LOGIN借金の形にマフィア・ボナンザのボスであるロレンゾに嫁ぐ事となったリリーは、今まさに誓いの言葉を述べようとしたその時、新興武装勢力テスタ・ネーラのボス、ダンテの襲撃を受け、目の前でロレンゾを殺され、囚われの身となる。「お前の父親が俺から奪ったものを、これからお前に返してもらう」と語るダンテの本当の目的はなんなのか? 新たに引き起こされるイタリアン・マフィアたちの抗争で、リリーの家に隠された秘密が暴かれていく。
View Moreシルクをふんだんに使った天使の衣のような純白のウエディング・ドレスは、私にとって死装束と同じだった。
聖ロザリア大聖堂の高い天井から降り注ぐ光は、残酷なほどに美しい。
だけど私の手を取る男――ロレンゾ――の指先は爬虫類の硬質な皮のようにざらつき、冷たく、どこか湿っていた。
「リリー、笑え。さあ、笑えよ。お前の父親が作った借金は、この結婚で帳消しになるんだからな。くくくく……」
ロレンゾが嘲笑を含んだ耳障りで汚らわしい声を、私の耳に注ぎ込んでいく。
「今夜から三日間は寝かせやしないさ。俺無しじゃ生きられない身体に躾けてやる。娼婦のように悶え続ける女にな。ヒヒヒヒヒ……」
「………」
下卑た言葉がどんどんとつづられていく。
だが、どれほど耳障りで汚らわしかろうと、私にはその汚された耳をぬぐうことが許されなかった。彼の言葉通り、この結婚で一族に科せられた莫大な借金が帳消しとなる。
私は今日、家門を救うための「生贄」として、この男に売られた。
彼は父を裏切り、我が家を没落させた成金のマフィアだった。騙されていたと言っても、証文もあり、借用書も存在している。まともに働いたとしても、借金の返済に何百年かかるかわからないし、当然、一族の臓器を売っても足りる金額じゃない。
私は精一杯の反抗として、無表情を保とうと努めた。
式を進める司祭の声が遠くから聞こえる。
「……汝、この男を夫とし、病める時も健やかなる時も――」
司祭が言葉を紡げば紡ぐほど、私の魂が死んでいく音が心の中で響いていく。
「――誓いますか?」
私の魂を殺す、最後の言葉。
この誓いが、私を永遠の檻に幽閉する契約の言葉となる……。
「……はい。誓い――」
その時だった。
重厚な大聖堂の扉が、凄まじい衝撃と轟音と共に吹き飛んだ。
参列者の悲鳴が渦巻き、ステンドグラスの破片がダイヤモンドの雨のように降り注ぐ。
薄れゆく爆煙の中、砕け散ったガラスの破片が煌めくウエディング・アイルを、一人の男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
漆黒のオーダーメイド・スーツ。
彫刻のように整った、しかし氷のように冷徹な顔立ち。
その手には、男の眼差しと同じくらい冷たく黒い光を放つ細身のチェコ製
「き、貴様は……ダンテ!」
その男が誰か分かったのだろう。ひきつった声を漏らしたロレンゾの顔から血の気が引いていくのが見えた。
「なぜだ! なぜお前がここにいる!? 死んだはずでは……ッ!」
「あれが……ダンテ?」
ダンテ――
裏社会で「死神」と恐れられる、新興武装組織テスタ・ネーラの若きボス。
そして、私の父を破滅に追い込んだ張本人だと聞かされていた男。
ダンテは無言のまま、ロレンゾに銃口を向けて引き金を引き絞った。
乾いた銃声が轟いた。
その瞬間、隣にいたはずのロレンゾが大きくのけ反り、祭壇に向かって倒れこんだ。
「なっ…ああっ!?」
ロレンゾは眉間に穴を穿たれ、後頭部を吹き飛ばされて絶命していた。
彼の後頭部から流れ出した熱く赤黒い血が、見る間に広がってゆき、私のウェディングドレスの裾を染め上げていく。
「キャァァァァ!」
私は震え、膝をついた。
死の恐怖が全身を支配していく。
死神が足音を立てて近づいてくる。
ダンテは倒れた死体を一顧だにせず、私の前で立ち止まった。
逃げなければ――
そう思うのに、蛇に睨まれた小鳥のように動けない。
彼は血に汚れた私の頬を、革手袋を脱いだ冷たい生の手で、ゆっくりと撫で上げてゆく。
「リリー・ヴァレンティーノ……だな?」
彼は確認するように問いかけ、私は震える身体を何とか抑えて頷いて見せた。
その時、私の視線が彼の手首にあるものを認めた。
あれは……?
ダンテの右手首には、三日月のような形をした古い傷痕があった。
その傷痕に、私は見覚えがあった。
その時、どやどやと慌ただしく大聖堂に乱入してくる足音が響いた。
「ここだ! リリー・ヴァレンティーノをようやく見つけたぞ」
その声は、深淵の暗闇から響くように低く、だけど甘美で、そして恐ろしかった。
「お前の父親が俺から奪ったものを、これからお前に返してもらう」
ダンテは宣言するように言うなり、拳銃を構えた。
「やめて……殺さないで!」
私は反射的に叫んでいた。
どんなにみじめたらしくても構わない。涙ながらに命乞いをした。
しかし、彼は冷酷な笑みを浮かべ、私の腰を強引に抱き寄せた。
「殺す? 違うな……」
ダンテは唇をすり寄せ、私の耳たぶを噛むようにして囁いた。
「お前は今日から、俺の檻の中で過ごすんだ。一生、出られない檻の中で、な」
「そんな……ああっ!」
彼は私を軽々と抱き上げ、混沌とする大聖堂を後にした。
引きずられる純白のドレスの裾が、主を失ったウエディング・アイルを赤く染めていく。
これが、私の新しい地獄の始まりだった。
薄暗い回廊――ヴィラ・ディ・カリゴラを貫く長い回廊は、重く冷たい沈黙に支配されていた。壁に飾られた数々の絵画の中の人々の視線が私に向けられ、地獄へ足を踏み入れたこの身を冷笑しているように思える。足首はアンクレットとは思えない太さの黄金の足枷が、歩を進めるごとにその重い存在感を伝えてきていた。ダンテの命令により鎖こそ外されてはいるものの、右足首を締め付ける黄金の足枷は、私の皮膚にその支配の証を深く刻み込んでいる。絹のストッキングと、鮮烈な緋色のドレス『ヴェスティート・ロッソ』の豊かな裾に隠されたソレは、歩くたびに私の自由を否定する魂の鎖の残響を脳裏に響かせる。「……怯えることはない、リリー」耳元にかけられた突き刺さるような低い声が、私のうなじを震わせた。ダンテは私の腰を抱き寄せて支えるようにして歩き、その体温で私を外界の空気から遮断していた。彼の掌からは、先ほどモニター越しに一人の老人の命を無慈悲に奪い去ったばかりとは思えないほどの熱が伝わってくる。私は応えず、ただ前方に見える重厚な黒檀の扉を見つめていた。唇を噛み締めると、まだそこにはあのスープの忌まわしくも安らぐような後味が微かに残っていた。扉の両脇に立つ、彫刻のように動かない守衛たちが、主の到来を察して両開きの扉を押し開いた。回廊とは打って変わって、眩しい光に包まれた華やかな世界。そこは『サラ・ディ・バンケット』――テスタ・ネーラの宴を司る広間だった。 視界に飛び込んできたのは、無数のクリスタル・シャンデリアが放つ暴力的なまでの光の礫と、それに照らし出された数十人の男たちの、こちらを値踏みし、射貫くような視線の嵐。テスタ・ネーラの有力者たちが、長く重厚な長方形のテーブルの左右に座していた。広間に充満しているのは、高価な葉巻の葉が焼ける匂いと、熟成されたワインの芳香。そして、その奥に潜む、暴力に慣れきった者たちが放つ特有の血生臭さだ。私たちが足を踏み入れた瞬間、それまで場を騒がせていた談笑は凍り付いたように静まり、ひりつく緊張感が室内を支配した。「諸君、待たせてしまって申し訳ない」ダンテの声が広間の静寂を破った。大して大きくもない声だったのに、その声は部屋の隅々まで響き渡ったのか、部屋の端々に立つ護衛の者たちは、緊張して身を引き締めた様子だった。彼は私を連れたまま、カポターヴォラと呼ば
翌日、目覚めた時から、ヴィラ・ディ・カリゴラの空気は静かな嵐の到来を予感させるような、肌を刺す緊張感に包まれていた。――いったいなにが……?そう思ったものの質問しようにもダンテは朝から姿を見せず、質問してもなにひとつ応えない人形のようなメイドしかおらず、私は訝しんだ気持ちのまま時を過ごしていた。黄昏時、私の部屋に数人の無言のメイドたちが現れ、続いてダンテが姿をみせた。彼は昨日とは趣を変え、完璧に着こなしたスリーピースのタキシードを纏っている。その佇まいは、血塗られたマフィアのボスというよりは、むしろ領地を統べる冷徹な貴公子のようだった。「着替えさせろ。そうだな……足枷を残したまま鎖は外してやれ。客人の目に触れぬよう、足枷は完璧に隠すことを忘れるな」ダンテが拒絶を許さない口調で命令を下すと、メイドたちが一斉に私を取り囲み、機械的な手つきで身支度を始めた。私の自由を奪っている鎖は外されたものの、右足首に嵌められた黄金の足枷から解放されることはなかった。それは長い絹のストッキングと、幾重にも重なるドレスの裾の暗がりに、冷たく潜まされた。これじゃ、はしたなくスカートをたくし上げでもしない限り、足枷の存在が他人に知られることはないだろう。彼が私に宛がったのは、昨日の純白とはあまりに対照的な、鮮烈な緋色のドレス――ヴェスティート・ロッソだった。鏡の中に映る私は、自らの鮮血で全身を染め上げたかのような、痛々しくも妖艶な姿をしていた。「……似合っているな」返事をする代わりに私は鏡越しにダンテを射抜くように睨んだけど、彼は気にした様子もなく、私にゆっくりと近づき、背後から私の髪を掬い上げた。そのひんやりとした指先が、剥き出しになった首筋に触れる。革手袋越しではない、彼の素肌の指先の冷たさが伝わってくる。だが、その瞬間に私の心臓を跳ねさせたのは、恐怖だけではなかった。至近距離になった彼の身体から、昨日感じた白檀の香りの奥に、微かに別の芳香を感じ取った。それは、爽やかで、けれどどこか胸を締め付けてくる懐かしさを感じる香り。そう、柑橘系の香りだ。どこかで嗅いだことのある香り……。私の記憶の奥底にある香りだった。だが、なぜそんな古い記憶とダンテがつながるのか?彼の手首についた傷痕……。そして、この微かな柑橘系の香り……。私は過去に、ダンテに会っている。
「う、うん……」意識に霞がかかったように、視界がぼやけていた。ゆっくりと意識が戻ってくると、今度は割れるような頭痛がこめかみを突き、思考の断片をかき乱す。「くっ……。ここは……」見知らぬ暗い天蓋に覆われたベッドに調度品のおかれた部屋。ゆっくりと辺りを見回すと、天蓋から滴り落ちるように垂れ下がる最高級の絹の飾りが、柔らかな陰影を描き出している。部屋の隅々には、かつてヴァレンティーノ家が没落の道を辿る前ですら目にしたことがないほど、贅の限りを尽くしたアンティークの調度品が整然と並んでいた。寝かされていたベッドのシーツも肌触りがよく、清潔さが感じられた。落ち着いた大人の部屋……と言ったらいいんだろうか?ただ、鉛のような重苦しい沈黙が部屋のすべてを支配しており、せっかくの調度品が醸し出す雰囲気のすべてを台無しにしている気がしてならない。頭痛を堪えながら上半身を起こすと、ふわりと鼻腔をくすぐったのは、高貴な白檀と古い紙が混ざり合った、静謐でいてどこか威圧的な香りだった。そうした中で一番異質なものは、私の身体から微かに漂う赤錆びた鉄の匂い。血の匂いだ……。それだけで、あの大聖堂での惨劇が現実だったと思い起こさせる。「……夢では、なかったのね」心を落ち着かせるために漏らした声は掠れていた。さらに身体を動かそうとした瞬間、右の足首に覚えのない不快な重みと耳障りな金属音を感じた。引きずられるような違和感に、私は頭痛を忘れ、震える手で掛け布団を跳ね除けた。その刹那、視界に飛び込んできたのは、私の細い足首を無慈悲に締め付ける、鈍く光る黄金の足枷とそれをつなぐ鉄の鎖だった。昨日までの私を縛っていたのは、一族を救うための「生贄」という目に見えない契約の鎖だった。だが、今この肌を蝕んでいるのは、冷たく硬質な、物理的な支配の象徴の鉄の鎖だ。鎖の端は大理石の床を蛇のように這い、光の届かない部屋の奥深くに吸い込まれていた。ただ、どこかに繋がれて固定されていることくらい想像がつく。指先でその冷徹な金属に触れると、指から伝わる温度の低さが、これが決して覚めることのない悪夢であることを冷酷に突きつけてきた。全身から血の気が引いていくのが分かる。「そうだ……私は、ダンテに囚われたんだ……」ダンテは「お前は今日から、俺の檻の中で過ごすんだ。一生、出られない檻の中で」
シルクをふんだんに使った天使の衣のような純白のウエディング・ドレスは、私にとって死装束と同じだった。聖ロザリア大聖堂の高い天井から降り注ぐ光は、残酷なほどに美しい。だけど私の手を取る男――ロレンゾ――の指先は爬虫類の硬質な皮のようにざらつき、冷たく、どこか湿っていた。「リリー、笑え。さあ、笑えよ。お前の父親が作った借金は、この結婚で帳消しになるんだからな。くくくく……」ロレンゾが嘲笑を含んだ耳障りで汚らわしい声を、私の耳に注ぎ込んでいく。「今夜から三日間は寝かせやしないさ。俺無しじゃ生きられない身体に躾けてやる。娼婦のように悶え続ける女にな。ヒヒヒヒヒ……」「………」下卑た言葉がどんどんとつづられていく。だが、どれほど耳障りで汚らわしかろうと、私にはその汚された耳をぬぐうことが許されなかった。彼の言葉通り、この結婚で一族に科せられた莫大な借金が帳消しとなる。私は今日、家門を救うための「生贄」として、この男に売られた。彼は父を裏切り、我が家を没落させた成金のマフィアだった。騙されていたと言っても、証文もあり、借用書も存在している。まともに働いたとしても、借金の返済に何百年かかるかわからないし、当然、一族の臓器を売っても足りる金額じゃない。私は精一杯の反抗として、無表情を保とうと努めた。式を進める司祭の声が遠くから聞こえる。 「……汝、この男を夫とし、病める時も健やかなる時も――」司祭が言葉を紡げば紡ぐほど、私の魂が死んでいく音が心の中で響いていく。「――誓いますか?」私の魂を殺す、最後の言葉。この誓いが、私を永遠の檻に幽閉する契約の言葉となる……。 「……はい。誓い――」その時だった。重厚な大聖堂の扉が、凄まじい衝撃と轟音と共に吹き飛んだ。参列者の悲鳴が渦巻き、ステンドグラスの破片がダイヤモンドの雨のように降り注ぐ。薄れゆく爆煙の中、砕け散ったガラスの破片が煌めくウエディング・アイルを、一人の男がゆっくりと歩いてくるのが見えた。漆黒のオーダーメイド・スーツ。彫刻のように整った、しかし氷のように冷徹な顔立ち。その手には、男の眼差しと同じくらい冷たく黒い光を放つ細身のチェコ製自動拳銃が握られている。「き、貴様は……ダンテ!」その男が誰か分かったのだろう。ひきつった声を漏らしたロレンゾの顔から血の気