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6・スタジオで

作者: 泉南佳那
last update 最終更新日: 2025-06-25 09:04:23

この人、どうしてこんなに人を和ませる顔をするんだろう。

旧知の友だちに見せるような笑顔。

わたしたち、まだたった2回しか会ったことがないのに。

奥にもう一つの部屋につながる扉があった。

わたしはまずその部屋に入るように促された。

「でも、来てくれるってわかってたよ。なんでだろう? わかんないけど、きみが来ないはずないって思ってたよ」

「……こんな高価なもの預けられたら、来ない訳にいかないじゃないですか」

彼はいたずらが成功した子供のように、目を輝かせた。

「じゃあ狙いは当たったんだ。なんとしてももう一度会いたかったんだ、きみに」

まるで愛の告白のような言葉を口にしながらじっと見つめてくる。

わたしは思わず視線を外して下を向いた。

赤く上気してくる顔を隠したかった。

「でも、あの、わたしモデルなんて無理です。だいたい写真撮られるの苦手で、いっつも変な顔になっちゃうし……」

何が何でも断ろうと必死だった。

でも目の前の人は余裕の表情で見つめてくる。

わたしが断ることなんて、最初からお見通しって顔で。

「とにかくさあ、せっかく来てくれたんだし、一度だけ撮ってみようよ。自分で言うのもなんだけど、結構レアな機会だよ。無料(ただ)でプロに写真撮ってもらうのは」

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  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    *************「……やっぱり、わたしにはお受けできません。さっきも頭の中が真っ白で自分が何をしているかもよくわからない状態で……ごめんなさい」 わたしは安西さんにそう告げた。「そっか……。うーん、残念だな。でも、断っていいって約束したもんな、しょうがないか」本当に残念そうな顔でそう言われた。そんな顔をされると……気持ちが少しぐらつく。「もし、落ち着いて考えてみて、気が変わったら26日までに電話してくれる? その日までは待つから」「……はい」「気が変わってくれるといいんだけどなあ」安西さんは右手を差し出して握手してくれた。暖かかった。男性にしては華奢な体形なのに手はやっぱり大きくて、小さな私の手はすっぽりと包みこまれた。「ありがとうございました」 表に出た。 辺りはもう薄暗くなっている。 あと30分もすればイルミネーションに明かりが灯る時間だ。 こんな都会のど真ん中にスタジオを構えているプロの写真家に、しかもあんなに素敵な人に熱心にモデルをしてほしいと頼まれたんだ。 クリスマス気分に浮かれる師走の雑踏を歩きながら、ようやく実感がこみあげてきた。 夢を見ている気分。 でも、夢は覚めるから夢なのだ。もうひとりの自分がそう警告を発していた。 もう充分でしょう。目を覚ましなさい、と。

  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    「だ、大丈夫です」そんな至近距離で見つめられたら、恥ずかしくて顔があげられない。「じゃ、あっちの部屋で着替えてきてくれる? 撮影始めるから。すぐ終わるからね。大丈夫、何も取って食うつもりじゃないからさ」よっぽど不安が顔に出ているのだろうか。安西さんにも同じことを言われてしまった。手渡されたのはシンプルな白いノースリーブの、丈の長いワンピース。特に抵抗なく着られるものだったので、少しほっとした。「うわ、イメージ通りだ! いいよ、やっぱりおれの眼に狂いはなかった!」おずおずとスタジオに足を踏みいれると、安西さんが目を真ん丸にして大げさな口調で言う。「じゃあ、ここに座って」白一色の背景のなかにぽつんと置かれたアンティークの椅子を指さして言った。目を開けていられないほどライトがまぶしい。さっきメイクしてくれた人が大きな銀色の板をわたしの横にかざしている。もうその状況だけでパニック状態だ。「次はちょっと立って、椅子の背に手を乗せて。そうそう。いいよ」それから、どれくらいの間、撮影していたのだろう。たぶん、10分ぐらい。でもわたしにはもっと長く感じられた。「はい、おしまい。お疲れ!」と言われ、まだ茫然としたまま着替えをすませ、スタジオに戻った。

  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    「ちょっとしたテストだからメイクも簡単なものだけど、本番のときは本格的にするから安心していいわよ」いいえ、今日のメイクも充分すごいです……と言おうとして振り向いて、息をのんだ。鮮やかなアクアブルーのスーツに身を包んだ、気後れしてしまうほど美しい女性が部屋に入ってきたからだ。「ふーん、化けたわねえ。さすが瀧人が惚れこんだだけあるわ」値踏みするような視線で上から下まで眺められて、穴があったら入りたい気分になった。 いまさらながら足が震えてきた。「近藤紗加よ。瀧人と共同でここを仕切ってるの。よろしく」 そう言いながら、彼女は名刺を差しだした。「ふっ、藤沢文乃です、あっ! きゃあ、すみません」 名刺を受け取ろうと立ちあがった拍子にスツールを思い切り倒して、大きな音を立ててしまった。紗加さんは少しだけ口角を上げて笑みを浮かべた。 「大丈夫。そんなに緊張しなくても。何も取って食いやしないから」いや、緊張するなって言うほうが無理です。  絶対無理。「何々、どうしたの?」 音を聞きつけて安西さんもやってきた。「何でもないわよ。椅子が倒れただけ」「そうなんだ、ケガしなかった?」そう言って、わたしの顔をのぞき込んでくる。

  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    そう言うと、今さっき返したばかりの時計に目をやった。「2時半か。この後、時間はある? 4時までには終われるけど」 「よ、予定はないですけど……」「今日撮ってみて、どうしてもいやだったら無理強いはしない。約束する」そう言うと、ふと思いついたように小指を立てて、わたしの目の前にかざした。「ね、指切りしよう。そうしたら、嘘つけないだろう」飽きれてる? 子供っぽいやつって、と言いながらすこし首をかしげてこっちを見る。その仕草があまりにもチャーミングで、思わず小指を差し出していた。彼は嬉しそうな顔で自分の小指を絡めてきた。 「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます」指にぎゅっと力を込められたとき、気取られてしまうのではないかと思うほど、心臓が高鳴った。「なつかしいね、指きりなんて。小学生以来かな。でも針千本飲ますっておそろしいよね、よく考えたら」「……本当に、試すだけですね。断ってもいいんですね」「うん。針千本、飲みたくないもん」また、この笑顔。本当にずるい人。自分が彼の術中に完全にはまっている自覚はあったけれど、わたしはどうしても抗うことができなかった。******若い女性が鮮やかな手つきでメイクを施してくれた。それにしてもすごい。 ほんの30分で別人に生まれ変わってしまったようだ。

  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    この人、どうしてこんなに人を和ませる顔をするんだろう。 旧知の友だちに見せるような笑顔。  わたしたち、まだたった2回しか会ったことがないのに。 奥にもう一つの部屋につながる扉があった。 わたしはまずその部屋に入るように促された。「でも、来てくれるってわかってたよ。なんでだろう? わかんないけど、きみが来ないはずないって思ってたよ」「……こんな高価なもの預けられたら、来ない訳にいかないじゃないですか」彼はいたずらが成功した子供のように、目を輝かせた。「じゃあ狙いは当たったんだ。なんとしてももう一度会いたかったんだ、きみに」まるで愛の告白のような言葉を口にしながらじっと見つめてくる。わたしは思わず視線を外して下を向いた。 赤く上気してくる顔を隠したかった。「でも、あの、わたしモデルなんて無理です。だいたい写真撮られるの苦手で、いっつも変な顔になっちゃうし……」何が何でも断ろうと必死だった。でも目の前の人は余裕の表情で見つめてくる。 わたしが断ることなんて、最初からお見通しって顔で。「とにかくさあ、せっかく来てくれたんだし、一度だけ撮ってみようよ。自分で言うのもなんだけど、結構レアな機会だよ。無料(ただ)でプロに写真撮ってもらうのは」

  • たとえ、この恋が罪だとしても   6・スタジオで

    わたしなんかより、彼のほうがよっぽどモデル向きだと思う。「おれの顔、なんかついてる?」 また、まじまじと見つめてしまった。 恥ずかしさで顔が赤くなる。でも彼は見られるのに慣れているみたいで、とくに気にする様子もなく、こっちだよ、とすぐに後ろを向いて歩きだした。 建物は古い日本家屋で、表から見ると、まるで写真スタジオらしくなかったけれど、玄関から短い廊下を通ってふすま戸を開けると、中はまるで別世界だった。天窓から陽光が射しこむ明るい室内は、和風の造りを生かしながらも、とてもモダンでため息が出るほど素敵なものだった。床は無垢材のフローリング。 裸足で歩いたら気持ち良さそう。表からは2階建てに見えたけれど、フロア全体が吹き抜けになっている。奥の壁面は白一色で、近所の写真館で見かけたことがある機材がたくさん置いてある。南面はガラスの引き戸になっていて、庭が眺められるようになっている。写真スタジオと言われて、勝手に無機質な場所を想像していたけれど、ここは居心地のいいカフェみたいな空間だった。気分をリフレッシュしてくれそうな柑橘系のアロマの香りも漂っている。「あの……これ」 「ちゃんと持ってきてくれたんだね。サンキュ。じつはまだローン払ってる最中だったから、本当言うと冷や汗もんだったんだ。戻ってこなかったらどうしようってね」

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