律の言葉の真意を探ろうと、私はゆっくりと顔を上げた。
彼の眼差しは、真剣でどこか切ない光を宿している。
「あの頃から、俺はずっと寧々を見ていた。寧々が辛いとき、俺はいつもそばにいたかったんだ」
律の言葉は、私の胸に静かに染み込んだ。
だけど、これは幼なじみとしての優しさだ。そう自分に言い聞かせるも、私の鼓動は早まるばかりだった。
思い返せば律は、いつだって私のことを肯定してくれた。
幼稚園でみんなの輪に入れずに一人でいたときも、小学校の運動会で転んだときも、律はいつも私に手を差し伸べてくれた。
その大きな手が今、私の髪を撫でている。
昔と変わらない優しさと、昔にはなかった熱を帯びたその手のひらに、私は戸惑いながらも、抗えない安らぎを感じていた。
この心地よい関係は、本当にこのままの形でいて良いのだろうか。
私は、律の眼差しに吸い込まれるように、じっと彼を見つめ返した。
「……っ、どうして……」
私は思わず、彼の言葉の真意を尋ねようと口を開いた。すると、律は静かに視線を逸らし、ぽつりと呟いた。
「高校のとき、寧々と拓哉の姿を見て、どうしようもない気持ちになったことがあるんだ」
律の言葉に、私の心臓が凍りついた。
【律side】
高校時代、寧々と拓哉の姿を見るたびに、俺の胸は鉛のように重くなった。
高校2年の夏。廊下を歩く俺の耳は、教室の賑わいの中、いつもあいつの声を探していた。
寧々……。
「ねえ、拓哉。今日の数学の宿題で分からないところがあるんだけど……教えてくれない?」
「いいよ、寧々。一緒にやろうか」
拓哉の隣で楽しそうに話す寧々の姿を見つけ、俺は立ち止まった。
寧々がニッコリと笑うたび、俺の胸はぎゅっと締めつけられる。
息が詰まるような苦しさが、肺の奥からこみ上げてきた。
楽しそうに笑う寧々の横で、拓哉が俺のほうをちらりと見て、にやりと笑う。
「……っ!」
その挑発的な態度に、俺は無意識に拳を握り
律の言葉の真意を探ろうと、私はゆっくりと顔を上げた。彼の眼差しは、真剣でどこか切ない光を宿している。「あの頃から、俺はずっと寧々を見ていた。寧々が辛いとき、俺はいつもそばにいたかったんだ」律の言葉は、私の胸に静かに染み込んだ。だけど、これは幼なじみとしての優しさだ。そう自分に言い聞かせるも、私の鼓動は早まるばかりだった。思い返せば律は、いつだって私のことを肯定してくれた。幼稚園でみんなの輪に入れずに一人でいたときも、小学校の運動会で転んだときも、律はいつも私に手を差し伸べてくれた。その大きな手が今、私の髪を撫でている。昔と変わらない優しさと、昔にはなかった熱を帯びたその手のひらに、私は戸惑いながらも、抗えない安らぎを感じていた。この心地よい関係は、本当にこのままの形でいて良いのだろうか。私は、律の眼差しに吸い込まれるように、じっと彼を見つめ返した。「……っ、どうして……」私は思わず、彼の言葉の真意を尋ねようと口を開いた。すると、律は静かに視線を逸らし、ぽつりと呟いた。「高校のとき、寧々と拓哉の姿を見て、どうしようもない気持ちになったことがあるんだ」律の言葉に、私の心臓が凍りついた。【律side】高校時代、寧々と拓哉の姿を見るたびに、俺の胸は鉛のように重くなった。高校2年の夏。廊下を歩く俺の耳は、教室の賑わいの中、いつもあいつの声を探していた。寧々……。「ねえ、拓哉。今日の数学の宿題で分からないところがあるんだけど……教えてくれない?」「いいよ、寧々。一緒にやろうか」拓哉の隣で楽しそうに話す寧々の姿を見つけ、俺は立ち止まった。寧々がニッコリと笑うたび、俺の胸はぎゅっと締めつけられる。息が詰まるような苦しさが、肺の奥からこみ上げてきた。楽しそうに笑う寧々の横で、拓哉が俺のほうをちらりと見て、にやりと笑う。「……っ!」その挑発的な態度に、俺は無意識に拳を握り
「り、律……?」ドキドキしながら、私は律に尋ねる。「ああ、ごめん。寧々」律の長い指が、私の唇からすっと離れた。その指先には、赤いソースがほんの少しだけついている。「寧々の口に、トマトソースがついてたから」そう言って律は、私の口元から取った赤いソースを、まるで何事もなかったかのようにペロッと舐めた。「……っ!」彼のまさかの行動に、私の思考は完全に停止した。信じられない、という気持ちと、胸の奥がじんわりと熱くなる感覚。そして、まるで心臓を直接握りしめられたかのような、甘い衝撃が全身を駆け巡った。顔も熱くなり、まるで全身の血液が沸騰したみたいだった。動揺を隠しきれず、私は言葉を失う。「ははっ。これくらいで、顔を赤くするなんて。ほんと可愛いなあ、寧々は」律は楽しそうに笑い、私のお皿に鶏肉を一つ乗せた。「ほら。料理、冷めないうちに早く食べよう」「う、うん……」律の笑顔に、私の心はまたもや大きく揺さぶられた。食事が進むにつれ、私の緊張は少しずつ解けていった。律は今日の仕事の話や、他愛ない昔話をしてくれる。「律は、モデルのお仕事、楽しい?」「楽しい、かな。でも、疲れるときもあるよ。そういうときは、不思議と寧々の顔が浮かんでくるんだ」「え……?」「寧々が昔、俺にくれた手紙にも書いてあっただろ?『律は律のままで十分だよ』って。あの言葉に、何度も救われたんだ」そうだったんだ。律の言葉に、胸の奥が温かくなる。彼の優しい眼差しに、心が解き放たれていくのを感じた。「そういえば、あの神社の裏の……大きな折れた木があった場所って、まだあるのかな?」「ああ、もしかして秘密基地?懐かしいね!小学生の頃、律と一緒によく遊んだ場所だ。雨の日も風の日も、あそこでコソコソお菓子を食べたり、漫画を回し読みしたりしたよね」幼い頃を思い出し、自然と笑みがこぼれる。私たちは、たちまち中学・高校時代の懐かしい思い出話に花を咲かせた。律が学校の体育祭では、いつもヒーローだったこと。女子にモテモテだったことや、二人の共通の知人の話……律と他愛ない会話で笑い合う時間は、心地よくて心が安らいだ。「律って、昔から足が速かったよね。体育祭でいつもダントツの1位だったし。かっこよかったなあ」私が笑いながら言うと、律はくすりと笑い、そっと私の頬に触れた。「俺は、図書室で静かに
彼らのことは、もうどうでもいいはずなのに。未練なんて、ないはずなのに。二人の姿を見るだけで傷つき、そして気になるなんて……。未だ過去に囚われている自分に、嫌気がさした。***昼休み。大学のカフェテリアは、多くの学生たちの話し声で賑わっている。私が窓際の席で一人、カルボナーラを頬張っていると。私の席の近くで、何人かの女子学生が楽しそうにスマートフォンの画面を覗いているのが目についた。カフェテリアの喧騒が、遠いBGMのように聞こえてくる。その中に、私の心をざわつかせる声が混じっていた。「ねぇ、見た?律くんの新しい雑誌の表紙!今回の髪型も最高すぎない?」「わかる〜!やばいよね、リアル王子様じゃん!写真集とか出ないかな?」「ほんと、なんであんなに完璧なの?拝みたいレベル!」耳に届いた彼女たちの会話に、私の肩がビクッと跳ねた。まさか、大学で律の話題が出るとは思わず、私は持っていたフォークを落としそうになる。慌てて周囲を見回すものの、誰も私のほうを見てはいない。ドキドキするのを感じながら、私は体勢を整える。家に一緒に住んでいると、つい忘れがちだけれど。律は有名人なんだな。彼女たちが話す『律くん』は、私の知っている律とあまりにもかけ離れていた。彼らは、雑誌やテレビの中の、手の届かない完璧な王子様しか知らない。私は、あの子たちの知らない、無防備な寝顔や、料理をする真剣な横顔を知っている。彼が私の隣で優しく微笑んでくれることは、私だけの特権であるかのようにも思えた。……だけど、そんなささやかな優越感は、すぐに不安へと変わる。彼女たちの楽しそうな声が、遠い世界から聞こえてくるようだ。「私たち、住む世界が違うんだ……」そう、私と律は住む世界が違う。同時にそのことを、改めて痛感した。彼は手の届かない太陽で、私は暗い影の中でこそこそと生きている。律とのこの秘密の関係は、いつまで続くのだろう。いつか、私の存在が彼を苦しめることになるのでは……?そんな不安が、胸をぎゅっと締めつけた。***「ただいま」私が大学から帰ると、律のマンションには彼の温かい気配が満ちていた。「おかえり、寧々。夕飯、もうすぐできるからな」キッチンに立つ律が、こちらを見て微笑んでくれる。その手には、慣れた様子で玉ねぎを刻む包丁が握られていた。「うん。ありがとう」
拓哉との婚約破棄、そして律との秘密の同居生活が始まって、早くも一週間が経とうとしていた。やっぱり、このままじゃダメだ。律の完璧な気遣いが隅々まで行き届いた部屋は、あまりにも快適だった。けれど、その居心地の良さは、同時に私の心を蝕んでいく甘い毒のようにも感じられた。このまま彼の庇護のもとで安穏と暮らしていては、私は本当にダメになってしまう。そう強く感じた私は、春学期が始まってしばらく休んでいた大学へ、再び向かうことを決意した。「寧々、どこか行くのか?」服を着替え、身支度を整えて玄関に向かうと、リビングから律が声をかけてきた。「うん。大学に行こうと思って」律は持っていたマグカップをそっとテーブルに置き、私を真っ直ぐ見つめる。その瞳の奥に、何かを試すような光が宿っているように感じられた。「そっか……あのさ、分かってくれていると思うけど……」ああ、たぶん、律と決めた同居のルールのことだな。私は律の言葉を遮り、彼の不安を打ち消すように答えた。「うん。私がここで律と暮らしていることは、絶対に誰にも言わないよ。もちろん、大学の友達にも、家族にも。それから、ここへは誰も連れ込まないから」私の言葉に、律の表情がふっと緩む。安堵したような、それでいてどこか満足げな微笑みが、彼の口元に浮かんだ。「ありがとう。分かってくれているなら良いんだ。大学、頑張ってな」「うん。それじゃあ、いってきます」「いってらっしゃい」律に見送られながら、私は家を出た。ドアが閉まる音を聞くと、ようやく緊張の糸が少しだけ緩んだ。マンションを出る際は、周囲に不審な視線がないか細心の注意を払った。律との生活と、いつもの大学での日常。この二つの世界は、私の心の中にだけ存在する秘密の橋で繋がっていた。そして、その橋はあまりにも脆く、今にも崩れ落ちそうな気がした。電車を乗り継ぎ、大学の最寄り駅に降り立つ。見慣れた景色、学生たちの活気ある声。懐かしさに安堵する一方、この日常に嘘をついていることへの罪悪感が胸に広がった。「あっ、寧々!久しぶりー!最近、大学で見かけないから心配してたんだよ〜」校門をくぐると、後ろから明るい声が聞こえた。振り返ると、金髪のショートボブが似合う友人の斉藤彩乃が、満面の笑みで駆け寄ってくる。隣には、サラサラのセミロングヘアが特徴の、おっとりとした田原
「拓哉くん……?」奥の部屋から足音が聞こえ、山下莉緒がリビングに入ってきた。彼女の顔は、拓哉と私という異様な光景に、一瞬にして凍りついた。けれど、その表情はすぐに、不機嫌そうなものへと変わる。私をじろじろと見つめ、口元をわずかに歪めた。「ねえ、拓哉くん。もしかして、まだこの子と連絡なんて取っていたの?」そう言って、山下さんは拓哉の腕を、まるで自分のもののようにギュッと掴んだ。その仕草が、私の中で最後の糸を断ち切った。私は拓哉と山下さんを交互に一瞥し、静かに、けれど冷たい声で呟いた。「あなたたちがどうなろうと、私にはもう関係ない」「……っ」山下さんは、悔しそうに唇を噛みしめた。拓哉は呆然と立ち尽くし、彼女たちの間に流れる空気に、私はわずかな満足感を覚えた。「この先、二度と私の前には現れないで」ここには、私の居場所なんてない。もう、何の未練もなかった。私は、真っ直ぐアパートのドアに向かって歩き出す。「ね……っ」拓哉は何かを言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。彼の背中には、もうかつての輝きはなかった。ドアを開け、一歩外に出る。冷たい夜風が、私の頬を優しく撫でた。私は、もう二度とこの場所に戻ることはないだろう。そう、心に誓った……そのときだった。「寧々」アパートの前に、マスク姿の律が立っていた。心配そうな顔で、まっすぐ私を見つめている。「り、つ……」彼の姿を見た瞬間、張り詰めていた感情の糸がプツリと切れ、私の目からは大粒の涙が溢れ出す。律は何も言わず、ただ静かに私を抱きしめてくれた。その温かい腕の中で、私は声を上げて泣いた。「……っうう」この涙は、悲しみの涙だけではなかった。裏切りへの怒りでも、過去への未練でもない。それは、ようやく過去に区切りをつけ、自分の足で未来へ踏み出すことを決めた、私自身の決意の涙だった。「ありがとう、律……」律の腕の中で、私はそっと呟く。律は黙ったまま、私の頭をポンポンと優しくなでてくれた。そして、抱きしめる腕に少しだけ力を込める。「寧々が戻ってくるまで、ここにいたかったんだ。君が、一人で泣きながら出てこないように……」彼の低い声が、私の耳元で響く。その言葉に、胸が締めつけられた。律は、私のことを信じて、ずっと待っていてくれたんだ。これまでの人生で、誰かが私のためだけ
「律、あのね、私、拓哉と会ってこようと思う」律は読んでいた雑誌から顔を上げ、静かに私の目を見つめた。彼の表情はいつも通り穏やかだったけれど、その瞳の奥には、どこか緊張の色が見える気がした。「そうか。話してくるのか」律は、それ以上何も聞かなかった。ただ、彼の視線が「頑張れ」と語りかけているように感じられ、私の胸に温かい勇気が湧き上がった。私は意を決し、3日ぶりに拓哉と同棲していたアパートへと向かった。日が暮れた街の喧騒が遠く聞こえる。見慣れたアパートの前に立つと、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。この場所が、かつて私にとっての「家」だった。温かさと安心感の象徴だった。インターホンを押す手が震える。数コール後、玄関のドアが開き、拓哉が顔を出した。「えっ、寧々!?どうしたんだよ、急に……!」彼の声には驚きと、かすかな安堵が混じっているように聞こえた。私が家を出てから一度も連絡はしていなかったから、戸惑うのも無理はないだろう。拓哉の背後から、見慣れない女性物の靴が視界に入った。華奢なハイヒールは、まるでモデルが履くような、見慣れないデザインだった。……彼女の靴が、なぜここにあるのだろう。怒りよりも、全てを悟った諦念が胸に広がった。私の心は、冷たい氷に包まれたようだった。「拓哉に話があるんだけど……中に入れてくれる?」私の声は、思いのほか冷静だった。拓哉は一瞬ひるんだように見えたものの、観念したようにドアを大きく開けた。リビングに入ると、漂ってきたのは、私の好きな香水とは違う、甘ったるい化粧品の匂いだった。見覚えのないマグカップや、ファンシーなポーチが散乱している。私の出て行った部屋は、すでに別の誰かの生活の痕跡で満たされていた。「何よ、これ……」私のつぶやきに、拓哉は気まずそうに目を泳がせている。私のクッションはソファの隅に押しやられ、テーブルの上には見慣れない漫画雑誌が広げられている。私が部屋を出てから、たったの3日。まるで最初から私がこの場所にいなかったかのように、彼の生活は別の誰かで彩られていた。私は、手のひらをきつく握りしめる。「寧々、違うんだ。俺、あの日はその、海人たちとちょっと……」「言い訳なんて聞きたくない」私は、拓哉の言葉を遮った。もう、彼の嘘を聞くのは懲り懲りだった。『飲み会に行ってた』『研究室に