تسجيل الدخولヴィラ・ディ・カリゴラの夜は、深い海の底のように静まり返っていた。
窓から差し込む青白い月光が、部屋の隅々に鋭い陰影を落としている。緋色のドレスを脱ぎ捨て、用意されていた薄手の寝衣を纏った私は、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。右足首を締め付ける黄金の足枷は、ダンテが手当てを施してくれたおかげで、皮肉にも今は私の肌を優しく保護するように、熱を持った脚を冷やしていた。
――いったい……なんなの?
ダンテのあの優しさと表情を思い出すたびに、私の心が掻き乱されていく……。
パーティでは大勢の前で私を『所有物』として扱い、私の家門を嘲笑い、そして監獄では慈悲を乞う老人の命を無残に奪っていた。その同じ男が、なぜ私の小さな傷に、あのような痛ましい表情を浮かべたのか……。
様々な思いが脳裏をよぎり、どんどん頭が冴えていく。
こんな状態で、眠りに就けるはずもない。
思考が迷宮の中を彷徨い、閉塞感に耐えきれず、私はベッドを抜け出した。動くたびに鉄の鎖が、大理石の床の上でジャラジャラと耳障りな音を立て、重い抵抗を脚に感じさせる。その音は、私がどれほど足掻こうとも、この檻から逃げ出すことはできないという現実を、一音ごとに突きつけてくる。
その時、壁の奥から、低く掠れた声が聞こえてきた。 それは、言葉というよりは、苦痛に耐える獣の呻きに近いものだった。
――隣の部屋……。バルコニーから覗けないかな?
私は息を潜めてバルコニーの掃き出し窓を開け、音のする隣の部屋へと足を進めた。もちろん、鎖が音をたてぬよう、慎重に……。
鎖は十分に長く、隣の部屋との境界近くまで辿り着くことができた。
その部屋のバルコニーに続く掃き出し窓は、夜の冷えた空気を入れるためなのか、薄く開けられていた。
思い切り身体を伸ばして、その窓から室内を覗き込む。
そこは、ダンテの私室、あるいは書斎のようだった。
室内は明かりこそ灯いていなかったが、窓から差し込む月明かりが、暗い部屋を青白い光で照らしだしていた。
隙間から覗いた光景に、私は呼吸を忘れた。
そこには、漆黒のシルクシャツのボタンを外したダンテが、古びたソファに身を沈めて横たわっていた。
休んでいるのだろうが、その姿はいつものダンテとは違っていた。
彼は、冷酷な「死神」の仮面を被っていなかった。
額には大粒の汗が浮かび、その美しい顔は、逃れられない悪夢に苛まれているかのように激しく歪んでいる。
「……違う……俺が……殺したんじゃない……」
彼のうわ言が、静寂を震わせて漏れ聞こえてくる。その声は、昼間の冷徹な命令を下していたものとは別人のように、弱々しく、幼い響きを湛えていた。彼は、右手首にあるあの三日月形の傷跡を、自ら爪を立てるようにして強く握り締めている。
「……行かないでくれ……リリー……」
自分の名前を呼ばれた瞬間、心臓が大きく跳ね上がった。なぜ、あなたがその名を呼ぶの。私を地獄へ突き落としたあなたが、なぜそんなにも悲痛な声で、私を求めるの?
混乱が頂点に達したその時、部屋を彷徨わせていた私の視線は、ダンテの傍らにあるサイドテーブルで留まった。そこには、小さな銀のトレイが置かれ、その上に、場違いなほど質素で古ぼけたものが鎮座していた。
ダンテは深い悪夢の底に沈んでおり、私に気づいた様子はない。
私はもう少し身を乗り出して、それを確認しようとした。
トレイの上に置かれていたものは、見覚えのある輝きを放っていた。
――そんな……まさか……。
それは、十五年前まで、私が肌身離さず身につけていた、母の形見であるレモンを象った小さなペンダントだった。
金色の表面には、長い年月の経過を感じさせる無数の傷が刻まれてはいたが、間違いなく母の形見だった。
記憶の奔流が、一気に私を飲み込んでゆく。
雨の日の泥濘。震える少年の指先。そして別れ際に彼が私の首から奪い去った、この小さな重み……。
彼は、ずっとこれを持っていた。
私を憎み、復讐を謳いながら、その一方で、この小さな思い出を血に汚れたマフィアの巣窟の中で、唯一の聖域のように守り続けてきたというの……。
――あなたは……あの時の……少年?
手首の傷痕。
柑橘系の香りの記憶。
そして時折見せるあの悲しげな瞳……。
すべての欠片が、一つの残酷な真実として形を結ぼうとした、その時だった。
「……見てはいけないものを見たな、リリー……」
氷の礫を投げつけられたような、冷酷な声が室内に響いた。
反射的に顔を上げた瞬間、私の視線がダンテの凍り付くような冷たい視線と交差した。
――ここにいてはいけない!
逃げなくちゃいけないと思っても、思うように身体は動かない。
次の瞬間、私は部屋に引き込まれ、窓際の柱に背中を強く押し付けられていた。
視界を塞ぐのは、冷たい月光を浴びて青白く輝くダンテのそのもの。彼の瞳からは、底なしの闇のような殺意が溢れ出していた。
逃げようとする私の顎に、硬質な金属の感触が押し当てられる。
微かな火薬と機械油の匂いから、それがなにかなんて簡単に想像がつく。ダンテが持つ、あのチェコ製の自動拳銃Cz75。その黒く冷たい銃口が、私の肌を通して直接魂を凍りつかせてゆく。
「……お前はなにを見た?」
彼の静かだが強い声は、もはや人間のそれではなく、深淵から這い出してきた魔物の声音だった。 銃口がさらに強く押し込まれ、鈍い痛みが走る。
「答えないのなら、ここでお前を終わりにする。……ヴァレンティーノの血を引く者は、一人残らずこの世から消え去ることになる」
彼の瞳の奥に宿る、狂気と、それ以上に深い『ナニ』かが揺らめいていた。その正体を口にしようにも、私の唇は恐怖でわななき、ただの一言も発することができない。
月光に照らされた彼の右手首の傷跡が、まるで嘲笑うかのように脈打って見えた。
ヴィラ・ディ・カリゴラの夜は、深い海の底のように静まり返っていた。窓から差し込む青白い月光が、部屋の隅々に鋭い陰影を落としている。緋色のドレスを脱ぎ捨て、用意されていた薄手の寝衣を纏った私は、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいた。右足首を締め付ける黄金の足枷は、ダンテが手当てを施してくれたおかげで、皮肉にも今は私の肌を優しく保護するように、熱を持った脚を冷やしていた。――いったい……なんなの?ダンテのあの優しさと表情を思い出すたびに、私の心が掻き乱されていく……。パーティでは大勢の前で私を『所有物』として扱い、私の家門を嘲笑い、そして監獄では慈悲を乞う老人の命を無残に奪っていた。その同じ男が、なぜ私の小さな傷に、あのような痛ましい表情を浮かべたのか……。様々な思いが脳裏をよぎり、どんどん頭が冴えていく。こんな状態で、眠りに就けるはずもない。思考が迷宮の中を彷徨い、閉塞感に耐えきれず、私はベッドを抜け出した。動くたびに鉄の鎖が、大理石の床の上でジャラジャラと耳障りな音を立て、重い抵抗を脚に感じさせる。その音は、私がどれほど足掻こうとも、この檻から逃げ出すことはできないという現実を、一音ごとに突きつけてくる。その時、壁の奥から、低く掠れた声が聞こえてきた。 それは、言葉というよりは、苦痛に耐える獣の呻きに近いものだった。――隣の部屋……。バルコニーから覗けないかな?私は息を潜めてバルコニーの掃き出し窓を開け、音のする隣の部屋へと足を進めた。もちろん、鎖が音をたてぬよう、慎重に……。鎖は十分に長く、隣の部屋との境界近くまで辿り着くことができた。その部屋のバルコニーに続く掃き出し窓は、夜の冷えた空気を入れるためなのか、薄く開けられていた。思い切り身体を伸ばして、その窓から室内を覗き込む。そこは、ダンテの私室、あるいは書斎のようだった。室内は明かりこそ灯いていなかったが、窓から差し込む月明かりが、暗い部屋を青白い光で照らしだしていた。隙間から覗いた光景に、私は呼吸を忘れた。そこには、漆黒のシルクシャツのボタンを外したダンテが、古びたソファに身を沈めて横たわっていた。休んでいるのだろうが、その姿はいつものダンテとは違っていた。彼は、冷酷な「死神」の仮面を被っていなかった。額には大粒の汗が浮かび、その美しい顔は、逃れられない悪夢に苛まれて
喉の奥を焼くようなワインの残糖感と、それ以上に重苦しい屈辱が、私の胃の腑を冷たく満たしていた。『サラ・ディ・バンケット』に集った『テスタ・ネーラ』の男たちの視線は、もはや私を人間として扱ってはいなかった 。彼らの目に映っているのは、ボスの膝上に鎮座する美しい剥製――あるいは、かつての支配者階級であるヴァレンティーノ家の誇りを、徹底的に踏みにじった末の「戦利品」である。「……リリー。その顔を上げろ。お前は今、この街で最も力を持つ男の隣にいるのだ。それとも、まだあの無能なロレンゾの亡霊に抱かれている方が良かったか?」ダンテの低く、毒気を含んだ声が耳元で鳴った。彼の繊細だけど冷たい指先が、私の細い首筋をなぞる。先ほどまで老人の命を奪う合図を送っていたその指先は、今はまるで愛おしい宝物に触れるかのような繊細さを含んでいる。その不気味なほどの二面性が、私の中に消えない悪寒を走らせる。広間に流れる音楽が、重厚な弦楽器の旋律へと変化した。それは、死を悼むためのレクイエムのようでもあり、これから始まる残酷な儀式への序曲のようでもあった。ダンテは、私を膝から下ろし、ゆっくりと立ち上がった。漆黒のタキシードに身を包んだ優雅な立ち姿は、この血生臭いヴィラの支配者として完璧な威厳を放っている。彼は私に向かって、静かに、しかし拒絶を許さない所作で手を差し伸べた。「さあ、踊るぞ」「……この姿で? あなたに繋がれたまま?」私が緋色のドレスの裾を震える指で掴むと、その隙間から黄金の足枷が微かに輝いた。鎖は外されているとはいえ、足首を締め付けるその冷たい輪の重みは、私が彼の所有物であることを一刻たりとも忘れさせてはくれない。「そうだ。その鎖の重みこそが、お前の新しいアイデンティティだ。テスタ・ネーラの女王として、その重みを誇らしく引きずりながら歩け」抗う余地など微塵もなかった。私は彼の手を取り、広間の中央へと引き出された。数十人の手下たちの視線が、私たちの所作のひとつひとつを射抜くように追ってくる。彼らにとって、このダンスは単なる余興ではない。ボスの権力がいかに盤石であり、かつての敵対者の娘がいかに無力であるかを確認するための検分なのだ。ダンテの右手が私の腰に回り、強く引き寄せられた。密着した彼の身体からは、洗練された白檀の香りと共に、再びあの記憶を揺さぶる柑橘の香りが漂
薄暗い回廊――ヴィラ・ディ・カリゴラを貫く長い回廊は、重く冷たい沈黙に支配されていた。壁に飾られた数々の絵画の中の人々の視線が私に向けられ、地獄へ足を踏み入れたこの身を冷笑しているように思える。足首はアンクレットとは思えない太さの黄金の足枷が、歩を進めるごとにその重い存在感を伝えてきていた。ダンテの命令により鎖こそ外されてはいるものの、右足首を締め付ける黄金の足枷は、私の皮膚にその支配の証を深く刻み込んでいる。絹のストッキングと、鮮烈な緋色のドレス『ヴェスティート・ロッソ』の豊かな裾に隠されたソレは、歩くたびに私の自由を否定する魂の鎖の残響を脳裏に響かせる。「……怯えることはない、リリー」耳元にかけられた突き刺さるような低い声が、私のうなじを震わせた。ダンテは私の腰を抱き寄せて支えるようにして歩き、その体温で私を外界の空気から遮断していた。彼の掌からは、先ほどモニター越しに一人の老人の命を無慈悲に奪い去ったばかりとは思えないほどの熱が伝わってくる。私は応えず、ただ前方に見える重厚な黒檀の扉を見つめていた。唇を噛み締めると、まだそこにはあのスープの忌まわしくも安らぐような後味が微かに残っていた。扉の両脇に立つ、彫刻のように動かない守衛たちが、主の到来を察して両開きの扉を押し開いた。回廊とは打って変わって、眩しい光に包まれた華やかな世界。そこは『サラ・ディ・バンケット』――テスタ・ネーラの宴を司る広間だった。 視界に飛び込んできたのは、無数のクリスタル・シャンデリアが放つ暴力的なまでの光の礫と、それに照らし出された数十人の男たちの、こちらを値踏みし、射貫くような視線の嵐。テスタ・ネーラの有力者たちが、長く重厚な長方形のテーブルの左右に座していた。広間に充満しているのは、高価な葉巻の葉が焼ける匂いと、熟成されたワインの芳香。そして、その奥に潜む、暴力に慣れきった者たちが放つ特有の血生臭さだ。私たちが足を踏み入れた瞬間、それまで場を騒がせていた談笑は凍り付いたように静まり、ひりつく緊張感が室内を支配した。「諸君、待たせてしまって申し訳ない」ダンテの声が広間の静寂を破った。大して大きくもない声だったのに、その声は部屋の隅々まで響き渡ったのか、部屋の端々に立つ護衛の者たちは、緊張して身を引き締めた様子だった。彼は私を連れたまま、カポターヴォラと呼ば
翌日、目覚めた時から、ヴィラ・ディ・カリゴラの空気は静かな嵐の到来を予感させるような、肌を刺す緊張感に包まれていた。――いったいなにが……?そう思ったものの質問しようにもダンテは朝から姿を見せず、質問してもなにひとつ応えない人形のようなメイドしかおらず、私は訝しんだ気持ちのまま時を過ごしていた。黄昏時、私の部屋に数人の無言のメイドたちが現れ、続いてダンテが姿をみせた。彼は昨日とは趣を変え、完璧に着こなしたスリーピースのタキシードを纏っている。その佇まいは、血塗られたマフィアのボスというよりは、むしろ領地を統べる冷徹な貴公子のようだった。「着替えさせろ。そうだな……足枷を残したまま鎖は外してやれ。客人の目に触れぬよう、足枷は完璧に隠すことを忘れるな」ダンテが拒絶を許さない口調で命令を下すと、メイドたちが一斉に私を取り囲み、機械的な手つきで身支度を始めた。私の自由を奪っている鎖は外されたものの、右足首に嵌められた黄金の足枷から解放されることはなかった。それは長い絹のストッキングと、幾重にも重なるドレスの裾の暗がりに、冷たく潜まされた。これじゃ、はしたなくスカートをたくし上げでもしない限り、足枷の存在が他人に知られることはないだろう。彼が私に宛がったのは、昨日の純白とはあまりに対照的な、鮮烈な緋色のドレス――ヴェスティート・ロッソだった。鏡の中に映る私は、自らの鮮血で全身を染め上げたかのような、痛々しくも妖艶な姿をしていた。「……似合っているな」返事をする代わりに私は鏡越しにダンテを射抜くように睨んだけど、彼は気にした様子もなく、私にゆっくりと近づき、背後から私の髪を掬い上げた。そのひんやりとした指先が、剥き出しになった首筋に触れる。革手袋越しではない、彼の素肌の指先の冷たさが伝わってくる。だが、その瞬間に私の心臓を跳ねさせたのは、恐怖だけではなかった。至近距離になった彼の身体から、昨日感じた白檀の香りの奥に、微かに別の芳香を感じ取った。それは、爽やかで、けれどどこか胸を締め付けてくる懐かしさを感じる香り。そう、柑橘系の香りだ。どこかで嗅いだことのある香り……。私の記憶の奥底にある香りだった。だが、なぜそんな古い記憶とダンテがつながるのか?彼の手首についた傷痕……。そして、この微かな柑橘系の香り……。私は過去に、ダンテに会っている。
「う、うん……」意識に霞がかかったように、視界がぼやけていた。ゆっくりと意識が戻ってくると、今度は割れるような頭痛がこめかみを突き、思考の断片をかき乱す。「くっ……。ここは……」見知らぬ暗い天蓋に覆われたベッドに調度品のおかれた部屋。ゆっくりと辺りを見回すと、天蓋から滴り落ちるように垂れ下がる最高級の絹の飾りが、柔らかな陰影を描き出している。部屋の隅々には、かつてヴァレンティーノ家が没落の道を辿る前ですら目にしたことがないほど、贅の限りを尽くしたアンティークの調度品が整然と並んでいた。寝かされていたベッドのシーツも肌触りがよく、清潔さが感じられた。落ち着いた大人の部屋……と言ったらいいんだろうか?ただ、鉛のような重苦しい沈黙が部屋のすべてを支配しており、せっかくの調度品が醸し出す雰囲気のすべてを台無しにしている気がしてならない。頭痛を堪えながら上半身を起こすと、ふわりと鼻腔をくすぐったのは、高貴な白檀と古い紙が混ざり合った、静謐でいてどこか威圧的な香りだった。そうした中で一番異質なものは、私の身体から微かに漂う赤錆びた鉄の匂い。血の匂いだ……。それだけで、あの大聖堂での惨劇が現実だったと思い起こさせる。「……夢では、なかったのね」心を落ち着かせるために漏らした声は掠れていた。さらに身体を動かそうとした瞬間、右の足首に覚えのない不快な重みと耳障りな金属音を感じた。引きずられるような違和感に、私は頭痛を忘れ、震える手で掛け布団を跳ね除けた。その刹那、視界に飛び込んできたのは、私の細い足首を無慈悲に締め付ける、鈍く光る黄金の足枷とそれをつなぐ鉄の鎖だった。昨日までの私を縛っていたのは、一族を救うための「生贄」という目に見えない契約の鎖だった。だが、今この肌を蝕んでいるのは、冷たく硬質な、物理的な支配の象徴の鉄の鎖だ。鎖の端は大理石の床を蛇のように這い、光の届かない部屋の奥深くに吸い込まれていた。ただ、どこかに繋がれて固定されていることくらい想像がつく。指先でその冷徹な金属に触れると、指から伝わる温度の低さが、これが決して覚めることのない悪夢であることを冷酷に突きつけてきた。全身から血の気が引いていくのが分かる。「そうだ……私は、ダンテに囚われたんだ……」ダンテは「お前は今日から、俺の檻の中で過ごすんだ。一生、出られない檻の中で」
シルクをふんだんに使った天使の衣のような純白のウエディング・ドレスは、私にとって死装束と同じだった。聖ロザリア大聖堂の高い天井から降り注ぐ光は、残酷なほどに美しい。だけど私の手を取る男――ロレンゾ――の指先は爬虫類の硬質な皮のようにざらつき、冷たく、どこか湿っていた。「リリー、笑え。さあ、笑えよ。お前の父親が作った借金は、この結婚で帳消しになるんだからな。くくくく……」ロレンゾが嘲笑を含んだ耳障りで汚らわしい声を、私の耳に注ぎ込んでいく。「今夜から三日間は寝かせやしないさ。俺無しじゃ生きられない身体に躾けてやる。娼婦のように悶え続ける女にな。ヒヒヒヒヒ……」「………」下卑た言葉がどんどんとつづられていく。だが、どれほど耳障りで汚らわしかろうと、私にはその汚された耳をぬぐうことが許されなかった。彼の言葉通り、この結婚で一族に科せられた莫大な借金が帳消しとなる。私は今日、家門を救うための「生贄」として、この男に売られた。彼は父を裏切り、我が家を没落させた成金のマフィアだった。騙されていたと言っても、証文もあり、借用書も存在している。まともに働いたとしても、借金の返済に何百年かかるかわからないし、当然、一族の臓器を売っても足りる金額じゃない。私は精一杯の反抗として、無表情を保とうと努めた。式を進める司祭の声が遠くから聞こえる。 「……汝、この男を夫とし、病める時も健やかなる時も――」司祭が言葉を紡げば紡ぐほど、私の魂が死んでいく音が心の中で響いていく。「――誓いますか?」私の魂を殺す、最後の言葉。この誓いが、私を永遠の檻に幽閉する契約の言葉となる……。 「……はい。誓い――」その時だった。重厚な大聖堂の扉が、凄まじい衝撃と轟音と共に吹き飛んだ。参列者の悲鳴が渦巻き、ステンドグラスの破片がダイヤモンドの雨のように降り注ぐ。薄れゆく爆煙の中、砕け散ったガラスの破片が煌めくウエディング・アイルを、一人の男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。漆黒のオーダーメイド・スーツ。彫刻のように整った、しかし氷のように冷徹な顔立ち。その手には、男の眼差しと同じくらい冷たく黒い光を放つ細身のチェコ製自動拳銃が握られている。「き、貴様は……ダンテ!」その男が誰か分かったのだろう。ひきつった声を漏らしたロレンゾの顔から血の気