今日も空は快晴だ。冬が近付いてる為、早朝は少し肌寒い。ランスタッドは時間が止まってるかのように静かだ。他所の国のニュースでは違法薬物の密輸や政治がらみの暴動が起きたりしているけど、こちらは目立った事件もなく生活している。武器生産国とは思えない。少し皮肉に考えてしまい、慌てて思考を掻き消した。庭で遊ぶ主人と息子の姿を見ると弱気になってはいけないと再認識する。そして忘れてはいけない多くを思い出す。ちょうどオーブンの中のケーキが焼けた為、紅茶を淹れて庭へ持っていった。 「良い天気だなー……」雲ひとつない蒼空に、ノーデンスは呟いた。街の喧騒すら届かない丘の一軒家は否が応でも日常に引き込まれてしまう。それが苦く、また助かっている。初めこそ城から遠ざけられたことに落胆していたけど、仕事より何より大事なものに気付かされたから。「お。ちょうど苗植え終わったとこ?」庭に作った小さな畑。半分は葉野菜が顔を出している。もう片方はまだ小さな葉が均等に植えられていた。畑の中心にいた息子はこちらに気付くと手を振った。「お疲れ様。オリビエも手伝ってくれてありがとな」「ううん! 虫もいるし面白いよ。ほらっ」と、オリビエは近くにいた謎の赤い虫を差し出してきた。「うわ! ちょっ、持ってこなくていいから!」「え、かっこいいよ?」「オリビエ、ママは虫が苦手なんだ」後ろから苦笑いのルネが声を掛ける。オリビエはえー、と言いつつも虫を原っぱに連れて行った。「はー、俺はマジで虫は無理。バッタしか無理」「でもノース、オリビエが夏は虫捕りしたいって言ってたよ。ママと」「勘弁してくれ。それ以外なら何でもやるから」ネイビーのストールが風に飛ばされないよう抑えて、遠くにいるオリビエに手招きする。「ケーキ焼いたんだ。天気も良いし、せっかくだから外で食べよう」「おお~。良いね!」二人が手を洗った後、ミニテーブルを持ってきてケーキを皿に取り分ける。オリビエはお腹が空いていたのか、ひと口がとても大きかった。「ノースがケーキを焼く日が来るなんて。感無量だなぁ」「パパ、感無量ってどういう意味?」「感動してるってことだよ。ケーキもちゃんと美味しいし」「オイ、ちゃんとって何だよ」聞き流せない一言に詰め寄るが、ルネは優雅に紅茶を飲んで素知らぬふりをしていた。「君はクッキーは苦手
再会してから何度悲しませたか分からない。これっきりにしようと思っても、気付けばいつも心配させて、困らせていた。今回はその最たるものだ。国の支配権を持つ王族を襲撃するなんて────これを呪いのせいだからと納得してくれる者などまず居ない。ルネだから冷静に話を聴いてくれているんだ。「俺はマトモじゃなかった」全身負った怪我なんかより、彼が苦しんでることの方が痛い。そして、これから彼の為にできることは限られている。「ごめん」ルネが置かれた気持ちを考えると、自分の今後を考えるよりずっとずっと怖かった。気付けば涙が溢れていた。いつかと同じように、嗚咽を堪えながら強く目を瞑る。小さな声で繰り返し謝ると、手を握られた。「もう謝るの禁止」「だって……っ」「私は大丈夫だよ。だから不安にならないで」額に口付けをし、そのままの体勢で呟いた。「何があっても……これからはずっと君の傍にいる」涙で顔がぐしゃぐしゃになって、前は見えない。左手を繋ぐと互いの指輪が当たって、何故か懐かしくなった。ルネは一年前に離れたことを後悔しているようだったけど、あの頃を思い返したら英断だと思う。ルネはもちろんのこと、オリビエへの影響が大き過ぎた。息子を自分から遠ざけてくれたことに感謝してるぐらいだ。大人になってからの方が目まぐるしく、月日が長く感じた。情報量が多過ぎて、間違った道にもぐんぐん入った。それでもぎりぎりで引き返すことができたのは、彼や周りの皆のおかげだ。謝るのを禁じられたら後はお礼の言葉しか出てこない。今度はルネが困るほど、一生分のありがとうを伝えた。「もう一つ謝っておきたいことがあるんだけど……言ってもいい……かな」「どうぞ」「陛下に、王族が憎いことも言っちゃった」息苦しい沈黙が流れる。覚悟を決めて怒声が振り落ちるのを待っていたが、何とも可笑しそうな笑い声が響いた。状況が状況なだけに、一応つっこむ。「笑うところじゃないぞ」「あはは、ほんとにね。でも言い方が、叱られてる子どもみたいで」このことを告白するのは勇気が必要だったのに、ルネはツボに入ったのかしばらく笑いが止まらなかった。まぁ実際、己の悪行を白状してるんだけど……。「呪いのせいじゃなくて、俺の意思で伝えたんだ。お前の立場を危なくして……本当にすまない」「ふふ……ふう。そうか」ひとしき
「陛下、空が晴れました!」 細い光の矢が幾重にも差し込み、王室は瞬く間に明るさを取り戻した。 正午と相違ない日差しが辺りを包み込んでいく。いつもの風景を目にし、この場にいた全員が胸を撫でおろした。「一体何だったのでしょうね」「あぁ……」窓際まで歩いたローランドは暫く空を見上げていたが、側近に声を掛けられ振り返った。「陛下、他国の使者が続々と到着してるようです」「……来たと同時に事がおさまって申し訳ないな。先ずは丁重に迎え入れてくれ。説明は全員揃ってからにしよう」「はっ」ひとりの部下が扉まで向かう。すると彼は非常に驚いた声を上げた。「ノ、ノーデンス様!?」開け放された扉から影が現れる。見れば、目を疑う姿のノースが佇んでいた。彼は扉の手前で屈み、ローランドに礼をした。「な……ノース、大丈夫か? 一体何があった!」周りの制止を振り切り、ローランドは自らノースの元へ駆けつけた。かつてない大怪我に困惑し、ノースの頬に手を添える。ノースは表情ひとつ変えず、「突然申し訳ありません」と呟いた。「此度の天災と……城内の襲撃についてお詫び申し上げたいことがございます」「何? 襲撃だと?」下の階で起きたことを未だ知らないローランドは眉間を寄せた。「話なら聴く。だから先ず医務室へ」「陛下」ローランドは身体を支えて抱き起こそうとしたが、ノースはそれを拒んで頭を下げた。「私は……いや……俺は」再び膝をつき、消えそうな声を振り絞る。「王族が憎かった」突然の告白が理解できず、ローランドは口を噤む。そして分からないながらに彼の心境を汲み取ろうとした。部下が警戒して駆け寄ってきたが、その場に留まるよう命じる。二人にしか聞こえない距離を保ち、ノースを隠すようにして耳を傾ける。「今はまだ、何もお分かりにならないと思います。でも全て俺の不甲斐なさが起こしたことです。俺が王族を疎んでいたのは紛れもない事実で……そのせいで多くの人を傷つけた」拳はゆっくり開かれ、自身を支えるように床につく。「助けてくれた人達がいたから、またこうして陛下に拝顔できたのです。もしいなかったら、と思うと恐ろしくてたまらない」その言葉は恐らく本心だと感じ取れた。いつもは強気な彼が、今では蒼白のまま震えている。「如何なる処分も受ける所存です。……本当に、申し訳ございません」
この天災の元凶である剣を奪うことに成功した。しかし床に倒れたままのノーデンスは仰け反り、血の塊を吐き出す。「ノーデンスさん……!」呪いを取り込んだ代償なのか、再び動かなくなった彼にヴィクトルは心臓マッサージを施した。すぐにでも医療チームを呼ぶべきだが、クラウスも既に限界を迎えており、足が動かない。床に手をついたまま祈ることしかできなかった。「死ぬな、ノーデンス」ここまできてそんな結末はやめてくれよ。反対側に屈んでいるヴィクトルは急いで携帯の端末を取り出した。どこかへ電話をかけているようだが、繋がらない。「くそっ……障害か?」「多分通信機器もおじゃんにしたんだろ。……このアンポンタンが」もちろん、そんなことができるのはノーデンス以外にいない。クラウスは這いずるように彼の側へ行き、額に手を当てた。「こういう時、処置ができるルネ王子が本当に羨ましいよ。大事な奴の命を助けることができるなら、悪魔にだって魂売っちまうかもな。……そういう気持ちもやっと分かった」「……」拳を握りしめ、血で汚れたノーデンスの口元をぬぐう。「大丈夫、死んだりしないさ。こいつはこれでもウチの長だからな」頭の下に薄いハンカチを敷き、大きく息をつく。「あなたは……」「クラウスだ」「クラウスさん。……僕は下に降りて、医者を呼んできます。隣国の僕が一番に到着したけど、もう他国からも救援や専門チームが着いてるはずだから」ヴィクトルはお願いしますと言い残し、剣を肩に背負って階段の方へ走っていった。お願いしますって言われてもな。これ以上できることはない。ノーデンスの生命力にかけるしかないだろう。今は罪悪感しかなかった。自分だけでなく一族の誰もが、このことを知ったら平静じゃいられないだろう。ヴェルゼの禁断の武器が存在していたことはもちろん、それをずっとノーデンスが管理していたなんて。恐らく彼の祖父の代から隠し通してきたんだろうが、一族は誰も気付けなかった。せめて内密にせず、負担を軽減できていたらこんなことにならなかったのでは……。そんな可能性の話も、今となっては後の祭りだ。あの武器を護っていたのがノーデンスだからここまで持ち堪えられていたとも言える。もし他の誰かが見つけていたら、もっと早い段階で意識を剣に乗っ取られていた。「……っ!」ノーデンスは再び血を吐き、呻い
「いやー、生きてるうちにこんな恐ろしいことがあるなんてな」王城の伝設備管理棟では、各自担当者が仕事しながら現状を嘆いていた。「テロ組織へ対策を練らないといけないってのに、前代未聞の天災。国王陛下も頭が痛いだろう」「全くだ。おいたわしい」ひとりの男性が頬杖をついた時、部屋の外から靴音が聞こえた。ゆっくり近付いてくる。業者か、もしくは伝令役か。「……」靴音は止まったが、待っていても扉は中々開かれなかった。ここに用があるわけじゃなかったか。モニターに視線を戻し、仕事を再開する。その直後、外で凄まじい爆発音が聞こえた。「な、何だ!?」その場にいた全員が音に驚き、音がした廊下の方へ飛び出す。そこは既に黒煙が吹き上がっていた。「おいやばいぞ、電盤がやられてる!」爆炎の中にあるのは城の心臓である伝設備。それは電気を変換する大事な機械で、落ちればどうなるかは明らかだ。「明かりが消える……!」設備室がある棟を含め、外周、地下、上層階まで一斉に電気が落ちた。この瞬間、城内は闇に包まれたことになる。幸いここには非常灯がいくつも配置されてる為、消火器を取りに動くことはできた。「くそ、とにかく火を消せ!」必死の消火活動の末、鎮火に成功した。しかし復旧は絶望的なほど、広範囲に渡って伝設備が破壊されている。「どうします、室長……」「上はパニックしてるはずだ。まず城内全員に状況を報告する」明かりがない状態で混乱が起きれば、怪我人が出る可能性が高まる。全員煙を避けて設備室へ戻ろうとしたが、それより先に扉が内側に閉まった。鍵をかけられ、ノブを回しても開かない。中に誰かいる。「おい、誰だ!? ここを開けろ!」ドアを何回叩いても反応はない。隙を見て侵入した者は、恐らく設備室の重要な設定を操作している。城内の電源が落ちても、情報通信設備だけは非常電源が起動するはずだ。本来はそれを使って外部と通信するが、それすら壊されてしまったら……。「……司令室からスペアキーを持ってくるんだ」「は、はい!」部下二人に城の中枢にある司令室へ向かわせ、他はその場に留まった。侵入者を易々と逃すわけにはいかない。部屋から出てきたところを捕えないと。誰もが息を潜め、扉の前で待ち構えた。やがて低い摩擦音と共に、扉がゆっくり開かれた。しかし侵入者は出てこない。音ひとつ聞こえない為、
「あれ。朝……だよな?」「ええ、ウチの時計が全部止まってるわけないわよね。……でも外が真っ暗だわ」海は黒一色、街灯がなければ落ちてしまいそうなほどに暗い。港に出た街の住人達はライトを手に困惑した。夜が明けない現象など前代未聞だ。それもランスタッドに限定して、という事態が国民を混乱させた。「……お母様、これって何が起きてるの……?」城の最上階ではロッタが空を眺め、王后に尋ねた。「空が曇ってるとかじゃない。完全に夜だよ」明かりの灯る部屋で、昨日と同じ夜景を見つめる。ロッタが振り返ると、王后は寒そうにショールを羽織った。「大丈夫ですよ。陛下含め、皆が原因を調べてくれています。私達はここで大人しくしていましょう」「はい……」国外から特別な使者が集結しようとしている。王族と言えど何の力も持たない自分達にできることはない。大人しく解決を待つだけ、というのは落ち着かないけど。ため息混じりに外を眺め、幼い王子の弟達を宥めた。私達でさえ情報が全然ないんだから、街の人達はもっと不安なんだろうな。眠くて眩しい朝がくるのが嫌で嫌で仕方なかったけど、今は一刻も早く太陽に顔を出してほしい。「ノーデンス、どうしてるだろ……」そっと瞼を伏せると、脳裏に浮かんだのはあの白い影だった。◇王都から離れた郊外、ヴェルゼ一族の集落でもかつてない出来事に混乱が巻き起こっていた。「真っ暗だ」パニックになる者、恐怖を押し殺している者、議論を展開する者。それぞれが現実と直面している。そんな中、場違いにおちゃらけている会話が聞こえた。「電気が使えなかったら今頃終わってましたね。耕地に出たら目の前に誰がいるのか分からないし、自分がどこに居るのかも分からない。いや~、やっぱ文明の利器ってすごいですよね」「そうか。俺の家は電気が止まってるからその恩恵が全く感じられないぞ」「へ、何で電気止まってるんですか?」「ノーデンスがモタモタしてるせいだよ。電気代かたがわりしてくれるって言ってたくせに、あいつめ……」集落の中央に位置する広場で、オッドとクラウスは互いに顔を見合せた。広場には巨大な石灯篭が円を描いて置かれており、闇夜でも問題ない明かりを灯している。「だっから、そもそも働かないアンタが悪いんでしょ? ノーデンス様のせいにしないの」「いてえっ!」あぐらをかくクラウスの