INICIAR SESIÓN「帰って……来ちゃったんですか」「なんだよ、その負けて帰ってきたみたいな言い方はっ!」「きゃーっ!……タンマですっ」大雅は花の首に腕を回し、締め上げるフリをする。とっさに逃げて、足を踏ん張った花と取っ組み合いのような格好になった大雅はたまらず吹き出した。「……なんで2年ぶりに会ってこんな色気のないふれあいをしなきゃならないんだ?」「それは……大雅さんのせいです」「ほぅ……2年前突然姿を消しといて、俺のせいってか?」花を優しく抱き寄せ、腕のなかに閉じ込める大雅。「はぁ……生大雅さん、めちゃくちゃいい匂いです」胸に顔をうずめ、深呼吸を繰り返す花の襟元に、大雅も負けずに顔をうずめた。「花の匂いだ。甘酸っぱい……」「えぇっ?!すっぱい匂いってダメじゃないですか?!」「大丈夫。俺にはたまらなくいい匂いだから」逃げようとする花を捕まえ、大雅は胸元に顔をうずめる。……そして、そのまま動かなくなった。「なんにも約束しないで離れていくから……俺がどんなに、」大雅の声が涙声に変わった気がして、ふと力が抜けた。そのままセットのソファに座ってしまい、大雅はそれでも花の胸元から顔を上げず、座った彼女の前で膝立ちになった。「ごめんなさい……あぁでもしないと、離れられなくて」「死ぬほどつらかった……頑張れないと思った」「私だって……」顔を上げた大雅の表情は、この2年メディアを通じて見てきたものとまったく違っていた。フラッシュを浴びる彼は完璧にカッコいい姿で、隙のない笑顔。でも今、自分の前にいるのは……花だけが知る鈴里大雅。それが、どうしょうもなく愛おしい……「愛してます。ずっと……もし会えなかったら、ポスターと結婚しようと思ってました」「危なかったな?俺向こうでも相当モテたから。金髪美女の誘いに何度乗りそうになったか……」「もし、外人妻と青い目の赤ちゃん連れて帰国したら……私はそれでも、嬉しかったかもしれません」大雅はやや不満そうな表情になった。「なんだよそれ。……言っとくけど冗談だぞ?色目は使われたが、興味もないしそんな暇もなかったから」「……わかってます。もぅ、言い訳しなくてもいいのに」余裕がある花に、大雅は少々複雑な表情になった。そんな彼の思いに気づかない花は、素直な気持ちを口にする。「どんな未来でも、大雅さんが納得して選んだことな
「花ちゃん、配達頼める?テレビ帝京の、第8スタジオ」「かしこまりました!」オーナーのナオミさんに花束を託された。花は車のキー、ではなく自転車の鍵を引っ掴み、外へ飛び出す。「撮影の打ち上げかしらね?それとも誕生日のサプライズとか?」「華やかな場面と美男美女にはお花が似合う……って言いますよね?」「そぉ?!聞いたことないわ」オーナーは、自転車の後部に花が独自に取り付けた蓋付きの籠を開ける花を手伝う。サイズさえ収まれば、大概の配達はこの籠で済ませている。「それでは、行ってまいります!」「はいはい……気をつけて行きなさいよ」手を振って走り出す花を、オーナーも手を振り返して見送る。……そのずっと後ろには、よろめきながら自転車をこぐ花を、ハラハラしながら見つめる人物がいた。オーナーには言わなかったが、テレビ帝京への配達と聞いて、花にはピンと来るものがあった。……それは数ヶ月前、ミミからこんな連絡が入ったことから始まった。「新ドラマの撮影、テレビ帝京のスタジオでやるの!花ちゃんの勤め先と近いから、ちょいちょいお花をお願いするわ!」今日もそんな配達だと信じて疑わなかった。テレビ局のセキュリティを抜け、第8スタジオを目指して奥へとすすむ花。「あれ……ここ、どこ?」テレビ帝京には数多くのスタジオがあったが、ミミに花束の配達を何度か頼まれ、内部を把握したつもりでいた。ところが、鼻歌まじりに行き着いた場所はまったく知らない鏡張りの部屋……振付の練習をするような、バレリーナが踊るような場所。「電気つけっぱなしだけど、いいのかな」ドアを閉めようとして、部屋の奥に見覚えのあるポスターが貼ってあることに気がついた。「これ……THE FIRST ACTの」ほぼ等身大だと思われる、縦長のポスター。きらびやかな光を当てられた大雅が歌っている場面を切り取った、ファンにはたまらない1枚だ。……実は、このポスターだけは花の手元になかった。ミミや哲平に頼めば、手に入れることは難しくなかったと思うが、わざとそうしなかった。……花の目に涙が浮かぶ。こうなるのがわかっていたから手元に置かなかったのだ。初のソロライブからもうすぐ2年……彼の活躍はメディアでも大きく取り上げられ、華々しい活躍をしていることを知るたび、嬉しくて……1人、泣いたり笑ったりしてきた。「……大雅さ
スポットライトを浴びながら、俺は何度目かわからないほど歌ってきた曲を歌う。『3時間、生歌はキツイぞ?』椎名社長が心配したが、譲らなかった。『何のためのボイストレーニングですか。……この後2年はライブから離れるんだから、歌いますよ』デビュー曲を姉に披露した昔を思い出す。初めてのライブで足が震えたことも、セットリストでメンバーやスタッフと揉めたことも……過ぎてしまえば昨日のことのようだ。ダンスナンバーを歌い、踊り、両手を上げて手を振るファンの手元をペンライトが照らす。……何度見ても綺麗だ。曲に合わせて左右に揺れ、上げたり下ろしたりする光の波を見ていると、海の中を泳いでいるような気分になる。「……ありがとーーっ!皆のペンライトで、大雅はイルカの気分……っ!」歌の合間で予定にない叫びをひとつ。客席から悲鳴のような歓声が上がった。「……ネットニュースで知った人も多いと思う」ダンスナンバーで体と会場をあたためた後、MCと呼ばれるトークタイム。先に会場から声がかかった。……海外へ行っちゃうの?、と。「結論から言うと、本当です。いろいろあって、自分で決めた。こんな活動をしておいておかしいけど、本当はもっと地味に生きたいと思ったこともあった」行かないでーーっ、と、あちこちから声がかかり、俺は心のなかに花を咲かせた。コスモスみたいな可憐な見た目と、ひまわりみたいな元気を併せ持つ、香坂花を……「ごめん。ちょっと行ってくる。……行って、自分の限界見てくる。でも必ず帰ってくるし、向こうでの活躍は絶対報道してもらうように、事務所の社長に頼んであるから」歓声と拍手で答えてくれる客席を、俺は端から視線を走らせた。……本当なら今日、関係者席に花がいたはずなのに。初日を観に来るはずだったのに……結婚を、発表しようと思ってたのに。……関係者席は、ライトが眩しくて白く光った。「……I can't sleep, thinking only of you」いつかライブ映像を流しながら、英語のこの曲を歌ったことがあった。君を想って眠れない……会いたくて眠れない……恋しくて、あの小さな手が……この世にたった1人、心から愛する人……今どこにこの日俺は、数万人を収容するライブ会場で初めて泣いた。『永遠に応援しています』メモを一枚残して花が姿を消してから、俺は寂しさなんて感じる
「……今日は、本当にすいません。このご恩は改めて……ですね、」「いいから、早く行かないと始まっちゃうわよ?」「あぁっ!ホントだっ!やばっ」花はエプロンを外しながらオーナーのナオミさんに頭を下げ、オロオロと辺りを見渡した。……外したエプロンを置く場所を聞き忘れた。「明日教えるから!早く行きなさい!」「はいっ、ありがとうございます」ナオミさんは花の手からエプロンを奪い、笑顔で手を振ってくれた。……本当に自分はラッキーだと思う。花に囲まれた職場に恵まれて、面倒見のいいオーナーに出会えて。実はこの日、花は半年ぶりに社会復帰を果たした。……それは大げさな言い方だが、要は半年ぶりに仕事をし始めたということ。すぐ近くに、小さなアパートも借りた。駅までの道を走る花。……本当は行かないつもりだったのに、ミミさんが昨夜突然やって来て言ったのだ。「ヤバいヤバい……急に撮影の仕事が入っちゃってさ、行けなくなっちゃった」「ミミさん……?それは」「鈴里大雅初のソロライブ『THE FIRST ACT』初日の……関係者席がさぁ……空いちゃったのよ。パックリと……」見下され、花は視線を泳がせた。ライブなら、自分でなんとか席を取った。二階席で豆粒状態でしか見えないだろうが、活躍が確認できたらそれでいい。「私は……」仕事を見つけて初出勤だから行けないと言う前に、もう1人やって来た。……哲平だ。「ミミさん、突然姿を消されたら困りますよ?」「だって……大雅のソロライブに行かれなくなっちゃったから申し訳なくて……関係者席だから簡単に誰にでも譲れないでしょ?」「わかります……それなりにこちら側の人間じゃないとね?」4つの目がチラっと自分に向き、花は降参した。……初日は絶対に満員であってほしい。関係者席でも空席が大雅の目に触れるのは嫌だ。彼がこの日を迎えるまで、どれほどの練習を積み上げてきたか、よく知っているから。「……着いた」日本有数の規模を誇る場所がライブ会場だ。……すでに詰めかけている人、人、人。正面の入口にメインビジュアルと呼ばれる超大型のポスターが飾られている。それらと一緒に写真を撮ろうと、ファンが列を作っているのが見えた。どの人もみんな笑顔で嬉しそうなのに、花だけは隠れて目元を拭った。……もちろん、悲しい涙ではない。嬉しい……。大雅の努力がこんな風に形に
「婚姻届が……?」大雅が目まぐるしく考えているのがわかる。……権堂だ。彼は花がここにやってきたばかりの頃、よく世話を焼いてくれた。出会ったホテルで、確かに婚姻届を記入した。それを預かった権堂は、提出したと嘘をつき、どこかで処分したのかもしれない。花と出会ったばかりの頃、大雅は今と同じ気持ちではなかった。だから権堂の嘘の報告を信じ、ろくに確認しないまま時が過ぎ、今になって自分たちは他人だったと知ったことになる。……同じ考えが大雅の頭にもよぎったらしい。「だったら、提出し直せばいいんじゃないか?」けれどその声は明るくない。花がただ婚姻届の話をしたいわけではないと、もう気づいているようだった。「もう一度、はじめから……」決めていたセリフなのに、花はうまく声が出せない。「はじめから……やり直しましょう」三井に別れてくれと言われた時は、悲しみと怒りが混ざったような複雑な気持ちだったのに、1人になって冷静に考えてみると……それは最善の答えだと思ってしまった。「……どういう意味?」「は……春くんの心配もなくなって、それで……わ、たしも、楽になりたくなったんです」唇を噛んで涙をこらえる花。悲しげな表情で花を見下ろす大雅を見ないよう、咳払いをしてから続ける。……ここで泣いたら、台無しだ。「そ、それに……お父さんのことは、もう会わないって思ってたけど……でも、お父さんには私しかいないし。これから何かあったら、放っておくこともできないと思うんです」だから、と言ったまま、次の言葉が出ない花。じっとそんな彼女を見下ろし、大雅も何も言わない。静まり返る部屋は、春希がいなくなった現実を知らせ、花の中に唐突に、初めて会った日の春希を思い出させた。「婚姻届が出されてなかったのは、踏みとどまるチャンスなのかもしれません」ここまで涙を流さなかった自分をほんの少し誇らしく思いながら、花は何も言わない大雅に話し続けた。「大雅さんは、可能性に満ち溢れた人なんです。この国を象徴するような俳優さんになれる人です。……歌も素敵です。……何をしてても、素敵です。だから、私1人で独占しちゃ、いけない」「花の考えは、わかったよ」その声に、焦りや怒り、悲しみといった感情は何もなかった。見つめる瞳と目が合って、ついそらしてしまう自分とは違って、大雅は冷静な目を花に向け続ける。……反
「春くん、今日は何して遊ぼっか」「……んとね、」少しでも早く環境に慣れ、負担にならないようにと、春希は大雅の家と春奈・圭一夫妻の家の両方で暮らすようになっていた。養子縁組の手続きをすすめながら環境を変えていくにはそれが最善だと、4人で話し合った結果だったが、ここで春希が意外なことを言った。「……ワンワン、」「ん?……ワンちゃんのこと?」「そう」よくよく聞いてみると、春奈と行く公園で、いつも会う犬がいるらしい。「そっか、ワンちゃんに会いたいんだね」コクンとうなずく春希の頭を撫で、花は春奈に連絡をした。話を聞いて飛んできた彼女の表情は、ちゃんとお母さんのそれだった。その夜帰宅した大雅は、花の話に目を伏せた。「そうか、それで春希は春奈たちの家に……」「はい。連絡もせずに勝手な判断ですみません」「いや、いいんだよ」人気キャラクターのおやつを買ってきたらしい大雅。所在なげにそれをテーブルに置く。「やっぱり、こういう二重生活はかえって春希を混乱させるのかもしれないな」大雅はひとつ大きな決断をしたように、花の目をまっすぐ見た。「ツアーが始まるまでは……と思ってたけど、前倒ししようか」「そうですね。それがいいかもしれません」……答えながら花は思った。大雅のソロツアー『THE FIRST ACT』まで1ヶ月。事務所から大きな発表をされるのも間もなくだろう。できたらその前に、春希のことは心配のない状態にしておくのがベストだと。「おサルさんとミニカーと電車、大事な絵本と、眠れない時のタオル……」大雅との話から1週間。春奈・圭一夫妻とも話し合い、全員の気持ちが固まった。……今日は春希の本格的な引っ越しの日だ。春希用の小さなスーツケースに身の回りのおもちゃを入れてやり、忘れ物はないかベッドルームへとやって来た花。「春くん、ここにいたの?」ポツンとベッドに座り、何かを抱きしめていた。近寄ってみると、それが大雅の枕だとわかる。「たいがーは……?」「うん、もうそろそろお仕事終わったかな……」ふと顔を上げた春希……花の目から見ても大きくなったとしみじみ思った。大雅は……仕事が長引くから見送りには間に合わないと言っていた。けれど花には、なんとなくわかっていた。間に合わないのではなく、間に合わせないつもりなのだろう。そこへ圭一がやって来た。







