LOGIN優秀な姉と比較され続け、自分の価値を見失いかけていた八島末広は、誕生日に姉から贈られたイヤホンにさえ素直になれず、ついには踏み壊してしまう。 だが翌朝、そのイヤホンは少女の姿をした悪霊アコとなって現れ、強引に取り憑きながら「自分を直してほしい」「ちゃんと音を聴いてほしい」と迫ってきた。 耳に指を差し込むだけで音楽を流し込んでくる異様な存在に振り回されながらも、半信半疑のまま試聴勝負に挑んだ八島は、そこで初めて“音を選ぶ”という感覚に触れた。 そして数多のイヤホンの中で、アコの音だけがなぜか胸の奥に届き――彼の世界は静かに変わり始める。
View More「もう一度聴かせてよ」 「いいよ」 それからの日々。学校で、家で、あるいは紐育と遊ぶときでさえ、俺はアコを聴いていた。 紐育は怒りもしない。それどころかアコを聴きたがる。 HRが始まる前のつかの間に、俺は紐育と音楽を聴く。そんな日課が出来ていた。 紐育はアコをつけ、音楽を楽しむ。 「やっぱりいい音だよね。八島、他にイヤホンは買うの?」 「買わない。いらない」 「だよね」 ぱちんと紐育がウインクした。 俺は紐育からイヤホンを受け取ると、自分の耳につけて、スマホをタップ。 流れてくるのは、宝石のような、シルクのような、あるいは太陽のようなサウンド。 明るくて、きらめいて、なめらかで、心地よい。 「だってアコの音、こんなに綺麗なんだぜ? 聴いてるだけで涙が溢れてくるんだぜ?」 「わかった。だったらさ」 「……ああ」 俺はこくりと頷いた。 「しかしバイトって大変だな」 俺は紐育の勧めでバイトすることになった。 最初は神社でバイトするのかと思ったが、予想が外れた。ファミレスやスーパーのバイトだと紐育がつきあえない。 ということで、地元の村役場の手伝いというか、ゴミ捨てとか、井戸洗いとか、二十一世紀の今にもそんなものがあるかと驚きを隠せないような仕事で金を稼ぐこととなった。 「ぶつくさ言わない! 黙って仕事する!」 「いてっ! 叩かなくてもいいだろ!」 振り向くと、箒を手にした紐育がいて、彼女は巫女装束をまとい、髪の毛を結っていた。 おうおう、楽そうでいいねえ。 「だってDAP買うんでしょ? アコちゃんに相応しい、最高のDAPを」 「ああ、だってアコが可哀想じゃないか。最高の音を鳴らさせてやらないと」 とはいえ、それなりに音のいいDAPとなると、安くても十万円を超えるのだ。ファミレスのバイトを週五でやっても二ヶ月はかかる。 三十万も四十万もするハイエンド? 無理です。 それを一ヶ月で稼ぐとなると、そらもうキツくて、臭くて
アコは還った。手のひらの上には鈍色に輝く小さなイヤホンが一つ、窓から差し込む光を反射して、それはまるでダイヤのようだった。 果たして俺は今、どんな表情をしているのだろう。泣いているのか、笑っているのか、あるいは無表情なのか。それすらもわからなくて、ただ、じっと手のひらを見つめ続ける。 と、紐育がにゅっと脇から顔を出して、 「ふふ、八島。いい顔してるよ」 そう微笑みかけた。 何故だろう、その一言を受けて救われたような気がした。 何気ない一言のはずなのに、まるで乾いたスポンジに一滴の雫が垂れたようで、物凄い勢いでそれは吸収されていく。 じわっと、体に染みこんでいく。 「紐育……まあ、ね。アコは……もう、いない」 理解していたはずなのに、納得してアコを還したはずなのに。 いざ口に出してみると、酷く胸が痛んだ。 なのに紐育はカラカラと笑いながら、そっとアコをつつく。 「いるじゃん、そこに」 「……そうだな」 はは、と苦笑した。 すると何故か紐育が俺の前に回り込むと、手を後ろに組んで、申し訳なさそうに眉を落とした。 「実はね、今だから言うけど、アコちゃんにお金借りたっての、あれ嘘なんだ」 「え?」 「ずっと私の家にいたんだよ。お母さんとも事情話して、ね」 ああ、やっぱり。 心の中ではどこか想像していた。覚悟もしていた。冷静に考えればそうだろうなという気もしてきた。 紐育は全てを知っていたのだ。 ただ、だとしたら疑問が残る。 「だったら……」 紐育は窓の方へ視線を移し、俺の机を三回つついた。とん・とん・とん。 「なんでだろうね。多分……いや、いいか」 それで察した。 俺が抱いた疑問は単純で、何故そんなことをしたのか。 そしてそれに対する答えが、うぬぼれかもしれないが、俺のためにやってくれたのだ。 彼女の少し不器用な、思いやりのカタチ。 「……そうか、わかった」 ふっと頬を緩める俺。それで紐育は気
静寂のはずなのに、ちっとも冷たくなくて、少しも寂しくなくて。 ただただ、暖かい静謐が、俺たちの中に柔らかく漂っている。 そんな春のぬくもりを思わせる世界を切り裂くように、まず俺が―― 「アコ!」 ついでアコが―― 「八島くん!」 互いの力の全てを捧げ、強く抱きしめ合った。 もっとも、その時間は一秒にも満たない。 あっという間に感触が消えていき、アコの姿がまるで霞のように薄れていく。 「ああ、アコが……」 いよいよこの時が来たか。 言いたいことは沢山あった。伝えたい言葉はいくらでもあった。 でも、それはもう叶わない。 「あはは、そろそろお別れですね。あ、じゃあ最後に」 アコが目を閉じる。 そうだな、もう言葉はいらないな。する時間もない。 なら、俺に出来る、最後の思いを―― 「……ああ、実は最後に、これくらいはやっておきたかったんだ」 「じゃ、お願いします」 アコはわかっていた。いや違う。俺のしたいことと、アコがしたいこと。その思いが一致しているのだ。 おそらくは紐育もだろう。だから彼女は気を利かせて部屋を出たのだ。 「わかった」 俺はそう言って彼女と同じように目を閉じて。 ゆっくりと、自分の唇を彼女の唇と重ねていって。 「ん……」 「んんっ……」 アコが消える最後の瞬間まで。 俺たちは、ぬくもりの中に包まれ続けるのだった。
ゆっくりとスマホを取り出す。スマホにポタアンを装着し、ポタアンのイヤホンジャックにアコ本体を差し込む。 電源を入れ、音楽の再生ボタンをタップする。 その、直後。 音が流れた。アコの音だ。 でも、今までみたいに指で差し込まれた時とは違う。低音も中音も高音もまるで違う。宝石のように澄んだキラキラの高音と、それに負けないパワフルで締まりのある低音。それでいてボーカルは前にしっかりときていて、それは非常に艶があり、エロい。 さらには様々な楽器が超高解像度の画像のようにあますとこなく『楽器』となって生み出され、それは全てが渾然一体となって『オーディオ』を形成している。 まさに、本物のアコの音だ。 そしてそれは、なんというか、 「……凄い、音」 だった。 「何度か私の指で聴かせましたけど」 俺は首を振る。 「いや、違う。全然違うよ。ずっとずっと、いい音だ。なんでだ? 贔屓じゃない。本当に違う。どうして違うんだ?」 「多分それはフィッティングの問題です」 「フィッティング?」 「イヤホンというのはしっかり耳の奥にフィットしないと音が隙間から抜けてしまうんですよ。具体的に言うと低音が。高音はしっかり聴こえるんですけどね」 なるほど、そういうことか。 確かに音そのものは指で聴いた時のアコの音と変わりない。シンプルでありながら重厚。それでいて煌びやかさが同居した気品ある音。 だが細やかな点は天と地ほど違う。そして大きな点も一つ違う。 それが―― 「確かに力強い低音だ。ドスドスして、ギュッとしまってる」 この強い低音が他の音を邪魔するどころかむしろ彩りとなってさらに中高音が引き立って聞こえてくる。 音に連動するように何故だろうか、涙が出てきたのである。 音があまりにも凄すぎて、ぬぐってもぬぐっても涙があふれてくるのである。 アコが嬉しそうに頷く。 「そうです。やはり指だとどうしても隙間が出来てしまいますが、完璧にフィットした私は、最高の音が出せるんです」 「凄い……本当
あの後、アコには家で待機させ、放課後になってからアコの案内でイヤホン専門店とやらに向かうこととなった。紐育と一緒に三人で。 電車にしばし揺られ、駅を出ては人の喧噪をかきわけ、ビル街を通り過ぎ、裏通りにさしかかったところ。ビルの四階にある店舗がそれだ。 「ここです!」 店の前をびしっと指さすアコ。その顔はすげえ嬉しそうであった。 「アコ知ってるんだ」 「そもそも私、ここで売られてましたから」 「人身売買みたいな言い方しない」 俺はぺしっとアコのおでこを叩いた。結構客入りは多いのだ。誰が聞いているかわかったも
体育館裏までアコを引っ張り込むと、俺はどんっと壁に手を押し当てながら彼女に向けて精一杯の睥睨を突きつける。 「な・ん・で・き・た!」 「なんでって……来ちゃいけないんですか?」 「当たり前でしょーがっ!」 言わなきゃわかんないのかよっ! しかしそんな俺の突っ込みは空しく、アコは至極真面目な顔つきでこんなことを言い放ちやがる。 「だって通学中にイヤホンはポタオデの常識じゃないですか。それってつまり、使われたイヤホンは鞄の中にあるってことじゃないですか」 色々言いたいことはあるが、取り敢えずこれ。
そんなことがあった翌日。俺は教室に着くや否や即座に机に突っ伏し、安堵の声を漏らす。 「学校がこんなに嬉しいと思ったのは初めてだ……」 アコがいない。ただそれだけだというのにとても心地が良かった。 いや、アコが悪い子ではないのはわかるのだが、しかし俺の生きたいと願う形と合わないことへの心のずれが、感情を壊していくのである。 そんな時、俺の背中がぽんぽんと叩かれる。 顔を上げるとそこには一人の女子がいた。 「八島、どうしたの、そんなに黄昏れて」 陶器のように白い肌。草色のセーラー服からはふんわりと太陽
何とか入浴を終え、パジャマに着替えた俺は自室のベッドに倒れるように寝転がる。 「ああ、疲れた」 たかが飯を食うだけ、たかが風呂に入るだけでなんでこんなにも疲れるのでしょう? 理由は一つしかない。 「さ、音楽を聴きましょう!」 「寝ます」 俺はゴロンと寝返りを打つ。 しかしアコは俺の肩を掴み、無理矢理ひっくり返してきやがったではないか。 「ええええええ! じゃあ寝ホンしましょう」 「寝ホンって何?」 初めて聞く言葉である。 「寝ながら音楽を聴くことで