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第21話

Author: 白団子
開人が限界に近づいていたころ、羽彌が再び姿を現した。

数ヶ月の間に彼女の顔の傷はすっかり癒え、かつての妖艶な雰囲気を完全に取り戻していた。

一挙一動、すべてが誘惑的で、男を惹きつける仕草ばかりだった。

開人にとって、長い間節制を強いられてきた今の状態で羽彌に再会するのは、実に危険だった。

だが、彼はまだあの「協議書」の存在を忘れてはいなかった。

もし自分が一線を越えてしまえば、全てが水の泡になる。

財産すべてを失う。

その現実はさすがに恐ろしく、開人は深く息を吸い込んで衝動を抑え、冷たい目で羽彌に言い放った。

「何の用だ?もう終わったって言っただろ」

「島岡様、そんな冷たいこと言わないでくださいな~」

羽彌はふわりと開人の胸に倒れ込んできて、柔らかな声で甘えるように囁いた。

「子猫ちゃんに会えなくて......寂しかった?」

開人はもちろん、寂しかったとは言えなかった。

それどころか、頭の中がぐらぐらするほど欲望に支配されかけていた。

だが、今は南に完全には許されておらず、「協議書」の縛りもある。

これ以上の過ちは許されない。

そう思って、彼は心を鬼にして羽彌を突き放した。

「出て行け、もう俺の前に現れるな。俺の心には南しかいない!」

しかし羽彌は去らず、逆に開人の手を掴み、そのまま自分の服の中に押し当てた。

「嘘ついちゃダメよ......?本当はすごく会いたかったくせに......」

その瞬間、開人の呼吸は荒くなった。

意志で押さえ込もうとしていたが、羽彌の誘惑はあまりにも強すぎた。

彼女は彼の手を導き、身体を密着させ、甘く囁いた。

「子猫ちゃんも、島岡様に会いたかったよ?ほら、触ってみてください」

「反省してます。もう奥様に手出ししたりしません。これからは、島岡様だけの秘密の存在になりますから......」

開人の喉がごくりと鳴った。

彼は今にも理性が崩れそうになっていた。

だが、名義上の全財産はすでに南のものになる。

その恐れが、彼を最後の一線で踏みとどまらせていた。

「羽彌......やめろ、俺たちはもう終わったんだ......もう裏切らないって決めたんだ......!」

口では拒絶しつつも、彼の手はまだ彼女の身体に触れたままだった。

自分から離そうとせず、ただ言葉だけの抵抗を繰り返す。

羽彌は
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