LOGIN「え、さくら本気でそんなこと言ってる?」 自分の代わりに、中間報告会のために隼人と会うことをさくらから名乗り出たことは、彩花にとって驚きを隠せない瞬間だった。「このままじゃ、彩花だって辛いでしょ?」「それは、まあ……」 さくらはニコッと笑い、「大丈夫。淡々と、今の収益について報告だけしたら、すぐに帰って来るから」「……ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」 彩花はさくらに深々と頭を下げた。 一週間後、さくらは久方ぶりにビジネススーツスタイルになり、『神宮寺ホールディングス』を訪れた。これまでは彩花が対応していただけに、さくらにとって初めての来訪だった。「『合資会社ALIVE』の藤堂と申します」 受付で確認を取ってもらい、さくらはそのまま会議室へと向かった。会議室には既に隼人と千晴、そして数名の役員たちが待機していた。「失礼します」 さくらは会議室に入った途端、その空気を察した。『何故彩花ではないのか』と心の中で思っていることが、全員顔に出ている。「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。『合資会社ALIVE』の藤堂です」 さくらが一同に向かって挨拶をしている途中、いきなり隼人が、「彩花……じゃなくて、北城社長はどうした?」「北城は体調不良のため、二日前から休んでおります。本来ならば北城がこの場に来て、出資に対しての中間報告すべきとは思いますが、『合資会社ALIVE』は北城と私ともう一名の社員による共同経営を取っております。なので本日は、私も『ALIVE』の代表として出席しておりますことを、ご承知いただければと思います」 ここで弱腰になってはいけないと考えたさくらは、淡々と話しながらも主張した。その言葉で、隼人が露骨に嫌な顔をしたことを、さくらは見逃さなかった。 ――分かりやすい人なんだから。 半ば呆れながらも、さくらはそのまま続けた。
両親に啖呵を切ってから、隼人は駅前の繁華街の一角にある居酒屋で、ひたすら中ジョッキのビールを飲んでいた。「兄貴も、随分強くなったな」 後を追ってきた雅人も同席し、隼人に合わせて同じようにビールを飲んでいる。「親父たちがあそこまでクズだとは思わなかった。俺に実権奪われたからって、普通あそこまですか? 『神宮寺ホールディングス』は元はと言えば自分たちで作った会社だぞ。こんな、社内が分裂するようなことを平気でするなんて、よくあんなんで『神宮寺ホールディングス』の看板守ってきたもんだ」 グラスに残っていたビールを、隼人は一気に飲み干した。「明日も朝から出張なんだろ? あんまり飲み過ぎると、明日に影響出るぞ」「これぐらい大したことない。数時間もしたら、すぐに醒める」 隼人は不器用に、テーブルの隅に置かれていたタブレットで、ビールを追加した。「お前も何か飲むか?」「じゃあ、俺もビール」 隼人はタブレットでビールを二杯注文した。 やがて店員が中ジョッキのビールを運んでくると、隼人はテーブルの上の一品料理に箸もつけず、ジョッキの半分までビールを一気に飲んだ。「これから、お前はどうするんだ?」 目が少しうつろになりながら、隼人は弟を見つめた。「どうするって?」「このまま、俺と一緒に『神宮寺ホールディングス』に残るのか、親父たちの会社に行くのか」「兄貴は、俺に残ってほしいと思うか?」「どういうことだ?」「親とあんなふうになってる兄貴だ。これ以上人間不信になったら、俺を追い出すようなこともあるんじゃないかと思ってさ」「お前がよっぽど『神宮寺ホールディングス』に損害を被ることをしなければ、俺は追い出さない。これ以上、俺の周りにいる人間との関係性を壊したくないんだ」 隼人はふと小さく呟いた。「兄貴、まだ彩花さんのこと好きなんだな」 その名前を言われ、隼人は激しく動揺した。もし彩花との関係が良好だったら、今日のような事件があっても、何かしらのアクションをしてくれるに違いない。だが現実的にそれがないということは、やはり今の彩花はもう何の感情も抱いていないのだろうと、半ば諦めていた。 昨日彩花は、さくらと共に隼人の両親とひなたの父親が出席した新規事業立ち上げの記者会見の様子を見ていた。隼人の胸中が穏やかではないことを、彩花は既に察していた。ビジネスと
その日、隼人は実家を訪れた。普段は一人暮らしをしている隼人にとっては、久方ぶりの帰省でもあった。両親と同居している雅人にも同行を頼み、兄弟は実家の敷居を跨いだ。 神宮寺家の実家は、都心の一等地とも言うべき場所に建てられた洋風建築の大きな屋敷だった。住み込みの家政婦を雇っているほどで、普段家のことは全て家政婦に任せていることを当然隼人は知っていた。「ただいま」 雅人が広々としたダイニングキッチンへ入ると、隼人もそれに続いてやってきた。浩介と佐和子は、今日の記者会見が無事に終わったことで、二人で牛肉のステーキとワインを口にしながら打ち上げさながら盛り上がっていた。「どうした、兄弟揃うのなんて珍しいじゃないか」 アルコールが回っていることもあってか、浩介は高らかな声を上げた。「もうここには戻ってこないと思ったのに」 母の冷たい視線を感じ、隼人も睨み返す。「何の用だ。お前も飲むか?」 上機嫌な父親の姿に、隼人は苛立ちを隠せない。「親父、よくもそんな呑気な……」 雅人は呆れて反論しようとしたが、隼人が止めた。「親父とおふくろに、どうしても言いたいことがあったんだ」「あら、私たちを会社の隅っこに放り投げたあなたが、まだ言いたいことがあるの?」 佐和子がワイングラスを持ちながら、淡々と言った。「今日の会見、あれどういうことだ?」「どうも何も、ちゃんと話したでしょ。母さんは、お父さんと、富橋社長と共に新規の会社を立ち上げた。別に会社のお金を流用したわけでもないし、あんたに文句言われる筋合いはないわよ」「ふざけるなッ……!」 隼人は声を荒げた。「資本金三千万なんて、そんな簡単に用意できるわけないだろ」「母さんたちにだって、それぐらいの蓄えあるわよ。あんたに代表権奪われるまでは、ちゃんと『神宮寺ホールディングス』のために働いてきたんですから」「けど、役員報酬から少しずつ貯めてたんじゃないのか?」 雅人が言うと、佐和子はケラケラと笑い出した。「役員報酬は、母さんやお父さんがもらったものでしょ。もらったものをどうしようかなんて、私たちの勝手なんだもの。そこまで目くじら立てることないんじゃない?」「そうだぞ。二人とも硬すぎる」 更に酔いが回り、浩介は時折呂律が回らないながらも荒々しくなった。「会社に迷惑を被ったわけじゃないだろ。今回立ち
隼人の両親と、ひなたの父親による新規事業の発表は、投資家や経営者の中で瞬く間に話題となった。ホームページやSNSといった広報も既に準備万端の状態で、記者発表は生配信され、それはホームページのトップから閲覧できるようになっていた。 社長室のデスクで、隼人は千晴に見せてもらったタブレットで、その様子を伺っている。「兄貴ッ……」 勢いよく雅人が入って来た。「お前も聞いたのか、親父たちのこと」「いくら何でも準備が早すぎて、びっくりしたんだ」「今、ちょうど親父たちが会見してるよ」「雅人さんも、よろしければどうぞ」 千晴に促されて、雅人は隼人の後ろまでやって来ると、覗き込むように共に会見の様子を見た。「本日は、『神宮寺ホールディングス』及び『富橋グループ』による共同新規事業の会見にご参加いただき、誠にありがとうございます」 マイクを持った隼人の父・浩介が、悠々と話を続ける。「今回は両社共同による新規事業ではありますが、『神宮寺ホールディングス』及び『富橋グループ』とは一切繋がりのない、新規の株式会社として法人を立ち上げることになります。法人名は『株式会社TJカンパニー』、役員といたしましては、私神宮寺浩介が代表取締役社長、富橋勇夫が代表取締役副社長、そしてこちらの神宮寺佐和子が専務取締役となります」 浩介の紹介のもと、ひなたの父・富橋勇夫、隼人の母・佐和子が、頭を下げる。「先ほど、イメージキャラクターとして女優の園崎麗菜さんが務められると発表があり、ご本人にもご登壇いただきましたが、どのような意図があって起用されたのでしょうか?」 参加していたマスコミ関係者から質問が上がった。 浩介が妻に、合図ともとれる頷きを行った。「それでは、私のほうからご説明させていただきます」 佐和子がマイクを持って、話し始めた。「園崎麗菜さんは、今や国民的女優として大変なご活躍ぶりです。弊社のような新規事業のイメージキャラクターを務めていただくのは、私どもにとっても大変恐縮なことではありますが、弊社オリジナルのアパレルブランドを立ち上げるにあたっては、彼女の起用がますます良い宣伝効果になると考えて、起用させていただきました」 自信満々にカメラの前で話す両親の姿を見て、隼人は無性に腹が立った。「この様子から見ると、会長も相談役も、随分前から動かれてて
彩花は応接用のソファーにジュリアンを案内させ、向かい合うように座った。さくらがすぐに、お茶を運んできた。「ごめんね、突然来ちゃって」「ううん。私は別に大丈夫だよ」 さくらがデスクに座って仕事を始めると、彩花もジュリアンに早速話を振った。「それでジュリアン。私に話って?」「実はさ、ヘッドハンティングの話が出てるんだ」「ジュリアンに? 声がかかるなんて、良い話じゃん」「たださ、それが『KSインターナショナル』なんだよね」 彩花は唖然となり、さくらもパソコンのキーボードを打っていた手が止まった。「うちの実家が、どうしてジュリアンを……?」「じゃあやっぱり、彩花が頼んだわけじゃないんだね?」 彩花にはジュリアンの話の内容が理解できなかった。「当たり前じゃん。それに私は、もう実家とは縁を切ってるの」「そっか……」「ねえジュリアン。今、『頼んだ』って言ったけど、そのヘッドハンティングの話、誰に言われたの?」 怪訝そうに彩花が尋ねると、ジュリアンは一言、「お兄さんだよ」 彩花は思わずさくらと顔を見合わせた。「僕が働いてる会社の前で、待ち伏せしてたんだよ。そこで声をかけられて」 ジュリアンは、拓也との一連の話を彩花に伝え始めた。「『外資系企業とはいえ、ずっとここで働かせて良い人財ではない。良かったら、うちの会社に来ないか』って、お兄さんには言われた」「じゃあお兄さんは、あらかじめジュリアンのことを調べてたってこと?」 デスクからさくらが尋ねてきた。「まあ、今時いくらでも調べることはできるからね。それにお兄さんは、僕が彩花の同級生だってことも知ってたから」 彩花の中で、ますます拓也に対する疑念が強くなっていく。何故いきなりジュリアンを、自分の会社に引き抜こうとしているのか、その拓也の考えが全く分からないが、何かしらの目的がなければこのような行動に出るわけがないと、彩花は考えていた。「何でお兄ちゃんが、ジュリアンに声をかけたのか、私には分からないんだけどね」 そう言ったものの、『KSインターナショナル』を実質的に経営しているのが拓也であり、それを昨晩来訪した隼人が心配していたことを思い出した。「ねえ、『KSインターナショナル』のこと、ジュリアンは何か知ってる?」 ジュリアンは口を閉ざしてしまった。「何か知ってるんだね?」 問
「じゃあ、行ってきます」 この日、健太は出張のためスーツケースを引きずって会社に顔を出し、必要な書類だけ取りに来た。「ごめんね。本当は、私が行かなきゃいけないのに」 申し訳なさそうに、彩花が言った。「良いんだよ。もし出張先で何かあったら大変だし、何より彩花が今できることをすれば良いんだから」「うん……」「健太がいない間、私が彩花のフォロー入るから」「よろしく。新幹線の時間もあるから、そろそろ行くわ」 去っていく健太を、彩花とさくらは見送った。「ねえ、何かあった?」 健太の姿が見えなくなると、いきなりさくらが尋ねてきた。「え?」「考え事してるような気がする」「実はね……昨日、神宮寺社長がここにいらっしゃったの」 彩花は昨晩に起きた出来事を、さくらに告げた。「は?」 不快感を示すように、さくらは彩花を見た。「私も、びっくりした」「何しにみえたの?」「本気で婚約者になってほしいって、言われて……」「それで、彩花は何て言ったの?」「もちろん、断ったよ。病気のことだって、言ってない」 彩花は溜息をつきながら、自分のデスクの椅子に座り込んだ。さくらは椅子を移動させて、彩花の間近までやってきた。「ねえ彩花。もしかして、神宮寺社長のこと、本気で好きになってる?」「え……」 思わず彩花は言葉に詰まった。「病気のことが言えないのは、神宮寺社長を傷つけちゃうからって考えてるんでしょ」「さくらには、全部お見通しなんだね」 彩花は苦笑した。「婚約者のフリを解消して、ビジネスだけの付き合いをしようだなんて上手い理由つけて神宮寺社長のことを避けてる理由も、その辺りでしょ」「うん……」 口をつぐみ、彩花は小さく頷く。「最初は婚約者のフリでも、一緒にいたら、情が移っちゃうんだろうね。付き合ってるカップルでもさ、特にこれといったきっかけもなくて、気がついたら好きになってましたってパターンあるじゃん。それと一緒でしょ?」「……ちょっと、違うかも」「え、何かきっかけでもあった?」 事細かには伝えなかったが、彩花はさくらに、五年前の拓也の結婚式の夜に、浮浪者のような状態になっていた隼人と出会っていたことだけを伝えた。「そんなことがあったの?」 さくらは目を見開いた。「あの時はお互いに連絡先なんて交換しなかったら、どこの誰か分からなか







