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第3話

Author: 優子
私は両親を含め、誰にも自分の病状を明かさなかった。

病院からそう遠くない場所に、小さなアパートを一室借りた。

部屋は手狭だったが日当たりは良く、窓辺には青々とした観葉植物を並べた。

自分なりの「やり残しリスト」を作ってみた。

一つ目は、何度も締め切りを延ばしてもらっていた絵本を完成させること。

そうして私はスマホを手放し、ネットも切って、毎日絵を描き、食べて、眠るだけの暮らしを始めた。

私の世界は、ひどくシンプルなものになった。あまりにシンプルすぎて、自分一人しかいないように思えるほどに。

その間、翔太郎のアシスタントを務める岩田航平(いわだ こうへい)から何度か電話がかかってきた。声はどこか焦りを含んでおり、どこへ行ったのか、なぜ社長からの連絡に応じないのかと、しきりに尋ねてきた。

私はただ、ひとりになりたいとだけ告げて、通話を切った。

……

1週間ほどが過ぎた頃、翔太郎は退院の日を迎えた。

彼はまっすぐ家に戻り、そこで床に伏せられたウェディングフォトと、半分空っぽになったクローゼットを目の当たりにした。

航平の話によれば、翔太郎はそのとき家でひどく取り乱し、テーブルの上のものをすべて床に払い落としたという。

彼は狂ったように電話をかけ、メッセージを送り続けてきたけれど、そのどれも私の耳に届くことはなかった。

彼はきっと、私がこうして姿を消すことで彼を焦らせ、安芸との関係を清算させて、頭を下げさせようとしているのだと思っているのだろう。

それは、以前の私がよく使っていた手だった。泣いて、わめいて、最後には脅すように迫る。そうすればいつも、彼のその場しのぎの譲歩と機嫌取りを引き出すことができたから。

けれど、彼は知らない。今回ばかりは、私は本当に、もう何も求めていないのだと。

私が見つからないと悟ると、彼は今度は私の友人や家族に手当たり次第に連絡しはじめた。

親友の加治輪花(かじ りんか)が、あまりのしつこさに耐えかねて電話をかけてくる。

「真桜、あんた本当に翔太郎と何があったの?あの人、頭おかしくなったみたいにあんたを探してるわよ。自分が悪かったから、電話に出てくれって言ってたけど」

輪花の声には、深い心配がにじんでいた。

私はちょうど、ベランダで絵を描いているところだった。柔らかな日差しが、描きかけの原稿に穏やかに降り注いでいた。

そして、静かに答えた。

「輪花、大丈夫よ。彼に伝えておいて。離婚届はもう会社に送ったから、忘れずにサインしてって」

電話の向こうに、しばらくの沈黙が流れた。

「……本気なの?」

「うん」

私は少しだけ間を置いてから、言葉を継いだ。

「結婚してから二人で築いた財産は、半分だけもらう。家と車はどちらも、彼のものでいいわ。それが……私が彼に残せる、せめてもの体面よ」

そしてそれは、私自身を守るための、最後の体面でもあった。

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