Masuk今はあまりにも突然で、どう説明すればいいのか分からなかった。京弥は小さく息を吐く。「さっちゃん、前にも俺、自分の家のこと話しただろ」「本当に私に嘘ついてないの?」紗雪の瞳は潤んで揺らぎ、目尻は赤く染まっている。その姿を見た瞬間、京弥の胸には強烈な保護欲が湧き上がった。こんな彼女を前に、彼の胸には罪悪感がじわじわと広がる。せっかく関係が良くなってきたばかりなのに、今ここで真実を言って壊したくはなかった。「俺がさっちゃんに嘘なんてつくわけないだろ。できるはずがないよ」京弥は真っ直ぐにそう告げる。だが心の中では、自分に吐き捨てるような嫌悪が渦巻いていた。――後で、必ず埋め合わせる。紗雪はしばらく彼の顔を見つめ、それから小さく頷く。「分かった、信じるよ」「ありがとう、さっちゃん。早くうどんを食べよう」促され、紗雪は黙って最後の一口まで麺を食べきった。そしてその夜、二人は寄り添いながら眠りについた。*翌朝。紗雪が出社すると、吉岡と契約締結の時期について話し合った。吉岡はスケジュールを確認し、眼鏡を押し上げながら提案する。「紗雪様、やはりパーティーのあとが良いかと。契約後のフォローにも力が必要ですし」紗雪はうなずく。「確かに......じゃあそうしましょう」そして書類を渡しながら言う。「柿本社長にも連絡を」「はい」吉岡が出て行こうとした瞬間、紗雪がふと思い出したように呼び止める。「ついでに柿本社長を監視して。加津也と接触していないか確認を」吉岡は一瞬驚くが、すぐに深刻な表情で問い返す。「まだ柿本社長を信用できない、ということですか?」紗雪は眉を寄せ、静かに答えた。「そうよ。もし二人が手を組んでいるなら、こちらも万全の備えが必要だから」その洞察力に、吉岡は思わず背筋が伸びる。――さすがうちの社長だ。この人だからこそ、ここまで来れた。「承知しました」吉岡が力強く頷くと、紗雪も安心して頷き返した。多くの年月を共にした信頼がそこにはある。だからこそ、こうした細やかな任務も安心して任せられるのだ。吉岡が出ていき、紗雪は静かに仕事に戻った。*「......何だって?もう会った?」加津也は勢いよく立ち上がり、目を見開く。秘
彼、本当にただの小さな会社で働いてるだけ?紗雪の胸に、じわりと疑問が広がり始める。考えに考えた末、ついに口を開いた。「京弥って、結局どんな会社で働いてるの?」京弥の表情が一瞬止まり、心臓がドキッと跳ねた。突然どうしてそんな質問を?と戸惑いが走る。「前にも言っただろ?」彼は笑いながら誤魔化した。「うちの家業だよ。前にも話したじゃないか。椎名グループとも提携してるって」その瞬間、紗雪がふいに近づく。女性特有の淡い香りがふわりと漂い、京弥の思考が一瞬で真っ白になる。「でも京弥はもっと......何でもできるって感じがする」紗雪は目尻を下げて笑う。「私、京弥のことを色眼鏡で見てるかも。何でも完璧にこなせる人って思ってるの」その言葉に、京弥は完全に固まった。目の前には、笑みを浮かべる彼女の柔らかい表情。開閉する赤い唇、そしてふとした拍子に覗く小さな舌――喉が渇く。――なに考えてんだ、自分は。そう考えた瞬間、自分自身に驚く。紗雪は手を振って彼の注意を引く。「ねえ、なんで黙ってるの。もしかして本当に......隠れ御曹司で、わざと黙ってるとか?」その次の瞬間。彼女の唇は、京弥にふさがれていた。迷いゼロ、寸分の狂いもなく、その柔らかさを捕らえる。紗雪の瞳がぱちりと見開かれる。さっきまで普通に話してたはずなのに、どうして急にこうなった!?彼女は胸を押して離れようとするが、彼はまるで動じない。彼女が近づいた時点で、理性なんて吹っ飛んでいた。それは、彼にとって限界を試す一撃だったのだから。しかも、ずっと我慢してきたのだ。彼は情熱的に口づける。だが紗雪の胸には、なぜか不満が渦巻く。彼女は身をよじらせ、抵抗を示す。次の瞬間――ぱしん。予兆もなく、彼の手が彼女のヒップに軽く触れた。音は小さく痛みもほぼない。けれど、紗雪の尊厳は地面に叩きつけられた気分だった。――何それ。今まで気づかなかったけど、こいつ、こんな恥知らずだったの!?目に涙が滲む。紗雪はそのまま彼の肩に噛みつく。「っ......!」京弥は痛みに思わず彼女を放す。「なんで噛むの......?」しょんぼりとした声に、紗雪の反論は喉に詰まる。そして追い打
火を点けてお湯を沸かし始めたところで、玄関から物音がした。続いて、低く艶のある男性の声が不満を含んで響く。「こういうこと、俺に任せればいいのに。わざわざ一人でやる必要ないって」紗雪は呆けたまま、背の高いその男が一歩一歩こちらへ歩いてくるのを見つめ、すぐには状況を理解できなかった。京弥がそばまで来て、ほのかなウッド系の香りに包まれた時になって、ようやく正気に戻る。「えっと、家にいなかったから......ちょっと適当にお腹に入れるもの作ろうかなって」紗雪は慌てて視線をそらした。彼の瞳は元々深く黒い。少しでも気を抜けば、底なしの淵に引きずり込まれそうになる。だから紗雪は真正面から彼を見るのが怖かった。――この男がどれほど魅力的か、嫌というほど知っているから。紗雪の戸惑う姿は、まるでどうしていいかわからない小動物のように見え、京弥の胸の内に愛しさが溢れた。彼は手を伸ばし、紗雪の柔らかな頭をくしゃりと撫で、思わず笑みを浮かべる。「ここは俺に任せて。牛肉にする?それとも卵?」その優しい声音に、かえって紗雪は恥ずかしくなる。「じゃあ......牛肉で......」言ってから自分でも照れてしまう。なんでこんなに食べ物の誘惑に弱いのだろう。今まで、自分がこんなに食いしん坊だったなんて気づかなかった。京弥は彼女の頭上でふっと笑う。まるでその気まずさを見透かしたように。そして口元を緩め、耳元へ寄せる。「じゃあ待ってて、すぐできるから」紗雪「......っ!」たった一言で、頬が一瞬で真っ赤になる。まさかこの男が、こんなにストレートに来るタイプだったなんて。前はこんなんじゃなかったはずなのに!これ以上キッチンにいたら危険だと判断し、紗雪はそそくさと逃げる。このままいたら、心の防御なんて全て剥がされてしまう。ダイニングに戻り、彼がキッチンで忙しくしている大きな背中を見つめると、不思議と胸が満たされていく。この瞬間、紗雪ははっきりと気づいた。自分の心が誰のために動いてるのかを。以前はどうにか冷静を保てていたのに、今は心が全部この人に向かってしまっている。どうして、今まで気づかなかったのだろう。少し怖いくらいだ。――感情、ちゃんと抑えないと......ほど
その言葉を聞いた瞬間、敦は「おかしい」と感じた。本来なら、この契約は自分たちが主導権を握っているはず。なのに、紗雪の顔色を伺う?そんな話、外に出たら笑い者だ。彼がそう言い返した途端、電話の向こうの声が鋭く飛ぶ。「これは『上の者』の意向だ。まさか、文句あるのか?」その一言で、敦は即座に黙った。それ以上一言も言えなくなり、口を閉ざすしかない。加津也のことも、もう触れられない。運が悪かったとしか言いようがない。「上の者」が出てきたのだから、自分には関係ない。ただ惜しむのは「届けられた品」のこと。仕方ない、また機会があれば探すしかない。敦は舌打ちしつつ、会社へ車を走らせた。*一方その頃、紗雪は車に乗ってもまだ実感が湧かなかった。疑わしげな瞳で吉岡を見る。「本当に、これで契約決まったのかな......」「紗雪様?どうかしましたか?」吉岡は運転しながら、バックミラー越しに彼女を見る。その顔は疑いと不思議が入り混じっていた。「考えすぎですよ。うちにとっては良い話じゃないですか。柿本社長との契約がまとまって、あとは帰って契約書を整えればいいだけですから」その言葉に、紗雪もハッと気づく。確かに、悩む必要なんてない。利益は目の前にいる。考え込むくらいなら、契約日をどう決めるかを考えた方がいい。表情が柔らかくなり、笑みが再び咲いた。風が髪を揺らし、気分も軽やかになる。「そうね」紗雪は少し弾んだ声で言う。「その心の持ち方はいいかもしれないね。吉岡はその調子でいなさい」褒められた吉岡は、運転にも気合いが入る。「はい!これも紗雪様のおかげです」紗雪は茶化すように笑う。「口が上手くなったね。軽口まで覚えたの?」車内は和やかで、笑い声が絶えない。彼女はシートに背を預け、ふと昨日の京弥の言葉を思い出す。「きっとうまくいくよ」と言ったあの言葉。――これは、偶然だろうか?表情が静かに締まる。考えれば考えるほど、ぞくりとする。昨日、京弥はずっとこの案件を探っていた。今日、あの扱いにくい敦が、まるでこちらにすり寄るように契約を進めてきた。紗雪の胸の奥に、一つの棘が刺さった。誰にも言わず、心の中でじっと考え続ける。夜、家に戻ると京弥
紗雪は内心少し驚き、吉岡をちらりと見た。向こうも彼女と同じ顔をしていた。どうやら二人とも考えていたことは同じだったらしい。紗雪は軽く咳払いし、気まずさを誤魔化す。「その......契約書、もう少しちゃんと確認しなくて大丈夫ですか?」その声には、迷いが滲んでいた。吉岡にも分かるほどだ。何しろ、敦がこんなにあっさりしているなんて聞いたことがない。吉岡は心の中でぼそっと文句を言う。――おかしい......ネットの評判と全然違うなんて。この爽快感、どうしても腑に落ちない。敦は気まずそうに後頭部を掻いた。自分でもやりすぎている気はする。でも他にどう振る舞えばいいのか分からない。「大丈夫です。御社の人柄は信じてますから。問題ありません。早速契約の日程を決めましょうか」豪快に言い放ち、二川グループを信頼していると示す。紗雪はなおも疑わしく感じていた。こんなにスムーズにいくわけがない、と。だが吉岡は浮かれていた。相手がここまで話を進めてくれるなら、どれだけ楽か。「柿本社長こういう感じなら、むしろ助かるじゃないですか?」小声で囁く。紗雪はまだ落ち着かない。「本当にそんな簡単にいく?」罠でもあるのではと不安だ。何しろ、加津也でさえ長く接触しても落とせなかった案件なのだ。「きっと大丈夫ですよ」吉岡は手を振る。「何といっても業界じゃ名前が通ってる人ですし、こんな小事で評判を落とすなんてしませんって」その言葉に紗雪も納得する。それなら、と柔らかく微笑み、「ありがとうございます、柿本社長。まずは食事を。契約日程は後ほど秘書からご連絡します」「そうですね、そうしましょう」敦もすぐ乗ってくる。紗雪が承諾したと分かり、大きな荷が下りたようだった。これで、あの「大物」からの指示を果たせた。紗雪には知る由もないが、敦の背中は冷汗でびっしょり。まるで水から上げたばかりの人間のようだった。だがこれでひと息つける。その日の食事は互いに満足いくものとなり、案件も問題なくまとまった。紗雪と吉岡が去ってようやく、敦は深いため息をつく。額の汗を拭うふりをして、スマホを取り出しメッセージを送った。【契約日程は後ほど二川さんから届きます。これで任務完了です
二人とも、相手はきっと扱いづらい人物だと覚悟していた。ところが次の瞬間、敦が立ち上がり、熱っぽい声で言った。「お二人が二川の方ですね?」それから紗雪のほうへ顔を向け、さらにへつらうような笑みを浮かべる。「そしてこちらが二川紗雪さんでしょう?噂以上ですね。本当に若くしてご活躍だ」紗雪は眉をわずかに上げた。敦の反応は、正直言って予想外だった。「私も柿本社長には興味があったのですが、今日お会いして、噂とは少し違うと感じました」彼女は相手の言葉に合わせて淡々と言う。白くきめ細やかな顔には、穏やかな微笑が浮かんでいた。ここまで歓迎されると、紗雪のほうも敦に対して興味が濃くなる。敦も、自分がいつもと違う態度を取っていることは分かっている。だが、紗雪の含みのある言葉など気づかないふりをし、二人を熱心に席へと促した。紗雪と吉岡は一瞬目を合わせ、遠慮なく腰を下ろす。相手が何らかの理由でこんなに親しげなら、こちらもその流れに乗るだけだ。ビジネスの場では、利用できるものは利用する――それだけのこと。二人が席につくと、店員がタイミングよく料理を運び始めた。来る前に注文は済ませてある。紗雪は躊躇なく切り出した。「本日お会いできて光栄です。目的はお分かりだと思いますので、ハッキリ行きましょう」敦の笑顔が少し引きつる。だが辛抱強く返す。「もちろんです。こうしてお会いした時点で、私の中ではもう答えが出ています」紗雪は眉をわずかに上げ、感心したように言った。「さすが柿本社長。決断が早いですね」そう言いながら吉岡に目配せすると、吉岡はすぐに理解し、鞄から書類を取り出した。恭しく差し出しながら言う。「こちらが弊社の誠意です。どうぞご確認ください」敦は少々驚いた様子だ。まさかいきなり書類を出してくるとは。普通なら、もう少し駆け引きの時間があるものだ。「二川さんは爽快ですね」敦は乾いた笑いを漏らす。「お互い時間は貴重ですから」紗雪は微笑む。「まずは契約書をご覧ください」吉岡が続ける。「こちらも十分誠意を見せるつもりなので、何かあれば相談しながら調整できます」敦は一度口を開きかけたが、すぐに思い直し、いつもの媚びた笑顔に戻った。「御社とご一緒できるなら