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第7話

Author: 壽倉雅
last update publish date: 2026-08-30 16:00:00

「ああ、俺はお前に救われたんだよ……」

隼人がこちらを見てくる目を見て、彩花は気づいた。五年前、一夜を共にした時のあの寂しい眼差しと同じであると。

「あの時の俺は、全てを失ったんだ。もう自分なんかどうにでもなっちゃえと思った。でも、そんな時に目の前に現れたのが、お前だったんだよ」

「でも、私は何もしてません……。ただ、一度だけの……」

彩花は言いづらそうに返した。数時間前のいきなりキスをきっかけに、隼人と口論をしていた自分自身が情けなく思った。

――キスどころか、それ以上のことしちゃってたじゃん、私。

隼人の背中に広がる痣を、彩花は優しく触れた。隼人の体温が、手のひらに伝わってくる。

「まさか、あの時の浮浪者が、神宮寺社長だったなんて……。五年の間、がむしゃらに働いたんでしょう」

「まあな。五年前、俺は人生のどん底にいたよ」

彩花はふと、以前健太が話していたことを思い出した。

「確か、ご両親と経営のことをめぐって対立したんですよね?」

「ああ。五年前、社長をしていた親父と、副社長をしていたおふくろは、南米での事業拡大を計画してたんだ。だが当時の会社の規模からして、これ以上海外進出は厳しいんじゃないかって専務をしていた俺は、親父に反対した。だが親父たちが役員に根回しして、南米進出のプロジェクトは結局始めることになった。親父たちや当時の幹部たちは、唯一反対した俺を爪弾きにして、会社から追い出そうって考えたんだよ」

「反対しただけで、しかも自分の息子なのに、そこまで……」

「俺を見れば分かるだろ。親父たちの嫌な を継いだから、こんなひん曲がった性格になるんだよ。自分で一番よく分かってる」

「そんな……」

彩花はそれ以上に返す言葉が見つからなかった。

「しばらくして会社に行ったら、もう専務室の部屋に俺の居場所はなかった。その前日に、俺の専務解任が決まってな。まあ、家族からクビにされたってことだよ。同じ家にもいられないし、このままどうにでもなっちゃえと思って、俺は身一つで家出したんだ」

「まさか、それがあの五年前の……」

「ああ。一週間、ほぼ飲まず食わずだと歩く体力もない。ちょっと横になろうと思ったら、飲み会帰りか何か知らんが、チンピラに絡まれた。そこに来たのが、お前だったんだ」

チンピラに向かって怒鳴った当時の記憶が、彩花の中で鮮明に蘇った。

「お前は大声を出して、俺を助けてくれた。だから、何かお礼をしなきゃと思ったんだ。まあ、あの時の俺は無一文に近くて、今思えば何もできなかったかもしれないが」

「……」

「そしたらお前は、抱いてくれって言った。そんなんで良ければと思って、一緒にホテルに行ったんだよ」

ただの浮浪者と思っていた彩花は、自分と出会う前の隼人がみじめに思え、また同じように家族との確執を抱えていることに、親近感がわいた。

「次の日、目を覚ましたら、もうお前はいなかった」

「ええ……。一夜限りの付き合いのつもりで、もう会うこともないと思ったので」

「でも、あの時にお前に出会ったおかけで、もう一度人生をやり直そうって思えたんだ。俺をどん底に突き落とした両親に復讐してやろうって」

「復讐なんてしなくても、確か、南米への事業拡大は失敗に終わったんですよね。私、調べたんです」

「ああ。それが要因になって役員を一新する話が出て、当時社外取締役をしていた役員の一人から、戻ってきてほしいって頼まれて、これは親父たちに復讐できる良いチャンスだと思って、俺は代表取締役社長として『神宮寺ホールディングス』に戻ったんだ」

淡々と語る隼人の姿を見て、彩花は同情した。このまま婚約者のフリを続けても良いとも思っていた。

「会社に返り咲いただけで、もう充分なんじゃないんですか?」

彩花がふいに尋ねると、隼人は鼻で笑った。

「いや、そんなんじゃ生ぬるい

「生ぬるい?」

「両親には代表権のない取締役として居座らせることにしたんだ。代表権という大きな権力を持てないまま、会社の経営を目の当たりにするという、飼い殺し状態にしてやろうと思ってな」

「そこまでして……」

「親父たちへの復讐のために、もう一度ちゃんと生きてみようと思えたのは、お前に会えたからだ。この五年間、あの時の救世主であるお前をずっと探してた。そしたら、出資先を募った企業の中に、お前の会社があった。これは運命だと思ったよ。エレベーターの事故もな」

その言葉を発して振り向いた瞬間の隼人の顔が、純朴な青年のように見えた。

「神宮寺社長……」

「ようやく、お前に会うことができた……。俺は、これまで……」

妙に愛おしくなり、彩花は隼人の口を封じるように、唇を奪った。

「もう良いです。何も言わなくて……。背中の痣のことも、もうどうでも良いです。知りたいとも思いません」

「彩花……」

小さな子どもをあやすようにして、彩花は隼人を優しく抱きしめた。彩花の中で、いつの間にか隼人への憎い気持ちなどなくなっていた。婚約者のフリでも、今はこの人の側にいてあげたいと心の底から思っていた。

この日以降、隼人からの連絡が頻繁に増えていくことを彩花は感じ取っていた。

『おはよう』

『気になるアクセサリーはあるか?』

『今晩、ご飯行かないか?』

いろんなメッセージを送ってくる隼人の文面は、相変わらず素っ気ない性格が滲み出ていたが、おそらく自分のことを受け入れているうえでの行動だと彩花は思っていた。しかし彩花の中ではあくまで婚約者のフリをすることが目的であり、隼人のことを深く理解するまでには至っていなかった。

しばらくして、彩花は受けていた健康診断の結果について病院から呼び出しを受けた。

そして病院を後にすると、近くの公園のベンチに座った。さっき医師から見せてもらった診断書を、もう一度彩花は見直した。

「末期の胃癌……」

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