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第792話

Author: 落流蛍
林さんと商治は目を合わせた。

最後に口を開いたのは、商治だった。

「そうよ」

「そうっていうのは、彼女がすぐ哲郎と結婚するってことか?」

時也は顔を上げ、二人をじっと見つめて尋ねた。

部屋の空気が一瞬で凍りついた。

「彼女が過去を忘れたことも、僕のことを覚えてないことも知ってる。

彼女の心にあるのは、ただ結婚相手への想いだけだってことも……全部わかってる。

でも、それも彼女のせいじゃない。だって彼女の記憶を消すって決めたのは、僕なんだから。

そんなことなんて、百も承知よ」

時也の声はどんどん重くなり、部屋の二人は何も言えなくなった。

「ほんの一瞬でもいい。たった一秒でも、彼女のことを忘れられるなら……

そんなささやかな願いすら、お前たちは許してくれないのか?」

商治と林さんはもう一度視線を交わし、黙って時也のそばに座った。

「飲みたいなら、付き合うさ」

商治は一本の酒を手に取り、時也を見ながら言った。

「どう支えたらいいか分からないから、せめて一緒に飲むよ」

林さんも勇ましく酒を開けた。

「時也様、もう言葉はいりません。付き合いますよ」

そう言って、三人は同時に酒を煽った。

そのとき、商治のスマホが鳴った。

見ると、水子からだった。

「シッ、水子からだ」

彼は指で黙るように合図し、部屋の隅へ移動して電話を取った。

「水子、どうした?」

「眠れないの。来てくれない?」

商治の顔に喜びが浮かんだが、視線は酒を飲み続ける時也へ向いていた。

「俺……」

「来れないならいいよ」

水子の声は沈んでいて、聞く者の胸を締めつけた。

「もう寝る」

「待って、すぐ行くよ」

そう言った瞬間、商治は少し後悔した。

でも、口にした言葉はもう取り消せなかった。

「家で待ってて。すぐ向かうから」

彼は電話を切ったあと、時也の方へ戻ったが、ぐずぐずして、なかなか言い出せなかった。

時也は視線を向けた。

「行くのか?」

「うん……水子が……」

「行けよ」

時也は酒を一口飲み、さらりと言った。

「心配すんな。林がいるから」

商治は林さんを見て、念を押すように目で問うた。

林さんは胸を叩いて答えた。

「稲葉さん、心配いりません。時也様のことは任せてください」

ようやく少し安心した商治は、「じゃあ、何かあったら、連絡
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