ゴロゴロと、雷鳴が轟いた。雷鳴とともに朔也が勢いよく目を開け、私の意識も過去
朔也の指は震え、キーボードのスペースキーすらまともに押せなくなっていた。「そんな……あり得ない……」勢いよくUSBメモリを抜き、もう一度差し込む。まるで、そうすれば今度こそ、違う映像が流れるとでも思っているように。社長室の大きな窓には、激しい雨が叩きつけている。突然、朔也が立ち上がり、椅子が床を擦って、耳障りな音を立てた。スマホをつかむと、すぐさま電話をかけた。「井上刑事、15年前に第三高校の裏路地で起きた傷害事件の記録を全部確認したいんです!今すぐお願いします!」井上刑事が資料を持ってオフィスへやって来たとき、朔也はデスクの下でうずくまっていた。シルクのシャツは見る影もなく皺だらけで、いつもの傲然とした面影はどこにもない。「桐原さん、ご希望の資料です」井上刑事はその姿に一瞬戸惑ったものの、すぐに古びた数枚の写真を取り出した。「こちらが当時の現場写真です。路地が暗かったこともあって、周囲にいた人たちは桐原美玖さんが犯人だと思い込んでいました。でも、実際は……」写真には、私の制服の背中が激しく引っ張られ、乱れている様子がはっきり残っていた。一方、風花の刺し傷はすべて正面から受けたものだった。そして最後の調書にも、私は事件に関与した犯人ではなく、風花を助けようとして警察へ通報した人間だったと、一つひとつ明確に記録されている。朔也には、真実を知る機会が何度もあったのに、それでも憎しみに囚われ、何一つ見ようとしなかった。私と向き合おうともせず、心にはいつも風花しかいなかった。だから私が何を言っても、朔也には言い訳にしか聞こえなかったのだろう。朔也の唇が震えていた。15年間抱き続けてきた憎しみが一気に崩れ落ち、その下から残酷な真実だけが姿を現した。「美玖……」雨に洗い流される血の跡のように、過去の記憶が少しずつ鮮明になっていく。私もふと、結婚して3年目のことを思い出した。朔也が熱を出した夜、私は一晩中ベッドのそばで看病していたのだが、朔也は朦朧としたまま風花の写真を見つめ、「風花がいてくれたらよかったのに」と呟いた。目に涙を浮かべながら部屋を出ていったあの日の私と、15年前、路地から警察に連れていかれた私の後ろ姿が、今になって朔也の中でぴたりと重なる。真実を知った朔也は、何かに取り憑かれたよう
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