Masuk結局のところ、紗雪に対して申し訳ないのは、美月と緒莉の二人だ。だが、今こうして緒莉のことを尋ねるのも、仕方のないことだった。目の前で見殺しにするなんて、できるはずがない。幼い頃から育ててきて、積み重ねた感情。母として死んでも割り切れない。最後に美月は胸の内を押し殺し、口を開いた。「紗雪......お母さんは、緒莉が間違っていたことは分かってる。でも、あなたたち姉妹が今のように憎み合うのは見たくないの。私は、このまま緒莉が死ぬのを黙って見ることなんてできないわ」その言葉を聞き、紗雪の表情はわずかに引き締まった。美月の言いたいことは、当然分かっていた。長い間、紗雪も緒莉とうまくやっていきたいと思ってきた。だが、うまくいかなかったのは本当に自分のせいだろうか。今回のことは明らかに緒莉のやり過ぎだった。自分がベッドに一か月も寝込んでいる間、一番ほくそ笑んでいたのは緒莉に違いない。そうなれば、会社の仕事も自然と彼女が引き継げる。一方、自分は寝たきりのまま、やがては替えられてしまう――そんな理屈、紗雪が分からないはずがない。美月の言葉に耳を傾けながら、紗雪は最後に瞳を閉じた。どう返せばいいか分からない。命懸けの問いのように思えた。しかも、自分の心に背かなければならない。結局、紗雪はとぼけることを選んだ。「彼女が今どうしているのか、私も知らないの」そう言って顔をそむけ、あからさまにこれ以上触れたくないという態度を見せた。美月も気づいてはいたが、彼女にとって気にかけられる存在はこの二人の子どもしかいない。もし二人の関係がこじれたままなら、将来お互いを敬うなんてできるはずがない。そう思うと、美月の胸はまるで刃で裂かれるように痛んだ。胸を押さえ、息が詰まるような苦しげな表情を浮かべる。紗雪はその様子を見て、思わず緊張した。「母さん、大丈夫?」紗雪は美月の体を揺すりながら声を震わせた。「どうしたの?具合悪いの?」せっかく関係を修復したばかりだ。もう、美月に何かあってほしくない。A国にいた頃から、紗雪はすでに美月を責めてはいなかった。親が子を愛さないことなどあり得ないのだから。だが美月は、どうしても紗雪の気持ちを確かめたくて、手を握りしめ離そうとし
「黙ってないで𠮟って。娘の私が不孝なの。すぐに帰って母さんに会いに来なかったから」美月は涙を湛えながら首を振った。「紗雪、そんなこと言わないで」彼女は紗雪の手をぎゅっと握りしめる。「紗雪はお母さんの大事な娘。お母さんが支えるから。自分のために生きるのよ。誰にも紗雪の選択を邪魔させてはいけないの」その言葉に、紗雪の胸は強く揺さぶられた。母娘の間には言えずにきたことが多すぎた。けれど今、こうして面と向かって言葉を交わし、誤解も解けたように思える。紗雪は美月を見つめ、自分が美月を誤解していたことを痛感した。そして心の中で、吉岡に感謝する。もし彼が背中を押してくれなかったら、こんなに早く美月と和解できなかっただろう。彼女は美月の手を引いてソファに座らせ、しっかりと手を握ったまま離そうとしなかった。美月もまた、娘の寄り添う気持ちを感じ取り、ようやく表情に笑みを浮かべる。まさかこんな日が来るとは。娘と向かい合い、穏やかに語り合える日が訪れるなんて。紗雪が昏睡したと聞いて以来、幾度も再会を夢想してきたが、実際はこんなにも突然だった。「紗雪が昏睡してから、話したいことがたくさんできたのよ」美月はため息をつきながら、紗雪の手を撫で続けた。失ったものを取り戻したような感覚が、彼女の胸を安堵で満たしていく。紗雪も素直に応える。「うん」彼女も薄々察していた。だが美月が切り出さない限り、自分から先に口に出すのは避けようと思った。順序というものがあるし、早まって憶測を言えば、余計にこじれるかもしれない。商売と同じで、常に余地を残して動くべきだと知っているからこそ、紗雪は相手の言葉に合わせて対応を変えることに慣れていた。美月はそんな娘の落ち着いた様子を見つめ、視線を揺らす。そしてついに、観念したように息を吐いた。どちらも自分の娘、見捨てられるはずがない。だが、もし外に知られれば、世間から非難されることは目に見えていた。「実は......」美月は視線を逸らし、言いづらそうにした。だが紗雪は急かさなかった。美月が何を言おうとしているのかはわかっていた。けれど、それを口にするのは美月自身でなければならない。だから彼女はただ、じっと美月の顔を見つめ続けた。そこ
こうしてこそ、会社をさらに高みへ導くことができる。そしてそのためには、やはり二人の協力が欠かせない。吉岡はそのまま扉を閉めると、顔に得意げな笑みを浮かべた。もっと早くこうすべきだった。母娘に十分な時間を与え、腹を割って話し合える場を作ること。心の中に抱え込んだままでは、お互いにとって良いことなど一つもない。だからこそ、吉岡は紗雪にこの機会を作ってやったのだ。部屋に押し込まれた紗雪は、最初は呆然としていたが、すぐに我に返り、足早に中へ進んだ。すると視線の先に、執務机の奥の革張りの椅子に腰掛ける美月の姿があった。机に突っ伏すように書類を見つめ、鎖のついた眼鏡をかけた顔には深い皺が刻まれている。紗雪は胸の内で推し量った。きっと難しい案件に直面しているのだろう、と。美月は大病から回復したばかりだというのに、こうして無理をしてまで仕事に臨んでいる。それもすべて、自分のせいだ。あの時もっと慎重であれば、相手の罠にかからずに済んだのかもしれない。そうすれば美月に、こんな負担を背負わせずに済んだのに。だが、世の中に「もしも」はない。紗雪は伏し目がちになり、整った顔に影を落とす。胸の奥から込み上げる罪悪感と切なさに、美月を見つめる目が滲んでいった。少しずつ執務机へ近づきながら、思わず声が漏れる。「......母さん」その馴染んだ声を耳にした瞬間、美月の目に涙が浮かぶ。顔を上げる前から、もう瞳は潤んでいた。そして視線の先に懐かしい娘の顔を見た途端、堪えていたものが決壊する。長く募らせた思いと安堵が入り混じり、涙が一気に溢れ出した。美月は机に手をついて立ち上がる。身を乗り出し、今目の前にいる紗雪が幻ではないかと確かめるように歩み寄る。「紗雪......?」揺れる涙の中で、彼女は震える手を伸ばす。「本当に......紗雪なのね?幻じゃないのね?」その一言で、紗雪の胸に押し込めていた後悔は一気に噴き出した。自分はなんて親不孝なのだろう。美月がこれほどまでに案じてくれているのに、自分はなぜもっと早く会いに来なかったのか。彼女の目にも涙が溢れる。駆け寄ると、美月の手を取って自分の頬に押し当てた。「母さん、私だよ。ほら、ちゃんと温かいでしょう?遅くなって、ごめ
紗雪がまだ京弥と数言交わしただけで、部屋の扉が再びノックされた。紗雪は眉を寄せ、「入って」と声をかける。吉岡が戸を押し開け、どこか気まずそうな表情で紗雪を見た。「その......お邪魔してすみません。美月会長が紗雪様のご帰還を知って、お呼びだそうです」その言葉を聞いた瞬間、紗雪の胸の奥でドクンと音がした。美月のもとへ戻っていながら、真っ先に顔を見せなかったのは、どう考えても筋が通らない。けれど、緒莉という人の性格や、あの人がしてきたことを考えると......どう美月に向き合えばいいのか、彼女には分からなかった。行けば、美月が口にすることはだいたい予想がつく。京弥は沈黙する紗雪を見て、彼女の心にある迷いを悟った。そして彼女の頭にそっと手を置き、優しく撫でる。「大丈夫だよ」京弥は柔らかく微笑んだ。「きっと乗り越えられるさ。ましてや君たちは親子なんだ。話せば、きっと分かり合える」紗雪が顔を上げると、彼の優しい瞳とぶつかる。その奥に宿る愛情の深さに、危うく溺れてしまいそうになる。少し気を抜けば、彼が紡ぐ温もりの網に絡め取られてしまう。慌てて視線を逸らし、彼女の耳はほんのり赤く染まった。「......母のところに行ってくるね」立ち上がった紗雪は、そのまま会長室へと足を向ける。京弥も後を追うように廊下へ出た。「ちょっと、なんでついてくるの?」紗雪は戸惑いを隠せない。「母さんが呼んだのは私だけよ。大丈夫、会うだけだから。京弥まで一緒に来なくていいのに」京弥は鼻を軽くこすり、彼女とは逆の方向を指さす。「いや、俺は先に帰ろうと思っただけなんだが......」その言葉を聞いた途端、紗雪の頬は一気に真っ赤になった。くるりと背を向け、大股で会長室へと歩き出す。その勢いのまま、思わず小走りになってしまうほど。最初は面白そうに眺めていた京弥も、次第に心配の色を浮かべる。「ちょっと、落ち着けって。足元に気をつけないと、ちゃんと前を見て」紗雪は振り返りもせず、片手をひらひらと振って応える。もう分かってる、と。ただ、彼女の心の中は「早くここから逃げたい」という思いでいっぱいだった。穴があれば入りたい。さっき自分が真顔で言っていたことを思い返すと、顔から火が出そうだ。
この一か月もし紗雪が目を覚まさなかったら、二川は西山に飲み込まれていたのではないか。しかも椎名の案件にまで手を伸ばそうとしていた?まったく、寝言もいいところだ。「紗雪、落ち着け。この件は、時間をかけて取り組むべきだ」京弥は紗雪の肩に手を置き、衝動的にならないよう制した。もし彼女がここで感情的に動けば、それこそ加津也の罠にはまる。そのことは、あまりにも明白だ。紗雪は深く息を吸い、京弥の意図を理解した。彼の手の甲を軽く叩き、分かっていると示す。ここまで来て、彼女も馬鹿じゃない。加津也の狙いが読めないようでは、二川全体が笑いものになる。吉岡は目を伏せ、二人のやり取りを見ないようにした。紗雪は、思ったほど痩せてもいない。どうやら夫がしっかり支えていたらしい。それなら社員も安心できる。最初は、紗雪と京弥の容姿の釣り合いに誰もが目を奪われた。だが同時に、高嶺の花のような男が本当に紗雪を大切にしてくれるのか、心配もしていた。しかし今、その答えははっきりしている。普段から漂う雰囲気だけでも十分伝わる。妻を愛する男は必ず成功し、人柄に問題などあるはずがない。一か月間、見放さずに支え続けたことこそが、何よりの証拠だ。吉岡はその道理をよく分かっていた。だからこそ紗雪を敬う気持ちと同じくらい、京弥への尊敬も深まる。紗雪は京弥に軽く頷き、すべて理解していると示した。この件で、彼女が加津也の思惑に落ちることは絶対にない。あの男の浅はかな企みなど、見抜けないはずがない。ただ、一つひとつ処理していく必要はある。「自分が復帰した」という事実を世間に知らしめること。それこそが、周囲を牽制する最良の手段だ。紗雪は吉岡に向き直った。「ありがとう、吉岡。もう行っていいわ。残りの案件は私が一つひとつ目を通すから」吉岡は深々と頷いた。「では、私はこれで。何かあればお呼びください」紗雪は微笑んで応じた。「ええ」吉岡が部屋を去ると、室内には紗雪と京弥の二人だけが残った。彼女の慌ただしい姿を見て、京弥はまたも心の中で匠を罵倒した。その頃、椎名グループで仕事中の匠は、立て続けにくしゃみをした。鼻をこすりながら目の前の書類を見つめ、頭の中は混乱気味だ。「なんだ....
紗雪もついに我慢できなくなり、口を開こうとした瞬間、吉岡が思い切って全部吐き出した。「実は......主に西山グループです。最近ずっと、私たちと案件を奪い合っています」その言葉に、紗雪の表情が一瞬で硬直した。会社にちょっかいを出す相手がいることは想定していたが、まさか顔なじみの相手だとは思いもしなかった。「あの西山加津也が?人違いじゃなくて?」紗雪は彼をよく知っている。あの弱気な性格で、どうして二川に手を出すなんてことができるだろうか。力量以前に、そもそも度胸がないはずだ。だからこそ、紗雪は衝撃を受けた。心の中では、吉岡が何か勘違いをしているのではとさえ思った。これは軽々しく断定できる問題ではない。一度巻き込まれれば、二つの会社の争いに発展するからだ。一方、京弥は黙って考え込んでいた。もし二川グループに問題があったのなら、なぜ自分の側近は報告してこなかったのか。出発前に匠へ、二川グループをしっかり見張るように言い含めたはずなのに。これが、その「見張る」の結果か?京弥の瞳が鋭さを増す。時期が来れば、必ず匠にけじめをつけさせなければならない。どうやら、自分の言葉を心に留めるどころか、ますます好き勝手をしていたようだ。二川に大きな問題が起きていないことを祈っていろ――そうでなければ、十人の匠でも償えない。京弥は心の中で固く決意した。調査の結果、本当に匠の不始末が原因と分かれば、即刻F国送りだ。居場所はもう決めてある。紗雪はといえば、未だに「その相手が西山加津也」という事実に衝撃を受けていた。加津也の実力など、彼女が一番よく分かっている。だから、吉岡の口からその名前を聞いた時の動揺も本物だった。吉岡は苦しげに頷き、しかし一字一句を噛みしめるように言った。「本当のことです。私が紗雪様を騙す理由なんてありません。資料も全部ここにありますから、ご確認を」その言葉に、紗雪は資料を開き、一枚一枚真剣に目を通していく。吉岡の胸は不安でいっぱいになった。特に紗雪の険しい表情を見れば、この件がいかに厄介か分かる。とはいえ、こんな大きな案件を一人で抱え込むには限界があった。彼自身も心身ともに疲れ果て、どう動くべきか分からなくなっていた。これまで頼りにしていた







