ログイン何を企んでいるのだろう、と訝しむように顔を見合わせる真子と綾に、医師は気まずそうに咳払いをすると、 「では、我々もこれでお暇いたしますが、ご友人の方はこの後の手続きのこと忘れないでくださいね?」 綾にギロリと睨まれた医師たちは、そそくさと部屋を後にした。 二人きりになった病室では、綾が真子に手を貸してベッドへと寝かせる。 「ごめんね、真子。あたしのせいでー」 だが、真子は綾の言葉を遮ると、 「元はと言えば私のせいだよ、綾。綾たちは巻き込まれただけ。私の友達って理由だけで、とばっちりを受けさせてしまって本当にごめんなさい」 自分にまで頭を下げる真子に、綾は慌てて止めさせると、 「やめてったら!本当に怒るよ!」 「にしても、門脇の奴、気味悪いくらいにあっさり引き下がっちゃってさ。何企んでるんだろうね・・・」 心配そうに眉根を下げる綾に、真子も同調する。 東条家への融資が切られなかったことはありがたいが、代わりに一体、どんな条件を出されるのだろうか。 とはいえ、自分で言い出した手前、甘んじて受け入れるより他ない。それにしても。過去にはこんなことは起きなかったはずである。真子が彩花に頭を下げて済んだはずのことが、今回はそれでは済まされなかったことに、真子は司たちが出て行ったドアを何事か思案するような目で見つめたのだったー 廊下を連れ立って歩く司と彩花だったが、そんな彼の顔はいつになく険しかった。 先程、自身の足に真子が縋りついた時、ずり落ちた袖部分から紫色のアザが見えてしまった。 あまりに生々しいその怪我の痕跡に、司の胸は何かがつっかえたかのように居心地が悪くなった。 さらに、そんな状態でも自分を盾に友人を守ろうとする真子の姿を、司はそれ以上見ることができなかったのであった。 (見えていなかっただけで、東条の言う通り。本当に全身にひどい怪我を負っていたのかもしれない。それなのに俺はー) そこで、司はちらりと横にいる彩花に目をやる。 たった数時間前まで、あれほど動かすことができないと喚いていたはずの彼女が、今はこうして何の支障もなく自分の隣を歩いている姿に、司の眉間にしわが寄る。 司の視線に気づいた彩花が、ぱっちりとした目で司を見返すと、 「どうしたの?」 司は慌てて彩花から視線を逸ら
司はそこで一度目を閉じると、次に、刺すほどの鋭い視線を綾に向けて、 「どうやら無能なやつというものは、相当痛い目に遭わなければ学ばないらしいな」 司はおもむろにスーツの内側からスマホを取り出すと、どこかに電話を掛けた。 嫌な予感に、真子の表情が険しくなる。 電話が繋がると、司は綾を冷めた目で見下ろしながら、 「ああ、俺だ。早急に対応してもらいたいことがある。東条工場への融資だが、即刻打ち切ってくれ」 「なっー」 綾の顔がみるみる青ざめていく。 綾が家族で経営する東条製糸工場は、養蚕が盛んだった明治時代から続く老舗で、長年培ってきた技術力は他の製糸工場の追随を許さないほどであった。 しかし、どれほど高い技術力を以てしても、押し寄せる時代の波には抗えなかった。 全盛期には百人近くいた従業員も、今となっては綾たちの家族だけになり、それに合わせて工場の規模も大幅に縮小した。 一時は会社を畳もうかとまで考えたらしいが、そこに救いの手を差し伸べたのが、商社として世界にも多数の取引先を有する門脇家が経営する〈Kadowaki Trading Corporation〉なのであった。 綾が真子の友達だと知った司の父親は、東条製糸工場の経営危機を知るや否やすぐさま融資をしてくれ、さらには海外の高級アパレルショップや靴屋にも東条家の作った生糸を卸してくれた。 元より技術力の高い東条家が作り出す生糸の品質は、海外でも高く評価され、東条家の傾いた経営も安定し、上向きへと向かっていった。 だがー そんな矢先、真子の家族が起こした"あるコト"のせいで、真子への見せしめとしてまたしても東条家の経営は危機へと晒される。 その後、司が父親の仕事を引き継いでからは、東条家は門脇家からもらえる微々たる融資だけで何とか持ち堪えていたわけで、それを切られるとなると、東条家に待ち構えている未来など言うまでもなかった。 「門脇社長、綾は私を心配する余り言葉選びを間違えただけなんです。どうか、東条家への融資は切らないでください。お願いします」 真子は身体の痛みも忘れて、必死に司へと謝罪した。 耳元にスマホを充てたまま、真子を見下ろしている司の瞳が揺れた。 だが、司はグッと奥歯を噛むと、 「彩花を傷つけた張本人のお前は頭を下げないの
看護師はわざとらしく咳払いすると、 「申し訳ありませんが。こちらの患者さんは今日負われた怪我のため、早急に休む必要があります。ですので、彼女に近しい方以外は病室からー」 だが、看護師が言い終わる前に医師が慌てた様子で彼女の言葉を遮ると、冷めた目で見据えてくる司に向かって弁明するように、 「門脇様に向かってとんだご無礼をはたらいてしまい申し訳ございません。彼女はうちで働きはじめてまだ日が浅いんです。そのため、うちの内情をよく理解できていなくて・・・これに関しては私の監督不行届が原因です。申し訳ございません」 医師は、看護師の後ろ頭を無理矢理手で抑えつけるようにして頭を下げさせると、自身も頭を下げた。 抗おうとする看護師に、医師は小声ながらも厳しい声で、 「この方に逆らったら、瑞鳳市でだけでなく、どこへ行こうともまともな仕事につけなくなるぞ!彼女みたいに、すずめの涙ほどの安い給料で働かされたいか?」 医師が顎で示した先には、ベッドの上で俯いたまま微動だにしない真子の姿があった。 事情はよくわらないが、ベッドの上の彼女は綺麗な見た目をしていながらも、どう贔屓目に見ても豊かな人生を送っているようには見えなかった。 (この子もこの男に対して何かやらかしてしまった結果、こんな惨めな姿になってしまったのかしら) そんな真子を目に、急に恐怖が込み上げてきた看護師は、医師に抗っていた力をふっと抜いた。 医師は、それでいい、といったように看護師に目をやると、再度司に向かって謝罪の言葉を述べる。 司は深々と頭を下げる医師たちに向かって、ふん、と鼻を鳴らすと、 「今回に限ってはそちらの看護師の出過ぎた真似にも目を瞑るとしましょう。ですが、下の人間の管理を徹底することも上の人間の立派な仕事です。次はありませんよ?」 蛇に睨まれた蛙のように、医師はその身体を硬直させ、額に油汗を浮かべながら、司の言うこと一つ一つに「はい、はい」と、へりくだって答えている。 先程まで真子に対して真摯に対応していたはずの医師が、圧倒的な権力の前ではいとも簡単にねじ伏せられてしまう。 綾はそんな医師の姿に、チッ、と舌打ちをし、せめて自分だけでも反論してやろうと一歩前に出ようとするも、またしても真子に手で制されてしまう。 綾は目で異論を唱えるが、真
司は真子から視線を外さず、 「反省しているのか?」 真子は伏し目がちに、 「もちろんです」 前世ではこの後、司が同じ病棟に入院している彼女の病室を真子に尋ねさせ、そこで再度彼女に謝罪をさせた。 そのことも覚えていた真子は、痛む身体に鞭打ってベッドから降りようと身体を動かす。 「ーっ」 あざになっている所にベッドの縁が当たったのだろう。痛みに真子は思わず、小さく声を上げてしまった。 司はそんな真子に見ながら、その眉間に深くしわを寄せると、 「何をしている?」 「高梨さんに直接謝罪をさせていただきます。彼女の病室はこの棟の最上階でしたよね?」 「必要ない」 「え?」 思わず、真子は顔を上げて司の顔をまじまじと見た。 (あれ、記憶違い?確か謝罪に行ったはずだけど・・・) そう思った真子は、訝しむように司を見た。 そんな真子の視線に、司はさらに眉間のしわを深くすると、 「何だ?」 「あ、いえ。ただ、謝罪をしなくても本当によろしいのでしょうか?」 「彼女は今休んでいるところだ。そんな中お前が行ったのでは、却って迷惑だ」 (ああ、なるほど) 合点がいった真子は、それならばお言葉に甘えさせていただこう、と身体を動かして元の位置へと戻る。 その際、またしても痛みが走った真子は、声は出なかったものの顔を歪ませてしまう。 司はその目を細くすると、 「どこか痛むのか?」 真子はすぐさま表情を作り直すと、 「いえ、特にどこも」 「なら、なぜそんな顔をする?」 「そんな顔とはどんな顔です?」 「なっー」 真っ直ぐに自分を見上げる真子のその目に、司が言葉に詰まってしまったその時だった。 またしても真子の病室のドアがスライドされる。 そしてそこから現れたのは、栗色の髪の毛先を緩く巻いた、海外のモデルさんみたいに、スラリとした手足の美しい女性ー 司の秘書、いや仕事から離れている今は、司の恋人と言ったほうがいいのだろう。そこには、高梨彩花(たかなし さいか)が立っていた。 「良かった、ここにいたのね司。」 彩花は少し息を切らしながら、真子のそばで驚いたように目を見開いた司に向かって歩いて行く。 彩花は、まるで司しか目に入っていないかのように周りの目を憚ること
そう言って、顔を上げた人物の目が、ベッドの上で戸惑ったように身をこわばらせる真子を捉える。 すると、その人物はあからさまにホッとしたような顔になると、「なんだ、生きてるじゃないか。」と、彼にしか聞こえない声量で呟き、その後、馬鹿馬鹿しいといったように苦笑して、頭を振った。 それから、ドア付近の人物は走ったことで乱れた前髪を掻き上げ、スーツの乱れも直すと、真子がいるベッドへと、長い足を使って一気に近づいた。 硬直した様子の真子を目の端で捉えた綾は、真子とその人物の間に立ちはだかると、目の前の人物を睨みつけながら、 「一体何の用ですか、門脇社長。」 冷たい声でそう問いかけた。 問われた人物である、門脇社長こと門脇司は、冷徹な瞳で彼女を捉えると、 「退け。お前にはこれぽっちも用はない。」 だが、綾は一切臆することなく、怒り心頭な様子で、 「退きません!真子は御宅の会社の階段からまたしても落ちたんですよ?一度ならず、二度までも!まともな人間ならこのことをおかしいって思うはずですけど、門脇社長は絶賛盲目中でしょうから、このおかしさに気付けないのでしょうね!」 「キャンキャン喚くな、野良犬風情が。お前の金切り声は頭にも勘にも障るんだよ」 「話を逸らさないで下さい!」 そう声を張り上げる綾に、司は侮蔑するように見下ろすと、 「同じことを何度も言わせるなよ?退けといってるんだ。お前のとこの吹けば飛ぶようなおんぼろ会社が、誰のおかげで存続できているのか忘れたか?」 その一言に、綾は言葉を詰まらせた。 司はそんな綾を鼻で笑うと、何も言い返せない彼女の脇をすり抜けようとするが、それを阻止しようと綾が身体を半歩横にズラした。 まだ邪魔立てする綾に、いよいよ司の怒りが沸点に達そうとしたその時、 「綾、大丈夫だから。ほら、こっちに来て。」 と、ベッドの上の真子がそう優しく声を掛ける。 綾は真子に振り返ると、 「どこが大丈夫なの?そんなにひどい怪我を負ったっていうのに!」 そう心配から声を荒げる綾に、真子は柔らかく微笑むと、 「心配してくれてありがとう、綾。ただ、今の私も、あなた同じくらい心配なの。だから、私のことを思ってくれるのなら、お願いだからこっちに来て」 と、綾が少しでも司から距離を取れるよう、促
だが、こういった患者への接し方をよく心得ていた医師は、決して怒ることはなく、むしろ優しい声色で、 「あなたの名前は清川真子さん。瑞鳳市の清掃業者で働く、19歳です。」 と、敢えて真子が聞いてない個人情報まで付け加えて、説明してくれたのだった。 それを聞いた真子は、信じられないというように目を見開いた。 先程、医師が自分の年齢を19歳だと言ったのは、再度医師がそう言い切ったことから、どうやら聞き間違いではなかったことがわかった。 さらには、真子が今現在瑞鳳市で清掃業者として働いているとも言っていた。 信じられないが、信じるより他なかった。 (時間が、巻き戻った) そんな彼女の頭に、ふと、さっき見ていた夢の中で二人の男女が言っていた言葉が思い起こされる。 彼、彼女らは確か、人生をやり直すとか何とか言っていた気がする。 あと、自分を何より一番にとか、最後まで言えてはなかったがラッキーパーソンがどうとか言っていたはずだった。 まさか。だが、そうだとするとこの状況全てに合点がいく。 (私が人生をやり直すために、時間が巻き戻った) となると、現在のこの状況は過去にもすでに経験済みなはずで、真子は素早く頭を回転させると、これがいつのことだったかを思い出そうとした。 そして、それをはっきりと思い出した彼女は、そろそろ来るはずだ、そう思い病室のドアへと目をやる。 すると、真子の予想通り、そのドアは勢いよくスライドされると、そこから一人の女性が病室の中へと駆け込んできた。 その女性は苦しそうに肩で息をしながら、真子がいるベッドの淵に手を掛けると、 「真子大丈夫なの?あなたがまたあそこの階段から落ちたって聞いてあたしびくっりして慌てて飛んできたんだよ!」 そう息継ぎもなく話す彼女に、真子は安心させようと、「私は大丈夫だよ。目覚めた時は混乱してて、変なこと話しちゃったみたいだけど、今はもう意識もはっきりしてるから大丈夫。心配かけてごめんね、綾(あや)」 “綾”と呼ばれた女性は、身体を折り曲げたまま、顔だけ上げて真子を見ると、 「どこか痛いところはない?」 「うん、ないよ。大丈夫」と、綾を安心させようとそう答えたものの、本当は、強く打ったという頭をはじめ、身体のいたるところがジクジクと痛んでいた。 その瞬







